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第三十四幕 緑の魔女(1)

外出自粛の期間を静かに過ごし、ようやく一区切りがついた頃。実験室にいたコーデリアの元にはひとつの荷物が届いていた。


「さすがはエリス商会ね。石鹸の分厚い計画書がもう届いたわ。そして私は彫刻用の石鹸を頼んだはずが、花や動物の立体デザインのバージョンの計画まで入ってる。確かに完成品のほうが需要もありそうだけれど」

「お嬢様的には完成品は困るんですか?」

「いいえ? カービングにはいろいろ方法があるし、提案されていない図案もあるから困らないわ。それにそもそも自分の手で作りたいと思う人は完成品があっても作ると思うの。アレンジもできるし、量産品より細かくできるし」

「俺は買った方が楽だと思うんですけどねえ」

「たしかにロニーはそうでしょうね」


ロニーがちまちまと彫刻に励む姿は想像できない。

手先の器用さや正確さは疑いようもないのだが、性格に合うとはコーデリアも思えなかった。


「そんなロニーは何をするのが好きなのかしら?」

「俺ですか? わりとだらだらするのが好きです」

「それは大半の人が好きだと思うわ」

「え? そうですか? お嬢様とかだらだらしてたら時間がもったいないとか思うタイプでしょう? 旦那様とか絶対だらだらできない人ですよ」

「……」


そんなことはない……とは、コーデリアは言いきれなかった。

だらだらするのは決して嫌いではないはうずなのに、この世界に生まれてからというものだらだらした記憶がない。


「お嬢様も一日くらいだらだらしてみますか?」

「そうね……私はいつかだらだらするために今は課題に取り組むことにするわ」


一瞬一日くらいはとも考えたが、すぐに『いや、やることはいっぱいある』と考えを改めた。それに好きでやっていることだ。だらだらしようとしたところで、どうせ進行途中のものが気になってしまう事は目に見えている。


「話を戻すけれど、思った以上にエリス商会は快諾してくれたわね。石鹸の件はともかく、出資は小さな額の話ではないはずよ」

「エリス商会は王都南方では貿易を含めかなり強いですが、パメラディアの領地ではほぼ力がありませんからね。伯爵家とのつながりを足掛かりにしたいのでしょう。伯爵家と取引しているとなれば信用も得やすい。ギブ&テイクですよ。あちらが足掛かりにする気なら、こちらも使えるものはすべて使ってしまわないと損ですよ」

「ええ。だから、どうせ石鹸の改良に取り組むなら、洗濯用のものも一緒に頼もうと思うの。そうすれば洗濯場の皆にも喜んでもらえるでしょう?」

「まあ、確かに汚れが良く落ちるなら洗濯場の使用人には喜ばれるし。でもそれ、結局エリス商会の儲けに繋がりますよ」


そんな話をしていた時、コンコンとドアをノックする音が響いた。


「お嬢様、ララです」

「どうぞ」


コーデリアの返事を聞くなりララは音も立てず、しかし勢いよく部屋に飛び込んできた。


「どうしたの? そんなに慌てて」

「フラントヘイムのお坊ちゃんが着てますよ、お嬢様。ロニー、逃げるわよ」


なるほど、作法が苦手なロニーを迎えにきたのか。

そう微笑ましくコーデリアが二人のやりとりを見ながらコーデリアは「じゃあ行ってらっしゃいな」と、ロニーに退席を促した。ロニーも「そうさせてもらいます」と割と足早に部屋から出ていく。

