第十三幕 領地にて(下)
コーデリアの新しいミッションを名付けるなら『先生を探せ』と言ったところだろうか。
しかしこれはそう難しい問題ではない。よくよく考えずとも、お願いできそうな人がすぐそばにいる。そう、読み聞かせを行い、子供に文字を教えられればと言っていたアイシャである。
本日、コーデリアはアイシャとともに美術館の視察に来ていた。
美術館の一角にはパメラディアの歴史も展示されており、狩猟民族であった時の暮らしぶりなどを丁寧に解説してあった。しかしメインは絵画や彫刻。コーデリアは行ったことが無いのだが、王都の美術館にあるものより迫力を重視したものが多いとアイシャは解説していた。確かに絵も彫刻も雄大なイメージが強い。
「お姉さまは、王都の美術館にも行かれたことがあるのですか?」
「ええ。元は王都に住んでおりましたから。父は退役後すぐに伯爵様にお世話になっていたのですが、私、王都の友と別れたくないとわがままを言いまして、二年ほど前まで祖父母のもとで生活していたのです」
お父様には悲しまれましたけどね。そう、悪戯っぽくアイシャは笑った。
「でも、たぶんもう戻ることは無いと思うのです。ここで生きていく方が、私にはあっていると思うのです」
「え?……でも……私からお姉さまに、お願いしたいことがございます」
「あら?どんなお願いなのかし―――ら?」
アイシャは可憐に笑いながらコーデリアにふんわりと答えていたが、不意にその言葉が途切れた。そして険しい目つきになる。何だろう?コーデリアは不思議に思ってその視線の先を追った。
するとそこには一人の青年の姿がある。
彼は慌てたように辺りを見回していたが、やがてアイシャの方に顔を向けるとそのまま石化したかのように動かなくなった。代わりにアイシャの眉間にはしわが寄り、「コーデリア様、参りましょう」とその場を後にしようとする。
すると固まっていた青年は急に硬直が解けたようで、「ま、待ってくれアイシャ!」と美術館にはふさわしくない大声を上げた。そして彼はつづけた。
「好きなのは君だけなんだ、お願いだ、結婚してくれ!!」
その言葉に固まったのはアイシャだけではなく、コーデリアだけでもなく、その場一体にいたものが完全に固まってしまう、あまりにも派手で熱烈で、そしてどこまでも場違いな告白だった。
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あれから、どうやって場所を変えたのか、コーデリアの記憶では定かではない。
ただぼんやりと覚えているのは、顔を真っ赤にしながら彼をひっぱたこうとしたアイシャの手を止め、青年とアイシャの二人を引きずった気がするという程度である。
(まさか8歳で人の修羅場を見るとは思わなかった)
そう思いながら、運河のほとりでベンチの端に座り、二人の様子をこっそり伺う。本当なら帰ってしまいたい、二人で話し合ってほしいと思うのだが、アイシャがコーデリアの手を握ったまま離さないのだ。相当切羽詰っているのだろう。
コーデリアはゆっくり、青年の方を見た。
こげ茶の瞳と髪を短く刈り上げ、口を一文字に結んでいる。さっきの大胆な告白をした人物とは思えないほどに顔を真っ赤にし、そして視線を落としては上げ、落ち着かない様子を漂わせている。
一体何なんだ。私はどうすれば良いのだ。
この空気を和ませるスキルなんて当然コーデリアは持ってはいない。そもそも二人の関係性が分からない――いや、片方がは求婚してたけれど。それにしてもどちらかが口を開いてくれなければ前に進むことなんてできはしない。そう思っていると、やがて青年の方が口を開いた。
「俺、騎士の任用試験通ったよ。だから、アイシャに婚約を申込みに来たんだ。昔言ってたよね、騎士様のお嫁さんになりたいって。お父様みたいに強い人が良いって。口癖みたいだったでしょう」
「あれは……子供の戯言でしょう、何言ってるの!それに、ウォーレンなんてきっとすぐに怪我してしまうわ。怪我する前に止めなさい」
「でも、こうでもしないと君は本気だと受け取ってくれないだろう」
「だからってなんて無茶したの!ひ弱だったくせに!私の為なんかに……!」
コーデリアは二人の諍いを聞きつつ、非常に居た堪れない気分になった。なんだろう、この応酬は……痴話喧嘩だろうか?そしてこの二人、この場に子供がいることを忘れていないだろうか。先程は修羅場かと思ったが、二人の顔を見る限りそうではなさそうである。二人とも顔が真っ赤なのは天気のせいだけではないはずだ。
