見えないものを、見ようとして
※何度も同じような描写があって、読みにくく感じた方がいたらごめんなさい。
自分の心の中を少しずつ言葉にするうちに、重なってしまった部分もあります。
それでも最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
私の人生は、平穏とは無縁だった。
幼い頃から繰り返される虐待。
身体的にも、精神的にも、時には言葉では言い表せないほどの苦しみが私を襲った。
大人になっても、「私は愛される価値なんてない」と思い込んでいた。
誰かに頼ることもできず、感情を出すのも怖くて。
何かを抱えていると気づきながらも、ずっと見ないふりをして生きてきた。
それでも――35歳のとき、ようやく私は心療内科の扉を開けた。
診断は「複雑性PTSD」。そして軽度の発達障害。
自立支援の制度に助けられながら、少しずつ、自分の過去と向き合うことになった。
そんな私にとって、夫との出会いは思いがけないものだった。
14歳年上の彼は、右目が見えない。
それを知ったのは、付き合ってしばらく経った頃。
「子どもの頃に高熱を出して、その影響かも」と彼は言った。
2、3歳の頃にはもう見えていなかったらしい。
けれど当時は周囲も気づかず、両親でさえ0歳の彼の異変を見逃していた。
彼自身がそれをはっきりと自覚したのは、小学生になってからだという。
遠近感が掴めず、ボール遊びでは不器用に見えたこともあったけれど、
彼は「それが当たり前だと思ってた」と笑っていた。
両親はきっと、いじめられないかと不安だっただろう。
だけど彼は、当時から変わらず穏やかに、どこか達観したように生きていた。
左目に「緑内障の疑いがあるかもしれない」と医師に言われたのは、彼が33歳のとき。
流行していたレーシック手術を検討して、検査を受けたときに偶然発覚した。
その時はまだ、左目が無事だった。けれど――「もし左も見えなくなったら」と、私は怖くなった。
彼は言った。「見えなくなっても、俺は俺だから」。
その言葉がどれだけ強くて、優しいものだったか、今でも忘れられない。
そんな彼と出会えたことは、傷だらけだった私の人生の中で、
一つだけ、神様がくれたプレゼントだったのかもしれない。




