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第三十幕 建国祭の季節(6)

 翌朝目覚めたコーデリアはすぐに着替えを済ませて食堂に向かった。


「おはようございます、お兄様」

「ああ」


 先に食堂にいたサイラスは茶を飲みながら新聞を読んでいた。

 この世界の新聞は挿絵や『シャシン』の掲載は無く、表題を除けば辞書にも見えるほど文字がぎっしり詰まっている。前世ほど普及していないが、王都の余裕がある一般家庭なら目にする機会もあるらしい。ロニーによれば一部には金銭を出し合い、『カイランバン』のような回し読みをしている人たちもいるという。


 コーデリアも普段は父親が読んだ後に新聞を読んでいる。ここ最近の紙面を飾る記事の大半は建国祭での出来事だ。どこぞの国の偉い方がお見えであった、王族がどういう挨拶をした……という政治的な話。大食い大会の新記録樹立の話。様々だ。しかし朝から兄が大食い大会の記事を熟読したりはしないだろうとコーデリアは思う。いや、朝でなくとも流し読み程度だろう。


(お兄様が新聞を読むお姿もやっぱりお父様によく似ているわ)


 二十代というのに随分貫禄があるように見えるのは流石副隊長様だということなのだろうか。


(……そう思うと余計にお父様の騎士服姿を見てみたかった)


 寧ろ今着てくれても似合うだろう……と想像した所で着て貰えるとは思わないのだけれど。


 コーデリアが席につくと食事はすぐに運ばれてきた。

 今日の朝食は昨日のうちに頼んでおいたガレットとサラダだ。ガレットにはキノコとアスパラにチーズ、そしてベーコンと半熟の卵が乗っている。美味しいし、そば粉のパリパリとした感触も楽しい。王都ではあまり食べられていないそうだが、数日に一度、コーデリアはこれを朝食にしている。そんなコーデリアの朝食を目の端に捉えたらしく、サイラスは新聞から顔を上げた。


「……それは海側の街の料理か?」

「ええ。ハーブを手配している際にたまたまそば粉の存在を知りまして、調理法ごと仕入れてもらいました。もっとも、現地ではもう少しシンプルに食されているようですが。お兄様もご存じで?」

「任務で行ったことはある。食べたことはないが」

「お兄様も召し上がりますか?」


 任務で行ったということは自由に歩き回る時間もなかったのかもしれない。

 興味が有るなら食べて貰うのが一番だろう。もちろん作るのは自分ではないが、このメニューを現在食しているのはコーデリアだけだ。恐らく言わなければサイラスには慣れた朝食が出されるだろう。

 しかしサイラスは軽く首を振った。


「いや、それは休みの時にしよう」


 その返答にコーデリアははっとした。

 ひょっとしたら今日も訓練があるのかもしれない。体力勝負も多い職業だ。どのくらいの腹持ちか計算しているのかもしれない。

 しばらくすると新聞を読み終えた兄の元にも食事が運ばれてきた。量はコーデリアの倍では収まりそうになかった。山もりのサラダにパンに、肉に魚……それを兄は平然かつ綺麗に平らげてゆく。


(……この量だと腹もちは関係ないわね)


 たまに見るこの光景はいつも凄い量だと思う。しかしガレットに関し、サイラスは少なくとも食べる意向は示している。遠慮したいという訳ではないはずだ。なら、次の休みに本当に食べてもらおうとコーデリアは心に決めた。


「……お前は食事も好きなのか?」

「え?はい。好きでございます。いつも美味しい料理を振る舞ってくれる料理人には感謝の念が尽きませんわ」

「そうか」

「ええ」

「……食事についても、何か考えがあるのか?」


 その質問に、コーデリアは一瞬固まった。ただの妹の嗜好確認かと思ったが、違ったのか。

 サイラスはいつも通りの様子であるのに、コーデリアは漠然としたプレッシャーを感じた。

 そんなことを片隅で感じながら、コーデリアはどう答えるか考えた。正直に言えば、考えていることはある。ただ考えはまだはっきりとした計画になっておらず、誰にも話したことはない。しかしせっかくの機会でもある。聞いてもらえるなら反応を見てみたい。