一体何をもめているのか。そしてこれは仲裁をすべきか。それとも石像であることを貫くべきか――そうコーデリアは一人迷っていると急に腕をぐっと引っ張られた。アイシャが立ち上がったのだと気づいたのは、自身も立ち上がった後からだ。
「どうせ、私もう王都に戻れないんだから――!!」
そう言うや否や、アイシャは両手で顔を覆って走り去ってしまった。
同時に離された手のお蔭で、コーデリアは完全に固まり、それを追いかけることができなかった。
それよりも、彼女が走り去る際に残したセリフの方が気になってしまう。
「……王都に、戻れない?」
ただ、その単語を拾い、疑問を浮かべる。王都に戻れない。これは普通の人間ならあり得ない。犯罪者でもないアイシャがなぜ戻れないというのか、意味がよくわからなかった。別れがたい友人もいたと言っていたが――そもそも、アイシャは二年前になってなぜこの土地にやってきたのか。……それよりも
「……あの、ウォーレン様?大丈夫ですか?」
「あ、アイシャに……逃げられた……」
大粒の涙を浮かべる大男に、自身が良く知る騎士……兄達とはずいぶん違うんだなと思ってしまった。どうすればいいんだろうか。子供に慰められれば余計に傷つくような気もしなくはない。
仕方がなくコーデリアは彼が復活するまでその場で静かに見守ることにした。幸いなことにウォーレンは思いのほか早く復活した。
「すまない、取り乱した。俺はウォーレン・マクレガー。マクレガー子爵家の嫡男で年は16……見ての通り、アイシャに婚約を申込み逃げられた男さ」
最後の方は完全に自虐になってしまっていたが、コーデリアはここは大人の対応をと思い「コーデリア・エナ・パメラディアです」と自身も名乗った。同時にウォーレンはベンチから滑り落ちた。
「あ、ぱ、え?ぱめ?」
「パメラディアです」
「いや、えええええ!そういえばその髪と目!!失礼しました!」
「いえ、お気になさらず……私は子供ですし、むしろ大声は目立つので普通になさってください」
どうぞ、と、ベンチを勧めるとウォーレンは少し体を小さくしながらそこに収まる。なにやら今更恥ずかしがっているようだが、全て見ていたコーデリアからすれば今更なのである。
「……先ほどの事ですが、アイシャお姉さま、王都で何かあったのですか?」
「……わからないんだ。三年前の春から少し元気がなくなったと思ったんだけど、二年前に急に王都を去って……」
そう言いながら、ウォーレンは目に涙を浮かべ始めている。
「俺ずっと彼女のこと好きだったのに、急にそっけなく感じて……疑われるようなことしたかなって考えて……でも女の子と出かけたのはアイシャへのプレゼントを選んだ時だけだし、別の子と二人きりで話をした事も有ったけど、それはその子が恋愛で悩んでるから相談に乗ってただけで俺は全然見向きもされてなかったっていうか……」
「…つまり自覚有る範囲で誤解されるような行動はなさってたということね」
「違う……くないかもしれないから俺すごい頑張って騎士になったのに」
どんよりと重い空気を漂わせ、ウォーレンは完全に撃沈していた。けれどコーデリアはその話を聞きつつも、どうも『何か違う』と思っていた。王都に戻れない。そのセリフと、ウォーレンがほかの女性と買い物等をしているというのが気にくわないというのは話が違うように思えたのだ。それに。
「……私から見れば、アイシャお姉さまは貴方のことを悪いように見ていないように見えましたけど」
一番は、真っ赤にして顔を突き合わせる両者は憎からず思っているように思える。流石にそこまでは言わなかったが、コーデリアの言葉だけでもウォーレンは「え?」と、ぱっと顔を上げた。コーデリアは少しだけ後悔した。あまり深入りしたいわけではないが、これはこのまま放っておけない。何より騎士候補生にうじうじされていては帰るに帰れない。それにウォーレンはともかくアイシャの様子も気掛かりだ。
「それとなく、お姉さまに私から尋ねておきますわ。ウォーレン様はこの街にはいつまで滞在されるご予定で?」
「えっと、明後日の朝一番までの予定で……」
「滞在先を教えてください。お姉さまの御様子、お伝えしますから」
コーデリアの言葉にウォーレンは涙ぐんでいた。そんな彼にコーデリアは「たぶん大丈夫だと思うけど、万が一ダメだったらどうしよう」と心の中で若干焦っていた。もちろん、顔には出さなかったけれど。
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屋敷まではウォーレンが送ってくれた。
街は安全だと言われているとはいえ、やはり貴族の子供が独り歩きをするのはよろしくないらしい。ひとまず涙を収めたウォーレンは騎士見習いらしく、しっかりきりっとした顔つきでコーデリアを家まで送った。
