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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第29話 春を待つ

窓の外で、雪解けの水が滴っていた。


早春。長い冬が終わり、王都にも少しずつ暖かさが戻ってきている。


私のお腹は、もうすぐ臨月を迎えようとしていた。

朝食の後、エミールが書斎に呼んだ。


「報告がある」


彼の表情は穏やかだった。良い知らせだと、すぐにわかった。


「ヴィクトールとイザベルの処分が確定した」


「どうなったの」


「クレシー公爵家からの絶縁。分家としての地位を剥奪され、公爵家との縁は完全に切れた」


私は頷いた。


「社交界からも追放だ。今後、王都での活動は一切認められない。領地に蟄居することになる」


「厳しい処分ね」


「当然だ。王家への虚偽の請願、公爵夫人への中傷、悪徳商人との共謀。どれ一つとっても、許されることではない」


エミールは窓際に立った。


「イザベルは最後まで、自分は巻き込まれただけだと主張していたらしい。だが、社交界での噂の出所が彼女のサロンだったことは、複数の証言で明らかになっている」


「言い逃れはできなかったのね」


「ああ。二人とも、自業自得だ」


私はお腹に手を当てた。


この子を、あんな卑劣な方法で貶めようとした人たち。もう、二度と近づくことはない。


「ロランは」


「昨日、裁判の判決が出た」


エミールは書類を手に取った。


「詐欺および技術窃盗で有罪。財産は没収、商会は解散。本人は十年の投獄」


「十年……」


「軽いくらいだ。彼が潰した工房は一つや二つではない。人生を壊された職人たちのことを思えば」


私はジャンの顔を思い出した。全てを失った、あの疲れ切った目。


「ジャンさんには伝えた?」


「ああ。昨夜、手紙を送った。少しでも、彼の心が晴れればいいが」


私は立ち上がり、エミールの隣に並んだ。


「終わったのね。全部」


「ああ」


エミールは私の肩を抱いた。


「これで、安心して子供を迎えられる」


窓の外で、小鳥が鳴いていた。春を告げる声だった。


━━━


昼前、工房に向かった。


最近は体が重くて、長時間の作業は難しい。でも、毎日少しでも工房に顔を出すようにしていた。


リゼットが待っていた。


「師匠、お体は大丈夫ですか」


「大丈夫よ。あなたこそ、昨日は遅くまで残っていたでしょう」


「納品が近かったので」


リゼットは照れたように笑った。


この数ヶ月で、彼女は見違えるように成長した。基礎はもう完璧に身についている。応用の段階に入り、独自の工夫も見せ始めている。


「今日の注文は」


「防護の腕輪が三つ、治癒促進の首飾りが二つです。午後には仕上がります」


「一人で大丈夫?」


「はい。任せてください」


その言葉に、迷いはなかった。


私は作業台の前に座った。


「リゼット」


「はい」


「私が出産で休んでいる間、工房をお願いね」


リゼットの目が見開かれた。


「私が、ですか」


「あなた以外に誰がいるの」


「でも、私はまだ……」


「もう十分よ」


私は彼女を見た。


「あなたは、私が認めた弟子。月影の工房を任せられる唯一の人間」


リゼットの目に涙が滲んだ。


「基本的な注文はあなたが受けて。難しいものは、私が復帰してから対応する。お客様への対応も、あなたならできるわ」


「はい……はい、わかりました」


リゼットは深く頭を下げた。


「必ず、師匠の期待に応えます」


「期待じゃないわ。信頼よ」


私は微笑んだ。


「あなたを信じている。だから任せる」


リゼットは涙を拭い、顔を上げた。


「ありがとうございます。師匠」


その目には、強い光があった。


私は安心した。

月影の工房は、大丈夫だ。


---


夜。


寝室で横になっていると、エミールが隣に来た。


「眠れないのか」


「少しね」


私はお腹に手を当てた。子供がよく動いている。そろそろ、外に出たいのかもしれない。


「怖いか」


「少しだけ」


私は正直に言った。


「前世では、出産なんて経験したことがなかったから。何が起こるのか、想像もつかない」


「俺もだ」


エミールは天井を見つめた。


「父親になるというのが、どういうことなのか。まだ、実感がない」


「そうね」


私たちは並んで横になっていた。


静かな夜だった。窓の外では、春の夜風が木々を揺らしている。


「シルヴィア」


「何」


「君と出会えてよかった」


私は彼を見た。


エミールは真っ直ぐに私を見つめていた。


「五年前、君の作った護符を手に取った時から。俺の人生は変わった」


「大げさね」


「本当だ」


彼は私の手を取った。


「リディアを亡くしてから、俺は誰も信じられなかった。誰にも頼らず、一人で全てを背負おうとしていた」


私は黙って聞いていた。


「でも君は、俺に頼ることを教えてくれた。一人で抱え込まなくていいと」


「それは私の台詞よ」


私は笑った。


「私こそ、あなたに教わった。頼っていいんだって」


「お互い様か」


「そうね」


私たちは見つめ合った。


「明日か、明後日か。いつになるかわからないけど」


私は言った。


「子供が生まれたら、三人で一緒に暮らすのね」


「ああ」


「幸せになれるかしら」


「なる」


エミールは断言した。


「俺が、君たちを幸せにする。そして君も、俺を幸せにしてくれる」


「約束ね」


「約束だ」


彼は私の手を握りしめた。


私は目を閉じた。

穏やかな眠りが、訪れようとしていた。


---


深夜。

突然、目が覚めた。


お腹に、鋭い痛みが走った。


「っ……」


息を呑む。

また、痛みが来た。波のように、押し寄せてくる。


これは。


「エミール」


隣で眠っている彼を揺り起こした。


「どうした」


「来たみたい」


「来た?」


エミールが起き上がった。その目が見開かれる。


「陣痛か」


「たぶん……っ」


また痛みが来た。今度は、さっきより強い。


エミールが跳ね起きた。


「医師を呼ぶ。侍女も。動くな」


「動けないわよ、こんな状態で……」


私は笑おうとしたが、痛みで顔が歪んだ。


エミールが部屋を飛び出していった。


私は一人、ベッドの上で深く息を吐いた。


来た。


ついに、この日が来た。


お腹に手を当てる。


「もう少しよ」


私は呟いた。


「もう少しで、会えるわ」


窓の外では、東の空がうっすらと白み始めていた。


春の夜明け。

新しい命が、生まれようとしていた。

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