第十四幕 初陣のお誘い
月日は流れ、コーデリアの温室や研究室には様々な植物や器具で溢れ、更には庭園の一角をハーブ園にした、そんな十二歳の春。
コーデリアは大量の荷物とともに視察から帰還した。もちろん今度も一人ではない。父親の南方視察に同行したのだ。
初めてのパメラディア領視察以降、コーデリアは度々エルヴィスの視察に同行していた。それは領内に留まらず、他の街の視察も含まれていた。視察先ではコーデリアが事前にエルヴィスから学んだ交易の基礎を実践する機会もあり、いくらかの儲けも出していた。儲けは全てカイナ村の学舎建設資金に充てられる事となり、その建設を以てエルヴィスからの融資は完済という扱いになった。現在も少量ながら、コーデリアは交易業務を扱い、継続的に学校経営に寄与している。
その学び舎では絵が得意な生徒が木炭で描いた「アイシャ先生」と並んで「領主様」と「コーデリア様」が飾られている。さらにその隣にはパン職人の絵があり「王都一カイナ村の小麦を美味しいパンにする職人」と、長い説明が書かれていた。
文字や計算の必要性は、コーデリアが思っていたよりも早く村人たちは自覚することとなった。それは学校を開校して三か月程たったある日のこと、字が少し読める村長が、小麦の契約書を以て子供たちが本当に字が読めるのか試したことがきっかけだった。「本当に学んでいるのならばこれを読んでみなさい」。その言葉こそ小麦が買い叩かれるている事実発覚のきっかけとなった。
子供達は、子供達にとって難しく書かれたそれを、わかる部分だけ読み解いた。
しかし分かるところだけでもその契約書が何かおかしいと子供たちは気づいてしまった。
『甲は乙に対し、乙が一定量を超える小麦を購入した場合、超過部分については予定取引額の30%の価格で小麦を提供することとする』
甲や乙が誰を示しているのか、子供たちはよくわからなかった。
ただ、純粋に「アイシャ先生の問題は、もとになる数字が出てくるのにこの文章にはそれがない」と違和感を持った。子供たちの中には特に賢い子供もおり、小麦の量によって価格が大きく変化するように仕向けられているのではないか?と、疑問を呈する者もいた。
結局真実がよくわからない子供たちは「正解はアイシャに読んでもらおう」と村長に提案した。村長ははじめ渋ったが、アイシャが読んだ結果、契約書はかなり不平等だという事が村長にも知らされた。要はかなり少量の小麦を買えば、残りは他の領地の小麦より安い価格で売らなければならないことになっていたのだ。その値段の買い叩かれている変化に気づかなかったのは、安くともあまりの量を買われていたからだということと、周囲の街や村の物価の上昇に対してこの村がついていっていなかったからだろうとアイシャは言った。
村長は自らが大きな損益を出していた事実を突きつけられた時、動揺で言葉が出なかったという。そして、同時に教育の必要性を認めざるを得なくなった。それは村の大人たちも同様だった。
それはさておき、教育が受け入れられたことで問題がゴールに至った訳では無い。現在のところ、カイナ村の学校はパメラディア家による援助とアイシャから二代目を継いだボランティアの教師で成り立っている状態だ。今後他の地域をもと考えるのなら、税収から維持できるよう整備していく事が必要になってくるだろう。
カイナ村であれば小麦に税をかけ、それを教育資金に充てることもできるだろう。理解を得ることも難しくないと思われる。
(けれど、それだけでは足りないわ。カイナ村のような豊かな土地だけじゃない。収入が少ない土地もある。でも教育は最低限平等に受けてほしい……そう思うと、その格差を埋めるための収入が必要よね。私が香油で上手く利益を捻出出来ればいいのだけれど)
そう思いながら、コーデリアは久々の研究室に足を踏み入れた。
研究室には休憩時間でもないのに優雅に茶を啜るロニーの姿があった。
「あ、お帰りなさいませお嬢様」
「ただいま、ロニー」
「今度はどちらに行ってらしたんですっけ?」
そうロニーは尋ねながら立ち上がると、コーデリアの後ろでエミーナが持っていた袋を受け取った。わりにどっしりした中身に彼は驚き、「なんですか、これ」とコーデリアに尋ねる。