自室に戻ったコーデリアは、さてどうしたものかと着替えながら考える。
そして着替えを終え、ベッドに腰掛けた時、控えめに部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ、アイシャお姉さまですよね」
雰囲気で伝わった通り、開いたドアの向こうにはアイシャが立っていた。
彼女の目の周りはまだ赤く腫れぼったい。泣いていたのだろう。
「取り乱してしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「大丈夫です。ウォーレン様が送ってくださいましたから」
自分のことでいっぱいいっぱいだろうに、彼女はその言葉にますます申し訳ないように感じたらしい。
コーデリアは立ち上がるとソファーに移動し、「どうぞ」とアイシャにも座ることを勧めた。アイシャはおずおずと、しかし変える様子は見せずにそこに座った。
「……」
「……」
着席を促したはいいものの、コーデリアもどこから話をすればいいのか少し迷う。だが、こうしていても話は進まない。コーデリアは意を決して本題に切り込んだ。
「お姉さま、王都がお嫌いになられたのですか?」
そして告げてから、切り込みすぎたかと少し口元をひきつらせてしまう。もう少し遠回しな言い方があったのではないか……しかし訂正の言葉もみつからない。どう続けようか、そう頭をよぎった時、一瞬固まっていたアイシャが弾かれたように両手と首を横に振った。
「いいえ、そんな滅相もない……!ここは良い土地です、ですが王都も活気あふれる良い街で、どちらも私は大好きです!!」
「で、では、なぜ……王都に居られない、と?」
お世辞ではなさそうだとコーデリアが思っていると、アイシャは目に涙をためた。コーデリアはぎょっとして、どうしたのですか、と、尋ねようとし……
「鼻水が、止まらなくなるのです」
そんな言葉がアイシャから発せられたのを聞いてしまった。
「……はい?」
「三年ほど前からでしたでしょうか、それまで何事もなく過ごしていましたのに、急に春先になると鼻水が止まらず……目もかゆくなり涙が出て真っ赤になり……それが夏まで続いてしまうのです」
アイシャの目に溜まっていた涙はぽろぽろと零れ落ちる。
「鼻水だらけの顔の令嬢なんて、どこにもいません。ウォーレンも、鼻水まみれの私なんてきっと……っ、みっともないにも程があることは自分が一番分かっています、だからウォーレンのいる王都には、もういられないんです……!涙も止まらなくなるし、兎みたいに目も赤くなるし……!」
まるでこの世の終わりのように言うアイシャに、コーデリアは呆気にとられ、そしてぽつりと言葉を一言だけ発した。
「………花粉症ですよね、それ」
その言葉はやけに部屋に響いた。
「……」
「……」
「え?」
よく状況を飲み込めていないらしいアイシャに、コーデリアは思い当たる節がないか聞いてみることにした。王都で花粉症にかかるなら、特定の敷地内等狭い範囲だろう。いかんせん、木の周りと同じ魔力がなければ花粉も活性化しない――つまり、花粉症としての働きを持たないので花粉症にはなり得ない。
「参考までに、特定の地域でかかったりしませんか?」
「……それは……自宅と、ウォーレンの……屋敷に行ったときに……他では、特に症状が出たことは無かったわ」
「そこには、立派な木が……樹齢30年を超える木が植わっているのではありませんか?」
「ありました。ちょうど、それくらいの木だったと」
「恐らく間違いありませんね」
コーデリアのつぶやきに、アイシャは瞬きを繰り返す。
「花粉症……書物で読んだことがあるわ。花粉を吸いこみすぎて、アレルギー反応を起こすという症状ですよね」
「ええ」
「じゃあ……どっちにしても無理よ……!!彼は長男。あの家に住み続けるわ。私のためにあの立派な木を切って何ていえない……!」
わっと再び泣き出しそうなアイシャに、コーデリアは遮るような一言を挟んだ。
「お姉さま、解決方法はあります。……とはいっても、まだ実験段階で、春までに確約はできないんですけども……」
「何?!どんな方法があるの?!」
ああ、やっぱりお姉さまはウォーレン様が好きなんだ。
そうコーデリアは改めて思うと頬が熱くなる気がしたが、それを咳払いで誤魔化し「内緒にしていただけます?」とアイシャに一言尋ねた。
「する」
「私、薬草を専門に、研究をしているのです。極端にいうと植物のエネルギーを凝縮し、それを利用して人体に良い影響を与える研究です。ここまでは、私も家では隠しておりません」
