第23話 師匠と弟子
「違う。魔力の流れが乱れている」
私の声が、工房に響いた。
リゼットが、作業台の前で固まっている。手元には、半分だけ魔力を込めた護符がある。
「す、すみません」
「謝らなくていいわ。やり直して」
「はい」
リゼットが、深呼吸をした。目を閉じ、集中する。
弟子入りから二週間が経っていた。
最初の一週間は、座学だった。付与魔法の基礎理論、素材の性質、魔力回路の設計原理。全て、私が独学で身につけたことを、体系的に教えた。
そして今週から、実技に入った。
「魔力は、水のように流れる。無理に押し込むのではなく、導くの。回路に沿って、自然に」
「はい……」
リゼットの手が、護符の上で動いた。銀色の光が、微かに揺れる。
まだ不安定だ。けれど、一週間前よりは良くなっている。
「そう。その感覚を覚えなさい」
「……できた、かもしれません」
リゼットが目を開けた。護符の表面に、淡い光が宿っている。
「見せて」
私は護符を手に取った。魔力の流れを確認する。
「……悪くないわね」
「本当ですか」
「まだ粗いけど、形にはなっている。続けなさい」
リゼットの顔が、ぱっと明るくなった。
「はい、師匠」
師匠。
その呼び方にも、少しずつ慣れてきた。
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午後、私は茶会に出席していた。
伯爵夫人主催の小さな集まり。妊娠中でも、完全に社交界から離れるわけにはいかない。公爵夫人としての務めだ。
「公爵夫人、お体の具合はいかがですか」
「おかげさまで、順調です」
「それは何よりですわ。お子様の誕生が、楽しみですわね」
穏やかな会話が続く。
けれど、庭園の向こうから、別の声が聞こえてきた。
「——平民の弟子ですって? 信じられませんわ」
聞き覚えのない声だった。ちらりと視線を向けると、五十代ほどの貴婦人が、数人の令嬢に囲まれて話している。
「公爵夫人ともあろう方が、孤児院出身の小娘を弟子に取るなんて。品位が疑われますわ」
私は、紅茶を口に運んだ。
「あの方は……」
隣に座っていた侯爵夫人が、小声で教えてくれた。
「イザベル・ド・クレシー。ヴィクトール様の奥様ですわ」
「ヴィクトール?」
「ええ。公爵閣下の従叔父様です。地方に領地をお持ちで、滅多に王都には来られないのですけれど」
エミールの親戚。
初めて聞く名前だった。
「最近、王都に来られているようですわ。何か用事があるのかしら」
イザベルの声が、また聞こえてきた。
「それに、妊娠中に工房仕事を続けるなんて。お子様に悪影響ですわよ。公爵家の跡継ぎを、そんな扱いで良いのかしら」
私は、紅茶のカップを置いた。
「公爵夫人……」
侯爵夫人が、心配そうな顔をした。
「お気になさらないで。あの方は、少し口が過ぎるところがありますの」
「大丈夫です」
私は微笑んだ。
「私の選択は、私が決めることですから」
立ち上がり、イザベルのいる方へ歩いていった。
周囲の視線が集まる。イザベルが、私に気づいて顔を強張らせた。
「ごきげんよう、クレシー夫人」
私は、にこやかに声をかけた。
「お噂は、よく聞こえておりましたわ」
イザベルの顔が、わずかに引きつった。
「あ、あら、公爵夫人。お体の具合は——」
「おかげさまで。それより、弟子のことが気になっていらっしゃるとか」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「私の弟子は、才能のある子ですわ。身分は関係ありません。技術は、努力で身につけるものですから」
私は、真っ直ぐにイザベルを見た。
「それに、私が工房を続けることも、子供に悪影響だとは思いませんわ。むしろ、母が誇りを持って働く姿を見せることは、良い教育になると考えています」
イザベルは、何も言えなかった。
周囲の貴婦人たちが、ひそひそと囁いている。しかし、その視線はイザベルに向けられていた。同調する者は、一人もいなかった。
「では、失礼いたしますわ。楽しいお話、ありがとうございました」
私は微笑み、その場を離れた。
背後で、イザベルの悔しそうな声が聞こえた気がした。
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夕刻、工房に戻ると、リゼットが一人で練習を続けていた。
「師匠、おかえりなさい」
「ただいま。進み具合は?」
「あの……三つ、完成させました」
リゼットが、作業台の上の護符を示した。