「それは「ショウガ」というの。中の麻の袋の方は観賞用のクルクマという種類で、紙袋のほうは食用のものよ」
それを見たロニーは微妙な顔をした。
「……お嬢様、根っこの食べ物好きですよね。ゴボウでしたっけ、前に持って帰ってきた根っこ」
「ゴボウは食物繊維が豊富で体にいいのよ。この国では主流ではないけど、海の向こうでは一般的ですし。ショウガは肉料理との相性もいいわ」
「肉ですか、それはは良いですね……じゃなくて。ショウガは置いておくとして、その主流じゃないものに手をだすんですからお嬢様の趣味はよくわかりません。トウフでしたっけ、あの味のない豆のプリンもどこがいいんだか。豆を手に入れたお嬢様が嬉々として指示して出来たものだから味もだいぶ期待してたのに」
全く何を考えているのかわからないと、実に楽しそうに言うロニーにコーデリアも遠慮なく言い返した。
「そもそも、カブやニンジンは根でもロニーもたべるでしょう?貴方が酷くつまらないもののように言っている豆腐だって健康にいいのよ」
とはいえ、コーデリアもトウフが大衆に受け入れられる味であるとは考えにくいと思っている。少なくとも調理をしなければ、そのままの豆腐では難しいだろう。だったら先ずはトウフを使った菓子を考えようとも思っている。ドーナッツのように揚げ菓子に混ぜてもいいだろう。
もっともコーデリア自身はロニーのいう「味なしプリン」状態、ショウガと岩塩で食べる方法が一番好きなので冷奴で食べ続ける気は満々なのだが。
「そう、アイシャお姉さまへのお土産も買ってきたの。お手紙を書くから、ロニーは届けてくれるかしら」
アイシャは今年、無事に住まいを王都に移し、婚姻を果たし子爵夫人となっていた。
コーデリアの花粉対策は功を奏したようで、彼女は涙と鼻水にまみれることは今のところないと冗談まがいにコーデリアに言っている。なかなか会う機会には恵まれないが、こうしてロニーに使いを頼んで手紙のやり取りを二人は度々行っていた。ロニーも伝書鳩は楽でいいと楽しんでいる。
「はい、お使いなら喜んで。寄り道してもいいですよね?」
「寄り道のほうがお使いより時間がかかる……ということだけはないようにね」
ロニーが言う事は大概冗談ではないことをコーデリアはよく把握している。
だからコーデリアは釘をさすのだが、ロニーは飄々としている。
しかし今日のコーデリアには切り札があった。
「ロニー。私はこの度南方視察でエリス商会の皆様にお会いすることがございました」
「ぐっふっ!」
「ロニーのことをよろしく頼まれましたので、何卒よろしくね?」
そういうと、ロニーは目を泳がせていた。
流石に実家の名前を出されるとは思っていなかったらしい。コーデリアがエリス商会と接触したのはロニーのことなど関係なく、単に商売のルートの相談であったのだが、意外な効果もあったものだと妙に得をした気分になった。
「さて、その件はひとまずおいておいて。先程温室を見てきたわ。沢山花が咲いていたから、また新しい精油を採取して、試してみたいの。エミーナ、一番にお願いできますか?」
「もちろんです、お嬢様」
「あ、お嬢様。とりあえず使用人の香油の……アロママッサージの待ち人リスト作っておきました。被験者が多すぎるのも大変でしょうから、ある程度魔力の状態見て順番決めました」
しっかり仕事もしているロニーはぺらっと一枚の用紙をコーデリアに渡した。
初めのころと違い、今は無報酬でも使用人たちの間でテスターになることは一大イベントと化している。大人気になった実験にコーデリアは少々苦笑する。嬉しいのだが、やはりある程度の「安心」を得られなければそう簡単にことは進まないのだろうなと思い知らされるからだ。
(使用人たちが口コミで人気を広めたように、貴族たちの間でもうまく流行させられればいいのだけれど)
考えることは楽しいが、やはり難しいことは頭を使う。
そうコーデリアが思った時、一人の女性の声がその場に響いた。
「随分、楽しそうにしてるわね」
「ニルパマ叔母様……?!お久しぶりでございます」
