第28話 王家の裁定
その日の朝は、雪が止んでいた。
灰色の空から、時折薄日が差す。王宮への馬車の中で、私は窓の外を見つめていた。
「緊張しているか」
隣でエミールが言った。
「少しだけ」
私はお腹に手を当てた。六ヶ月目に入り、膨らみは服の上からでもはっきりとわかる。
「大丈夫よ。準備は万全だもの」
「ああ」
エミールは私の手を取った。
「今日で終わらせる」
馬車が王宮の門をくぐった。
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裁定の間は、王宮の東翼にあった。
高い天井、白い大理石の柱、そして正面には国王と王妃が座る玉座。
貴族たちが両側に並んでいる。私たちの支持者もいれば、好奇の目で見る者もいた。
そして、向かい側には。
ヴィクトール・ド・クレシーが立っていた。
五十五歳。灰色の髪、鋭い目。エミールの従叔父にして、今日の敵。
その隣には、妻のイザベル。そしてもう一人、見慣れない顔の男がいた。四十代、商人風の身なり。
ロラン・デュボワ。
初めて見る顔だった。だが、あの男がリゼットを籠絡しようとし、ジャンの人生を壊した張本人だ。
「開廷する」
国王の声が響いた。
アンリ三世。五十代半ば、威厳のある顔立ち。その隣には王妃マリアンヌ。春の大夜会で私を助けてくれた方だ。
「本日の議題は、クレシー公爵家の継承に関する請願である。請願者、ヴィクトール・ド・クレシー。申し立ての内容を述べよ」
ヴィクトールが一歩前に出た。
「陛下。私は、クレシー公爵家の継承について、重大な疑義を呈するものであります」
その声は自信に満ちていた。
「現公爵エミール・ド・クレシーの妻、シルヴィア・ド・クレシーは、元モンフォール子爵家の出身。一度離縁された身であり、さらには職人として労働に従事しております」
私は表情を変えなかった。予想通りの主張だ。
「公爵夫人が職人仕事を続けることは、クレシー公爵家の品位を損なうものであります。また、彼女の子供が公爵家の跡継ぎとなることは、血統の正統性に疑問を投げかけるものであります」
ざわめきが広がった。
「さらに申し上げれば」
ヴィクトールは続けた。
「シルヴィア・ド・クレシーの前夫との離縁理由は、三年間の白い結婚——すなわち、夫婦関係の不成立でありました。このような女性が、果たして公爵家の跡継ぎを産む資格があるのでしょうか」
私の手が震えた。
怒りだった。
三年間の苦しみを、こんな形で利用されるとは。
だが、私は黙っていた。まだ、私の番ではない。
「以上の理由により、私はクレシー公爵家の継承について再考を求めます。現公爵に嫡子がない場合、分家からの養子を迎えることを提案いたします」
ヴィクトールは頭を下げた。
「陛下のご裁定を仰ぎます」
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国王が頷いた。
「現公爵、エミール・ド・クレシー。反論があれば述べよ」
エミールが前に出た。
「陛下。請願者の主張は、事実誤認と悪意に基づいております」
その声は静かだが、力強かった。
「まず、妻シルヴィアの出自について。モンフォール子爵家は、三百年の歴史を持つ由緒正しい家柄であります。離縁の経緯については、前夫オスカー・ヴァルトシュタイン伯爵の側に非があったことが、王立査問会で認定されております」
エミールは書類を掲げた。
「こちらが、その記録です」
国王が頷き、侍従が書類を受け取った。
「次に、妻の職人としての活動について。月影の工房は、王都随一の付与魔法工房として知られております。その製品は貴族から平民まで広く愛用され、王妃陛下ご自身も愛用されていると聞いております」
王妃が小さく頷いた。
「職人仕事が品位を損なうという主張は、時代錯誤と言わざるを得ません。むしろ、公爵夫人が自らの技術で王国に貢献していることは、誇るべきことであります」
ざわめきが変わった。賛同の気配が広がる。
「そして、血統について」
エミールの声が低くなった。
「妻は正式に私と婚姻しております。こちらが婚姻証明書です。そして、妻が身籠っている子供は、間違いなく私の子供であります。これを疑う者は、クレシー公爵家への侮辱であり、私への侮辱であります」
エミールはヴィクトールを見た。
「請願者は、何の証拠もなく、私の妻と子供の名誉を傷つけようとしております。これは、公爵家の継承を狙った陰謀に他なりません」
ヴィクトールの顔色が変わった。
「さらに」
エミールは続けた。
「王妃陛下より、妻への推薦状をいただいております」
私は目を見開いた。
知らなかった。
侍従が王妃から書状を受け取り、読み上げた。
「シルヴィア・ド・クレシーは、その技術と人格において、公爵夫人にふさわしい女性である。私は彼女を、王国の誇りとして推薦する。王妃マリアンヌ」
