第92話 予定調和
「ほら、夏目。湿布」
ごそごそと取り出した湿布を夏目に手渡す。
「は、はい。大丈夫ですか一成君?」
「千歌も付き合わせてごめんな」
「そんな! 私も心配でしたから……」
保健室で二人のやり取りを無表情のままニヤニヤ(当社比)と眺める。
「な、なんだよ九重。その意味深な目は!」
「別に悪いことじゃないだろ。随分仲良くなったと思ってな」
いつの間にか高橋(兄)と夏目が名前呼びになっている。順当に仲が深まっているらしい。これが青春って奴か。若いもんは初々しくて良いねぇ(九重雪兎16歳)
足を捻挫した高橋(兄)に夏目が寄り添っている。
二人のダイエット企画は大成功していた。
以前はちょいぽちゃだった夏目だが、今ではスタイル抜群の美人だ。こうして地味な恰好で誤魔化してなければ、大勢の目を引いたに違いない。
しかし、ミスコンまでお披露目は先延ばしだ。インパクトを重視する為にも極力目立たせてはならない。
馬に蹴られそうなので、二人を冷やかしたりはしない。こういうとき周囲が無神経に冷やかしたりすることで、衝動的につい「誰がこんな奴!」とか言ってしまい、仲が拗れる可能性があることを俺はラブコメを読んで学んでいた。
「私なんて全然……」
「いや、千歌はめちゃくちゃ可愛くなったぞ」
「一成さん……」
「言っておくが、俺のメンタルは最強だから目の前でどんなにイチャイチャしようが、別に砂糖吐いたりしないぞ? 冷静に生温かく見続けることが可能だ」
「それもそれで恥ずかしいです九重さん」
「まぁ、九重はいつも通りか。それにしてもタイミングが悪かったな……」
主のいない保健室は寂しいものだ。実は現在、養護教諭が不在だった。少し前に退職してしまったからだ。一身上の都合なんだって。
本来なら3月に退職、4月から新たな先生が赴任してくるのが一般的な流れだが、家族に不幸があったらしく、遠方の実家に戻ることになってしまったそうだ。
高校生になってから、あまり保健室を利用しなくなったので養護教諭との接点はなかったが、いつまでも不在というわけにもいかないだろう。早く後任の先生が見つかることを願うばかりだ。
「――ッハ!?」
ゾクゾクするような激しい悪寒を感じて周囲を見回す。
怪訝そうに高橋(兄)が尋ねてくる。
「急にどうしたんだ九重?」
「分からん。だが、今にも新ヒロインが登場しそうな予感が突然襲ってきてな」
「新ヒロイン?」
「気のせいだといいんだが……」
額の冷や汗を拭う。まさか……な。
幾ら俺が必ずロシアンルーレットでアタリを引く最低LUCK値だと言っても、そんなはずは……。
窓の外になにやら小さな虫が見えた。
「――まさかこれは虫の知らせ!?」
「だからなにがだ!?」
クソ! 新ヒロインの登場は避けられないというのか!?
えぇい! こうなったら――!
ベキッ
「九重、何か変な音がしたぞ?」
「あぁ。フラグをへし折っておいた。これで安心なはずだ」
「虚空で!?」
「それって実在するものじゃないと思うんですけど……」
高橋(兄)と夏目が困っているので、ほどほどにしておく。俺の話はいいんだよ別に。
「で、どうしたんだ高橋(兄)。なにか言いたいことがあるんだろ」
そう尋ねると、高橋(兄)が落ち込んだ様子で話し出した。
「あぁ。さっき俺に足を掛けてきたの、サッカー部の先輩なんだ」
「……なるほど」
高橋(兄)の話は思いがけず根が深かった。
体育祭で快進撃を続けるB組に対しての衝動的な犯行かと思ったら、どうやら違うらしい。
サッカー部の高橋(兄)は期待のホープとして一年生ながらレギュラーを獲得した。そのあおりを受けてレギュラーから外されてしまったのが、二年の木村先輩だという。つまり、高橋(兄)と木村先輩には遺恨があったというわけだ。
「少し前まで仲が良かったんだけどな……。最近部活内でもギスギスしててさ」
「そんなの、一成さんは悪くないじゃないですか!」
「そうだけど……俺だって先輩の前ではしゃいだりしてたから」
「ですが!」
嫉妬は醜く根深い感情だ。嫉妬を抱くことがみっともないことだと自覚していても、人はなかなか無縁ではいられない。妬み嫉みはそこら中に溢れている。
