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第二十八幕 建国祭の季節(4)

「フローラ・シルクの偽物?」


 クリスティーナの険しい表情と言葉にコーデリアも眉を寄せた。

 同時に彼女が店で呟いた『本物』という声が脳内に蘇る。


「私も確信を持ったのは今日、二店舗目で布地を見てからでしたが……存在を知ったきっかけは夜会で見た友人のドレスです。彼女は私にフローラ・シルクのドレスを纏えて嬉しいと言ってくれたのですが……私の目にはそうは見えなかったのです」


 あれは、偽物です。

 そう目を伏せた彼女に『今日の店巡りは調査だったのか』と、コーデリアは納得した。


「偽と判断なさったという事は似てはいないのですね」


 コーデリアの言葉にクリスティーナは重い雰囲気のまま「ええ」と頷いた。


「私が見る限り別物に見えます。が、市場に出回っているような一般的なシルクでも無い。恐らくフローラ・シルクを用いた交ぜ織りです」

「材料の半分は本物ということですか?」

「ええ。しかし本物と並ぶことも早々ないでしょうから、まことの品を知らない者なら本物と錯覚する可能性はあります。もっとも、布自体も織り方が多少気になるところでもありましたが」


 言葉を紡ぐ毎に指先に力を込めながらクリスティーナは言葉を続けた。


「フローラ・シルクを作る蚕は極上の質感を生み出す代わりに育成が難しく、その上かなり長い時間を要します。繭も小ぶりで扱いも難しく、紡ぐ機械も折り機も専用です。ですから生産量が少なく、生産組合主催の技能試験合格者を雇う店にしか生地は卸しません」

「……今日、フローラ・シルクを扱っていると言っていた店は三店舗でしたね」

「ええ。初めのお店と、四店目のお店は王都に二店舗だけ存在する正規店です。実際に目にした布も正規品でした。ですが……」


 途切れた言葉は、脳内で再生された。二店舗目は違う、と。

 店の雰囲気自体、明らかに異なる空気をコーデリアでも感じられた。


「……生地には様々な性質があり、優劣は用途や人の考え方によっても違います。ですから価格に折り合う新たな生地が生まれることも喜ばしいと思います。しかしあたかも希少な既存品であるように語り、購入者を騙す方法は褒められません。……フローラ・シルクの流通は厳しい管理下にあるはずでした。どういう経路で流出したかわかりませんが、オルコット家としては元を排除せねばなりません」

「厄介ですわね」

「ええ。友人のドレスでおかしいとは思いましたが、それだけでは彼女が勘違いをしているだけの可能性もありました。けれど、店のあの様子では……下手をすると店の者たちすら偽物であると気付いていない」

「確かに、あそこまで堂々と……お得意様だけに特別、という雰囲気でも隠している様子もありませんでしたものね」

「はい。もっとも販売価格から見て、フローラ・シルクの中でも品質が低い物を売っている自覚程度なら持っている可能性は考えられますが」


 だが、そのどちらの答えであっても望ましい状況ではないだろう。


(そもそも品質が下がるなら基準に厳しいフローラ・シルクが名乗れる訳ないのに)


 不勉強な店なのか、それとも金に目がくらんだ故に見落としたのか。

 何れにしろ分かるのはあの店は探らねばならない店になってしまったことだけだ。


「……オルコット伯爵様は、どうお考えでいらっしゃるのでしょうか」

「確かめたいということはお伝え致しておりますが、あまりに情報が無い中ではお父様も動けません。もちろん今日のことも、これからご報告させていただきますが」


 なるほど、伯爵自ら動けば必要以上に大事になりかねない。余計な憶測を呼ぶ可能性を排除する為にも情報を集めている段階ということだろう。


(そしてそれをクリスティーナ様が任された、ということね)


 クリスティーナの言葉にコーデリアは頷き、そして口を開いた。


「……問題になるのが半分の流出場所ですのね」

「はい。フローラ・シルクについては蚕から組合が厳重に管理しているはずでした。内密に調査をする予定ではございますが、組合のプライドを考えれば難航は予想されます。不正な品は組合の屈辱ですが、仕事を疑われるとなると個人に強い反感を抱かせますから相応の時間は必要です」


