救いのひとしずく、そして私自身の気づき
薬に頼ることは、逃げではない。
これは、子どもたちの可能性を信じて、ほんの少し手を借りた結果でした。
今回は、発達障害の診断を受けたあと、薬の投与という選択に踏み切った私たち家族の変化、
そして、そこから浮かび上がってきた“私自身の問題”について書いています。
それからの私は、兄と妹を交えながら、先生と何度も話し合いました。
どうすれば、あの子たちが少しでも楽に、前を向いて生きていけるのか。
そんな思いでたどり着いたのが、「微量の薬を使った治療」でした。
最初は、正直怖かった。
子どもに薬を飲ませることへの不安――副作用や依存のことを考えると、胸がざわついて眠れない夜もありました。
それでも、私たちは前へ進みたかった。
そして、ほんの少しの勇気を出して、治療を始めてみたのです。
――すると。
兄も妹も、目に見えて変わっていきました。
今まで何度も読み飛ばしていた文章が、きちんと読めるようになった。
集中力が増し、漢字も少しずつ覚えられるようになった。
そして何より、ふたりの表情が変わったのです。
自分でも「できるんだ」と実感したのでしょう。笑顔が増え、自信を持って物事に取り組むようになりました。
私は思いました。
――この選択は、正解だった。
もちろん、薬には慎重になるべきです。
「子どもに薬なんて」と、批判される方もいらっしゃるかもしれません。
けれど私たちにとっては、これが“救い”でした。
薬は“治すもの”ではなく、“生きやすくなるための手助け”なのだと、今なら胸を張って言えます。
そして、通院を続けていく中で、思いがけない出来事がありました。
子どもたちの発達特性について深く理解していくうちに、ある疑問が私の中に芽生えたのです。
――もしかして、私にも……?
物心ついたときから感じていた“生きづらさ”。
うまく言葉にできなかった焦り、失敗への過敏な反応、人との距離感の掴み方――
すべての答えが、少しずつ繋がっていきました。
やがて、医師との面談を経て、私は正式に診断を受けました。
「あなたにも、発達障害の特性があります」
その瞬間、胸の中で、ずっと霧がかかっていた場所に、ふと陽が差したような感覚がありました。
理由があったんだ。
私は、ただ「ダメな人間」だったわけじゃなかったんだ。
そう思えた時、涙が止まりませんでした。
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ご覧いただき、ありがとうございます。
「薬」という言葉に、当初は私も怖さを感じていました。
けれど、子どもたちが生きやすくなるのなら、できることはなんでもしたい。
そう思って出した選択が、結果として笑顔へとつながりました。
そして、彼らを理解しようと必死になった過程で、気づいた“私自身”のこと。
長年感じていた息苦しさの正体が、ようやく言葉になった時、心が少しだけ軽くなりました。
次回は、診断後の私がどう変わっていったのか――その道のりを綴っていきたいと思います。