それから間もなくして部屋にはエミーナとヴェルノーがやって来た。


「ご機嫌いかが? ヴェルノー様」

「悪くはない。が、甘い物でより機嫌が良くなるかもしれないな。今日は甘酸っぱい物が食べたい気分だ」


そう言いながらヴェルノーはちらりとエミーナを見た。エミーナは「では、そのように」と緩やかに微笑み一旦退室する。


「ヴェルノー様は本当に我が家のお菓子がお好きですね。今日もお茶を楽しみにいらしたのかしら?」

「確かにそれは間違いないが、今日は二つほど用事があって来た」

「ご用事ですか?」

「一つは前の日程調整の件だ。ジルから、五日後はどうかと聞かれてる。まあ、この手紙のなかにあるだろうから返事だけ聞かせてくれ」

「ありがとうございます……と、この包みは?」


ヴェルノーが差し出した手紙には、手紙より一回り大きい包みが添えられていた。

コーデリアが首を傾げるとヴェルノーは「それが二つ目」と返事をする。


「ジルからの贈り物だ。誕生日なんだろ、もうすぐ」

「あら」

「本当は詳しい日が分かればよかったんだけど、って言ってたよ。エナだけじゃ日まで特定できないしな。って、どうしたんだ、微妙な顔をして」

「いいえ。私、ジル様のお誕生日のお祝いを送ったことがなかったと思いまして……」

「なんだそんなことか。気にするなよ、ジルだって去年まで贈ってなかったんだし。来年また考えればいいさ」


なるほど、既に今年の誕生日は過ぎているらしい。


「では、いまジル様のお誕生日だけでも聞いていてもよろしくて?」

「あー……忘れた。本人に聞いてからまた伝える」

「……」


微妙に目を反らせたヴェルノーにコーデリアは『まあ、ヴェルノーならそうかもしれない』と思いつつ「よろしくお願いしますね」と念押しした。念押ししても忘れられそうな気はするが、一応、だ。


「開けないのか?」

「開けたい気持ちはやまやまですが……ヴェルノー様の前ですし、と思いまして」

「どういう意味だ」

「どういう反応を致しましても、からかわれそうな気が致しますので」


そう言うとヴェルノーは心外だというように大袈裟な身振りを交えた。


「俺はジルが好みに合うか心配していたから、その報告をしようと思っただけさ」

「……」


本当に? と、尋ねようとしたが今までヴェルノーから嘘を言われたことはなかったのでコーデリアは押し黙った。嘘は言われたことはない、嘘は。ただ妙に上手く建前を使っているような気がするだけで。


コーデリアも中身を見たくない訳では無い。

ひとまずヴェルノーを信じることにして、コーデリアはゆっくりとその包みを開けた。


中には二つの箱が入っていた。そしてそのうちの一つが赤いジュエリーケースであることを認識すると同時、一瞬息を飲んだ。まさか、宝石? ネックレス? 恐る恐る中をのぞいてみるとそこにはガラス製のペンがあった。


「まぁ、綺麗!」


思わずそう声を出してしまうほど、コーデリアにとって予想外のものだった。

その文房具はコーデリアも見たこともなかった。インテリアだろうか、それともインクをつけて書いてもいいのだろうか。そう少しだけ悩みながらもペンを眺めていると「それ一回インクをつけると結構書けるらしいぜ」とのヴェルノーの声が入ったのでコーデリアは実用のものだと理解した。そして感謝した。とても嬉しい。

嬉々とした気持ちのままもう一つの箱を開けると、そこにはインク壺が収まっていた。インク壺はシンプルだが品が良く、桔梗の柄が入っていた。


「こちらも凄く素敵ですね、インクを入れるのがとても楽しみですわ」

「だろう?」


妙に得意げなヴェルノーが気になったが、深くは尋ねないことにした。

綺麗なのは本当で、二つともいつまでも眺めていたくなる。


「せっかくですから、お返事はこのペンで書かせていただきたいですわね」

「ああ、あいつも喜ぶ。まあ、その前に手紙も読んでやってくれ。今のディリィが返事を書くと感謝の言葉だけで埋め尽くしてしましいそうだけど」


そうヴェルノーに促されながらコーデリアは手紙のほうにも目を落とした。


『お誕生日おめでとう。本当は直接お祝いが出来ればよかったのですが、少し難しそうなのでヴェルノーに託しました。この手紙を読んでもらえているという事はディリィの手元に届いたのかと思いますが、今は贈り物が気に入ってもらえるかと緊張しています。けれど気に入ってもらえたら嬉しいとも思っています。

 五日後に、前に話した先生のもとに行きます。もしディリィの都合がよければ、一緒に行って見ませんか? 彼女も一度会ってみたいと仰っていいました。きっといい出会いになると思います』


そしてそこまで読んで、コーデリアはヴェルノーを見た。


「ヴェルノー様、このお手紙」

「ん?」

「ジル様が書いている途中に取りあげなさいました?」


最初の穏やかな文字に比べ、最後の方の文字は走っている。この走り方は……例えばニホンジンの学生がテスト終了間際に慌てて書きこんだというような具合だ。絶対ヴェルノーが急かしたに違いない。そう思うとヴェルノーはさも当然のように言った。


