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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第26話 弟子の選択

朝食の後、エミールが書斎に私を呼んだ。


机の上には数枚の書類が広げられていた。


「ロラン・デュボワについて調べがついた」


エミールの声は硬かった。


「何がわかったの?」


「表向きは王都の中堅魔道具商だ。商会を構えて十年、取引先も多い。だが裏がある」


彼は書類の一枚を指さした。


「五年前、東部のベルモン付与工房。独自の防護技法を開発した職人がいた。ロランはその職人の弟子を金で買収し、技法を持ち出させた」


私は息を呑んだ。


「弟子は独立したが、気づいた時には技法は既に他の工房に売られていた。元の工房は信用を失い、二年で閉鎖した」


「ひどい……」


「三年前にも似たようなことが起きている。南部のグラン魔道具工房。工房主の息子を籠絡し、設計図を持ち出させた。工房は半年で潰れた」


エミールは書類をまとめた。


「だが、証拠は残さない。買収や籠絡の記録は全て消されている。被害者たちは訴えることもできなかった」


「狡猾ね」


「ああ。そしてこの男が、リゼットに接触した」


私は拳を握りしめた。


月影の工房の技術。それを狙っている。


リゼットを使って。


「許せない」


「俺も同感だ。だが、今のところ証拠がない。リゼットに接触しただけでは罪に問えない」


「わかっているわ。でも、警戒は必要ね」


エミールは頷いた。


「リゼットには気をつけるよう伝えてある。あとは彼女の判断だ」


---


昼前、工房に向かうと、リゼットが入口で待っていた。


その顔には、決意の色があった。


「師匠。お話があります」


「どうしたの」


「今朝、またあの商人が来ました」


私の心臓が跳ねた。


「ロラン・デュボワが?」


「はい。工房の近くで待ち伏せされていました」


リゼットの声は落ち着いていた。


「何を言われたの」


「前回と同じです。月影の工房の技術を教えてくれれば、将来を保証すると。今度は金額も提示されました。百万リーブル」


百万リーブル。


平民なら一生働いても届かない金額だ。孤児院育ちの少女にとっては、夢のような大金だろう。


「それで、どうしたの」


リゼットは真っ直ぐに私を見た。


「断りました」


私は目を見開いた。


「あの人は私を見ていませんでした」


リゼットの声に力がこもった。


「私という人間ではなく、月影の工房への入口としか見ていなかった。私が何を学びたいのか、どんな職人になりたいのか、一度も聞かなかった」


彼女の言葉は、前回迷っていた時とは違っていた。


「師匠は違います。最初に私の護符を見てくださった。才能があると言ってくださった。同時に、基礎が足りないとも。私を一人の職人として見てくださっている」


リゼットは続けた。


「あの人の目は、孤児院に来た商人と同じでした。子供たちを労働力としてしか見ていない目。私はあの目を知っています」


彼女の声が震えた。だが、それは恐怖ではなく、怒りだった。


「だから断りました。私は道具じゃない。師匠の弟子です」


私は何も言えなかった。


この子は、自分で選んだのだ。


百万リーブルという誘惑を前にして。甘い言葉に惑わされることなく、相手の本質を見抜いて。


十六歳の少女が。


「リゼット」


「はい」


「よく断ったわね」


私は彼女の前に歩み寄った。


「あなたは私の弟子よ。正式に。試用期間は終わり」


リゼットの目が見開かれた。


「し、師匠……」


「そして、私はあなたを守る。誰があなたを利用しようとしても、私が許さない」


涙がリゼットの頬を伝った。


「ありがとう、ございます……」


「でも、守るというのは、あなたを閉じ込めるという意味ではないわ」


私は彼女の肩に手を置いた。


「あなたが自分の足で立てるように、私は全てを教える。いつか、あなたは自分の工房を持つ。その時、あなたは私の弟子だったことを誇れるようになる」


リゼットは涙を拭い、頷いた。


「はい。必ず」


私は微笑んだ。


この子は、強い。


かつての私より、ずっと。


「さあ、仕事よ。今日は防御付与の応用を教えるわ」


「はい、師匠」


リゼットは目を輝かせた。


---


夜。


寝室で横になっていると、エミールが隣に来た。


「リゼットのこと、聞いた」


「ええ。自分で断ったの」


「たいした子だ」


「本当にね」


私は目を閉じた。お腹が日に日に大きくなっている。妊娠五ヶ月。服の上からでも、もうわかるようになってきた。


「ロランは諦めないだろうな」


エミールの声が低くなった。


「わかっているわ」


「それと、もう一つ」


私は目を開けた。


「何?」


「ロランの商会の取引記録を調べた。クレシー家の分家との取引がいくつかあった」


私は身を起こした。


「分家?」


「ヴィクトールの屋敷だ」


心臓が冷たくなった。


「ロランとヴィクトールが繋がっている……?」


「まだ確証はない。だが、取引の時期が問題だ」


エミールは私の目を見た。


「全て、ヴィクトールが養子計画を言い出した後だ」


私は息を呑んだ。


ヴィクトールとロラン。


公爵家の継承を狙う野心家と、技術を盗む悪徳商人。


二人が手を組んでいるなら、狙いは一つ。


「公爵家と月影の工房。両方……」


「ああ。君を追い落とし、子供の正統性を疑わせ、俺に養子を押し付ける。同時に、月影の工房の技術を奪う」


エミールの声には怒りがあった。


「させない」


「当然だ」


彼は私の手を取った。


「君も、子供も、リゼットも。俺が守る」


「私も守るわ。私の力で」


エミールは小さく笑った。


「知っている。だから君が好きだ」


その時。


お腹の中で、何かが動いた。


私は息を止めた。


「どうした」


「今、動いた……」


エミールの目が見開かれた。


「本当か」


私は彼の手を取り、お腹に当てた。


しばらく待つ。


静寂。


そして、また。


小さな、でも確かな動き。


ぽこ、と。


「感じた……」


エミールの声が掠れた。


「生きているんだな」


「当たり前でしょう」


私は笑った。涙が出そうだった。


「私たちの子供よ」


エミールは何も言わず、私の手を握りしめた。


その温もりが、全身に広がっていく。


ロランのことも、ヴィクトールのことも、今は忘れていい。


この瞬間、私たちは三人だった。


「必ず守る」


エミールが言った。


「三人で。四人で。この家族を」


「四人?」


「リゼットも、もう家族だろう」


私は笑った。


「そうね。四人で」


お腹の中で、もう一度、小さな動きがあった。


まるで、賛成しているように。


---


翌朝、エミールの部下から報告が届いた。


ロランが、ヴィクトールの屋敷を訪れたという。


二人は何かを話し合っていた。


嵐は、確実に近づいている。


だが私は恐れなかった。


守るべきものがある。


弟子がいる。


子供がいる。


そして、隣には彼がいる。


私は工房へ向かった。

今日も、紡ぐべき未来がある。

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