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第三十五幕 緑の魔女(2)

「ジル……あの、プレゼントありがとうございました」


 魔女の家までの道中、コーデリアはジルに礼を伝えた。手紙には書いたけれど、やはり直接言いたい。そう思っているとジルも微笑んだ。


「気に入ってもらえたようで私もほっとしたよ」

「ペンもインク壷も、とても素敵でした。それで……もしよろしければ、ジルのお誕生日も教えていただきたいのです。以前ヴェルノーにお聞きしたのですが、忘れたとおっしゃったのですよ?」


 また聞いておくとヴェルノーは言っていたが、きっとそのままだと忘れられてしまう。

 そう思ったからこそコーデリアは聞いたのだが、ジル「えっと、そうだね……」と返答に濁りがある。


「ジル?」

「あ、いや、ごめん。ちょっと目にゴミが入ったみたいで……」

「あら、大変。だめですよ、こすっては。眼球に傷が入ってしまいます。どこか目が洗えるところは……」

「放っておけ、ディリィ。どうせ大丈夫だ。それにホントにゴミが入っていても涙が流れりゃ落ちるだろうから」


 あたりを見回すコーデリアを制止したのはヴェルノーだった。なんと冷たい。その思いからヴェルノーを睨むも、ジルが「うん、本当に大丈夫だから」と少し焦った様子でヴェルノーを庇う。納得できないが、ジルが大丈夫だというなら仕方がない。それに残念なことにすぐに洗える場所も見つかりそうにもない。


「あ、ほら、魔女の家も見えたぜ」


 そうしているうちにヴェルノーが指さしたのは赤い三角屋根で煙突のついた家だった。

 家の前には小さな花壇があり、様々な植物が植わっていた。そして陶器で出来ている鳥の置物などがその隙間から見え隠れしている。


「可愛い」

「先生の家は薬屋でもあるんだ。お客さんはほとんどご近所さんや紹介された人で、一見さんはいないそうだけどね」



 ジルの解説をききながら、店のドアを開けたヴェルノーに続きコーデリアたちも店内に入った。


「あら、いらっしゃい。かわいいお客さんたち」


 店に入ると、すぐに落ち着いた女性の声が耳に入った。

 声の主はエプロン姿の緑の目をした初老の女性だった。髪は後ろで一つに結っており、頭には三角巾がある。


「ヴェルノーくん、ジルくん、こんにちは。この女の子が君たちがいっていたディリィちゃんなのね」


 そう言いながらエプロン姿でコーデリアに近づいた女性は緑の目を一瞬見開いた。

 しかし『え?』とコーデリアが一瞬考える前に彼女の表情は柔らかいものに変わった。

 そしてコーデリアと視線を合わせるために少し膝を折った。


「初めまして、私はこのあたりで緑の魔女と呼ばれている薬師です。薬草が好きなのよね。ディリィちゃんって呼んでもいいかしら?」

「はい。よろしくお願いいたします。私は……先生とお呼びしても?」

「ふふ、構わないわよ」


 魔女と直接呼ぶのもためらわれたので、ジルが彼女へ向ける呼称とおなじもので尋ねると、彼女は笑みを深くした。


「アロエベラを引き取ってくれてありがとう。ジルくんからあなたなら枯らせず育てられるかもしれないって聞いて驚いたわ。あの子は元気にしている?」

「はい。とても元気に育っているので、これを持ってきました」

「これは?」

「アロエベラのジェルです。保湿液を作りました」


 そういうと魔女は驚いた様子を見せた。


「二人から聞いていたけれど……本当に、薬草が好きなのね」


 それから魔女は所在なさげにしているロニーにも声をかけた。


「あなたはディリィちゃんのお兄さん……というところかしら?」

「ええ、似たようなものです。お世話になります」

「いえいえ。こんなにかわいい子だとお兄さんも心配でしょう」


 魔女にそういわれたロニーは苦笑いをもって答えていた。


「もっとお話をしたいけど、ひとまずヴェルノーくんとジルくんには前に出した課題を見せてもらいましょうか。ディリィちゃんとお兄さんは、その間ちょっと待っていてね。ここにあるものなら何でも好きに見ていてくれてもかまわないから」


