【番外編】〜未来の私からあの頃の私へ〜
今回は、25歳だった当時の私に向けて、今の私が贈る手紙を描きました。
過去の自分を励ます気持ちを、そのまま読者の皆さまにも届けたいと思います。
25歳だった頃、息子は4歳、娘は2歳だった。
毎朝の幼稚園の送り迎え、洗濯、掃除、食事の支度――日々のルーティンは、まるで休む暇のないマラソンのようだった。
それでも、子どもたちの笑顔を見れば疲れが少しだけ消える。そんな小さな希望を頼りに、私はなんとか毎日をやり過ごしていた。
手先は不器用で、流行りのキャラ弁なんて作れなかった。
料理や家事を本格的に始めたのは、20歳になって結婚してからのこと。
それまでは、母がやらせてくれなかった。不器用な私に、やり方も教えてくれなかった。
だから、結婚してすぐに子どもができた時、私は何の知識もないままに母親になってしまったのだ。
息子の幼稚園の担任の先生は、私と同い年だった。
明るく、しっかりした印象の彼女と比べると、私はいつも自信を失っていた。
その視線には、私への軽蔑めいたものが隠れていた気がする――勘違いかもしれないけれど、当時の私にはその一瞬も耐えがたく重くのしかかった。
お弁当作りひとつとっても、上手にできた日は数えるほど。
「また市販のおかず? 手抜きすぎじゃない?」
心の中で自分を責めながら、焦る気持ちでキッチンに立ち続ける。
子どもたちは何も言わず笑顔で食べてくれるけれど、その笑顔すらも私には時々、申し訳なさの象徴のように思えた。
家事を終え、子どもを寝かしつける頃には、私の体と心は限界に近かった。
泣きたい気持ちを必死で押さえ、誰にも言えない孤独と戦った日々。
「私はまだ母親として未熟すぎる…」
毎晩、自分を責めながら眠りについた。
外の世界では、同じ歳のママ友たちが楽しそうに話している。
「今度みんなでランチ行こうよ」
笑顔の裏にある自信と余裕。
その姿を見るたび、私は自分の未熟さを突きつけられるようで、胸が締めつけられた。
幼稚園の行事もまた、私にとっては試練の連続だった。
運動会では、みんな上手にお弁当を作り、衣装を用意し、子どもたちの練習を楽しそうに見守る。
私は手際が悪く、準備に時間がかかり、周囲に迷惑をかけてしまうこともあった。
「どうして私だけこんなにうまくできないんだろう…」
涙をこらえながら、心の中で自分を叱った。
それでも、子どもたちは私のそばにいて、笑顔を向けてくれる。
泣きそうになる心を押さえながら、私はその笑顔に救われた。
「大丈夫、ママ。楽しいよ」
小さな声が、何よりの励ましだった。
あの頃の私は、自分の気持ちを誰にも話せなかった。
弱さを見せることは恥ずかしく、許されないことのように思えていた。
友達に相談することもできず、孤独の中で毎日を耐えた。
でもね、10年後の私は知っている。
あの頃の私が、どれだけ必死に、そして真剣に子どもたちを愛していたかを。
泣きたい時に泣き、休みたい時に休んでいい。
完璧でなくても、あなたは十分に母親として頑張っていたことを。
そして、過去の私に伝えたい。
「大丈夫だよ。
泣いてもいいんだよ。
自分を責めなくていいんだよ。
ちゃんと育ててる。
子どもたちは、あなたを愛してる。」
過去の自分に寄り添い、抱きしめるように言葉をかける。
「ママも辛かったね。
でも、あなたは一人じゃなかった。
いつもそばにいて、支えてくれる未来の私がいる。家族がいる。
だから泣かなくていい。
あなたは、大丈夫。」
そして最後に、そっと伝える。
大好きだよ、25歳の私へ。
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過去の自分を思い出すと、あの頃の不安や焦りがよみがえります。
でも、振り返れば、ちゃんと前に進んできた自分がいてくれました。
この手紙を読む方も、過去の自分を抱きしめ、少しでも心が軽くなれば嬉しいです。