「……食の文化交流が出来たら、とは考えていますわ」


 そしてコーデリアはぽつりと口を開いた。

 その反応にサイラスは「例えば?」と続きを促した。


「例えばパメラディアの地には、ガレットに良く似た、クレープというデザートがございますでしょう? ガレットは有名ではありませんが、そば粉生地になったおかずクレープが受け入れられないとは思いません。そして港の方にはクレープを売り込み広める。こちらも甘いデザートのガレットだと受け入れられやすいと思いますの」


 全く見たことのない食べ物であれば根付かせるのは少々時間が必要になるかもしれない。しかし似ている食べ物であれば抵抗も少なくなるはずだ。そう思うコーデリアにサイラスは続けて質問を重ねた。


「それがどう利益を生むと思っている?」

「実利としては食べ物を通して互いの地に親近感や好感を覚えることかと。最終的には互いの食をはじめとした様々な文化から刺激を受け、交流の活性化や新たな文化が生まれればと思います」

「計画と言うよりは、希望か」

「ええ。けれど、悪い話ではないと思いますの。例えば既存店の職人の協力を仰げばコストもそうかかりませんし、実際我が領のお菓子を広めることも大切でしょう?」


 もちろん出資がゼロという訳にはいかないだろう。だが試す価値はあるとコーデリアは思っている。そんなコーデリアにサイラスは暫く考えた様子を見せた。


「……父上には相談したのか?」

「いいえ、まだです。まだまだ考えているだけで、計画書を書く段階にまで辿りつけていませんから」

「ならば、あちらに売り込むタイミングは豊漁祈願祭を利用するよう計画するといいだろう。集客が容易で、財布の紐も緩む時期だ。逆に我らの地では収穫祭を利用すればいい。理由は同じだ」


 そう兄のアドバイスを聞き、コーデリアは少なくとも兄が父に提案を蹴られないと思っている事を理解した。自信が無かった訳ではないが、やはり肯定をもらえるのは自信になる。


「もっとも、お前の本当の目的を聞くと長くなりそうだが」

「あら……そちらも聞いて下さいますの?」

「時間があるときならな」


 そう言う兄は食事をほぼ終えていた。早い。

 コーデリアの方が良く喋っていたとはいえ、量が違う。優雅に茶を飲んでいた時とはうってかわってこの食事の早さはなんなのだろう。宿舎でのスピードなのだろうか。

 食事を終え食堂を出ようとする兄をコーデリアは呼び止めた。


「お兄様、例の物はいかがでしょうか?」

「……出来ている。家を出る前に預けよう」

「ありがとうございます」


 礼を告げたコーデリアを兄は見ずに、今度こそ食堂を後にした。


(よかった)


 心配していた訳ではないが、書いてもらえたと言われれば一安心だ。

 そう思いながらコーデリアは再び自分の食事にナイフを入れた。あまりゆっくりしていてはせっかくの食事が冷めてしまう。それに約束にも遅れてしまう。


(けれど、流石お兄様。私に企みがあるなんて、お見通しというとこかしら)


 切り分けたガレットを口に運びながらコーデリアは考えた。顔を合わせる機会が少なくともお転婆だと指摘してくる兄だ。それくらいなら何の不思議もない。

 サイラスの指摘通り、コーデリアの狙いは交流だけでは無い。もちろん文化交流の結果、『ニホンジン』が生み出した『ワヨウセッチュウ』のような料理、ひいてはそれに類する文化が生まれれば嬉しいと思う。

 だが一番の期待は精油販売のへのルート開拓だ。もともとパメラディアの地として港町と貿易をしていない訳ではない。特に木材や小麦に関しては非常に高価なルートだと思われている。だが、それはあくまで貴族や商人レベルの話だ。豪華な調度品は裕福な層で有名であっても、庶民にまで親しみある品だと浸透している訳ではない。むしろ『お高い品』と思われている可能性も考えられる。実際には一般家庭のテーブルセットのようなリーズナブルな品も多いが、それらがパメラディア領の木材だと強調される事はほとんどない。ネームバリューの為にも安いものにまで強調することは出来ないのだ。小麦についても低い等級のものもあるが、同様だ。そもそも等級が低かろうが運賃で値上がりするからこそ、海側ではそば粉が根付いているのだ。


