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第二十六幕 建国祭の季節(2)

 建国祭の期間は教師も休みをとる為、コーデリアの教養学習時間は無い。だから朝から晩まで、時間の使い方はコーデリアの思いのままだった。書庫では薬草や領内の風土に関する文献を読み解いたり、国外の文献を翻訳してみようと試みたり、温室や研究室でいつも通り過ごしたり、こっそりと果物の皮むきの練習(といっても包丁は例のごとく使わないのだが)をしたりもした。ロニーやララは期間の前半で休暇をとり終えていたが、人が少ない分仕事が多く、今はコーデリアの所に居ない。だから少し静かだと感じはするが、それでもコーデリアはそれなりに充実した日々を送っていた。

 その証拠に今も研究室で真剣に一つの案を練っていた。


(……肥料を丸いジェル状にして、観葉植物を植えるのはどうかしら)


 液体肥料をまじまじと見ながら考えているのはこのような事だ。

 前世で見た水耕栽培用の保水性があるジェルのように、まるで宝石を思わせるような肥料はこの世界にはない。コーデリアが前世でそれを触ったのはフラワーアレンジメントの体験会だけであったが、存外長持ちしたのを覚えている。そして清涼感がありとても綺麗であったことも。……ただ、前世のものに肥料が混じっていたかまで思い出せないけれど。


「……でも、思いついたし……やってみようかしら」


 コーデリアはしばらく考えてから試験管を手に取り、コポコポと液体肥料を流し込んだ。見様見真似の完成品を目標にする……つまり今回の”実験”には詳しい知識を伴っていない。けれど、もしかしたら形を作るだけならできない事もないかもしれない。そう思いながら液体の中に漂う魔力に向かって力を込めた。

 コーデリアはまず液体に小さな区切りを入れるイメージをする。すると僅かに液体の中に空気の亀裂が生じる。更に集中力を切らすことなく、区切られた液体の個々が丸くなるように念じ、丸まった液体から固まることができる成分を外側に押し出すイメージを重ねて込める。すると光が液体から溢れ出し、収まると同時に丸い球がいくつも出来上がった。

 これはロニーから教わっている解析魔法の応用の一種である。解析、分解ののち再構成させる技術だ。前世で言う錬金術の概念だとコーデリアは考えている。ただ錬金術そのものというイメージが無いのは、物質そのものではなく、現状では物質が纏う魔力に干渉する力とされているからである。以前ロニーがララに教えていた、花の色を魔力で染めるのとある意味似ている。花は魔力を抜き取れば元の色に戻るし、この球体も魔力操作を戻せば液体に戻ってしまう。花の時と違うのは、花は自分の魔力を与えることにより色を変えたが、今回は物質が纏う魔力を操作したというところだ。難易度は今回の方が高い。だが万能化といえば、あまりそうではない。今は役立ったが、元来多量の魔力を含む高い物質にしか使えない術なのだ。今回使えたのも、肥料がパメラディア製の魔力を多分に含むものであったからに過ぎない。

 しかし解析術にしても、あれ程苦手だった魔術だが、日々の鍛練のおかげで『一応使える』ものにはなったということは感慨深い。ロニーのように他からの干渉を受けた結果を推定することはまだできないが、物質単体の魔力構成であればコーデリアにも見えるようになっていた。物質そのものの構成や結果についてはまだまだ努力が必要だが、全くの才能なしでなかったことに安堵できた。これならいつかは他のことも……と、期待が持てる。


 出来た、そう一瞬思ったはいいものの、それを手に取ってコーデリアは苦笑した。これは、見事な失敗だ。仕上がったジェルはまるでカプセル薬の状態だったのだ。内部を水で満たしたビー玉というイメージで、これはこれで綺麗ではあるのだが、草花に水を伝えることなんて全くできない。完全に水分を閉じ込めてしまっている。


「魔力の塊で覆われた液体という所かしら。無理やり固まらせているだけだから肥料が植物に浸透しないし、意味は無いわね。量産にも向かないし……やっぱり、ちゃんと理論を考えないと成功はしないか」


 もっとも『万が一成功すれば』くらいの感覚で、成功するとも思っていなかったが……ズルはやはりよくないとコーデリアは少し眉尻を下げて反省した。

 けれど反省は一瞬だけ。次の瞬間には『ではこれも研究課題に取り入れよう』と脳内の目標リストに付け加える。


(けど、カプセルか。有れば苦い薬ももう少し飲みやすいかもしれないけれど、この世界ではまだ見たことが無いわね……。それに代えられるオブラートの存在も無い)