 繭の数の不正報告か、それとも蚕自体の誤魔化しがあったのか。

 色々と可能性は思い浮かぶが、すぐに判断できる材料は手元にない。少なくともあの偽布を手に入れなければ話にならない。そうコーデリアは思ってると、クリスティーナが小さく謝罪を口にした。


「ごめんなさい、コーデリア様」

「え?」

「私コーデリア様の事、優秀でいらっしゃることは存じておりましたが……もう少しご年齢に近いかともおもっておりました」


 突然の告白にコーデリアは目を丸くした。

 コーデリアとしては子供だと思われようが大人びていると思われようがどちらでも構わないのだが、そもそもクリスティーナはコーデリアをそこまで子供であるとも思っていないように感じる。理由は単純だ。


「それではお義姉様はどうしてここまで私にお話に?私が口を滑らす御心配もありますでしょう?」


 本来の年齢に近い子供であると思っているなら『ついうっかり』という可能性もある。

 そう認識した上で話しというなら迂闊過ぎると言わざるを得ないだろう。

 しかしコーデリアの問いにクリスティーナは小さく笑った。


「それは考えませんでした。フローラの地のシルクの価値が下がることは、パメラディア家の利を考えても望ましくは無いでしょう。それを考えない方を、サイラス様が聡いとはおっしゃらないかと」


 成程、彼女には今日までとにかく大人しいという印象を抱いていたが、打算的なところはしっかり備わっているらしい。本質的には優しさの方が勝るだろうが、そう思うと妙に安心できた。よかった、このお方、優しい聖女みたいな人という訳ではなかった。クリスティーナの一面を知れて嬉しいとも思う。


「……愚問でしたわね。でも、一つだけ訂正させて下さい。私は子供で間違っておりませんわ。認めて頂くことは嬉しいですが、子供は気が楽ですから」


 そんなコーデリアの悪戯めいた言葉にはクリスティーナも苦笑していた。

 それが子供染みた言葉で無いことが原因なのか、それともばつの悪さからなのかコーデリアには判断できなかった。けれどそれは重要な事では無い。


「それでも、お使いくださいな。使えると判断していただければ、私はお義姉様のお役に立てるよう、努めますわ。お話下さったのもそれらを見据えて、でしょう?」

「……嫌な大人で、ごめんなさい」

「むしろ嬉しいですわ。家族になって下さる方ですもの」


 そのコーデリアの言葉にクリスティーナの頬が朱く染まった。

 からかう意図は無かったが、この反応は微笑ましい。これを見てイヤな大人だと言うなんてとんでもない。

 もちろんそう思う理由はそれだけでは無い。


「それに、お義姉様が布を本当に大事に想ってらっしゃること、良く分かりましたから」

「え?」

「いくら身近でも、本当に一瞬で判断なさるのですもの。とても布がお好きなのですよね」


 コーデリアの言葉にクリスティーナは目を瞬かせたが、その表情はゆるりと和らいだ。


「ええ。布も好きですが、仕立てられる服も好きなんです。服には言葉と同じ力があると思いますから」

「詳しく、思いをお聞きいたしても?」

「……これは、私の希望です。私は自身に自信が持てませんし、言葉で自身を現すことが不得手です。それでも嬉しいと思えるドレスを身に纏い、他者に自分の存在について視覚から訴える事が出来た時、不安が少し和らぎます。装うことで自信を補い、その姿で言葉を補い、そして不安を自信に転換することができると思うのです」


 穏やかな表情にも宿る、しっかりとした強い意思。

「もちろん言葉を操る練習も必要ですが」と付け足しながらも彼女の表情は今までよりもしっかりしていた。きっとそれが彼女の衣服に対する情熱なのだと感じ取れる。


「衣服は、極端な言い方をすれば単なる布製品の一つです。けれど色や形、それに素材が変わることで様々な表情を見せてくれます。衣服は自己表現の為の魔法だと思うんです」

「……素敵ですね」


 自己表現。

 クリスティーナの言う事は、化粧も同じだ。そしてコーデリアが好む香りも、同じだ。装飾、それは服であれ、化粧であれ、香りであれ……直接生死に関わることは無い。それでも多くの人が求めたくなる。

