第26話 弟子の選択
朝食の後、エミールが書斎に私を呼んだ。
机の上には数枚の書類が広げられていた。
「ロラン・デュボワについて調べがついた」
エミールの声は硬かった。
「何がわかったの?」
「表向きは王都の中堅魔道具商だ。商会を構えて十年、取引先も多い。だが裏がある」
彼は書類の一枚を指さした。
「五年前、東部のベルモン付与工房。独自の防護技法を開発した職人がいた。ロランはその職人の弟子を金で買収し、技法を持ち出させた」
私は息を呑んだ。
「弟子は独立したが、気づいた時には技法は既に他の工房に売られていた。元の工房は信用を失い、二年で閉鎖した」
「ひどい……」
「三年前にも似たようなことが起きている。南部のグラン魔道具工房。工房主の息子を籠絡し、設計図を持ち出させた。工房は半年で潰れた」
エミールは書類をまとめた。
「だが、証拠は残さない。買収や籠絡の記録は全て消されている。被害者たちは訴えることもできなかった」
「狡猾ね」
「ああ。そしてこの男が、リゼットに接触した」
私は拳を握りしめた。
月影の工房の技術。それを狙っている。
リゼットを使って。
「許せない」
「俺も同感だ。だが、今のところ証拠がない。リゼットに接触しただけでは罪に問えない」
「わかっているわ。でも、警戒は必要ね」
エミールは頷いた。
「リゼットには気をつけるよう伝えてある。あとは彼女の判断だ」
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昼前、工房に向かうと、リゼットが入口で待っていた。
その顔には、決意の色があった。
「師匠。お話があります」
「どうしたの」
「今朝、またあの商人が来ました」
私の心臓が跳ねた。
「ロラン・デュボワが?」
「はい。工房の近くで待ち伏せされていました」
リゼットの声は落ち着いていた。
「何を言われたの」
「前回と同じです。月影の工房の技術を教えてくれれば、将来を保証すると。今度は金額も提示されました。百万リーブル」
百万リーブル。
平民なら一生働いても届かない金額だ。孤児院育ちの少女にとっては、夢のような大金だろう。
「それで、どうしたの」
リゼットは真っ直ぐに私を見た。
「断りました」
私は目を見開いた。
「あの人は私を見ていませんでした」
リゼットの声に力がこもった。
「私という人間ではなく、月影の工房への入口としか見ていなかった。私が何を学びたいのか、どんな職人になりたいのか、一度も聞かなかった」
彼女の言葉は、前回迷っていた時とは違っていた。
「師匠は違います。最初に私の護符を見てくださった。才能があると言ってくださった。同時に、基礎が足りないとも。私を一人の職人として見てくださっている」
リゼットは続けた。
「あの人の目は、孤児院に来た商人と同じでした。子供たちを労働力としてしか見ていない目。私はあの目を知っています」
彼女の声が震えた。だが、それは恐怖ではなく、怒りだった。
「だから断りました。私は道具じゃない。師匠の弟子です」
私は何も言えなかった。
この子は、自分で選んだのだ。
百万リーブルという誘惑を前にして。甘い言葉に惑わされることなく、相手の本質を見抜いて。
十六歳の少女が。
「リゼット」
「はい」
「よく断ったわね」
私は彼女の前に歩み寄った。
「あなたは私の弟子よ。正式に。試用期間は終わり」
リゼットの目が見開かれた。
「し、師匠……」
「そして、私はあなたを守る。誰があなたを利用しようとしても、私が許さない」
涙がリゼットの頬を伝った。
「ありがとう、ございます……」
「でも、守るというのは、あなたを閉じ込めるという意味ではないわ」
私は彼女の肩に手を置いた。
「あなたが自分の足で立てるように、私は全てを教える。いつか、あなたは自分の工房を持つ。その時、あなたは私の弟子だったことを誇れるようになる」
リゼットは涙を拭い、頷いた。
「はい。必ず」
私は微笑んだ。
この子は、強い。
かつての私より、ずっと。
「さあ、仕事よ。今日は防御付与の応用を教えるわ」
「はい、師匠」
リゼットは目を輝かせた。
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夜。
寝室で横になっていると、エミールが隣に来た。
「リゼットのこと、聞いた」
「ええ。自分で断ったの」
「たいした子だ」
「本当にね」
私は目を閉じた。お腹が日に日に大きくなっている。妊娠五ヶ月。服の上からでも、もうわかるようになってきた。
「ロランは諦めないだろうな」
エミールの声が低くなった。
「わかっているわ」
「それと、もう一つ」
私は目を開けた。
「何?」
「ロランの商会の取引記録を調べた。クレシー家の分家との取引がいくつかあった」
私は身を起こした。
「分家?」
「ヴィクトールの屋敷だ」
心臓が冷たくなった。
「ロランとヴィクトールが繋がっている……?」
「まだ確証はない。だが、取引の時期が問題だ」
エミールは私の目を見た。
「全て、ヴィクトールが養子計画を言い出した後だ」
私は息を呑んだ。
ヴィクトールとロラン。
公爵家の継承を狙う野心家と、技術を盗む悪徳商人。
二人が手を組んでいるなら、狙いは一つ。
「公爵家と月影の工房。両方……」
「ああ。君を追い落とし、子供の正統性を疑わせ、俺に養子を押し付ける。同時に、月影の工房の技術を奪う」
エミールの声には怒りがあった。
「させない」
「当然だ」
彼は私の手を取った。
「君も、子供も、リゼットも。俺が守る」
「私も守るわ。私の力で」
エミールは小さく笑った。
「知っている。だから君が好きだ」
その時。
お腹の中で、何かが動いた。
私は息を止めた。
「どうした」
「今、動いた……」
エミールの目が見開かれた。
「本当か」
私は彼の手を取り、お腹に当てた。
しばらく待つ。
静寂。
そして、また。
小さな、でも確かな動き。
ぽこ、と。
「感じた……」
エミールの声が掠れた。
「生きているんだな」
「当たり前でしょう」
私は笑った。涙が出そうだった。
「私たちの子供よ」
エミールは何も言わず、私の手を握りしめた。
その温もりが、全身に広がっていく。
ロランのことも、ヴィクトールのことも、今は忘れていい。
この瞬間、私たちは三人だった。
「必ず守る」
エミールが言った。
「三人で。四人で。この家族を」
「四人?」
「リゼットも、もう家族だろう」
私は笑った。
「そうね。四人で」
お腹の中で、もう一度、小さな動きがあった。
まるで、賛成しているように。
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翌朝、エミールの部下から報告が届いた。
ロランが、ヴィクトールの屋敷を訪れたという。
二人は何かを話し合っていた。
嵐は、確実に近づいている。
だが私は恐れなかった。
守るべきものがある。
弟子がいる。
子供がいる。
そして、隣には彼がいる。
私は工房へ向かった。
今日も、紡ぐべき未来がある。