 魔女にそう言われたコーデリアは遠慮なく店内を見学することにした。

 店内には一応カウンターがあるが、それは一番端で形ばかりのものだった。店内の半分は棚や本棚で埋め尽くされ、瓶に入れられた薬草がところ狭しと並んでいる。もう半分には二つの大きなテーブルがあった。テーブルの片方には花が生けられた花瓶がおいてあり、もう片方の机には乳鉢や秤が置かれていた。


 机のすぐそばの窓は直射日光が当たらないよう、レースが重なったカーテンがかかっている。そしてそのすぐ側の梁からは薬草が吊されている。


 コーデリアはまず近くにあった棚に並べられたガラス瓶に近づいた。そしてその瓶に入った乾燥植物を見ることにした。


「これはラベンダーね。こっちはローズマリー」


 ラベンダーはともかく、ローズマリーはコーデリアもすぐに株を手に入れることができなかったハーブだ。だから驚いた。しかもその状態は非常に良好な質の高いものに見える。


(アロエベラを手に入れていた方だもの。もちろんあっても不思議ではないのだけれど……)


 それでも自分の手の届くところではないところで、これらを見るのは不思議な気分だった。

 そしてそのまま隣に並んでいる瓶を見た。


「あら? この鮮やかな茜色の葉は……?」

「ああ、これはティラニの葉ですね。煎じて飲むと喉の炎症を抑える効果があります。……って、おじょ……ディリィはこれのこと知らなかった? まあ、あんまり森にはない草ですね」

「ティラニ……名前だけなら聞いたことはあるわ。でも、現物をみるのは初めて。確か、霜に負けるから北では育たない薬草よね」

「ええ。昔は山にも多かったって聞きますけど、今は欲しいと思うなら種から自分で育てるほうが確実でしょうね。あんまり育ててる人はいないですけどね」


 これが本で見たティラニなのかと頷きながら、コーデリアは更にその隣に並ぶ瓶をみた。

 するとそこにはマリモのような緑色のものが詰まっていた。マリモのようだが、水は入っていなかった。


「これはなに?」

「ああ、これはティカですよ。これを水に溶かせば二日酔いが治せますね。なかなか刺激ある味がします」

「それも聞き覚えがあるわ。確か雨に弱いから野生だと木の下に生えることが多い……のよね?」

「ええ、その通りです。まあ、木の下でも結構ダメになっちゃうんで、商用ならまず小屋の中で育てますね」


 そうロニーの解説と答えを聞いて、コーデリアははっとした。


「もしかして、この二つは有名な薬草だったりする?」


 本で名前を見た時はそれほど広まっているものだとは思っていなかった。

 しかしロニーが当たり前のように返すので疑問が浮かんだ。するとロニーは「そうですねえ」とのんびりした口調で返す。


「少なくともローズマリーやラベンダーとは比べものにならないくらい有名ですね。例えば……そうですね……ちょっと違うかもしれないけど名声だけなら、マイナーなローズマリーが俺で、ティカは王様や王子様くらいに例えられるくらいの差はあるんじゃないですか」


 ロニーがそういったとき、テーブルの方から盛大にむせ込む音が聞こえた。

「おい、ジル。大丈夫か」と声をかけているヴェルノーが見えるが、なにやらヴェルノーは笑いをこらえているようにも見える。……いったい何があったのだろう?


 しかしそんな二人のやりとりよりもコーデリアの興味は棚の草花だ。


「こちらは……タイムと……リコリスの根?」


 タイムは小さなポット植えられていて、すぐにわかった。

 そしてリコリスには瓶にラベルが貼ってあった。


 精油をつくるという第一の目的からははずれていたので積極的には探していなかったが、リコリスやタイムはよく知っている。

 リコリスは前世の世界では古代から愛されていた植物の一つだ。

 古代エジプト王朝では甘いリコリスウォーターが大人気だったというし、古代ローマでは兵士がスタミナを蓄えるために食べていたという話がある。またそのシロップは気管支炎にも効く。

 一方タイムもその殺菌力からミイラ作りに利用されたという、伝統あるハーブである。さすがにコーデリアにはミイラを作る予定はないが、その力でチンキ剤を作り、歯の周りのケアにも用いることなどはできるだろう。


(タイムは小枝を燃やしてもいい香りがするのよね)