「いや、何回も書き直してるからもういいだろって。言いたそうなことは書けているだろう?」

「どうせまた突然『今日行くから』という具合に仰ったのでしょう?」

「それを買に行ったのはもうちょっと前だからもうかけてるかと思ってたんだ。なのに何回も書き直すから……」


だからと言って急に今日というのはないだろう。そうコーデリアは思ったが、ヴェルノーに行ってもたぶん通じない。


「じゃあ、とりあえず五日後な」

「ええ。よろしくお願いします。手紙は……甘い物を食べてから書きますわ」


そのタイミングで部屋がノックされ、エミーナがカートにのせたレモンカードのタルトと共に現れた。紅茶と共にタルトがサーブされ、そしてぺろりとヴェルノーは平らげ、お代わりを所望した。コーデリアはヴェルノーよりゆっくりと食べ、そしてエミーナに紙とインクの用意を頼んだ。そして多分ヴェルノーはもう一度お代わりをすると予想し、それまでに書き上げねばと決意する。取りあげられては困る。


『素敵なプレゼントをありがとうございました。早速いただいたペンを使い、お返事をかかせていただきました。思った以上に軽く書けることに驚いています。割ってしまわぬよう、細心の注意を払わせていただきますね。インク壺も、この後すぐに使わせていただこうと思います。桔梗の花もとても綺麗で、本物の花を見たくなりました。

緑の魔女さんの件、ありがとうございます。五日後、楽しみに致しております。』


出来るだけ急いで、けれど決して文字が荒っぽくならないように注意しながらコーデリアはそこまで書き上げた。ヴェルノーはケーキは食べ終えていたが、ゆっくりと茶を飲んでいた。

そして手紙を書き終えたコーデリアを見て彼は「早いな」と言った。


「書いている途中で、ヴェルノー様に取り上げられてしまいましたら大変ですから」

「まあ、早いことは良いことだ。ところで、パメラディア伯爵には外出のことを何と言って許可をもらったんだ?」

「ヴェルノー様と御友人が植物に詳しい方をご存じなので、一緒にお会いしたいと言いましたわ。ロニーを連れて行きたいといえばお許し下さいました」


この間のこともあり若干渋られた様子もあったが、確かに構わないという返事をもらった。その後ロニーが「色んな意味でしっかり見てるよう言われました」と言っていたが、問題は無いと判断されたのだろう。その返答にヴェルノーは「まあ、確かにあの魔術師がいれば変な虫の心配はないか」と言っていた。虫?


「とりあえず俺も何が起こるかとても楽しみにしているからな」

「ええ、私も」

「前にも言ったと思うが、あくまでディリィとして紹介するから服装も……そうだな、今着ている格好のほうがいいな。別にお忍び用を持ってるならそれでもいいが街中で目立たないようにな。待ち合わせは街中でもかまわないか?」

「わかりましたわ」


この服装でいいのなら準備はとても簡単だ。

ララの服を借りようかとも思っていたのだが、自分の持つもので済むならそれが一番楽である。しかし……街中で待ち合わせとは。確かにコーデリアとして名乗ってはいないのでパメラディア家に迎えに来てもらうのは変な気もするが、別にコーデリアとしては隠している訳では無い。だから来てもらっても困らない……というか、既にジルにはばれている気がする。アロエベラを育てられる環境がある……温室がある家に住んでいると彼は知っていたのだから。


(でも、街中で待ち合わせというのも悪くないわね。友達らしい気がするもの)


ニホンでの基準ではあるが、外出時に外で待ち合わせなんて珍しくはないことだった。だから何となく懐かしいような気分になっていると、「じゃあ、そろそろ俺の用事に移るとしよう」とヴェルノーが言った。そして取り出したのはカードゲームだ。


