第24話 公爵家の親戚
秋の陽光が、応接室の窓から差し込んでいた。
私はソファに座り、向かいに座る二人の客人を見つめていた。
ヴィクトール・ド・クレシー。五十代半ばの痩せた男。灰色の髪に、鋭い目。表情は穏やかだが、その奥に何かが潜んでいる気配がある。
その隣には、イザベル。茶会で陰口を叩いていた女。今日は完璧な笑顔を浮かべているが、目だけは笑っていなかった。
「この度は、ご懐妊おめでとうございます、公爵夫人」
ヴィクトールが、慇懃に頭を下げた。
「クレシー家の跡継ぎがお生まれになるとは、我々親族としても、この上ない喜びでございます」
「ありがとうございます」
私は、表情を変えずに答えた。
エミールが、私の隣に座っている。彼の存在が、心強かった。
「わざわざ地方からお越しいただいたのですね」
「ええ。このような慶事を聞いて、居ても立っても居られませんでした。何しろ、エミール様は私の従甥。血の繋がった親族として、お祝いに参りたいと」
「それは、ご丁寧に」
エミールの声は、平坦だった。
私は、彼の横顔を見た。無表情。けれど、その目の奥に警戒の色があるのがわかった。
「ところで、公爵夫人」
イザベルが口を開いた。
「お体の具合はいかがですか。妊娠中は、何かとお辛いでしょう」
「おかげさまで、順調です」
「それは良かったですわ。ただ……」
彼女の目が、わずかに細くなった。
「お噂を聞きましたの。妊娠中も、工房のお仕事を続けていらっしゃるとか」
「ええ。そのつもりです」
「まあ……それは、少々心配ですわ」
イザベルが、扇子を開いた。
「お子様に、悪影響ではないかしら。魔力を使うお仕事は、お体に負担がかかりますでしょう?」
「医師の許可は得ています。無理のない範囲で続けるつもりです」
「でも、公爵家のお世継ぎですわよ? 万が一のことがあったら——」
「イザベル」
ヴィクトールが、妻を制した。
「公爵夫人のご判断に、口を挟むのは失礼だ」
「あら、でも——」
「いいんだ」
ヴィクトールが、私に向き直った。
「失礼いたしました。妻は、少々心配性でしてね。悪気はないのです」
「お気遣いは、ありがたく思います」
私は、冷静に答えた。
「ただ、私の選択は私が決めます。工房を続けることも、子供を守ることも、両立できると信じています」
「なるほど。公爵夫人は、ご自分の意志をお持ちだ」
ヴィクトールの目が、私を見据えた。
「しかし、公爵家の跡継ぎとなれば、話は別ではありませんか。お子様は、将来この家を継ぐお方。相応の育て方が必要でしょう」
「相応の育て方?」
「ええ。貴族としての教養、礼儀作法、帝王学。職人仕事に囲まれて育つのは、いかがなものかと」
言葉の奥に、刃があった。
「それに」
ヴィクトールが続けた。
「失礼ながら、公爵夫人のご出身は——」
「ヴィクトール」
エミールの声が、冷たく響いた。
「それ以上は、聞き捨てならん」
「エミール様、私は——」
「シルヴィアは、俺が選んだ妻だ。モンフォール子爵家の令嬢であり、王国に五人しかいないSランク付与魔法師だ。その出身に、何か問題があるとでも言いたいのか」
ヴィクトールの顔が、わずかに引きつった。
「いいえ、そのようなことは——」
「俺たちの子供は、俺たちの方針で育てる。親族といえど、口を挟む権利はない」
「……失礼いたしました」
ヴィクトールが、頭を下げた。
けれど、その目には悔しさが滲んでいた。
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「今日はこれで失礼いたします」
ヴィクトールとイザベルが、玄関で頭を下げた。
「また、お祝いの品をお届けいたします。どうか、お体をお大事に」
「ご丁寧にありがとうございます」
私は、形式的に礼を返した。
馬車が去っていく。その姿が見えなくなるまで、私たちは玄関に立っていた。
「……嫌な男だな」
エミールが、ぽつりと言った。
「昔から、そうだったの?」
「ああ。父が生きていた頃から、何かと本家に取り入ろうとしていた。父は相手にしていなかったが」
「養子の計画も、その頃から?」
「俺が当主になってからだ。俺が『結婚しない』と宣言した後、ヴィクトールが頻繁に接触してくるようになった」
エミールが、私の肩に手を置いた。
「気をつけろ。奴は、まだ諦めていない」
「わかっているわ」
私は頷いた。
「でも、何ができるの? 私たちに子供ができれば、継承権は自動的にその子に移るのでしょう?」
「普通はな。だが、ヴィクトールなら何かを企むかもしれない」
「何かって?」
エミールの目が、冷たくなった。
「例えば、子供の正統性を疑問視する。母親の出身や、妊娠中の行動を理由に」
「そんなこと——」
「法的には無理だ。だが、噂を流すことはできる。世論を操作し、王家に申し立てを行うこともできる」
私は、唇を噛んだ。
「イザベルが茶会で陰口を広めていたのも、その一環かもしれないわね」
「おそらくな」
「……許せないわ」
怒りが、込み上げてきた。
「まだ生まれてもいない子供を、政治の道具にしようとするなんて」
「だから、警戒が必要だ」
エミールの手が、私の手を握った。
「だが、心配するな。俺がいる。何があっても、君と子供を守る」
「……エミール」
「信じろ」
その目が、真っ直ぐに私を見ていた。
「ええ。信じているわ」
私は、彼の手を握り返した。
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書斎で、エミールがさらに詳しく話してくれた。
「ヴィクトールには、過去に不正疑惑がある」
「不正?」
「十年ほど前、領地の境界を巡って隣の領主と争った。その時、偽造した土地台帳を提出した疑いがある」
「証拠は?」
「なかった。だが、噂は消えていない。ヴィクトールは、手段を選ばない男だ」
私は、考え込んだ。
「つまり、私たちも何か証拠を掴めれば……」
「その時のために、部下に調査させている。何か出てくれば、牽制に使える」
エミールの目が、鋭くなった。
「だが、今は動くな。向こうの出方を見る」
「わかったわ」
私は頷いた。
けれど、胸の奥に不安が残っていた。
ヴィクトールの目。あの目には、執念があった。簡単には諦めない男だと、直感でわかった。
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夕刻、工房に戻った。
「師匠、おかえりなさい」
リゼットが、作業台の前で立ち上がった。
「ただいま。今日の進み具合は?」
「あの……三つ完成させました」
「見せて」
護符を手に取る。魔力の流れは安定している。リゼットの腕は、着実に上がっていた。
「よくできたわね」
「ありがとうございます」
リゼットが、少し笑った。
けれど、その笑顔がどこかぎこちない気がした。
「どうかした?」
「え……いえ、何でもありません」
「本当に?」
リゼットが、目を逸らした。
「本当です。ちょっと疲れただけで……」
私は、彼女を見つめた。
何かを隠している。そう感じた。
けれど、無理に聞き出すのはやめておいた。彼女が話したくなった時に、聞けばいい。
「今日はここまでにしなさい。明日も早いわよ」
「はい。おやすみなさい、師匠」
リゼットが工房を出ていく。
その背中を見送りながら、私は違和感を覚えていた。
何かが、起きている。
けれど、それが何なのかは、まだわからなかった。
窓の外では、秋の夕暮れが深まっていた。