(デザートなら贅沢の一種だし、無茶な価格じゃなければ手も出しやすい。庶民にもパメラディアの名に親しみを持ってもらうには、これが良いと思うんだけどな)


 実際にどのくらい浸透するかは分からないし、浸透したとしてもコーデリアがそのルートを使うのがいつになるかは分からない。民間にまで浸透させるには量産化を成功させなければならないのだから。ただ、民に親しみを持ってもらう事で悪いことは起きないはずだ。


(よし、これはこれでお兄様のアドバイスを加えてまとめるとして……そろそろ今日のことに頭を切り替えますか、と)


 食の事は日記に現在の事を書いておこう。そして、付箋を貼って忘れないようにしておこう。そんな事を思いながらコーデリアは残りの食事を口に運んだ。


「クリスティーナ様がお待ち下さっているわ」


 食事を終えたコーデリアもまた、出発の準備をするため部屋に戻った。



 ++



 そして一刻も経たないうちにコーデリアはエミーナと共にパメラディアの屋敷を後にし、オルコット家へ向かった。兄からは茜色の日記帳を預かっている。もちろん盗み見るなんて無粋なことはできないので、好奇心を押さえる為にもコーデリアはしっかりとした布地で包んでからリボンで紐をかけた。これで『落とした瞬間に見てしまった』というような事故も防げるはずである。重要な案件だ。無茶を言った手前、万が一の可能性も極力排除しなくては申し訳がない。


 そうして馬車の中でしっかりと日記帳を握るコーデリアは、ふと正面から向けられている視線に気がついた。


「どうしたの?エミーナ」


 向けられた視線は、それほど強い物では無かったと思う。

 けれどコーデリアはこの距離でエミーナから視線を受けるということは今ほとんど経験していない。だから首を傾けつつコーデリアはエミーナに尋ねた。するとエミーナは少し目を伏せた後、口を開いた。


「お嬢様。万が一、予測できないことが起こった場合は必ず一番に安全をお選びください」

「……貴女がそう言うなんて、珍しいわね」


 エミーナがコーデリアに対し提案を出すという事はあまり無い。だから素直にその感想を述べたのだが、エミーナは静かに謝罪を申し出た。


「お気に触りましたら、申し訳ございません」

「そんなことはないわ。貴女がそう言ってくれるというのは、私を案じてのことでしょう?……何か気になることがあるのかしら?」

「いいえ。……ただ、あまり良い予感が致しませんでしたので」

「そうね。私も気分が良い話が待っているとは思わないわ」


 少なくとも詐欺事件でいい結果など付随してこないだろう。

 だが、そんな中でもあえてエミーナが注意を促すのだ。単にコーデリアが思っている意味ではないだろう。


(……お兄様から、何か聞いているのかしら)


 クリスティーナの案内役を兄が命じているのなら、彼女が何らかの指示を受けていても不思議ではない。詳細を話さない理由には兄が口止めをしているとも考えられる。もしくはエミーナも詳しく聞いていないのかもしれない。実際コーデリアも事件を匂わす話は聞いたが、直接的に情報を与えられた訳では無い。


「わかったわ。ありがとう、エミーナ」


 憶測ばかりだが、例え間違っていたとしてもコーデリアに不利になることは無いと思った。


(もしエミーナが本当に何か知っているのであれば、必要に応じ何らかのサインを送ってくれるはずだわ。私の仕事はそれを見逃さないことね)


 しかしよくよく考えてみると、エミーナも複雑な話に巻き込まれている。

 一度本当に全力で礼をしなければならないとコーデリアは静かに決意した。


 コーデリアが礼を述べるとほぼ同時、馬車はゆっくりと停車した。どうやら到着したらしい。

 店を訪ねるには少々早い時間だが、元々出発前に行程の再確認を予定になっていた。だから早すぎるという時間でも無い。馬車を降りたコーデリアとエミーナはオルコット家の使用人に客間まで案内された。


「おはようございます、クリスティーナ様」

「おはようございます、コーデリア様、エミーナさん」


 程なくして現れたクリスティーナの後ろには彼女の侍女が控えていた。

 侍女は一口サイズのムースが数個乗った皿と紅茶を乗せたカートを押している。朝食を食べてからそう時間は経っていないのに、問題なく入ってしまいそうなケーキにコーデリアは嬉しくも悩ましく感じた。食べていいのだろうか。いや、食べるように出してもらっているのはわかるが、朝食も十分な量を食べた後である。


