『35歳、ようやく私は「私」を見つけた。――虐待の記憶と向き合いながら、生きる道を選んだ私の話』
幼い頃、私は「愛される」ことを知らずに育ちました。
暴力、怒鳴り声、そして冷たい無視。
それが“普通”だった私は、大人になってもずっと「生きづらさ」を抱え続けてきました。
子どもが発達障害と診断されたことをきっかけに、私は自分自身と向き合う旅に出ることになります。
35歳という年齢で、ようやく見つけた“自分”という存在――
この作品は、その気づきと回復の過程を綴った、私自身の物語です。
私は発達障害のほかに、幼い頃に受けた“虐待”による深い傷を抱えていました。
叩かれることも、怒鳴られることも、冷たい無視も――それが“当たり前”になっていたあの頃。
愛されているという実感のないまま、「いい子でいなきゃ」「怒らせないようにしなきゃ」と、ずっと気を張り詰めて生きていました。
そんな過去が積み重なり、私の心には長い年月をかけて“トラウマ”という名の影が根を張っていったのだと思います。
医師との面談の中で、私は「複雑性PTSD」という診断名を受けました。
その言葉に、私は驚きと共に、不思議なほどの納得を覚えました。
――やっぱり、私はただ「弱い人間」だったわけじゃなかった。
そう思えた瞬間、張りつめていた糸がぷつんと切れ、涙があふれて止まりませんでした。
その後、医師と相談しながら診断書をもらい、自立支援制度を活用しての通院と、微量の薬による治療が始まりました。
薬を飲むという選択に、最初はやはり不安がありました。
けれど、ほんの少しの“助け”を借りたことで、私の世界はゆっくりと変わっていったのです。
頭の中にずっとかかっていた霞が晴れ、気持ちも、言葉も、人との距離も、すっと馴染むようになっていきました。
以前は、人の言葉がうまく理解できなかったり、すぐに傷ついてひとりで泣いていた私が、少しずつ人と関わるのが怖くなくなっていったのです。
夫に「愛してる」と言われても信じられなかったのは、過去の私が、「誰にも愛されない」と思い込んでいたから。
でも、今は少しずつ、心の奥にまでその言葉が届くようになりました。
育児も、家事も、仕事も、かつては“耐えてやり過ごす”ものだった。
けれど今では、“楽しめるもの”に変わったのです。
私は――35歳で、ようやく自分自身のことを、ちゃんと知ることができました。
そして、ずっと押し込めていた自分の気持ちにも、「もう出てきていいよ」と言えるようになったのです。
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ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
この物語は、私自身の体験をもとに綴った、半分現実で半分心の整理のような“回復の記録”です。
幼い頃に受けた虐待、そしてそこから派生した発達障害や複雑性PTSD。
それでも「人は変われる」ということを、私は身をもって知りました。
薬や診断を恥ずかしく思う必要なんて、ない。
「生きやすさ」を手にするために、一歩を踏み出してもいい。
この物語が、もし誰かの心にそっと寄り添えたなら、これ以上の幸せはありません。
感想や共感の言葉など、いただけたら嬉しいです。
最後まで読んでくださり、心から感謝します。
次回最終回です!