「こんにちは、コーデリア」
開いているドアから姿を見せたのはニルパマ・ウェルトリア女伯だ。この国では数少ない女性伯爵の一人であり、唯一代々女性のみが爵位を継承している領地の君主だ。コーデリアにとっては母方の伯母にあたる。彼女の背筋を伸ばし胸を張り、前をしっかり向くは姿はいつも自信に溢れているようである。その姿は凛としており社交界では有名だとコーデリアも噂には聞いて居る。顔の造形は母によく似ているが、表情を見ると姉妹には見えないと言っても過言ではない。
そんな女伯も姉妹仲が良いという訳では無く、コーデリアの母親に会いに来ているという様子はない。しかしそれでもパメラディア家をたびたび訪れているのは、エルヴィスに用件があることもあるようだが、どちらかというとコーデリアの顔を見にやって来ているようだった。事実コーデリアは毎度美味しい土産をもらっている。だが、今日の彼女はどうやら手ぶらの用だった。
「ああ、今日はお茶の用意はいいわ。お菓子、食べてきちゃったから。それより大事なお話があるの」
「大事なお話……?それでは場所を変えますか?」
大事な話というならエミーナやロニーも外してもらった方が良いだろうか。そうコーデリアが思案していると「そこまで重要じゃないわ」とニルパマは先ほどとは反対のことを言った。
「今日はあなたに誘いを持ってきたの」
「はい?」
「フラントヘイム家の夜会に招待されてるんだけど、一緒においでなさい。ご子息のことはよくご存じでしょう?」
フラントヘイム家の夜会?
その言葉にコーデリアは首を傾げた。もちろんそれ自体は知っている。ヴェルノーの家の夜会だ。ヴェルノーも幼い頃から顔を出していると言っていたし、加えてヴェルノーの誕生日が近いのでそのお祝いも兼ねているのが侯爵家の夜会だと聞いている。コーデリアとしては事前にヴェルノーへの贈り物は毎年行っているので、夜会にまでは行かなかった……というより、毎年父親が「行ってくる」と言っていたのでそれを見送っていただけではあるが。
だからあえて誘うニルパマに首をかしげた。
その様子にニルパマはくすりと笑って見せる。
「顔見せよ。もちろん、フラントヘイム侯爵があなたのことをよく知っているのは知っているわ。あなたが伯爵とともに地方を回っていることも知っている。だから普通の子供よりは顔は広いだろうけど……ほかの貴族は貴女のことをよく知らないでしょう?だから、私はあなたのことを見せつけたくて」
しかしそんなニルパマの発言にもコーデリアは戸惑うばかりだ。だが尚もニルパマは気にした様子もなく続ける。
「貴女にとっても悪い話ではないと思うの。貴女は視察に出て大人のやり取りは知っていると思うわ。でもそれとは別の、貴族同士の駆け引きを見ることも必要だと思うの。大丈夫、ご子息の為の夜会だからまだまだお子様な方も多いし、気楽にしていればいいわ」
「……お父様は」
「エルヴィス様は会議が重なっているそうで、夜半までかかると思うとのことね。かわりにエルヴィス様そっくりのサイラスくんを参加させるそうだけど、いずれにしてもコーデリアを連れていく許可は得ているわ。渋られていたけど、こちらにも考えはあるのよ」
なるほど、つまり既に決定した事項らしい。
それならば従うしかあるまい……そうコーデリアが思っていると、ニルパマがフフフと笑い、肩を震わせていた。
「待っていなさい、ハールシ伯爵夫人、ウェルトリアの未来が冷徹女のせいで真っ暗何て噂、可愛い天使を連れて行って消して見せてさしあげましょうふふふふふ」
どす黒いオーラは貴婦人の美しさを消し去るものなのかと、コーデリアは何事もないかのようにニコニコとしながらそれを受け流したが、内心恐ろしく感じていた。但しその怖さというのは冷たくなるようなものではなく、燃やされそうという怖さだが。冷徹……それは初めて聞く言葉だが、叔母は、一体普段どんな振る舞いをしているのだろうか。
……などと、コーデリアが思っている間にニルパマはまたもやころりと表情を変えた。