(……歩くとカロリーを消費できるわね。うん。それにケーキは大きくはないし……帰ってから、少し運動すれば問題もないはず)


 そう思いながらコーデリアは勧められるままにケーキを口に入れた。すると甘酸っぱいベリーの幸せが口いっぱいに広がった。


「お口には合いましたか?」

「ええ、とっても美味しいです」

「それはよかったです。では改めまして、今日の予定ですが……ひとつ変更をお願いしたいのです」

「変更ですか?」

「ええ。……そんな場合ではないとも思うのですが、少し寄り道がしたいのです。ほんの少しで片付きます」

「もちろん私には何の問題もございませんが……どちらにご用事が?」


 クリスティーナがそういうくらいなのだから、予定に組み込むことが難しい話ではないのだろう。そう思いながらコーデリアが首を傾けるとクリスティーナは頬を染めた。


「昨日のお菓子がとても美味しかたので、是非サイラス様に……と……。甘いものはお好きですし、一時でもお仕事の疲れを忘れていただけたら……と、思いましたの」

「……お兄様は甘いものがお好きなのですか?」

「え?よく召し上がっていますよね?」

「え、ええ。そうでしたわね」


 ……見たことないけど。

 その言葉を飲み込みながらコーデリアは曖昧に頷いた。兄が甘いものを好んでいても不思議ではないが、少なくとも見たことがない。そんなことを思いつつ、コーデリアは曖昧に誤魔化した。

 クリスティーナは少し恥ずかしそうに「よかった」とはにかんだ。


「会うたびによくチョコレートを下さったの。あ……でも、王都のお菓子でしたらいつもお召し上がりになられているかもしれませんね……?変わり映えしなければ、あまり喜ばれないかしら」

「それは……心配ないと思いますわ」


 もし食べ慣れていても、いつも食べるくらいに好きであればがっかりするなんて事は無いだろう。ただ、いつも食べているとはコーデリアには思わなかったが。


(お兄様は……クリスティーナ様が喜ばれるからお土産になさっていたのよね)


 言えないけど。そう思いながらコーデリアはぐっと我慢して『早く気付いてお互いに』と心の底から思った。そしてそのために日記帳にかけていた紐を取り除いた。


「クリスティーナ様。こちら、お兄様からお預かりしましたの」

「サイラス様から?」

「ええ。お手紙なのですが、お互いのやり取りの記録が見れる日記に書いてみてはいかがかと、私が少し無理をお願いさせていただいたので日記帳に書かれています」

「にっきちょう……」


 当たり前だが、戸惑ったのだろう。クリスティーナは不思議そうに日記帳を見つめながらコーデリアから受け取った。


「もしよろしければ……後日で結構ですわ。お返事をお願いできませんでしょうか」

「え、ええ。それは、もちろんですが……」

「どうなさいました?」


 戸惑う様子のクリスティーナに無理もないと思いつつ、コーデリアはそんな雰囲気を隠して彼女に尋ねた。無理を言っているのは承知の上だ。だがここで自分が不安がっては余計にクリスティーナが戸惑うだろう。しかしクリスティーナの反応はコーデリアの予想と少し異なっていた。


「サイラス様からお手紙を頂くのは季節の変わり目が多かったので、少し驚きました。それから、緊張してしまいますね。お手紙でも緊張しますけれど、何を書いたのか、後々見ることが出来ると言う事も」


 そう言いながらクリスティーナが目を細める様子を見てコーデリアはほっとした。クリスティーナが日記の表紙を優しく撫でる様子は少しそわそわしているようにも見える。

 コーデリアは表情を崩した。


「……今、お読みになられますか?」

「え?!」

「まだお時間はございます。私はお茶を頂きますし、変更点が他にないのでしたら、問題ないかと」


 コーデリアの提案にクリスティーナは驚いたようだったが、やがて「では、少し失礼いたしますね」と表紙に手をかけた。そして内容に目を落とし、文字を追い、その顔を徐々に朱に染めた。そわそわした雰囲気も伝わってくる。