沈黙が落ちた。
王妃の推薦状。これほど強力な後ろ盾はない。
ヴィクトールの顔が青ざめた。
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「シルヴィア・ド・クレシー」
国王が私を呼んだ。
「発言を許可する」
私は一歩前に出た。
お腹の重みを感じながら。でも、背筋は伸ばしたまま。
「陛下。私からは、請願者の真の目的について申し上げます」
私は手元の書類を確認した。
「請願者ヴィクトール・ド・クレシーは、魔道具商ロラン・デュボワと密接な関係にあります」
ロランの顔が引きつった。
「こちらは、ヴィクトール様の屋敷とロラン商会の間で交わされた取引記録です。金額は少額ですが、時期が問題です。全て、ヴィクトール様が養子計画を言い出した後に行われております」
書類が国王に渡された。
「そして、ロラン・デュボワという人物について」
私はロランを見た。
「この男は、過去に複数の工房から技術を盗んでおります。五年前には東部のベルモン付与工房、三年前には南部のグラン魔道具工房。弟子を買収し、技術を持ち出させ、工房を潰してきました」
ざわめきが広がった。
「本日は、被害者の一人をお連れしております。ジャン・ベルモン氏です」
扉が開き、ジャンが入ってきた。
彼は緊張した面持ちで、しかし毅然と立った。
「ジャン・ベルモン氏。証言を」
国王が促した。
ジャンは深呼吸をした。
「五年前、私はベルモン付与工房を経営しておりました。独自の防護付与技法を開発し、評判を得ておりました」
彼の声は震えていたが、止まらなかった。
「ロラン・デュボワは、私の弟子の一人を金で買収しました。弟子は技法の詳細を持ち出し、ロランに渡しました。技法は他の工房に売られ、私の工房は独自性を失い、二年で閉鎖に追い込まれました」
ジャンはロランを見た。
「私は全てを失いました。工房も、名誉も、家族も。全て、この男のせいです」
ロランの顔から血の気が引いた。
「そして今回」
私は続けた。
「ロランは私の弟子に接触し、月影の工房の技術を盗もうとしました。百万リーブルという金額を提示し、籠絡しようとしたのです」
「嘘だ!」
ロランが叫んだ。
「証拠がある」
私は冷静に言った。
「私の弟子リゼット・フォレの証言書です。ロランがいつ、どこで、何を言ったか、全て記録しております」
書類が国王に渡された。
「ヴィクトール・ド・クレシーは、ロランと共謀して、クレシー公爵家と月影の工房の両方を狙いました。公爵位を奪い、技術を盗む。それが、この請願の真の目的です」
私は国王を見た。
「陛下。この請願は、悪意と陰謀に基づいております。棄却をお願いいたします」
沈黙が落ちた。
長い沈黙だった。
やがて、国王が口を開いた。
「ヴィクトール・ド・クレシー」
「は、はい」
「この証拠について、反論はあるか」
ヴィクトールは口を開いた。だが、言葉が出なかった。
「ロラン・デュボワ」
「陛下、これは、その——」
「反論がないと見なす」
国王は立ち上がった。
「裁定を下す」
全員が息を呑んだ。
「ヴィクトール・ド・クレシーの請願は、棄却する。クレシー公爵家の継承に疑義はない。エミール・ド・クレシーの嫡子は、正統な跡継ぎである」
私の心臓が高鳴った。
「さらに、ロラン・デュボワを詐欺および技術窃盗の容疑で告発する。後日、正式な裁判を行う」
ロランの顔が絶望に染まった。
「ヴィクトール・ド・クレシーについては、共謀の疑いがある。調査の上、処分を決定する」
ヴィクトールが崩れ落ちそうになった。イザベルが支えたが、彼女の顔も蒼白だった。
「以上をもって、本日の裁定を終了する」
国王が宣言した。
終わった。
私たちの、勝利だった。
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王宮の回廊を歩きながら、私は深く息を吐いた。
「終わったわね」
「ああ」
エミールが隣を歩いていた。
「王妃の推薦状、知らなかったの」
「驚かせたかった」
「成功したわね」
私は笑った。緊張が解けて、少し足がふらついた。
エミールが私の腕を支えた。
「大丈夫か」
「大丈夫。少し疲れただけ」
馬車が待っていた。乗り込むと、エミールが私の手を取った。
「君は俺の誇りだ」
「急に何」
「あの場で、堂々と証拠を突きつけた。君は強い」
私は彼を見た。
「あなたがいたからよ。一人では、できなかった」
「俺たちは二人だ。これからも」
エミールは私の手を握りしめた。
お腹の中で、子供が動いた。
「三人、ね」
「ああ。三人だ」
馬車が動き出した。
窓の外では、薄日が差していた。
嵐は去った。
これから、穏やかな日々が待っている。
子供が生まれる日まで。




