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第十二幕 領地にて(中)

 夜のことである。

 コーデリアは父親の休憩の合間を見、執務室へ訪れた。


 すっかり忘れていたのだが、完成させていた父へのプレゼント……つまりはシップを馬車の中で渡し忘れたのだ。もっとも、馬車の中では熱い湯が用意できなかったので渡すことは難しかったのだが。


「お父様、コーデリアです」


 コーデリアがそういうと、ドアが内側から空いた。ジークだった。

 ジークはまるで執事のようにスッとコーデリアが通りやすいように道を開け、そしてその場に控えた。コーデリアは目配せで礼を言い、父の前に立った。


「お父様、長らくお待たせいたしました。一度試して頂きたい疲労回復法がございますの」

「……ほう、お前が研究しているという薬草か」


 そう言いながら、エルヴィスは優美で大きな椅子からゆっくりと立ち上がった。そしてデスクの前にあるソファーに腰かけ、コーデリアにもそこに促す。コーデリアは静かにその導きに従った。


「お父様、すこしソファーに背を添わせてください。そして目をつむり、上を向いて楽にしてくださいませんか」


 エルヴィスは何も言わなかった。ただコーデリアに言われた通り目をつむり背をソファーに預けた。コーデリアは持ってきた湯桶に一滴のラベンダーの精油を落とした。ふわっとした香りが辺りに漂う。コーデリアはタオルをそこに浸し、軽く絞った。少し熱いくらいに暖かいお湯が心地よい。

 コーデリアはそれをエルヴィスの閉じた目の上に置いた。


「………」


 静かにその処遇を受けたエルヴィスは、ややあって静かに寝息を立てた。


「父上はだいぶお疲れだったご様子ね」

「ええ。ひと段落されてほっとしているのでしょう」


 力を強めたラベンダーの精油は、リラックス効果を高めている。疲れが一気に噴き出したのだろう。


「昼間にも申し上げましたが、私はあくまで代行。それも団長の言葉をその通り遂行しているにすぎません。ですから、団長はいつもお疲れなのです」

「お父様はどうしてそこまで働けるの?」

「信念でしょう。若い頃には苦労されたと聞いて居ます。力がないから、と。理想があっても力が無ければ成し得ないというのが口癖でしたから」


 ああ、だからお父様は権力を欲していたのか、と。


「まぁ、ここ最近は十分な権力をお持ちですから、それほど追い求める必要のないモノだと思われているようですが。かわりに理想を実現する時間が足りずに疲労困憊なさっているご様子です」


 ジークは「昔から不器用なお方ですから」と苦笑する。


 本当は相談しようと思っていた事柄があったのだが、流石にこの眠る父親を起こそうという気にはならない。コーデリアはジークに一礼すると部屋を後にした。


(さて、私は借り物の威光で、出来ることをやりましょう)


 机に向かい、そして今考えている計画を綴ってゆく。

 まずは父に投資を願わねば――そう思いながら、一つの計画を練ってゆく。


「将来的に稼げるビジョンは見えてるのよね。けれど……今すぐお金にすることはできない」


 投資を得るには計画を示さねばならない。

 父を納得させる計画……それは相当な勝率を持ってなければ難しいだろう。


「可能性があるとしたら、教育を無料で行うだけじゃ事足りない。雇って、習ってもらうということが必要だわ。けれど麦に自信を持っている彼らが他の仕事を引き受けるという事も難しい」


 コーデリアは頭を悩ませていた。コツコツコツと時計の音が響く中、コン、コンと扉をたたく音が響いた。どうぞ、とコーデリアが言うと、そこにはアイシャが立っていた。


「明かりが見えたので。もう遅い時間ですよ、コーデリア様」

「あら、そんなに遅い時間かしら」

「そうですよわよ。――だから、持ってきてしまいました、お夜食」


 そう言いながら楽しそうにアイシャは後ろ手に隠していたパンをコーデリアの目の前に差し出した。ここは早く寝なさいという所ではないのか――そう思ったが、コーデリアには何も突っ込めなかった。無理だ。あまりにもいい匂いのパンがそこにある。


「普通の白パンだけど、これが美味しいの」


 いま軽く焼いたから温かいの、と、差し出されたパンはほくほくしていて美味しい。


「希少な小麦だから滅多にここでも食べられないし、読み聞かせの子供たちから分けてもらっただけなんだけどね」


 そうアイシャは笑う。

 しばらくパンを観察していたコーデリアは、やがてひとかけらをゆっくりと口に運んだ。


「おいしい……」

「そうでしょう?」

「けど、少し王都のパンと違う」

「え?」

「ふわふわしてて美味しいのだけれど、何かが違う。ふわふわしている……だけ、のような。パサつきが、少し強い……昼間のパンとも違う」


 コーデリアには上手く表現ができなかった。確かにこのパンはおいしい。味だけで言えばこちらの方が美味しい気がする。けれどパサつきが風味を感じることを妨げている気がしてしまう。もちろん好みの問題かもしれないが……。


