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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第27話 嵐の前夜

初冬の風が、窓を揺らしていた。


朝食を終えた頃、執事のセバスチャンが書斎に報告に来た。その表情は硬かった。


「旦那様、奥様。お伝えすべきことがございます」


エミールが顎で続きを促した。


「昨日、ヴィクトール様が王宮に請願書を提出されたとのことです」


私は息を呑んだ。


「請願書?」


「はい。内容は、クレシー公爵家の継承に関する異議申し立てと聞いております」


エミールの目が細くなった。


「具体的には」


「詳細は不明ですが、公爵家の血統の正統性について疑義を呈する内容かと」


血統の正統性。


つまり、私たちの子供のことだ。


「それと、もう一つ」


セバスチャンは言いにくそうに続けた。


「昨夜の夜会で、イザベル様が……その、噂を流されていたようです」


「どんな噂」


「職人公爵夫人の子は、本当に公爵の子なのか、と」


私の手が震えた。


怒りだった。


私の子供を。まだ生まれてもいない、この子を。そんな卑劣な方法で貶めようとしている。


「下がっていい」


エミールが静かに言った。


セバスチャンが退出すると、エミールは私の方を向いた。


「大丈夫か」


「……大丈夫よ」


私は深く息を吐いた。


「怒っているだけ。悲しんではいない」


「そうか」


エミールは窓際に立った。


「ヴィクトールは本気だな。王家を巻き込んでまで、公爵位を狙っている」


「請願書が受理されたら、どうなるの」


「王家が裁定を下す。公爵家の継承権について、正式な審議が行われる」


私は立ち上がり、彼の隣に並んだ。


「負ける要素は?」


「ない」


エミールは断言した。


「君は正式に俺の妻だ。子供は嫡出子として届け出る。血統に疑いようがない」


「でも、噂は……」


「噂は噂だ。証拠がなければ、王家は相手にしない」


彼は私の肩に手を置いた。


「だが、放置もできない。反撃する」


「どうやって」


「ヴィクトールとロランの繋がりを暴く。そして、ロランの過去の悪行を白日の下に晒す」


エミールの目には、冷たい光があった。


「証人がいる」


---


午後、エミールの部下が一人の男を連れてきた。


四十代半ばの、痩せた男だった。目に疲労の色が濃い。


「ジャン・ベルモン。元ベルモン付与工房の職人だ」


エミールが紹介した。


「五年前、ロランに技術を盗まれた工房の」


私は頷いた。第26話でエミールが話していた、東部の工房だ。


「ベルモンさん、お話を聞かせていただけますか」


男は椅子に座り、重い口を開いた。


「五年前、私の工房は独自の防護付与技法を開発しました。長年の研究の成果です」


その声には、未だ癒えない傷があった。


「ロランは弟子の一人に近づきました。金と、独立の約束で籠絡した。弟子は技法の詳細を持ち出し、ロランに渡しました」


「その後、どうなりましたか」


「技法は他の工房に売られていました。我々が気づいた時には、もう遅かった。独自性を失い、注文は激減し、二年で工房を閉じました」


私は眉をひそめた。


「訴えることは?」


「証拠がありませんでした。弟子は全てを否定し、ロランとの繋がりを示す書類は何も残っていなかった」


男の手が震えていた。


「私は全てを失いました。工房も、名誉も、家族も」


「家族も……?」


「妻は、苦労に耐えかねて実家に帰りました。息子は、父親を恥じて姓を変えた」


沈黙が落ちた。


これがロランのやり方だ。


証拠を残さず、人の人生を壊す。


「なぜ今、証言を?」


私は尋ねた。


「公爵様の部下が訪ねてきた時、最初は断るつもりでした」


ジャンは顔を上げた。


「でも、聞いたんです。月影の工房がロランに狙われていると。あの男が、また同じことをしようとしていると」


彼の目に、静かな怒りが灯った。


「黙っていられなかった。私のような被害者を、もう出したくない」


私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたの証言は、必ず役立てます」


「お願いします。あの男を、止めてください」


---


夕刻、工房でリゼットと作業をしていた。


彼女の手つきは、日に日に確かになっている。基礎を徹底的に叩き込んだ甲斐があった。


「師匠」


「何?」


「少し、お話ししてもいいですか」


リゼットの声が、いつもより静かだった。


「私の過去のことです」


私は手を止めた。


「聞かせて」


リゼットは窓の外を見た。灰色の雲が低く垂れ込めている。


「私には弟がいました」


「いました?」


「三年前に、亡くなりました」


私は何も言わなかった。


「弟は生まれつき体が弱くて。孤児院では、満足な治療も受けられなかった」


リゼットの声は淡々としていた。だが、その奥に深い悲しみがあった。


「私は何もできなかった。薬を買う金もない。魔法も使えない。ただ、弟の手を握っていることしか」


彼女は懐から、小さな護符を取り出した。


使い込まれた、古い護符だった。


「これは」


「月影の工房の護符です。孤児院に寄付されたものでした」


私は息を呑んだ。


「弟の最期の日、私はこれを弟の胸に置きました。せめて、苦しまないように。怖くないように」


涙がリゼットの頬を伝った。


「弟は、笑って逝きました。痛くない、怖くない、って」


私は何も言えなかった。


「後で調べました。この護符には、痛みを和らげる付与と、心を落ち着かせる付与が込められていた」


リゼットは護符を握りしめた。


「私は、この護符を作った人に会いたかった。お礼を言いたかった。そして、同じものを作れるようになりたかった」


彼女は私を見た。


「だから、月影の工房を探しました。そして師匠に会えた」


私の目から、涙がこぼれた。


「リゼット……」


「ロランの申し出を断れたのは、このためです。あの人は、私の大切なものを何も知らない。でも師匠は、私を見てくれた」


リゼットは微笑んだ。泣きながら。


「私は、師匠の弟子で幸せです」


私はリゼットを抱きしめた。


「ありがとう。話してくれて」


「こちらこそ。聞いてくださって」


しばらく、二人で泣いた。


窓の外で、初雪がちらつき始めていた。


---


夜。


寝室で、私はエミールに全てを話した。


ジャンの証言のこと。リゼットの過去のこと。


「そうか」


エミールは静かに言った。


「月影の護符が、彼女の弟を……」


「知らなかったの。孤児院への寄付は、商会を通じてやっていたから」


私は天井を見つめた。


「私の作ったものが、誰かを救っていた。それを知れて、よかった」


エミールは私の手を取った。


「君の仕事は、人を救っている。それを誇れ」


「ありがとう」


私は彼を見た。


「反撃の準備は?」


「整った。ジャンの証言、ロランの取引記録、ヴィクトールとの繋がりを示す書類。全て揃えた」


「王家の裁定は?」


「来週だ。ヴィクトールの請願に対する審議が行われる」


エミールは私の手を握りしめた。


「俺たちの番だ。奴らの嘘を暴く」


私は頷いた。


「望むところよ」


「君の名誉は俺の名誉だ。子供の名誉も。誰にも汚させない」


その言葉に、私の心が熱くなった。


「一緒に戦うわ」


「ああ。一緒に」


お腹の中で、子供が動いた。


まるで、応援しているように。


---


初雪が、王都を白く染めていた。


嵐の前の静けさ。


だが私たちは、もう恐れていなかった。


守るべきものがある。


証人がいる。

証拠がある。


そして、隣には彼がいる。


来週、全てが決まる。

私は静かに、その日を待った。

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