 もちろん自らの意思だけではなく、社会的な立場から装わざるを得ないという事情もある。

 けれどその中にも多くの人々は自身の好みを取り入れる。それは『なりたい自分』に近づくことで自信が生まれ、ひいては気持ちに余裕が生まれるからだろう。


(――抱く想いは、一緒かな)


 そう思う間にも、クリスティーナは言葉を続けた。


「異性に好かれるためと強く主張する方もありますが……もちろん、それが全て間違いであるということは私も言いません。けれどそう願う中にも、認識してほしい自分の姿があるからこそ装うのだと思うのです。……と、コーデリア様?」

「いえ、申し訳ございません。お義姉様が、強く思ってらっしゃる姿が素敵だと思いまして、見惚れてしまっておりました」


 ちらりと『お義姉様もお兄様に見ていただきたい姿を考えてらっしゃるのかしら』と考えてしまったが、それは言えるはずがない。話の腰を盛大に折ってしまう。

 逸れかけた意識を振り払いつつ、コーデリアは軽い咳払いで仕切りなおした。


「でも、お義姉様の思いを考えれば、尚のこと許せませんわね。お義姉様のご友人を騙すなんて」

「ええ。……彼女は、確かにドレスに喜んでいます。けれど、偽物と知れば悲しみます」


 フローラの地のシルクを守りたい。友人が誤解させられたドレスの真相を確かめたい。

 クリスティーナの願いをコーデリアは一度整理し、そしてゆっくりと口を開き。


「では、お義姉様。私に命じて下さいませ。私は、どのようなお手伝いをさせていただけばよろしいでしょうか」


 そんなコーデリアにクリスティーナは「ありがとうございます」と告げ、それから願いを口にした。


「まずは……明日も、一緒にお店を回って下さいますでしょうか。姉妹の方が警戒もなくなるかと思うのです」

「それはもちろん、喜んで」

「今日回れなかったお店は、どのお店もフローラ・シルクの取り扱いが無い店舗になります。ですので、無い事を祈るばかりです」


 そう言ったクリスティーナの表情は非常に複雑そうなものだった。


(……やっぱり疑う事を好まれない方なのね)


 もちろん疑うことが好きな者等少ないだろうが、雰囲気としては『悪い事をしていない店も疑わなくてはならない』ことに良心を痛めているというようにも見える。恐らく今回リストアップされている店についても『可能性が排除できない所ではあるのだが、出来れば考えたくない』という所ばかりなのだろう。


(それでも、やらねばならないことだと思ってらっしゃる。とても、大切なことだと)


 それならば、自分に出来ることは援護という一択のみだ。この方の力になるならと思えばコーデリアにも躊躇いは無い。唯一残念なことといえば、この作戦会議をそろそろお開きにしてもらわなくてはならないことくらいで。まだ遅いというほどの時間でもないが、助けになると決めたのならば手配しなければならないこともある。


「……そろそろお暇させていただきますね。明日の外出をお父様やお兄様に報告させていただかなくてはなりません。明日はこちらがお迎えに上がりますわ」

「ありがとうございます」


 その後、門まで見送りに出てくれたクリスティーナに礼を言い、コーデリアは馬車に乗り込んだ。

 そして別れ際、言いそびれていた事を彼女に告げた。


「不謹慎ですがお義姉様とこのようなお話が出来て良かったですわ」

「え?」

「シルクの事、衣服の事。それらをお話しされるお姿は、今までお会いした中で一番輝いてらっしゃいましたから」

「……そ、そのようなつもりは……」


 すこし恥ずかしそうにする彼女に再度別れを告ると、馬車はゆっくりと走りだした。

 車内で外を見つめながらコーデリアは静かに考える。


(お願いが明日のご一緒だけという事は、クリスティーナ様はまだまだ遠慮なさってるわね。もちろん私が子供という意識が抜けきっていないこともあると思うけど……肩の力も少し入り過ぎてしまっているわ)


 一大事であることは分かっている。緊張することだというのも分かる。

 けれど余計な力みがプラスに働く事は少ないだろう。


(少しでも落ち着けるものがあればいいんだけれど)


