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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第24話 公爵家の親戚

秋の陽光が、応接室の窓から差し込んでいた。


私はソファに座り、向かいに座る二人の客人を見つめていた。


ヴィクトール・ド・クレシー。五十代半ばの痩せた男。灰色の髪に、鋭い目。表情は穏やかだが、その奥に何かが潜んでいる気配がある。


その隣には、イザベル。茶会で陰口を叩いていた女。今日は完璧な笑顔を浮かべているが、目だけは笑っていなかった。


「この度は、ご懐妊おめでとうございます、公爵夫人」


ヴィクトールが、慇懃に頭を下げた。


「クレシー家の跡継ぎがお生まれになるとは、我々親族としても、この上ない喜びでございます」


「ありがとうございます」


私は、表情を変えずに答えた。


エミールが、私の隣に座っている。彼の存在が、心強かった。


「わざわざ地方からお越しいただいたのですね」


「ええ。このような慶事を聞いて、居ても立っても居られませんでした。何しろ、エミール様は私の従甥。血の繋がった親族として、お祝いに参りたいと」


「それは、ご丁寧に」


エミールの声は、平坦だった。


私は、彼の横顔を見た。無表情。けれど、その目の奥に警戒の色があるのがわかった。


「ところで、公爵夫人」


イザベルが口を開いた。


「お体の具合はいかがですか。妊娠中は、何かとお辛いでしょう」


「おかげさまで、順調です」


「それは良かったですわ。ただ……」


彼女の目が、わずかに細くなった。


「お噂を聞きましたの。妊娠中も、工房のお仕事を続けていらっしゃるとか」


「ええ。そのつもりです」


「まあ……それは、少々心配ですわ」


イザベルが、扇子を開いた。


「お子様に、悪影響ではないかしら。魔力を使うお仕事は、お体に負担がかかりますでしょう?」


「医師の許可は得ています。無理のない範囲で続けるつもりです」


「でも、公爵家のお世継ぎですわよ? 万が一のことがあったら——」


「イザベル」


ヴィクトールが、妻を制した。


「公爵夫人のご判断に、口を挟むのは失礼だ」


「あら、でも——」


「いいんだ」


ヴィクトールが、私に向き直った。


「失礼いたしました。妻は、少々心配性でしてね。悪気はないのです」


「お気遣いは、ありがたく思います」


私は、冷静に答えた。


「ただ、私の選択は私が決めます。工房を続けることも、子供を守ることも、両立できると信じています」


「なるほど。公爵夫人は、ご自分の意志をお持ちだ」


ヴィクトールの目が、私を見据えた。


「しかし、公爵家の跡継ぎとなれば、話は別ではありませんか。お子様は、将来この家を継ぐお方。相応の育て方が必要でしょう」


「相応の育て方?」


「ええ。貴族としての教養、礼儀作法、帝王学。職人仕事に囲まれて育つのは、いかがなものかと」


言葉の奥に、刃があった。


「それに」


ヴィクトールが続けた。


「失礼ながら、公爵夫人のご出身は——」


「ヴィクトール」


エミールの声が、冷たく響いた。


「それ以上は、聞き捨てならん」


「エミール様、私は——」


「シルヴィアは、俺が選んだ妻だ。モンフォール子爵家の令嬢であり、王国に五人しかいないSランク付与魔法師だ。その出身に、何か問題があるとでも言いたいのか」


ヴィクトールの顔が、わずかに引きつった。


「いいえ、そのようなことは——」


「俺たちの子供は、俺たちの方針で育てる。親族といえど、口を挟む権利はない」


「……失礼いたしました」


ヴィクトールが、頭を下げた。


けれど、その目には悔しさが滲んでいた。


---


「今日はこれで失礼いたします」


ヴィクトールとイザベルが、玄関で頭を下げた。


「また、お祝いの品をお届けいたします。どうか、お体をお大事に」


「ご丁寧にありがとうございます」


私は、形式的に礼を返した。


馬車が去っていく。その姿が見えなくなるまで、私たちは玄関に立っていた。


「……嫌な男だな」


エミールが、ぽつりと言った。


「昔から、そうだったの?」


「ああ。父が生きていた頃から、何かと本家に取り入ろうとしていた。父は相手にしていなかったが」


「養子の計画も、その頃から?」


「俺が当主になってからだ。俺が『結婚しない』と宣言した後、ヴィクトールが頻繁に接触してくるようになった」


エミールが、私の肩に手を置いた。


「気をつけろ。奴は、まだ諦めていない」


「わかっているわ」


私は頷いた。


「でも、何ができるの? 私たちに子供ができれば、継承権は自動的にその子に移るのでしょう?」


「普通はな。だが、ヴィクトールなら何かを企むかもしれない」


「何かって?」


エミールの目が、冷たくなった。


「例えば、子供の正統性を疑問視する。母親の出身や、妊娠中の行動を理由に」


「そんなこと——」


「法的には無理だ。だが、噂を流すことはできる。世論を操作し、王家に申し立てを行うこともできる」


私は、唇を噛んだ。


「イザベルが茶会で陰口を広めていたのも、その一環かもしれないわね」


「おそらくな」


「……許せないわ」


怒りが、込み上げてきた。


「まだ生まれてもいない子供を、政治の道具にしようとするなんて」


「だから、警戒が必要だ」


エミールの手が、私の手を握った。


「だが、心配するな。俺がいる。何があっても、君と子供を守る」


「……エミール」


「信じろ」


その目が、真っ直ぐに私を見ていた。


「ええ。信じているわ」


私は、彼の手を握り返した。


---


書斎で、エミールがさらに詳しく話してくれた。


「ヴィクトールには、過去に不正疑惑がある」


「不正?」


「十年ほど前、領地の境界を巡って隣の領主と争った。その時、偽造した土地台帳を提出した疑いがある」


「証拠は?」


「なかった。だが、噂は消えていない。ヴィクトールは、手段を選ばない男だ」


私は、考え込んだ。


「つまり、私たちも何か証拠を掴めれば……」


「その時のために、部下に調査させている。何か出てくれば、牽制に使える」


エミールの目が、鋭くなった。


「だが、今は動くな。向こうの出方を見る」


「わかったわ」


私は頷いた。


けれど、胸の奥に不安が残っていた。


ヴィクトールの目。あの目には、執念があった。簡単には諦めない男だと、直感でわかった。


---


夕刻、工房に戻った。


「師匠、おかえりなさい」


リゼットが、作業台の前で立ち上がった。


「ただいま。今日の進み具合は?」


「あの……三つ完成させました」


「見せて」


護符を手に取る。魔力の流れは安定している。リゼットの腕は、着実に上がっていた。


「よくできたわね」


「ありがとうございます」


リゼットが、少し笑った。


けれど、その笑顔がどこかぎこちない気がした。


「どうかした?」


「え……いえ、何でもありません」


「本当に?」


リゼットが、目を逸らした。


「本当です。ちょっと疲れただけで……」


私は、彼女を見つめた。


何かを隠している。そう感じた。


けれど、無理に聞き出すのはやめておいた。彼女が話したくなった時に、聞けばいい。


「今日はここまでにしなさい。明日も早いわよ」


「はい。おやすみなさい、師匠」


リゼットが工房を出ていく。


その背中を見送りながら、私は違和感を覚えていた。


何かが、起きている。


けれど、それが何なのかは、まだわからなかった。

窓の外では、秋の夕暮れが深まっていた。

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