「……ずいぶん、難しいことをなさっているのね」
「ここから先が、秘密のお話です。まだ実験前の段階ですが、これは花粉症対策にも応用が利きます。花粉症を和らげる方法としては、ハーブティー……薬草のお茶や、鼻のトラブルを予防する軟膏剤が考えられます。芳香を焚いて、室内の空気を清浄する方法もあります」
コーデリアは近くにあった紙を引き寄せると、その方法を箇条書きにしていく。
「……ただし、お姉さまがエルダーフラワーの味を好まれないということや、ペパーミントの香りが苦手だとおっしゃると厳しいかもしれませんが……」
手持ちのハーブではペパーミントが一番有効だ。エルダーフラワーのハーブティーに2:1で混ぜても使える。ユーカリがあれば入浴剤としても魅力的だが、まだ発見に至っていない。しかしその言葉でもアイシャは力強く返事をした。
「大丈夫、絶対好きになるわ。私を助ける香りだもの」
そう、言い切った。あまりの勢いに少しだけコーデリアは飲まれそうになった。必死なその姿を素敵だと思った。
だがここで「わかりました」と返事をするわけにもいかなかった。
「では、お姉さま。一つ、お願い……交換条件がございます」
「どんなことかしら」
「いまからウォーレン様は騎士の見習いとして寮に入られます。お休みも、少ないと思います。……その間、まだ、この領内にとどまっていただきたいのです。そして、カイナ村で文字と計算を教えていただきたいの。もちろん、ウォーレン様が長期休暇などで戻られるときは先生をお休みしていただいて結構ですし、金銭はもちろんお支払いいたします」
コーデリアの言葉に、アイシャは目を丸くした。
「え……あの、それは」
「あの村で、文字と計算の先生を、私は今探しているのです」
「よ、喜んで!!むしろ本当に受け入れてくれたの!?」
「交渉したのは父上ですが、前向きな返答をもらったと聞いております。信頼できる先生ならまず決裂しないかと」
コーデリアの返事に、アイシャは顔をほころばせた。
「そういう事でしたら喜んでお引き受けいたしますわ!」
「……お姉さま、花粉症対策より喜ばれていませんか」
「だって、皆、全然……っ、興味もってくれてなかったのに……」
それは本当にうれしそうで、コーデリアはお願いしてよかったのか迷うほどだった。
(だって、ウォーレン様が寂しくなりそうなほど熱心に先生してくれそうな勢いだし……)
いや、きっと違う。両方が嬉しくてこういう表情をされている。そうコーデリアは思い直し、アイシャに言わなければならないことを口にした。
「お姉さま、ウォーレン様は二番街の酒場の二階で宿をとってらっしゃるらしいです。明日の朝にでも、立ち寄られてはいかがですか」
「コーデリア様……ありがとうございます」
「いえ、私は」
「今から行ってきます!」
勢いよく飛び出そうとするアイシャに、コーデリアは驚いた。
「え、あの、お姉さま!もう外は暗いですよ!」
「でも、一秒でも早くいろいろウォーレンに報告したくて!それから、謝らないと!!それに、帰りはウォーレンに送ってもらいますから平気です!」
そういうや否や「行ってまいります!」と消えた彼女は驚くほど積極的だった。コーデリアが「行きも危ないのですが……」なんて口をはさむ暇は全くなかった。
(でも……あのウォーレン様なら、きっと鼻水とまらないお姉さまでも愛してくださると思うんだけど……女性としては、やっぱり嫌だよね)
そう思いながら、これからっひょっとすると彼女のような需要があるかもしれないとコーデリアは頭の中で計算する。まさかエルダーフラワーが役に立つとは思わなかったけれど。
「けど、幼馴染同士の恋愛かぁ……いいなあ、なんだか物語みたい」
幼馴染と言うならきっとヴェルノーがそうだが、彼は無い。彼もコーデリアのことは無いと思っているだろう。事実男だと言われている始末なのだから。
そのほかに知る、同年代の男性と言えばジルくらいで――
「わーっ、何考えてるの私!そう、私まだまだ!将来!!美人になって夜会でとても素敵な男性を見つけるんだから!」
そう、ベッドに転がりながらコーデリアは小さな小さな決意をした。
将来婚活、絶対頑張る。その前にアイシャの花粉症対策薬を絶対完成させる、と――。
「……そういえば、こちらの使用人の方々へのお土産渡すの忘れてました」
カバンに眠るカレンデュラのクリーム剤を思い出しながら、コーデリアは心を落ち着けるべく、深呼吸をしていた。それはアイシャがウォーレンに送られて帰ってくるまで続けていた……。