 家に帰ってからお義姉様の好まれそうな香りを調合してみようかしらと思いつつ、コーデリアは事件についても考えを巡らせた。

 助力すると決めたのだから当然邪魔になってはいけない。けれどただ悪戯に時間を過ごす訳にもいかない。王都は自分たちにとっても重要な土地だ。そこで行われる悪行を看過するわけにはいかない。だから明日の同行までじっと時を待つだけなど出来はしない。


(フローラ・シルクの偽物ね……手に入れられないかしら。せめて絹糸の産地が調べられれば……)


 蚕が主に桑を食べて成長する以上、土地の魔力が蚕にも取り込まれるはずだ。それは糸にも残るだろう。そうなれば産地を辿る事が出来る可能性はある。幸いにも人工飼料の普及はまだ聞いたことがない。

 オルコット家には学院上りの魔術師は雇用していない。だから詳しい解析を依頼するなら先に事件として立件する事が必要になるだろう。


(……そうすればいやでも大事になってしまう)


 しかし布さえ手に入れば、パメラディア家でなら解析が可能であるはずだ。

 そう考えながらコーデリアは向かいに座るエミーナに尋ねた。


「ねえ、エミーナ。あの生地を買う事は出来ると思う?」

「生地を買う、でございますか?」

「ええ。ドレスを仕立ててしまうと時間もお金がかかるでしょう?」

「……本来は難しいと思います。彼らは問屋ではございませんから」


 芳しくないエミーナの答えに、コーデリアは口の端を上げた。


「そう本来は、ね」


 コーデリアのその言葉に、エミーナも静かに頷いた。


「……こういう言い方は望ましくないと思いますが……確かに、今日の方々なら金銭と布地の折り合い次第で可能かと」

「では、今からあの店に戻りましょう。それで少しでもいいから、譲ってもらえるようにお願いして来てくれるかしら?お金はこれだけあれば足りるかしら?」


 そして手渡した額にエミーナも頷いた。コーデリアにとってもそれなりの代金はエミーナの見立てでも足りると思える額らしい。……よかった。これ以上は今日は持ってきていない。


「理由は……そうね、我儘な妹君が切れ端でいいから欲しがった、とでも言ってくれて構わないわ。納得させれるものなら何でも。話を合わせる為にも、あとで教えてね?」

「畏まりました」


 そうして馬車を店に引き返させた結果、コーデリアは小さな布地を入手した。それはハンカチにするにはやや足りない面積の布地だった。あの額でこの量とは少々足元をみられたなと思うが、本当に欲しいのはこの布ではないのでそれは飲みこむ。欲しいのはこの布がもつ情報だ。


 家に戻った後コーデリアはすぐにロニーを呼び出した。


「あー、お嬢様、お帰りなさい。お土産は?」


 そんないつも通りの呑気な様子を見せたロニーにコーデリアはにこりと布地を手渡した。


「はい、どうぞ」

「……なんですか?食べ物期待してたんですけど」

「仕事よ、糸の産地を調べて頂戴。もちろん解体しても構わないわ」

「ええええ?!」


 そりゃないですよ!と言うので「それが終わったらね」と誤魔化した。多分部屋に缶入りのチョコレートが有ったはずだ。もちろんロニーも大人なのでそんなもので誤魔化されてくれるとは……充分思う。確かに一・二粒というなら話は別だろうが、一缶渡せば喜んでくれるだろう。あれは本を読みながら食べるにも丁度いいおやつになるのだから。


「もう、お嬢様ってば……いーですよ、やりますよ」

「ロニー、それが仕事です」


 駄々っ子を諌めるようにエミーナが言うが、それくらいでロニーの尖った口が戻る訳もない。……それで戻るようなら、とっくに矯正されていてもおかしくない。エミーナもよく分かっているだろうが、それでも口に出てしまうのだろう。コーデリアは苦笑した。


「ああ、でも、産地ごとのサンプルがなければ産地の特性なんてわからないわね。手配しましょうか」

「あ、いや、それはいらないですよ。地質学の本ありますから、産地が分かるほど特徴的な事ならわかると思います。でも、嫌な予感しますね」

「どういうこと?」

「こんないつもと違うお願い、厄介事な気がしてなりませんから」


 そう肩を落とすロニーにコーデリアも肩をすくめた。

 確かに厄介という点では間違いではないかもしれない。だから否定はしないが、ひとまずはその結果が出てからだ。


 曖昧に笑った後コーデリアは部屋に戻り、外出着から着替えた。そしてエミーナが退出した後、ゆっくりとソファーに腰を下ろす。そして手近にあったアロマストーンが入った小さな缶を開けた。ラベンダーとカモミールを合わせた香りが漂った。

