表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/32

第32話 独立への道

朝、目が覚めた瞬間、胃の奥がむかついた。


「……っ」


私はベッドの端に座り、深く息を吐いた。


何だろう、この感覚。昨夜、何か変なものを食べただろうか。


「どうした」


隣でエミールが目を覚ました。


「大丈夫。少し気持ち悪いだけ」


「医者を呼ぶか」


「そこまでじゃないわ」


私は首を振った。


しばらく座っていると、吐き気は収まった。


「本当に大丈夫か」


「ええ。もう平気」


エミールは心配そうな目で私を見ていたが、私が立ち上がると、それ以上は言わなかった。


きっと、疲れているだけだ。


最近、リゼットの独立試験のことで気を張っていたから。


━━━


工房に着くと、リゼットが既に作業台に向かっていた。


だが、いつもの製作作業ではない。独立試験の実技課題——指定された魔道具の製作——の練習だ。


「おはようございます、師匠」


「おはよう。調子はどう?」


「はい。今日は防護の短剣に挑戦しています」


リゼットの前には、小ぶりの短剣が置かれていた。刃渡りは手のひらほど。装飾は控えめだが、形は整っている。


「見せて」


私は短剣を手に取った。


付与の紋様を確認する。刃に刻まれた細かな線。魔力の流れを示す回路。


「悪くないわね」


「本当ですか」


「ただ、ここ」


私は刃の根元を指さした。


「紋様の接続が少し浅い。これだと、強い衝撃を受けた時に付与が解ける可能性がある」


リゼットは真剣な目で見つめた。


「どうすれば」


「接続部分を二重にするの。手間はかかるけど、安定性が増す」


「なるほど……」


リゼットは頷き、すぐにメモを取った。


「師匠、もう一度やってもいいですか」


「もちろん」


私は椅子に座り、リゼットの作業を見守った。


彼女の手つきは迷いがない。三年前とは別人のようだ。


あの頃の彼女は、才能はあっても形にする力がなかった。独学で学んだ技術は荒削りで、基礎が抜けていた。


今は違う。


基礎は完璧。応用も、独自の工夫も。何より、自分の弱点を理解し、それを克服しようとする姿勢がある。


一時間後、リゼットが新しい短剣を完成させた。


「どうでしょうか」


私は再び手に取った。


接続部分は二重になっている。紋様の流れも滑らかだ。


「合格よ」


リゼットの顔が輝いた。


「ありがとうございます」


「でも、油断しないで。試験本番は、もっと難しい課題が出るかもしれない」


「はい。心得ています」


リゼットは頷いた。


その目には、三年前にはなかった自信があった。


---


午後、私は書斎で推薦状を書いていた。


独立試験には、師匠の推薦状が必要だ。弟子の技術と人格を保証する書類。これがなければ、試験を受けることすらできない。


ペンを走らせながら、私は三年間を振り返っていた。


最初の出会い。工房の前に立っていた痩せた少女。


弟子入り志願。粗削りだが才能のある護符。


試用期間。基礎の徹底。


正式な弟子。ロランの誘惑を断った日。


成長。エリーズを「おねえちゃん」と慕う娘。


そして今、独立の時が近づいている。


「師匠」


扉が開いて、リゼットが顔を出した。


「お茶をお持ちしました」


「ありがとう」


リゼットがカップを置いた。湯気が立ち上る。


「何を書いているんですか」


「あなたの推薦状よ」


リゼットの目が見開かれた。


「見せて、とは言わないわ。でも、心配しないで。あなたを落とすようなことは書かない」


「師匠……」


「あなたは、私の自慢の弟子だから」


リゼットの目が潤んだ。でも、彼女は泣かなかった。


「ありがとうございます」


私はペンを置いた。


「ねえ、リゼット」


「はい」


「独立したら、何をしたい?」


リゼットは少し考えた。


「自分の工房を持ちたいです」


「それは当然ね。他には?」


「他に……」


リゼットは窓の外を見た。春の日差しが、工房を照らしている。


「孤児院の子供たちを、助けたいです」


私は黙って聞いていた。


「私は孤児院で育ちました。辛いこともたくさんありました。でも、師匠の護符に救われた」


リゼットの声が静かになった。


「弟が亡くなる時、月影の護符があったから、弟は笑って逝けました。痛くない、怖くない、って」


私は何も言わなかった。


「だから、私も同じことがしたいんです。孤児院の子供たちに、護符を届けたい。苦しんでいる子供たちを、少しでも楽にしてあげたい」


リゼットは私を見た。


「そのために、独立したいんです。自分の工房を持って、自分の力で稼いで、それを孤児院に届ける」


私は立ち上がり、リゼットの前に立った。


「いい夢ね」


「師匠……」


「応援するわ。いつか、あなたがその夢を叶えるのを見届けたい」


リゼットの涙が、ついに頬を伝った。


「ありがとう、ございます……」


私はリゼットの肩に手を置いた。


「でも、まずは独立試験ね。夢を叶えるには、まず一人前にならないと」


「はい」


リゼットは涙を拭い、頷いた。


「必ず、合格します」


その言葉には、決意があった。


---


夜、寝室でエミールと向かい合っていた。


「推薦状は書けたか」


「ええ。明日、協会に届けるわ」


「そうか」


エミールは私の顔を見た。


「顔色が悪いな」


「そう?」


「朝も気持ち悪いと言っていた」


私は少し考えた。


確かに、今日は一日中、どこか体が重かった。いつもの疲れとは違う、説明しにくい感覚。


「疲れているだけよ。リゼットの試験のことで、気を張っていたから」


「無理をするな」


「してないわ」


「している」


エミールは私の手を取った。


「君は、いつも一人で抱え込む」


「その癖は治したはずよ」


「完全には治っていない」


私は苦笑した。


確かに、そうかもしれない。


「明日、医者に診てもらえ」


「大げさよ」


「大げさでもいい。俺が心配だ」


エミールの目は真剣だった。


私は溜息をついた。


「わかったわ。明日、診てもらう」


「約束だぞ」


「約束よ」


エミールは私の手を握りしめた。


その温もりが、心地よかった。


「リゼットの夢を聞いたの」


「夢?」


「独立したら、孤児院の子供たちを助けたいんですって」


エミールは黙って聞いていた。


「自分の工房を持って、稼いだお金で護符を届けたいって。あの子、本当に成長したわ」


「君の教育の成果だな」


「私だけじゃないわ。あの子自身の力よ」


私は窓の外を見た。


春の夜空に、星が瞬いている。


「あと三ヶ月弱で、あの子は巣立っていく」


「寂しいか」


「少しだけ」


私は微笑んだ。


「でも、嬉しい方が大きいわ。あの子が自分の夢を持って、それに向かって歩いていく。それを見届けられるなんて」


エミールは何も言わず、私を抱き寄せた。


「君は良い師匠だ」


「何度も言うのね」


「何度でも言う」


私は彼の胸に顔を埋めた。


温かかった。


明日、医者に診てもらおう。


きっと、何でもない。疲れているだけだ。


そう思いながら、私は目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