閑話 娘による父のための贈り物
以前活動報告にUPさせていただいた、書籍記念の番外です。
ある日のことである。
父親を見送るだけのつもりだったのに、コーデリアは目の前で父親が剣を抜き、そしてざっと振り下ろす……というよりも突き刺す姿を目撃してしまうこととなった。
父親が剣に優れていることは知っていた。
だが自分の眼前で前触れもなく剣が抜かれることなど想像していなかった。
しかも……
「その原因が、ゴキブリだったという事に私はひどい衝撃を受けたの」
「……わかりましたけど、あの床の張替がそういう理由だったという事に俺は衝撃を受けました」
今朝起きたばかりの出来事をコーデリアはロニーに研究室で話していた。
あの出来事は酷い衝撃だった。無表情の父親から繰り出される突きの一撃は見事に黒い生命体に突き刺さった。そしてその状況を眼前で見ていたコーデリアは完全に石化してしまった。お蔭で何事もなく「行ってくる」と言った父に「いってらっしゃいませ」と言いそびれた。それくらい衝撃的だった。
「で、お嬢様は何を考えてらっしゃるのですか」
「害虫駆除のスプレーよ。お父様の心の平穏を保つためには、決して相容れないあの楕円の生命体を家に入れるわけにはいかないわ。だからお掃除ついでに振り撒いてもらおうかと思って。ミントの精油には余裕があるし、良いかなと思うの」
もちろん余裕があるといっても屋敷全体にふりまくほどではない。だが、何とか父親の生活スペースを守る程度の量は作れるはずだ。そう思いながらコーデリアはミントの精油入りのルームスプレーを容器に入れた。
今日出現した魔の生物は真っ黒な色をしていた。あれは家の中で繁殖したものではない。通常なら田畑で生活するものが、家の中にやって来たに過ぎない。だから侵入そのものを阻むことが必要とされるのだ。
そうコーデリアが考えていると、ロニーは「やっぱりお嬢様ですねぇ」と感心したような、呆れたような声を出した。コーデリアはその声にすぐさま尋ねた。
「何がかしら?」
「いえ、お嬢様はアレ怖くないんだなっておもって。ご婦人の中には悲鳴を上げる方もいらっしゃるでしょう?」
そう言ったロニーの言葉は最もだと思う。あの生命体はこの世界でも敬遠されている。だがコーデリアはさほど心配していない。だから口の端を上げながら堂々と言って見せた。
「だって、あれは本来なら私の所には来ないはずだもの。あの昆虫はハーブを嫌うわ」
「あー……そういえば、そんな記述を見つけたような。ミントの精油くらいキツイのなら奴らも逃げそうなのわかりますけど、草自体が嫌いって驚いたような記憶はあります」
「実際温かいこの温室には入ってこないでしょう?他にはラベンダー等もあるのだけれど……」
けれどストックの都合上これが一番楽なのだ。だから迷わず、すぐに使えるものを今回は選んだ。けれどそこまで考え、あくまで誤解されないようにとコーデリアは言葉をつづけた。
「でも、もちろん好ましいとは思っていないわ。ゴキブリにはゴキブリの生活があるのだとは思うし、その凄まじい生命力は称賛に値すると思うけど……お父様に問答無用で剣を抜かせるものを、私が認めるわけにはいかないわ」
そう言いきったコーデリアをロニーは何とも言い難い表情で見ていた。
「……ロニー、何か言いたいのかしら?」
「いえ、前から思ってたんですけど、お嬢様って本当に旦那様が好きですよね」
「あら、今更?」
「改めて思っただけです」
そう言ったロニーにコーデリアは笑った。
そして翌日、使用人の掃除道具の中にミントのスプレーが混ざることとなった。
以降、床が『伯爵の制裁により粉砕』される事件も起こらなかった。