(……何を書いたの、お兄様)


 とても内容が気になるが、茶々を入れるわけにもいかないのでコーデリアは大人しく茶を飲んだ。想像以上に可愛らしいクリスティーヌの反応に『この可愛さを分けてほしい』とも思った。自分がするとぶりっこになってしまう。

 しかしふと視線をずらすと、エミーナがとても優しい表情をしていた。


「どうかしたの?エミーナ」

「いえ……失礼いたしました。お二人がよく似ていらっしゃると思いまして」

「何がかしら?」


 不思議に思ってコーデリアが首を傾けるとほぼ同時、クリスティーナもエミーナを見た。


「コーデリア様がお手紙をお読みになる際も、クリスティーナ様と同じように行を指差されるのですよ。楽しそうになさっているところも良く似てらっしゃいます」


 手紙、というのはジルからのものを言っているのだろう。ヘーゼルからのものも選択肢としてなくはないが、ヘーゼルの場合は簡潔明瞭で、大概はアポイントメントだけだ。指で追うほどの行数はない。

 しかし思い返してみれば、そういう癖は確かにあるとコーデリアは感じた。そして楽しんでいるという指摘も間違ってはいない。ただ、一つ違うといえばそれはクリスティーナのような恋する乙女とった雰囲気ではないことだ。たまに話す友人との会話を楽しむというものであって……恋愛と同一ラインに並べられるには恥ずかしい。大きな誤解だ。いや、そういう深い意味はないかもしれないけれど。


「コーデリア様もお手紙がお好きですか?」

「え、ええ。なかなかお出会い出来ない友人がいますので、手紙を通して交流致しておりますわ」

「だからサイラス様にお口添えしてくださったのですね。ありがとうございます」


 ぱっと顔を上げたクリスティーナに、コーデリアは言葉を濁した。


「……クリスティーナ様、コーデリア様。そろそろ、出発されてもよいお時間かと」

「あら、そうね。クリスティーナ様、いかがでしょうか?」

「え、ええ。そうですね、良い頃合いかと」


 コーデリアの問いかけにクリスティーナは少し残念な様子を見せつつも日記をゆっくりと閉、自室に置いてくる旨をコーデリアに告げた。そして再び姿を現した彼女は眉を下げて笑った。


「お待たせしてごめんなさいね」

「お気になさらないでください。参りましょう」

「はい。頂いたものを読んでしまうとお返事も書きたくなってしまいますが、それは我慢致します」


 すこし冗談めかしに言うクリスティーナにコーデリアも笑った。


「日記は逃げませんから」

「ふふ、どちらが年上か分からなくなりますね」

「あら、鏡を見て頂ければ一目瞭然ですわよ?クリスティーナ様は私の自慢のお義姉様だということが」


 コーデリアがそう言えばクリスティーナは真っ赤になった。

 早く返事を書きたいと急く気持ちには本の形が持つ力も含まれていると思う。相手の持ち物だという意識が、出来るだけ早く相手に返さねばならないと思わせる……のだと、思う。コーデリアも自身が試したことがないので、あくまでも予想なのだが。

 しかし勧めたあとではあるが、自身もやはり実行にうつしてみるべきだろうか?こんな妙な頼みごとをするなら、相手はララかロニーになりそうだが……二人共「口で言った方が早い」といいそうだ。

 そんなことを考えながら乗り込んだ馬車はあっという間に目的の店に到着した。


(ま、お兄様とクリスティーナ様がうまくいってくれたら、私が試す必要がある訳でもないか)


 そう思いながらコーデリアは馬車を降りた。


 午前中に回った二店舗は、大変華やかな店とクラシカルな店だった。

 前者は店主が外国への留学経験もあるらしく、積極的に新しいスタイルを取り入れる姿勢をとっていた。後者は非常に伝統を重んじる店で、店の隣には衣類の歴史館を併設していた。クリスティーナは歴史観にとても心惹かれる様子であったが、また今度立ち寄る旨を口にするとその場を離れた。