「と、それはそうとコーデリアにはドレスが必要ね。いつも使っているという仕立て屋をエミーナから聞いて呼んでおいたの。もうすぐ来るわ。一週間で仕上げてもらいましょう。あなたは赤が似合いそうね」
そう言われ、コーデリアは即座に「叔母様、私は桃色のドレスが欲しいです」と口にした。赤、それは絶対に似合うだろうドレスが完成するとコーデリアにも感じられる。ただ縁起が悪すぎる。だって『コーデリア』はいつも赤いドレスを着ていたし。
「あら?そう?赤の方が似合うと思うけれど……いいわ、桃色のドレスに赤いコサージュを付ければ華やぐでしょうし、それもいいかもしれないわね」
「コサージュなら、今、温室に咲いている生花を使って当日作って頂きたいです。とてもきれいな種類の花なんですよ」
それは言うまでもなく、ジルからもらった『コーデリア』だ。
ジルとの手紙のやり取りは未だ続いており、その中でコーデリアを研究対象として使用する許可を得ていた。ただしもちろん商売に使った場合にはマージンを払うという事を約束している(それも大分「お金は要らない」と渋られたが、さすがに押し通した)。ジルは「『コーデリア』はディリィが使ったらいい」とマージンの代わりに専用使用許可をコーデリアに約束した。
特別なバラが必要なんでしょう、役に立てるなら嬉しい。そう言われれば断ることもできなかった(だからマージンのレートに関しても下げようとするジルに対して譲らなかった)。
「まあ、それは私が花を見てからね。それより、ダンスよ。大丈夫?デビューっていうほどでもないけれど、子供も踊っているわ」
「安心してください、叔母様。その辺りはしっかり、練習いたしておりますから」
予定よりも早くなってしまったが、いつかは夜会に出ることになる。だからしっかりとレッスンを受けていた。たとえ三拍子が苦手でも、『美人なのに踊りができない』という姿が生まれないよう、コーデリアは幼いころより努力をしてきたのだ。
だがそんなことを知らないニルパマは「素晴らしいわね」と軽く手をたたいた。
「流石エルヴィス様の娘。抜かりがないというか、もう少し間が抜けていて可愛げがあってもいいというか……でも、マウラにに無くて良かったってこかしら。ウェルトリアの領主としては喜ばしいわ。――そういえば、あなた、私の養子になる可能性の話は聞いたことがあるかしら?」
「え?……いいえ。けれど、可能性は考えたことがあります」
「確かにまだ可能性だし、未来はわからないわ。でも理解をしているなら、エルヴィス様では足りない、領主としての教養を私がしてあげましょう――とっておきの可愛いお嬢様に仕上げてあげるわ」
あの男じゃ女の流行なんてわからないしね、と、口の端だけ上げるニルパマに、やはりこの人も領主だとコーデリアは感じた。自分のペースを貫くための方法を知っている人だ、と。
エルヴィスから直接領主としての道に就くことを言われたことは無い。けれど、ニルパマに子がいない事は知っているし、姉は嫁いでいる。受けている教養の内容を考えても、可能性としては十分に思い浮かんでいた。
領主になることで王子様のルートを外れることが確定するのはコーデリアにとって喜ばしいことだが、全く不安がない訳では無い。領主になる――はっきりと言われていた訳ではなかったその事を言われるとやはりどきりと心臓が脈打った。民を率いる人になる?なれるの?と。
しかし不安は次のニルパマの言葉に一瞬で吹き飛ばされた。
「まぁ、コーデリアほど可愛かったら王家からお誘いが来てもおかしくないからね。未来はわからないわ」
そうだ。領主になることに対し不安を抱くようでは、将来立派なレディになることも、死の回避も、たやすいことではなくなってしまうかもしれない。向かうところ、何でも来いだ。そう、コーデリアは自信をもって何事にもあたるんだと自信を奮い立たせ再確認した。
そもそも領主になると決まったわけでも無いが、例え別の家に嫁いだとしても、そこで民に尽くすことは変わりないだろう。それがどこの領地かという違いだけのはずだ。
「伯母様、私、素敵な女性になりますから」
コーデリアはそうニルパマに言いながら、まずは始めての夜会をスマートにこなしてみせると心に誓った。