手に取って確認する。魔力の流れは安定していた。まだ私の作品には及ばないが、市場に出しても恥ずかしくないレベルだ。
「よくできたわね」
「本当ですか」
「ええ。この調子で続けなさい」
リゼットの顔が、輝いた。
「ありがとうございます。もっと頑張ります」
「ただし、無理はしないこと。今日はここまでにしなさい」
「はい」
リゼットが片付けを始める。その背中を見ながら、私は思った。
二週間前、工房の前に立っていた少女。あの時の目に宿っていた光は、今も消えていない。むしろ、強くなっている。
才能だけではない。努力する姿勢がある。
「師匠」
「何?」
「あの……今日、変なことを聞いてもいいですか」
「変なこと?」
リゼットが、少し躊躇いながら言った。
「師匠は、どうして弟子を取ってくれたんですか。私みたいな、孤児院出身の……」
「身分が気になる?」
「いえ、そういうわけじゃなくて……ただ、不思議で」
私は、窓の外を見た。
秋の夕暮れが、庭園を橙色に染めている。
「あなたの目が、昔の私に似ていたから」
「師匠に……?」
「何かを掴もうとして、必死に手を伸ばしていた頃の私。あなたの目を見た時、それを思い出したの」
リゼットが、黙って聞いていた。
「私も、一人で何かを成し遂げようとしていた。誰にも頼らず、自分の力だけで。それが強さだと思っていた」
「今は、違うんですか」
「違うわね」
私は、微笑んだ。
「一人で立つことと、一人で抱え込むことは、違う。誰かと一緒に歩くことも、強さの一つよ」
リゼットの目が、揺れた。
「だから、私に弟子を……」
「技術は、一人で抱え込むものじゃない。次の世代に繋いでいくもの。あなたに教えることで、私もまた学んでいるの」
「師匠……」
「さあ、今日は終わり。明日も早いわよ」
「はい。ありがとうございます」
リゼットが頭を下げ、工房を出ていった。
私は一人、窓辺に立っていた。
次の世代に繋ぐ。
お腹の子供にも、いつかそれを教える日が来るのだろうか。
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夜、寝室で。
「動いたか」
エミールの手が、私のお腹に触れた。
毎日の日課になっていた。朝、昼、夜。暇さえあれば、彼は私のお腹に手を当てる。
「まだよ。三ヶ月じゃ、まだ動かないわ」
「そうか」
「五ヶ月くらいになれば、感じられるらしいわ」
「そうか。待ち遠しいな」
エミールの声には、珍しく柔らかさがあった。
「あなた、毎日確認しすぎよ」
「駄目か」
「駄目じゃないけど……」
「なら、いいだろう」
私は、小さく笑った。
「本当に、楽しみにしているのね」
「当たり前だ」
彼の手が、優しくお腹を撫でた。
「君との子供だ。楽しみでないはずがない」
「……エミール」
「何だ」
「ありがとう」
「何を——」
「毎日、確認してくれて。心配してくれて。一緒に喜んでくれて」
エミールは何も言わなかった。
けれど、その手がわずかに強く、私を引き寄せた。
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翌朝。
書斎で、エミールから話があった。
「ヴィクトールが、明日公爵邸を訪問する」
「ヴィクトール……昨日、茶会でその名前を聞いたわ」
「俺の父の従弟だ。地方に領地を持っている」
エミールの表情が、わずかに硬くなった。
「親戚付き合いは、ほとんどない。俺が当主になってから、数えるほどしか会っていない」
「それが、なぜ今?」
「おそらく、君の妊娠を聞いたからだろう」
私は、眉をひそめた。
「妊娠と、何の関係が?」
「ヴィクトールには、以前から野心がある」
エミールの目が、冷たくなった。
「俺が『誰とも結婚しない』と言っていた頃、自分の息子を養子に入れようと画策していた。俺に跡継ぎがいなければ、公爵家は傍系に移る。それを狙っていた」
「つまり……」
「君との結婚で、その計画は崩れた。そして今、君が妊娠した。正式な跡継ぎが生まれれば、ヴィクトールの野心は完全に潰える」
私は、理解した。
「だから、今になって来たのね」
「ああ。何を企んでいるかはわからないが、警戒しておいた方がいい」
エミールの手が、私の肩に置かれた。
「明日の訪問、俺も同席する。一人で対応する必要はない」
「わかったわ」
私は頷いた。
昨日の茶会で会ったイザベル。そして、明日来るというヴィクトール。
嫌な予感がした。
けれど、逃げるつもりはなかった。
私は公爵夫人だ。この子の母だ。
何が来ても、守ってみせる。