「かまいませんが……久々ですから、負けてしまうかもしれませんわね」

「なんだ、やる前から言い訳か?」


面白そうにヴェルノーが告げるその言葉が煽りであることはわかる。

わかるが、ヴェルノーに言われると頬がぴくりと動いてしまう。


「久しぶりですが、私、ヴェルノー様に対しては決して悪い勝率ではございませんことをしっかり覚えていますよ」

「なら、その勝率下げてやろう」


その後日が落ちるまで戦いが続いたが、勝率はともに動かなかった。


そして、そんな一幕があった五日後。


若干気が進まない様子のロニーを連れ、コーデリアは街に出た。

待ち合わせは広場の噴水前だ。噴水前は庶民の待ち合わせにもよく使われているらしく、友人同士や恋人同士で待ち合わせをしている様子であった。つまり……人が多い。

少年二人組がすぐに見つかるかと心配していると、コーデリアが見つけるより早く「ディリィ」と声がかかった。


「お久しぶりです、ジル様。申し訳ございません、私、遅れてしまっていましたか?」

「ううん、こっちが少し早く来ていただけだから。会えて嬉しいよ」

「こら、ジル。勝手に走るなって。久しぶりだな、ディリィ。それからロニー……だったな?」


ヴェルノーがそう言うと、ロニーが「こちらこそよろしくお願い致します」と普段使わないような言葉で返事をした。


「ジル様は初めてですよね。こちら我が家で働いてくれているロニーです。ロニー、こちらヴェルノー様の御友人のジル様です」

「はじめまして、ロニー・エリスと申します。以後、お見知りおきを」

「ジルと言います。こちらこそよろしく」


そう二人が挨拶を交わす中、ヴェルノーが頭を掻いた。


「うーん……良くないな」

「何がでしょう?」

「ディリィとロニーの話し方。魔女の前だけでも、もっとフランクに振る舞えないか?」


確かに軽装になっていても一番年長者のロニーが一番丁寧な話し方だと妙な気もする。

それにその言葉はロニーにとっては渡りに船だ。じゃあ遠慮なく、と、ロニーはあっさりその言葉に乗った。


「俺もお嬢様のことはディリィって呼んだ方がいいですかね。あ、いいかな? になるか。……あっさり出来るかと思ったけど意外と難しいですね」

「お嬢様っていうのはあんまりな気もするな。でもそれ以外はいいんじゃないか。元々若干丁寧に話す奴って思えばそんなに変じゃない」

「じゃあこれでいきますね。……ただ、お嬢様のことディリィって呼ぶのは若干慣れが必要になるかもしれませんけど」

「じゃあ次はディリィだ。出来るか?」

「…………」


出来るか、と尋ねられてあっさり「出来る」と言えたら……どんなに良かったことか。


「できます……とは、はっきり申し上げられませんわね」


そう言うと「だろうな」とヴェルノーは納得した。悔しいが、その通りだ。考えながら喋るという事なら出来ないことはないだろうが、たどたどしくなってしまう。慣れていない。


「じゃあ、せめて名前だけでも呼べるようにな。俺はヴェルノー様じゃなくてヴェルノー。ジルはジル様じゃなくてジルだ」

「……え?」

「それくらいなら簡単だろ。別にいつも呼べって言ってるわけじゃないんだ。人目がどうこうっていうこともないだろ」


確かに、そう言われるとその通りだ。その通りなのだが……コーデリアは固まった。呼び捨て、呼び捨て……!大したことがないはずなのに、考えるだけで顔が赤くなってしまう。

それなのにヴェルノーは「ほら、ロニーを呼ぶみたいに」とコーデリアを急かす。


「ヴェ……ヴェル……ノー……」

「何でたどたどしいんだよ、ほら、もう一回」

「ヴェル、ノー……これで、いいんでしょ!」


こうなればやけだ。そう思いながらコーデリアが言うと、ヴェルノーは非常に面白そうな様子であった。からかわれている。悔しい。そうは思うが、それより先に穴があったら入りたい。無いなら掘って入りたい。そんな気分だ。

だが、そんなことを考えているとくいっと袖を引かれた。ジルだった。


「私も」

「え?」

「私のことも、呼んでみて」


呼んでみて、って、呼び捨てってことですか!

口をぱくぱくと開閉しながら、コーデリアはジルを見た。ジルの目はまっすぐだ。からかっている訳では無いのはわかる。だとすれば本当に言えるかどうかを確かめようとしているのだろうが、だとすれば逃げ道がない。言うしかない。


「ジ……ジル」


たどたどしく、けれどなんとかコーデリアは言った。

するとジルは「うん」と穏やかな表情で笑った。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。なんだこれは。


「じゃあそろそろ行こうぜ」


そんなヴェルノーの言葉にまだ出発前だったことを思い出した。

そして出発前なのにすでに疲労がたまってしまった気もした。

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