 そして両店とも彼女から見て不審な点はなかったらしい。


 そして昼食を挟んで午後から再び視察に向かおうと新たな店に出向いた時、コーデリアは思いがけない声を聞いた。


「あら、昨日のお嬢様方ではありませんか?」


 コーデリアが振り返ると、そこには昨日訪ねた店の……紛い物の絹ドレスを扱っていた店の男がいた。彼はにこやかにクリスティーナに近付き、そして嬉しそうにやや大きな身振りを交えつつ言葉をつづけた。


「いやはや、寄寓でございますね!今日はお天気も良いですし、絶好の外出日和でございますね」

「ええ、そうでございますね」


 クリスティーナが応える様子を見たコーデリアは静かに半歩下がった。出来れば今日は会いたくない顔だったと思うが、それはクリスティーナも同じだろう。表情は柔らかいが、警戒は感じられた。もっとも対する男性はそこまで気付いていないようだが。


「しかし……今日はこちらのお店に?」

「ええ。父に、一着だけなら仕立てても良いとお許しを頂けたのですが、色々なドレスを見てから決めるようにと条件も頂きまして」

「いやはや、お嬢さんの素敵なドレスを安く作れるのはウチですよ。ほら、他のお店ならお嬢さんの一着だけという価格で、そちらの妹さんの分も作れますよ?」


 クリスティーナがうまく交わす間も、男性の勢いは止まらない。

 あまり突き放してしまえば今後の調査に支障が出かねない。しかし少々強引であるし、この声の大きさは悪目立ちするかもしれない。知り合いの目にとまりおかしな噂が立っても困る。コーデリアはクリスティーナの袖を引き、男性に聞こえるように声を出した。


「お義姉様、商談は路上で行うものでは無いですよね……?」

「ええ、そうね」

「ああ、そうですね。失礼いたしました。では私の店に来て下さいませ。ほら、今日は丁度問屋も来る予定ですので」


 男性の言葉はコーデリアにとっても、そしてクリスティーナにとっても意外な言葉だった。

 問屋? その声にクリスティーナも僅かに声を固くした。


「それは……新しい生地のご相談もなさるのかしら?」

「ええ、そうですね。即決頂くなら、特別にシルク・フローラもご提供させていただけるかもしれませんよ?なんせ、私の店がいつも仕入れている先ですし」


 自信が溢れる男性に、コーデリアも口を挟んだ。


「お義姉様は色でお決めになられたいのよ。見ないで契約なんて出来ないわ」

「では、見るだけでもいかがですか?むしろ色が最優先事項なら見てみなければ始まらないでしょう?」


 男性の言葉に、コーデリアはクリスティーナを見上げた。これは行く価値はある。むしろ行かなくてはいけない。


「それでは……お邪魔させていただこうかしら」


 そうゆるやかに告げたクリスティーナから受けた視線に、コーデリアは小さく頷いた。


 一旦男性と別れ、三人は馬車で昨日も訪れた店を訪ねた。

 エミーナが店の戸を開けると同時に、先回りして帰っていた男性が「お待ちいたしておりました」と奥から急いで出てきた。


 訪ねてから一日しか経っていない店内は昨日と同じ様子だ。

 差異は店内に昨日は見かけなかった一人の青年の姿があったことくらいだ。その青年は品の良さそうな服を着ており、資料を片手に女性の店員と話していた。おそらく彼が問屋の者なのだとコーデリアは思った。

 その青年も、そして女性も客の訪れに気付いたらしくゆっくりと首を入り口に向けた。

 女性は「あらあら、いらっしゃいませ」と笑顔を見せたが、青年は表情を固めた。


「……え?」

「え?あなた……テッド?どうしてここに?」


 青年の小さな戸惑いはクリスティーナにもすぐに移った。


「お義姉様?」

「どうしたんですか、ドネリーさん。このお客様と知り合いで?」


 しかし青年は女性が尋ね終わる前に立ち上がり、出入り口にいたコーデリアやクリスティーナを突き飛ばす勢いで店から飛び出した。


「まって!!」


 そんな彼にいち早く反応したクリスティーナは一瞬体制を崩したものの、すぐに青年を追う。


「お義姉様!?」


 コーデリアはその反応に遅れをとった。しかし放っておくわけにもいかない。


「エミーナ!」

「はい」


 だから迷うことなく、すぐに彼女のあとを追って駆け出した。


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