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第十九幕 幼馴染の依頼

 闇ギルド掃討作戦から数日。呪いが解除された少女は、しかしパメラディアの屋敷に留まっていた。理由は「帰る所も別にない」とのことだ。彼女は詳しいことは話そうともしなかった。帰るところがあるのなら手配をしようと思っていたコーデリアだが、そうでないなら話は早い。雇い続ければいいのだ。


 ……という訳で、コーデリアの研究室に増えた研究員の一人、ロニーの助手のララは、今は午後のみ仕事をしている。仕事の内容は子供が使いやすい筆記用具の作成だった。


 ララは勤務時間が半分であるため給金も他の使用人の半分だが、元々生活費は殆どかからない上、全額が『お小遣い』の状態だ。彼女に不満は無かった。それどころかララは生き生きと毎日を送っている。


「アイシャ姉さんの授業は楽しいわ。令嬢はなんたるものかから教えてくれるもの」

「ララ、アイシャ姉さん、ではなくアイシャ先生よ。楽しいという割に実践は難しそうね」


 そんなララは現在アイシャに令嬢としてのマナーを叩き込まれている。

 本来なら屋敷の使用人に任せ使用人の心得を教えた方が良いのだが、ララの奔放っぷりに使用人の方が困惑を隠さなかった――というよりは、仕事に支障が出てしまうという事に困惑していたという方が正しいだろうか。いずれにせよ今のララは開放感に加え子供特有の元気さを全開にし、使用人として勤務が出来る状態ではなかった。


 そしてその状態を見たコーデリアは先生役が上手いアイシャにララの教育をお願いした。アイシャはもともと子供好きということもあり快く引き受けてくれた。そして彼女は使用人がなんたるかではなく、令嬢としてのマナーから彼女に教えることを提案した。令嬢が望んでいることを知るのなら、令嬢としてのマナーを身に着けた方が早いというのがララの提案だが……さて、どれ程この賑やかな娘がどこまで落ち着くのか、謎である。……等とコーデリアが考えていると、ララは不満そうに口を尖らせた。


「あら、最低限は身につけるわよ。私、コーデリアの護衛ができるようになりたいもの」


 側にいるなら、必要なことなんでしょ?

 そう言いうや否や、ちょうど研究室に入ってきたロニーに「ロニー!スイレンの色かえれるよになったよ!」と飛びつきながら報告していた。ロニーは「一人であの森行くなって言っただろ?!」と、驚いて声を上げていた。

 随分懐いたな、と、コーデリアはくすりと笑いながら二人を見た。

 そして普通の令嬢なら護衛よりも侍女のほうが必要になると思うのだが……今、あえていう必要もないだろう。そもそもララの経緯が経緯だけに言ってもあまり意味がない気もした。


「よう、ディリィ……って、何だ。小さいのが増えてるな」

「あら、ヴェルノー様。いらっしゃいませ」


 エミーナに連れられやってきたヴェルノーは、ララを見ながら「……どこで拾ってきたんだ」と訝しげだ。コーデリアはそれにしれっと答えた。


「彼女は将来有望な魔術師の卵ですよ。――それより、今日はどのようなご用事で?」


 そんな二人のやり取りを見て、何となくララもコーデリアの様子でヴェルノーがどういう立場かが分かったらしい。スッとアイシャの教育の賜物を披露しながらロニーとともにその場を外した。ヴェルノーは二人が退出するのを見ながら用件をつげた。


「いつも通り茶をいただいて、ジルからの手紙を渡しに来た。ついでに母上からも手紙がある」

「まあ、サーラ様から?」


 侯爵夫人からの手紙は初めてのことである。

 恐らく先日送り直した香油などのことだろうなとコーデリアは思いながら受け取った。今すぐ読みたい衝動に駆られるが、さすがにここはヴェルノーの前。ぐっとこらえた。そんなコーデリアにヴェルノーは手紙の要約であるだろう言葉を告げた。


「ディリィのこの間のやつが一番気に入ったみたいだ。香油も気に入っていたが、芳香浴が気に入ったらしい」


 芳香浴とは精油を温めて揮発させ香りを広げるものだ。そのための器具、蝋燭を使用した香炉と精油をコーデリアは夫人に贈っていた。精油は穏やかな香りがするマートルで、空気清浄の効果がある。


「では、今日はこれも持って帰っていただこうかしら」

「これは?」

「ラベンダーのローション剤です。よく振って、中身を混ぜてからコットンに沁み込ませて肌に優しく塗ってください」


 8歳の時に採集し温室の一角を彩るラベンダーは、使用人に手伝ってもらいながらその量をかなり増やしている。今では王都からほど近い村の畑を借り上げて花を植える程に、だ。ラベンダーもバラほどではないが採油率は低い。先に開かれたお茶会ではちょうど時期が悪く、夫人に見せることができなかった品である。ヴェルノーは化粧品には興味が薄いらしく、「ふうん」と言うだけでそれ以上は何も聞かなかった。

