「ただ謝るだけでは守れないものがある」2
誤解と偏見の中、母としてどう振る舞えばよかったのか。
これは、息子とともに私が過ごしたある出来事の記録です。
「謝る」だけでは解決しない現実と、それでも諦めずに歩み続けた日々。
いつか誰かの心を軽くできたら嬉しいです。
一度、今回の経緯を説明したが、相手方の両親は「長男が嘘をついている可能性もある」と言い出した。
「子どもの言うことを鵜呑みにするな」と、私たちの話を真っ向から否定されたのだ。
確かに、女の子は縫うほどの怪我を負い、泣きながら言葉も出せない状態だった。
それは事実として受け止めなければならないと思った。
だが、それ以来、園内では真実を知らない人たちの間で、噂や誹謗中傷が広まった。
お迎えのたび、私は女の子の母親に何度も頭を下げた。
でも彼女は、娘を抱きかかえるようにして、私から目をそらし、逃げるように帰っていった。
仲良くしていたママ友からは「今は距離を置いたほうがいい」とアドバイスをもらっていた。
でも、私の心はもう限界で、どうしても“謝ること”をやめられなかった。
ある日、また母親に声をかけようとして、すれ違いざまに思わず叫んでしまった。
「毎回すみません!……でも、私、これ以上どうしたらいいか、もうわからなくて!」
母親は戸惑った表情を浮かべた。
当然だと思う。あのときの私は、自分の気持ちばかりで、相手の気持ちを想像できていなかった。
その後、関係が改善することもなく、長男は卒園を迎えた。
女の子とは学区が違ったため、小学校は別々になった。
噂も過去のこととなり、私たちは1からの再スタートを切った。
そして――環境が変わると、長男も変わった。
小学生になってから、トラブルが嘘のようになくなったのだ。
周囲には、彼と似たタイプの子もいて、彼の“特性”が「個性」として受け入れられていた。
先生たちも、きちんと向き合ってくれた。
長男は、クラスの人気者になった。
明るくヤンチャで、友達もたくさんできた。
放課後は友達の家に遊びに行き、笑顔で帰ってくる毎日。
私は、そんな彼の成長を心から嬉しく思った。
でも、ときどき思い出してしまう。
あのとき、怪我をさせてしまった女の子とその母親のことを。
どうか、今、あの子たちも穏やかな日々を過ごしていますように――。
そんな願いが、私の中にはずっとあった。
ある日、幼稚園から「同窓会のお知らせ」が届いた。
悩んだ末、私は長男と一緒に参加することにした。
その日、久々に再会した長男と女の子は、まるで何もなかったかのように笑い合い、遊んでいた。
それを見守る女の子の母親の姿もあった。
私は、おそるおそる声をかけた。
「今日は、無事に同窓会が開けて良かったですね。……お元気でしたか?」
母親は少し驚いたような顔をしたあと、ふわりと微笑んで「そうですね」とだけ答えてくれた。
その一言が、私にとって何よりの救いだった。
あぁ、私たちは――やっと許されたのだ。
そう思えた瞬間、胸に長く重くのしかかっていたものが、すーっと溶けていくようだった。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
当時は何が正解だったのか、今でも答えは出ていません。
ただ、あのとき逃げずに向き合ったからこそ、今の息子の笑顔があるのかもしれません。
そして何より、最後に見せてくれた“穏やかな笑顔”が、私を救ってくれました。
読んで感じたこと、共感や反発も含めて、もしあれば感想などいただけると嬉しいです。