「このまま木村先輩がサッカー部からいなくなったら俺……。頼む、九重! なんとかならないか?」
「部外者の俺がなんとかできる問題か?」
「いや、元はと言えば九重から習った身体操作を練習して俺、レギュラー取ったんだけど」
「めちゃくちゃ当事者だったかー」
スマン高橋(兄)。どうしようもないほどの元凶だった。
これは流石に無関係だと強弁することはできない。
「先輩が処分を受けたりするようなことになって欲しくないんだ!」
「……一成さんは恨んでいないのですか?」
怪訝そうに夏目が尋ねる。怪我をした高橋(兄)が加害者を擁護することに納得がいかないのだろう。
「こんな捻挫くらい練習でもするって。それに、いつも九重がやってるみたいに、俺、先輩と元通りの関係に戻りたいんだ」
高橋(兄)がニカッと笑顔を見せる。体育会系だけあって、器のデカいスカッとした性格のようだ。まさしく内面がイケメンって言うんだろうな。夏目は高橋(兄)のこういったところに惹かれたのかもしれない。
はぁー。仕方ない。この1年B組なんか面倒くさいトラブル担当の九重雪兎が、なんとかしてやろうじゃないか。
「いっそサッカー部全員に伝えにいくか……。いや、それだと木村先輩の問題が片付かないか。うーん。高橋(兄)。しばらく考える時間をくれ」
「迷惑かけてスマン! なんでも協力するし、この借りはちゃんと返すぜ!」
と、言っても元は俺が原因だしな。うん、ここは一つお節介でもしてやろう。
「じゃあ、夏目ともっと仲良くすること。NTRから守ってやれよ」
「私、寝取られませんからねっ!」
「甘ったれるな夏目! 急にイケてるチャラそうな大学生とかから声を掛けられて君はちゃんと断れるのか!? 君なんて押しの強い相手にグイグイとお酒を飲まされて気づいたら朝、ラブホで絶望だ」
「偏見が凄すぎませんか!?」
「高橋(兄)、目を離すなよ」
「おう。任せとけ!」
「か、一成さん……」
顔真っ赤な夏目を尻目に、俺はどうしたものかと思案するのだった。
‡‡‡
運動場に戻ると、B組が騎馬戦で優勝していた。エースアタッカー釈迦堂はMVPになっていた。釈迦堂のおでこにエースの証として★シールを↓こんな感じで貼り付けておく。釈迦堂はZ世代。つまりZ戦士である。地球人では最強の証だ。
★★
★★
★★
騒動は一応の鎮静化をみせていた。とりあえず問題を後回しにして、体育祭の進行を優先することにしたらしい。
優れた嗅覚で俺の姿を発見したのか、ポニーテールをブンブン振りながら汐里が駆け寄ってくる。ワシワシと顎の下を撫でておく。
「ユキ、どうだった高橋君?」
「軽い捻挫だな。それと君も少しは自分の行動に疑問を持った方がいいと思うぞ」
「無意識のうちに!?」
自分が信じられないとばかりに硬直している汐里はさておき、灯凪記録係が困った様子で話しかけてきた。
「ねぇ、雪兎。最後のリレーだけど、高橋君が出場予定なの」
「流石に全力疾走は無理だな。悪化するかもしれん」
「だよね。どうしよう?」
リレーの面々は順当に走るのが早いメンバーを選出している。欠員が出れば繰り上げ当選だが、B組の中で1位2位を争う高橋(兄)の穴はそうそう埋まるものではない。
「顔面パールライスを二回走らせるか」
「なんでだ。そこに適任がいるだろ」
後ろを振り向く。汐里が未だに硬直したままだ。石化かな?
幾らなんでも女子に男子の代わりは無理だろ。昨今のスポーツ界でも性別違反は大問題になっている。ツカツカやってきた爽やかインフェルノがビシリと指を突き付けてきた。
「お前だお前! 雪兎が参加すればいいだろ!」
「はぁ?」
何言ってんだこいつ。俺を舐めてんのか?
ふざけるなよこの野郎。てめぇは、無責任なことばっかり言ってんじゃねぇぞ!
「普通に雪兎が走ればいいだろ」
「あのなぁ……。お前は何も分かっちゃいない。いいか良く聞け」
常識知らずのアホに現実を教えてやる。
「コミュ症の俺がリレーなんて無理だろ」
「うるさい」
リレーへの参戦が決まった。