 何かが大きく進んだわけではないが、やはり自室は落ち着く。

 そうして落ち着いた所でゆっくりと目を閉じた。


「糸の産地でどこまで視界が拓けるか……それも問題だけど、詐欺を行う理由も全く分からないわね」


 単に金儲けを考えているだけなら分かりやすい。だが、どうにも引っかかる。

 手口が、余りに雑すぎる。

 確かに一目で布が偽物であると判断出来るのはクリスティーナのような、布に慣れ親しんだ者でなければ分からないかもしれない。しかしあの店主たちの行動を考えるに、時間が経てば他のルートから漏れる可能性は大いにある。


「こっそり売るどころか王都で堂々としているというのは……どういうつもりなのかしら」


 あの勢いだと何れ店舗同士で気づくことがあってもおかしくない。店の技量や価格に疑問が生じれば、いずれは表に出ることだ。


「お義姉様が可能性を指摘されたように、店の人間は知っていない……そう仮定するなら黒幕は布を卸した人間になる。でも、そうだとしても卸すときに忠告くらいはしているはず。していないのが現状だとすれば……まるでバレても良いと言ってるようだわ」


 そうであれば目的は何なのか。コーデリアは口元に手をやりながら考える。

 そんな事を行う必要が何処にあるの?けれど、隠そうと言う意思は見えなかった。

 勿論本気でバレないと思っている可能性が無い訳ではないが……


「でも、お粗末といえば……こちらには好都合だったけど、ララの時もそうだったわね」


 ふと頭に浮かんだのは小さな侍女だ。ずっと疑問には思っていた。

 ララの方法ではまず伯爵家に入ることは難しかっただろう。例え追い返された後侵入しようとも、パメラディア家で侵入者が気づかれない訳が無かったはずだ。


(……でも、ララの場合は分からなくもない。例えば処分されることが前提だったら……うちに侵入して殺されても良いし、失敗すれば処分の理由を得る。成功すれば私は死ぬ。気分の悪い話だわ)


 あの後、あの闇ギルドの一味は壊滅したと聞いている。

 けれど恐らくあれは末端の一つでしかないことは分かっている。ロニーがアジトのことをそう報告していたし、それを聞いた父親も似たようなことを言っていた。ロニーの言葉を借りれば『上層が上手いというよりはあの末端が使われていることに気づかない程の阿呆でした』という事で、大元は尾を切り離したトカゲのように姿を見せない状態だったという。もちろんララの件も捕縛したギルドの単独行動で間違いないだろうし、国内外含めどこの相手かわからぬ以上ある程度牽制も出来ただろうからと動くつもりも無かったが……。


「……繋がりがある、なんて考え過ぎだと良いんだけど」


 悪い予想は悪い結果を引き寄せてやすい。最悪の想定は必要だが、今は直接関係あることではないはずだ。だから考えるのは止めよう。

 コーデリアはそう思い直し、再び思考を少し巻き戻す。


(……どうして、バレてしまっても構わないと思わせるような行動を相手はしているの?)


 しかしそうして考えていると時間は早く進んでしまう。コツ、コツと響く秒針の音がいつもより早い気がする。静かな空間。自分の息とその音しか聞こえない。


(やっぱり今は情報が足りない。だから待つべきね)


 そう結論付け、情報が集まった時のために頭を休めることも大事だと考えを改めても、つい考えることがやめられない。困ったことだ。

 しかしその考えも不意のノックの音により遮られた。

 廊下にいたのはやや眠そうな様子のロニーだった。


「終わりましたよお嬢様」

「……驚いたわ。随分早いのね」


 さすがにある程度時間がたったとはいえ、終わらせられるほどの時間ではないはずだ。しかしロニーは何て事の無いように言い放った。


「早いも何も……これ縦糸も横糸も両方フローラ地方で作られてましたよ。絹生産で有名だから一番に比較したら当たったんで……ってことで報酬下さい」


 生地を差し出したロニーはそのまま手をひっくり返し、笑顔で対価を期待する。だが回答自体にコーデリアは驚き、一瞬動きを止めてしまった。両方フローラ産?