「でも……そうか、この小麦で、王都の職人がパンの研究をすれば――」


 コーデリアはひらめいた気がした。


「アイシャお姉さま!!ありがとうございます、私、見えた気がします」

「え?え、ええ、よかった……わ?」


 戸惑うアイシャに、コーデリアは明日、父に掛け合おうと心に決めた。



 ++



 翌朝のことである。

 本日は奇しくもカイナ村の河川工事の視察に出かけるという父に、コーデリアは同行を願い出た。いつ切り出そうかとコーデリアはそわそわとしていたが、やがて意を決して申し出た。


「お父様、ひとつ、私に賭けていただきたい事柄がございます」

「なんだ」

「カイナの村の皆に、文字と計算を覚えていただきたいと思います。そのための投資を、私にしてください」


 真っ直ぐに父親を見、そしてコーデリアは言い切った。

 父親の目は鋭い。そして交渉の場ではいつもより厳しくなるのを、コーデリアは今までにも見たことがある。だからこそ引かない心でコーデリアはまっすぐ前を向く。


「まず一つ目。返す当てはあるのか」

「私は将来薬草で対価を得るつもりでございます。その過程で金銭だけではなく、情報も得るかと思います。この力、必ずやお父様のお力となると」

「薬草、か。ロニーから報告が上がってきている。順調に商売の軌道に乗るようにいろいろ考えているようだな」


 何となく気づいてはいたが、ロニーはエルヴィスに報告を上げていたらしい。

 エルヴィスは「具体的な方法は」と、続きを促した。


「毎日ではございません。数日に一度、農家の各々の家の子を一人ずつ雇うという形で学校を開こうと思います」

「雇う、か。それを農業を生業としている彼らが納得すると思うか?」

「雇うことに対する対価は、王都の最高の職人が焼くパンとしてはいかがでしょうか」

「……パン?」


 そう、昨日パンを食べながら気づいたことである。


「最高の小麦で作る、王都の最高の職人のパン。それを家族分提供します。それなら、彼らにも受け入れられるものではないでしょうか。カイナ村では各家でパンを焼くと聞きます。パンを焼く手間をと、子を短い時間勉学に行かせる手間――それなら、さほど大きな差も生まれないと思うのです」


 加えてパンを食べた感想を求め、最高のパン作りに協力しているのだと納得させられれば――そのことを目的とすれば、彼らも協力してくれるのではないのかとコーデリアは考えた。


「コーデリアはなぜ彼らに文字や計算を覚えさせたい?」

「文字については……まず、契約書や本を読むためです。契約書は小麦の契約に必要でしょう。本については新たな農法を他からも取り入れる為です。実際に取り入れる必要はありませんが、知識というのは大事です。もしかしたら欲しい知識を見つけられるかもしれない」

「……計算については、誤魔化されている小麦の価格を、正規の価格に正すため、か」

「はい」


 一度軽く目を伏せたエルヴィスはまっすぐにコーデリアを見返した。


「交渉次第ではまとまる内容だ。だが、一つ問題がある」

「何でございましょう」

「お前が子供だという点だ」


 その言葉にコーデリアは息を飲んだ。


「発想は悪くない。だが交渉のテーブルにつくには年齢が足りない」


 それは薄々気が付いていたことだ。

 交渉のテーブルにつくには、その年齢が全く足りない。あまりにも遊びに見えてしまうのだ。どんなに真剣に話したとしても、相手の警戒を解くにはあまりにも時間がかかるだろう。


「逆に提案しよう。それを私が村長と交渉すれば、早いうちに実現することだ。だが、お前の功績でなくなるだろう」


 コーデリアとエルヴィスの視線が交わる。そしてその提案は、コーデリアには迷うところなど一切無いものだった。


「私は、自分の功績を欲してはいません」

「そうか。だが、私も子の功績を欲していない」


 一言エルヴィスはそういうとコーデリアに向かって静かに言い放った。


「易々と功績を捨てようとするな。が、私はお前に投資しよう。ただし、お前が私の融資を完済した時に村人に真実を話す。それでどうだ」

「え、あの、私は……何も」

「では、決まりだ。……時期は、収穫が終わった頃が良いだろう。それまでに教師になる人材を見つけておくように。パン職人はどうする気だ」

「……それは……」


 あまりに急に言われた事にコーデリアは頭の処理を追いつかせるので精いっぱいだ。

 それにまだ提案の段階で、受け入れられてから考えようと思っていたことである。


「……王都の邸宅の厨房に、パン職人を目指している見習いがいる」

「え?」

「多少の賞なら、受賞している。将来の王都の最高の職人になるだろう」


 ついたぞ、と、エルヴィスはコーデリアに言った。

 そして先に馬車を降りた。コーデリアは慌ててそれについて行った。


「お父様、それは……詐欺というのでは」

「嘘は言っていないだろう。将来、王都一の職人になると本人も言っていたからな」


 そう、全く動じた様子なく言うエルヴィスにコーデリアは肩をすくめた。


(……お父様、昔に比べて丸くなってる気がするわ)


 それが気のせいなのかどうかはわからない。

 だが、一つの提案を受け入れられたことがコーデリアにはとてもうれしく、そして更なる目標――教師探しを始めなければ、と、気合を入れた。それは灌漑設備の設計について話をする父親が、図面のみで文字なく説明をしていることを見、より強く感じるようになった。








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