 ただ、机の上に広がっているものには興味を魅かれたらしい。


「今度は何作ってるんだ」

「そちらはララの研究です。文字を習い始めた子供が使いやすい文房具を作りを任せています」

「それは面白そうな研究だな」


 そう言いながら、ヴェルノーは木製の細い円柱を持ち上げる。そして「これは黒炭か?いや、別の何かか……?なんでこんなものが入っているんだ」と不思議そうに言った。ただ、言葉に出したものの、コーデリアが品の完成まではのらりくらりと答えないのは知っているので、殆ど独り言のような呟きであったが。


「それでディリィは何をしてたんだ?」

「私はお兄様達に日頃の疲れを癒していただこうと、プレゼントする品を考えておりました」

「じゃあ、特別急ぎという訳じゃないな。母上の手紙は後日使いをよこしてくれたらいい。ジルの手紙だけ預かって帰る」


 だから読め、書けと言わんばかりのヴェルノーに、コーデリアはいつもの事だと思い、いつの間にか茶菓子を用意してくれていたエミーナに礼を言うとジルからの手紙を開いた。


『先日はありがとう。今度、この前言っていた星降る丘に案内したい。夜、都合悪い日はありませんか』


 それは、夜会での手紙の続きだろう。

 コーデリアは目を何回か瞬かせ、そして苦笑する。夜に令嬢が抜け出すなど不可能に近い。昼間だって難しいだろう。方法がない。そう思いながらコーデリアはどう返事を書くかなと少し考える。こうして手紙を書くことが多いのでいつの間にか机には幾種類もの便箋が常備され、手配に困ることは無かった。


 コーデリアはジルと同じように短文を記す。


『こっそりと抜け出すことが可能でしたら、いつでも良いのですが。パメラディアの警護もなかなか優秀なので難しいでしょう』


 屋敷を抜け出すには移動しなければならないし、それは魔力が移動していることを見張り番……つまりは曲者の侵入を阻止する解析魔術師にばれ、ひいては父親に見つかってしまうだろう。だから基本的には無理だ。もちろん星降る丘というものには興味があるし、ジルが以前に言っていた白い花にも興味がない訳では無い。しかも夜に綺麗だというのなら、コーデリアには一つ思い当たる花がある。そしてそれが当たっているなら、その株をぜひとも持ち帰りたい。

 しかし、だ。現実は不可能に近い。残念だと思いつつ、もしも男に生まれていたのなら抜け出せたかなと少し考える。


「……いえ、美容の研究なら女性に生まれてよかったわ。お父様にも甘えられますし」

「どうした?」

「いえ、今日、ジル様はとても忙しかったんじゃないですか?」

「なんでだよ」

「………凄く字が走っておられますし、いつも以上に短文でしたので」


 手紙の内容を話すわけにもいかず、コーデリアはそう誤魔化した。するとヴェルノーは「あー……」と何やら思い返したような様子を見せた。


「ジルもそろそろ忙しいからな。覚えなきゃいけないことが多いんだよ」

「……その言い方ですと、ここに来るヴェルノー様は暇ですの?」

「暇じゃないけど、良いだろ、別に」


 理由になっているのかなっていないのか分からない回答に、コーデリアはため息をついた。別に構わないがそれは諦めの意味であって、今でも可能であれば事前連絡が欲しいと思わないでもない。


「では、お忙しいヴェルノー様は早くにお帰りなさってしまいますね」


 そう言いながらジルへの手紙を渡すと「ケーキをまだ食べ終えてない」と、3つ目のケーキに彼は手を伸ばしていた。素晴らしい甘党だ。


(……でも忙しいと言う程だもの、ジル様も相当な家にお生まれよね)


 それは幼い頃からヴェルノーと仲が良いことからも感じ取れたが、今回の事ではっきりしたように思う。まさかとは思うが、王族の関係者ではないかとも……いや、無いと信じたい。

 いずれにしろ将来的にはジルが何者であるかなど分かることだ。子供の間は公式の場に出ることが無いだけで、学ばなければならないことが多いならば将来的に公式の場で顔を合わすこともあるだろう。そうすればわかる。急ぐ必要もない。