「……何か気付いた事はあった?」


 扉を開けたまま報酬予定のチョコレートを取りに戻りながらコーデリアは尋ねた。ロニーは「うーん……」と言葉を選んだ。


「まあ、高そうなやつってことは分かりました。横糸にフローラ・シルクを仕込んだ製品ってとこですかね。大分特徴的だから間違いないとは思いますけど、現物を見たことないのでなんとも言えないです」


 もちろん生産組合が強い権限を持っているのなら、いくらエリス商会が大きくとも充分あり得ることだろう。だからロニーが見たことが無いのも不自然ではないのだが、ロニーの様子そのものには少し引っかかる。


「……何だか納得していないようね」


 報酬を手渡しながら言うコーデリアの声にロニーはうーんと再び唸る。


「納得できない……というよりは、理解できない感じですね。なんでこの布作ったんだろうって。確かに艶がある一方でわずかですがムラが出てて職人が未熟な感じです。ドレスに仕立てたら上手く隠せるかもしれないけど、紡がれてる糸も聞いてたフローラ・シルクとはちょっと違うし」

「紡ぎ方が違う……?」

「いや、フローラ・シルクの絹糸って織りづらいから他の絹より繊細に紡がれてるはずなんですよ。でもこれ、あんまり上手に紡げてないんですよね。一般的な品でいっても正規品とB級品の狭間っていうか……まぁ、原料が特殊だからそれに助けられてる気はしますけど、機織り職人は気づけなかったのかって感じですよね。俺ならこんな布、仕入れません。職人に『これ作る前にもうちょっと勉強しろ』って言いますね」


 ロニーの商才の無さはコーデリアにも予想がつくが、それはロニーの正直すぎる性格故だ。

 見る目が無い訳では無い。


(……しかしロニーは本当に凄いわね)


 絹なんて専門外だろうし興味が有る分野でも無いだろうに、当たり前のように知識を持っている。本人がその気になれば出世街道どころか稀代の魔術師にでもなれるのではないかと感じてしまう。

 ……もっとも最大の障害になるだろう正直過ぎるという側面は彼の魅力でもあるから、このまま変わらずにいて欲しいとも思うけれども。


「どうしました?人の顔、じっと見て。パンくずでもついてます?」

「……何もないわ。それより、糸はフローラ産なのよね?」

「それは間違いないかと。フローラ地方の中心から離れると桑が育ちにくくなるんですよね。飼料を別の場所に運ぶっていうのも手間がかかり過ぎるかと」

「確かにそうね。鮮度だって落ちるし、例え同じ蚕だったとしてもフローラの地の魔力を吸った糸ではなくなる」

「そういうことです」


 布に魔力が含まれることは重要ではないが、それが薄まっているのなら産地同様の検出はされないだろう。


(織る場所の特定は別として……フローラ・シルクはB級品の存在を許していない。原料が悪いなら織る前に組合が廃棄してるはず。もちろん蚕がどこかで誤魔化された可能性もあるけど、品質が良くないというのなら……廃棄されたものを使って作っている可能性が強い……?)


 そうして考えを続けるコーデリアを止めたのは眉間にしわを寄せたロニーだった。


「お嬢様、あんまり首突っ込んじゃダメですよ。金儲けしか見えてないような商品作る奴ですよ。ロクなヤツじゃない」


 缶から取り出したチョコレートを頬張りながら言っているので格好はついていないが、彼のいう事は間違っていない。ロクなヤツじゃない。それはそうだろう。


「でも、それなら余計に放っておけないでしょう?」


 そう返したコーデリアにロニーは長い溜め息をついた。


「……ちゃんと旦那様達に報告してくださいね」


 そう言ったロニーは早々に説得は諦め、軽く手を振りながら「俺、戻りますから」と後にする。そうして途中で振り返り「ご指示は早めにお願いします」と言葉を残した。どうやら手伝ってくれる気は満々らしい。全く、毎度頼もしい。


(さて、まずは明日のご報告と行きましょうか)

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