 正確に言えばオブラートが無い訳では無い。

 この世界でオブラートとは、水で柔らかくし、薬を包む薄焼きのパンのようなものだ。要は硬質オブラートなら存在する。ただ、寒天とでんぷんを利用した……かの日本の医師が発明した食べれる紙である柔軟オブラートが存在しないだけで。


「もし、あのオブラートが作れたなら……ご高齢の薬が飲みにくい方にも役立つかもしれないわ。それに私みたいに薬の苦味が嫌いな場合もあるし……。寒天があるとは聞いた事無いけど、紅藻類ならきっと何かあるはず。あれば作れる可能性はあるわよね」


 なんせ紅藻類といえば前世で四千ほど種類があったのだ。

 よく似た植物の多いこの世界に、全く存在しないとは思わない。探せば見つかるはずだ。


「寒天は美容にも良いはずだし、ちょっと外れちゃうけど、これも調べましょう。むしろ、こちらの方が優先ね」


 オブラートの存在自体が直接治療に役立つ訳ではないかもしれない。けれど人々を驚かせ、助けていた尊敬すべき技術だ。コーデリアは目を閉じ、ゆっくりと知識を掘り起こした。出来れば同じものを、出来ずとも近い物ならできるはずだ。

 ただ、自信があるかと問われれば若干言葉は濁したい。この知識も偉人伝の一部、そしてそこに豆知識のように書かれていた作り方しか読んでいないのだ。

 しかしこれだけでも大きなヒントにはなっている。一人では難しいかもしれないが、力を貸してくれる頼もしい人たちは周りにいるのだ。それに、もし失敗しても失うものなんて何もない。


「……残念だけど、ジェルについては後回しね」


 ジェルも綺麗なものだから早く欲しい。そうは思うが、他の諸々の件と並行させることを考えても、ジェルとオブラートの同時進行は不可能だ。コーデリアは小さく頷いた。


「よし、決めたわ。ジェルについても諦めるわけじゃないんだし、前後しても大丈夫。欲張りすぎると何もできなくなっちゃう」


 そう決めれば目指す場所は書庫である。早速ではあるが、紅藻類のことについて調べようと思ったのだ。


 離れから出て歩く中庭には様々な花が咲き乱れていた。


 元々はパメラディア邸の庭には様々な植物が植えられ、重厚な雰囲気を漂わせていた。

 だが今は華やかさも加わっている。それはエルヴィスが『好きな植物を植えて構わない』と、一昨年庭の一角をコーデリアに管理権を譲渡したのだ。

 スペースを譲り受けたコーデリアは少し迷ったが、やはり庭は実験兼用ではなく、完全な鑑賞用の花壇にすると決めた。温室と同じように欲しい植物を植えてしまうと、実験に使った……つまり刈り取った後に見栄えがしないという問題が生じてしまう。もともとコーデリアは花そのものが好きだ。だから自分の温室には植えられないものを植える。そう決めた。

 それからコーデリアは実際の花の名前のほか、おおまかなイメージを庭師に伝えてきた。コーデリアの要望を聞いた庭師は候補の花を取り寄せ、そしてコーデリアに見せつつ庭を仕上げていった。庭師の腕は確かで、花々は光の中で温かい色彩を放っていた。

 そしてその一角にはコーデリアのバラもあった。花壇の管理を貰い受けたという事を報告した時に送ってくれたのだ。花が咲いて居ない時期でも側を通る時にはほぼ必ず無意識のうち見てしまうのは、やはり魅かれるからだろう。


 やがて庭を通り抜け、屋敷に入った所でコーデリアはエミーナとハンスが話をしているのを見つけた。コーデリアが気づいたのとほぼ同時、二人も気づいたらしく「お帰りなさいませ、お嬢様」とコーデリアを迎えた。


「ただいま戻りました。けれど、お帰りなさいは貴女の方よ?エミーナ。クリスティーナ様からのご用事は終わったのね」

「はい、お嬢様」


 今日、エミーナは明日外出の約束をしているクリスティーナとの打ち合わせの為、オルコット邸に呼ばれていた。彼女は「クリスティーナ様は、明日は仕立て屋を何軒か巡りたいと仰っています」とコーデリアに伝えた。


「仕立て屋さん?」


 基本的に貴族がドレスを仕立てるとなれば、家に職人を呼ぶことが多い。そうでないケースでれあれば『とにかく生地の色目を最優先にしたい。僅かな色の違いでも自分の目で確かめたい』という場合や『いつもと違う意匠の職人を探したい』という場合だろう。あとはパターンオーダーで求める場合だが、クリスティーナにはまず当てはまらない。