 欲しいな。種を分けてもらう事はできないかな。そう思いながらもう一つ奥にある棚に移動すると、そこにも思わず声を上げたくなる植物が並んでいた。


「こっちはワイン漬けのヒソップかしら?」


 たくさんのハーブに心踊らせていると、魔女は「また驚いてしまったわ」とコーデリアに声をかけた。


「本当に思っていた以上に薬草が好きなのね」

「書物で調べました」

「そうだとしてもすごいわ。だって、よほど専門書を読み込まないと書いてなんかいないでしょう?」


 そう言う魔女にコーデリアは少し笑ってごまかした。

 まさか前世の知識です、なんて言えるはずもない。


「でも、もったいないわね。それだけ知識があるのに、普遍的な薬草に触れる機会が少ないのはとても惜しいわ」


 魔女が言う普遍的な薬草というのは先ほどのティラニやティカのことなのだろう。確かにもったいないのかもしれない。そう思うコーデリアに魔女は一冊の本を棚から取り出し、コーデリアに渡した。


「ディリィちゃんにはこの本が合うかもしれないわ。ティラニやティカはほかの薬草とも相性がよくて、組み合わせるのにも便利なのよ。これだけ詳しいんですもの、ディリィちゃんは将来薬師かそれに連なる職につきたいのよね?」

「え? 私、薬師は考えていませんでした」

「あら? じゃあ、どうして薬草を?」

「その……私、製油を研究しているんです」


 そうコーデリアが言うと、魔女は目を丸くし、けれどすぐにに目尻を下げて微笑んだ。


「とても素敵ね」

「ありがとうございます。でも……出来れば、私は多くの薬草があつかえるようになりたいです。薬草のこと、もっと知りたいです。私にも教えていただけますか?」


 前世の知識とこの世界独特の魔術の知識。今まではそれらを組み合わせることばかり続けてきた。しかしそこにこの世界独特の薬草を組み込むことができたら更なる改良普及につながるかもしれない。

 それから……薬師という響きに憧れもある。本では見つけられなかった知識を得られるなら、そのチャンスを逃せるはずがない。そう思いながらコーデリアは魔女に願った。

 

「じゃあ、ヴェルノーくんやジルくんと一緒にお勉強ね」

「ありがとうございます」

「いえいえ。私の知識が、貴女たちの役に立つことがあればとても嬉しいわ。じゃあ、まずさっき渡した本からお勉強に入りましょうか。わからないことがあったらいつでも聞いてね」


 そう魔女が言い、コーデリアも大きな机に近づいた。

 そして席に座り、本を開いて……そこで、ジルがこちらをみていることに気がついた。


「どうかいたしました?」

「いや……似てるって思ったんだ」

「似てる?」

「先生とディリィの笑い方。似てるね」


 残念なことにコーデリアは自分の笑顔を意識して見たことなどない。

 たとえ何もなくても笑おうと思えば笑顔をつくる自信はあるが、鏡の前で自分の笑顔を研究したことはさすがにない。


「私、先生みたいに柔らかに笑っているのですか?」

「うん。なんだろう。目元が似てる気がする」


 そう言われたコーデリアは思わず薬草が入った瓶を抱える魔女を見た。

 色が全然違うのに目元が似ている?

 不思議に思いながらコーデリアは魔女の目に注目したが、残念ながらよくわからなかった。

 けれどそうしているうちに魔女と目が合った。すると魔女はやんわり微笑んだ。コーデリアもそれにつられてにこりと返す。そして魔女から目を外し、ジルに一言。


「ありがとう」


 伝えたのは素直な感謝の言葉だ。照れくさくはあるが、やはり嬉しい。

 ……いや、やはり照れくさいけれど。しかしここで恥ずかしがっては余計に恥ずかしいことになる気がする。涼しく受け流すことも必要だ……おそらく。

 そう思いながらコーデリアは何気なしにもう一度魔女の横顔をうかがった。


(あれ?)


 どこか既視感を覚えたのはなぜだろう?

 そう思いながら一度瞬きをしてもう一度彼女を見た。


(……気のせいか)


 よくよく考えれば彼女と年齢の近いだろう女性の知り合いなんていない。それなのにどこでそんな印象を受けたのだろう? そうして疑問を浮かべているとはたと女性と目が合った。そしてにこりと笑んだ女性の表情を見てコーデリアも笑み返した。

 この笑顔に似ていると言われているなら、やっぱり嬉しいと思ってしまった。

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