「……まあ、気にならないと言えば嘘になりますが」

「何か言ったか?」

「いいえ、独り言です」


 コーデリアはそう言うと自身も紅茶に手を伸ばす。少し時間が経っていたのでエミーナがとりかえましょうか、と尋ねてきたがコーデリアはそれを断った。エミーナの淹れ方が上手だったお蔭か、少しくらいぬるくてもお茶が美味しいのだ。勿体ない。


「ところでディリィ。……実は俺は今日は俺の頼み事も持ってきている」


 ちょうどケーキにフォークを入れるヴェルノーは、急にあたりの空気を重くするような声を出した。ヴェルノーがコーデリアに頼み事をするのは珍しい。だからコーデリアは茶々を入れず、ヴェルノーの言葉を待ち、そして


「……ヘーゼル・ヘイル伯爵令嬢を祝うダンスパーティーに一緒にいってくれないか」


 思わず紅茶を吹き出しそうになった。

 ヘーゼル・ヘイル。……知らないことは無い名前だ。なぜなら、彼女もまたゲームに出てきていた一人と一致する名前であるからだ。ただし、ゲームの中の彼女はコーデリアとは違い高飛車な印象は無いとの評判だった。一番の特徴といえば非常に勝負事を挑むのが好きで、勝気。そう聞いている――伝聞なのはコーデリア自身が説明書で彼女を見たことしかないからだ。それ以外だと華麗なスチルで背景と一体化したところくらいなら見たことがあるが……それも除くと、現世の、フラントヘイム家の夜会でしか見たことない。夜会で彼女は嬉々としてヴェルノーに話しかけていた。――そう、つまるところ彼女はヴェルノールートのライバル役である。


 従って彼女はコーデリアにとって何の益も不利益もない――はずはなかった。そう、忘れてはならないのは彼女が勝負が好きで勝気だというところだ。


「……あの、ヴェルノー様。念のためにお聞かせ願いたいのですが、それはヘーゼル様のお誕生日を祝う会でございますよね」

「ああ」

「何故私をお誘いになるのですか」


 嫌な予感しかないこの誘い。理由を聞かねば受け入れも拒否もできはしない。


「……行ったら彼女と踊る羽目になりそうだからだ」

「………ソレのどこが困るのですか」

「…………彼女と踊るのは少々疲れる。だが連れがいれば彼女も静かかもしれない」


 その言葉に、コーデリアは長い息を吐きたくなるのをぐっとこらえた。

 実はヘーゼルの招待状はコーデリアの所にも届いている。昼間に行われる子供たちの為の会で茶会とそう変わらないので是非に、との内容だった。余談であるが、彼女以外も先日のフラントヘイム家の夜会で挨拶をしたからだろう、コーデリアのもとには少しずつ招待状が届くようになっている。


 知り合いを増やすという当初の目標を達成できたのだから、コーデリアからすれば本来は喜ばしい話である。しかし彼女だけは別枠だ。目の色が違う。何だか燃え上がっている。これは大変面倒くさそうだ。しかもヴェルノーと行くとなると、余計に面倒なことになりかねない。


「……他の御令嬢を誘ってみてはいかがかしら?」


 だがこのコーデリアの提案をヴェルノーは鼻で笑う。


「他の令嬢にヘーゼル嬢と踊るのが億劫だから一緒に行ってくれなんて言えないだろ」

「いえ……そこは伏せたらいいのでは」

「余計な勘違いはされたくない。その点ディリィなら間違いない。面倒は起きない」


 堂々とそういうヴェルノーに、コーデリアは『私と行っても周囲は誤解するかもしれないでしょう』と冷静に思った。もちろんヴェルノーだって気づいていると思うのだが、彼からすれば周囲にどう思われるかというより、相手に勘違いされないかという事の方が重要なのかもしれない。彼は渋るコーデリアに「いつもジルとの取次やってるんだから良いだろ」と眉間にしわを寄せて文句を言う。


「……それはジル様に言われては」

「じゃあディリィの返事は今回は無しだっていっとく」

「何と悪質な」


 ちゃんと書いたではないか、と、コーデリアはヴェルノーを見る。彼は全く引く気が無いらしく「いいだろ」とゴリ押しだ。しかし考えようによってはわずか12歳……いや、13歳になったばかりで令嬢から逃げる必要に迫られているヴェルノーは可哀想なもので。


「……」


 我が身は可愛いが、まあ、一応ヴェルノーも友人だ。そう思ったコーデリアは「……仕方有りませんわね」と了承の意を示した。もっとも、その直後にヴェルノーがにやりと笑ったのを見た瞬間「やっぱり突っぱねればよかった」と思ったのだが、一度口にした言葉はしまいようがない。ただ、コーデリアはヴェルノーが次にやってきたときはお菓子を減らすくらいの意地悪は許されるだろうと肩をすくめた。





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