「今までご領地で仕立てられてらっしゃいましたから、ご興味がおありとのことで……少なくとも八店舗ほど候補を伺っております。なんでも御友人が仕立てられているお店も含まれているとのことです。余裕があれば、もう少し見たいとのことでございます」

「そんなに?気合いが入ってらっしゃるのね」


 多いなとコーデリアは少し驚いた。もちろん不満なわけではない。

 むしろ訪ねたことのない仕立て屋という店に行くとなれば興味もある。今コーデリアのドレスを仕立ててくれているのは妙齢の女性で、コーデリアは一切の不満を持っていないし、むしろ敬意を持っている。だから店を訪ねるなんてことは考えたことも無かったが……やはり店という存在に興味はある。訪ねるとなれば楽しみだ。しかしそれでも最低八店舗と言われると『そこまでドレスを見るのか』という驚きはある。絹の産地のこだわりなのだろうか。しかし、それなら領地の方が上質な絹を手に入れやすいのではないかとも思う。なんせ国内最高級の産地なのだから。

 首を傾げるコーデリアにエミーナは言葉を続けた。


「途中お疲れになられるかもしれませんから、甘いものを召し上がっていただける店も調べています。ご婦人方が観劇の前に立ち寄られることが多いお店です」

「あら、それは楽しみだわ。それも大人の女性の嗜みなのね?」


 やや冗談めかしに言えば、エミーナはゆるく笑んだ。

 同時にハンスは一歩足を前に進めた。


「ではその嗜みを学んでいただく前に、お嬢様にご報告したいことがございます。こちらをどうぞ」

「ありがとう。これは次の実験参加の希望者かしら?」

「大分希望者が殺到しておりますので、必要でしたらお嬢様が面接なさるのも良いかと」

「それは時間をとらせて悪いわ。でも様子は見たいから、こっそり遠目に見させていただくことにするわ」

「畏まりました」


 ハンスから受け取ったリストは香油マッサージの体験希望者一覧だ。八歳の頃から行っている実験だが、屋敷内で常に一番倍率の高い募集になっている。嬉しいことだが、同時に申し訳なくも感じる。興味を持たれないとなればそれはそれで問題だが、この参加者の発表は毎回宝くじのような雰囲気すら漂っているのだから。

 だが当然被験者はくじで何て決めていない。体調や疲労具合、それから魔力の透明度や、逆に淀みなどの症状をチェックし、被験者を選ぶのだ。サンプル数としてはまだ十分とは言い難いが、コーデリアはそれらの選定を通し、ふんわりと『この人はこの香りなら嫌いじゃなさそう』という予想を立てられるようにはなっていた。なんとなく、相性の悪い魔力と植物の魔力は見えるのだ。ロニーに言わせれば『意味が分からない』とのことだが、コーデリアには何となく色のように見えている。


「しかしお嬢様がこの時間にこちらにお戻りとは珍しいですね。何かございましか?」

「書庫に行こうかと思って。海草について調べたいの」


 コーデリアがそう言うと、ハンスは少し驚いた顔をした後眉を下げた。


「お嬢様、パメラディア領は大河と山々に面しておりますが、海に面しておりません」

「……もしかして、蔵書の中には無いのかしら?」

「全くという訳ではありませんが、詳しい物はなかったかと」


 書庫の整理も請け負っているハンスが申し訳なさそうに言う姿に、コーデリアもがっかりとした表情は見せられない。だが衝撃ではある。しかしすぐに頭の中を切り替えた。


「では、王都には大きな書庫が開放されていたりしないのかしら?」


 いままでは書庫で事足りていた(むしろ植物ならほぼ揃っていた)のでいわゆる図書館を求めたことは無かった。図書館を求めずとも購入できればそれで良い……とも思うが、手元に資料が全く無い状態ではどのような本を求めるのか上手く伝えるのも難しい。おまけに大同じ本の流通量なんて知れているものだから、手元に届くのがいつになるかもわからない。貸出まで可能ではないかもしれないが、そこまでは求めない。とにかく見たい。情報が欲しいのだ。

 しかしハンスの表情は明るくならない。


「ないことはございませんが、あるとは申せません」

「……どういうこと?」

「街に貸本屋はございますが、お嬢様がお求めになられるような専門書はございません。ただ、王宮に大書架と呼ばれる書庫がございます。特定の要件をクリアすれば閲覧ができますが、お嬢様には資格がございません」

「……なるほど、大書架ね。聞いた事はあるわ」


 ゲームの中だけど。とは付け加えずにコーデリアは納得した。

 大書架は城の一角にある、王家所有の書物や貴重な研究資料を集めた建物である。貴重な書物が多いだけに入館には資格が必要となり、簡単に入れる場所ではない。入るためには研究者として名を上げる、もしくは国に多大な貢献をする必要があるのだ。


「お嬢様なら、将来足を踏み入れることも可能でしょう」

「そうなるように励まないといけないとは分かっているのだけれど……残念だわ。私は、今見たかったのに」


 もちろん城の書庫という響きに『縁起が悪そうな場所だ』と思わなくもない。だが城は広い。王子と偶然出会うなんて確率的に殆どないだろう。早々簡単に会えるものなら、王子に巡り合いたい子女が城にもっと無理にでも入りたがるはずだ。だから……そう、無いはずだ。余程王子があちらこちらを歩き回る人でない限り、会わないはずなのだから。そもそももしニアミスしたところですっと引けば問題ないはずだ。前もそうしてその場を凌いだ。


(だって、少し引っ掛かるとはいえ知識の宝庫だもの)


 望む本もきっとあの場所にならあるのだろう。

 それどころか思いもしなかった知識がたくさんあるかもしれない。そう思うと今すぐにでも飛び込みたいが、それは当然無理な話だ。忍び込むスキルなんてないし、そんな度胸も全く無い。大体そんな後ろめたい方法はとりたくない。だから断念せざるを得ないだろう。

 もっとも、すぐに『ならば研究者として名を挙げてやろうではないか』という野望は生まれてしまったけれども。

 そんなコーデリアに、エミーナは「でしたら」と口を挟んだ。


「コーデリア様の御友人にハック伯爵家のご子息と、ガネル子爵家のご子息がいらっしゃったと思います。お二人でしたら海のことにお詳しいかもしれません」

「クリフトン様とマルイズ様ね。……そうね、彼らなら知っているかもしれない。ありがとう」


 実際まだ友人を名乗れるほどの関係かどうかは怪しいのだが――いかんせんヘーゼルの突撃で話が随分中途半端になってしまった――、彼らもパメラディアの木材に興味があると言っていた。互いに知りたいことがあるなら、会う事が出来れば話は盛り上がるかもしれない。ならばまずは一度手紙を送ってみようとコーデリアは決めた。


「では、問題解決致しました所で……私もお仕事に移らせていただきますわね、コーデリア様」

「え?」

「明日の外出着のお話です。いくつか候補はございますが……」


 なるほど、みなまで言わずとも分かった。着せ替え人形のお時間の開始らしい。

 エミーナのいう『いくつか』が『多少』という意味でないことをコーデリアも理解した。恐らく今から夕食の頃まではかかるだろう。もちろん手持ちの服の数には上限はある。が、その数もかなり多い。数回しか袖を通していないものもそれなりにある。服はコーデリアが職人と話をして仕立てたものだけではなく、時折父親が贈ってくれるものもあるのだ。領地に行く際にと仕立ててくれるのだが、元々季節ごとに仕立てるものだからかなり余裕がある枚数となり……結果、クローゼットはいっぱいだ。

 それらを一度着て、別のものを着て……その後『やはりさっきのものを』という事になれば着せ替えループは続くだろう。しかしそれもやむを得ない。本格的に着飾る訳ではないにしても、せっかく義姉になる人との初めて外出だ。クリスティーナの隣に立って恥ずかしくない、見劣りがしない格好をしなければならない。

 もちろん普段着でも十分に立派な物を着ている気もするが、装いが変われば気分も変わるし、せっかく父が娘に似合うと思い買ってくれただろうものを着る機会なのだ。


「何着でも着させていただくわ」


 それに自分に似合うものを見つけるにはやはり沢山着てみるしかない。

 それに『これぞタンスの肥やし』状態の気持ちを解消するチャンスでもある。妥協という選択肢はハナから無い。着尽くすまでだ。

 ……等といえば『そもそも肥しを作らねば良いのではないか』という話になるかもしれないが、もらったものをつき返すわけにもいかないし、突き返したところで父親が着られる訳もない。


(……。妙な想像はしてはいけないわ。素敵なお父様に申し訳ないじゃない)


 迷走しかけた自分の考えを軌道修し、そしてコーデリアはファッションショーもとい試着会に挑んだ。そして、沢山のドレスを着用し、脱ぎ、再び身にまとい……ようやく一着を決めた翌日。


 若草色の外出用ドレスに身を包んだコーデリアは、久々にクリスティーナと顔を合わせていた。


「お久しぶりです、クリスティーナ様。お目にかかれて光栄ですわ」

「ごきげんよう、コーデリア様。今日はよろしくお願い致しますね」


 輝く金色の髪と緑色の瞳をしたクリスティーナ・オルコット伯爵令嬢は穏やかな笑みを浮かべ、たおやかにコーデリアと言葉を交わした。







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