第20話「あなたの隣で、もう一度」
王立査問会の結審は、夜会から三日後のことだった。
白い大理石の広間に、厳かな声が響く。
「被告人ギルベール・モンフォールを、横領罪および背任罪により有罪とする。爵位剥奪、財産没収、王都より永久追放を命ずる」
法務卿の宣告が、広間に響き渡った。
傍聴席の端で、私はその言葉を聞いていた。
ギルベールは、証人席で蒼白な顔をしていた。かつての狡猾さは消え、ただ震えている老人がそこにいた。
「横領総額は、過去五年間で約一万五千リーブル。この金額は、モンフォール子爵家への返済に充てるものとする」
全ての証拠が揃っていた。隠し口座の記録、改竄された帳簿、領民たちの証言。エミールの部下が集めた情報は、完璧だった。
「被告人を連行せよ」
衛兵がギルベールを連れ去っていく。その背中を、私は静かに見送った。
父の代から仕えていた男。信頼されていた執事。それが、主家を裏切り、財産を奪い、当主を傀儡にしていた。
恨みはない。憎しみも、もうない。
ただ、終わったのだと思った。
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査問会の後、私は庭園でリュカと会った。
初夏の陽光が、薔薇の花を照らしている。白いベンチに並んで座り、私たちは静かに言葉を交わした。
「姉上」
「何?」
「改めて、お礼を言わせてください」
リュカが、真っ直ぐに私を見た。
数日前より、顔色が良くなっている。目の下の隈も薄れ、頬に少しだけ血色が戻っていた。
「あなたがいなければ、私は今も暗闇の中でした。ギルベールに操られ、何も知らないまま、家を失っていたでしょう」
「リュカ……」
「そして、もう一つ」
彼が、深く頭を下げた。
「六年前のことを、お詫びさせてください」
「それは、もう——」
「言わせてください」
リュカの声が、震えていた。
「姉上が伯爵家に嫁いだ時、私は何もできませんでした。借金の肩代わり、政略結婚。姉上が犠牲になっているとわかっていたのに、私は——何も」
「リュカ」
私は、弟の肩に手を置いた。
「あの時、あなたは十四歳だった。当主になったばかりで、何もわからなくて当然よ」
「でも——」
「私も、あなたを責める資格はない。嫁いでから、一度も連絡しなかった。実家のことを、忘れようとしていた」
リュカが顔を上げた。その目に、涙が光っている。
「だから、お互い様よ。過去のことは、もういい」
「姉上……」
「これからのことを、考えましょう。モンフォール家を、一緒に立て直していくの」
私は、弟の頭を軽く撫でた。幼い頃、よくそうしていたように。
「あなたは、もう一人じゃない。私がついている。エミールも、力を貸してくれる」
「はい……はい、姉上」
リュカが、涙を拭いた。
「必ず、立派な当主になります。姉上に、恥じない家を作ります」
「期待しているわ」
弟が、ようやく笑った。
六年ぶりに見る、リュカの笑顔だった。
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夕刻、書斎でエミールと話をした。
「セレスティーヌは、地方の別荘で療養中だ。当分、王都には戻れないだろう」
エミールが、書類を置きながら言った。
「アデライード侯爵夫人は、サロンの主催権を返上した。社交界での影響力は、ほぼなくなった」
「そう……」
「恨むか」
「いいえ」
私は、首を振った。
「彼女たちは、自分の行いの報いを受けただけです。私が恨む必要はありません」
「そうか」
エミールの目が、私を見た。
「君は、優しいな」
「優しい?」
「恨まないと言える。それは、強さであり、優しさだ」
「……そうでしょうか」
「俺は、そう思う」
彼の手が、私の手に重なった。
「君に出会えて、良かった」
不意打ちだった。
「エミール……」
「五年前、君の作品に出会った時から、俺の人生は変わり始めていた。そして、君自身に出会って、完全に変わった」
彼の目が、真っ直ぐに私を見つめている。
「俺は、もう一人で抱え込まない。君がいるから。君に頼れるから」
「私も、です」
声が震えた。
「私も、エミールに出会って変わりました。一人で立つことが強さだと思っていた。でも、違った。誰かと一緒に立つことが、本当の強さなんだと」
「ああ」
「あなたがいてくれて、本当に良かった」
エミールの手が、私の頬に触れた。
「これからも、一緒にいてくれ」
「はい。ずっと」
「君がいる場所が、俺の居場所だ」
「私も、同じです」
彼の唇が、私の額に触れた。
柔らかく、温かく。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。橙色の光が、書斎を染めている。
長い戦いが終わり、穏やかな日々が戻ってきた。
これからも、この人と一緒に歩いていく。
その確信が、胸の中で静かに輝いていた。
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## エピローグ ―― 初秋の工房
風が涼しくなった頃、私は工房で作業をしていた。
窓から見える庭園では、秋の花が咲き始めている。紅葉した葉が、ゆっくりと舞い落ちていく。
あれから数ヶ月が経った。
モンフォール家は、少しずつ立ち直りつつある。リュカは領地経営を一から学び、領民たちとの信頼を取り戻そうと奔走している。時々、手紙が届く。近況報告と、姉への感謝の言葉が綴られた手紙が。
セレスティーヌは、地方で静かに暮らしているらしい。社交界に戻る気配はない。アデライード侯爵夫人も、表舞台から姿を消した。
王妃陛下からは、新しい依頼が届いている。秋の大夜会で身につける首飾り。複合付与で、美しさと護身を兼ね備えた品を、とのことだった。
「シルヴィア」
扉が開く音がした。
振り返ると、エミールが立っていた。いつもの黒い軍服。深い青の瞳。
「おはようございます、エミール」
「ああ」
彼が近づいてきて、私の隣に立った。作業台の上を覗き込む。
「今日は何を作っている」
「王妃陛下の首飾りです。設計が難しくて」
「そうか」
「もう少しで、区切りがつきます」
「いつもそう言う」
「本当にもう少しです」
エミールの口元が、わずかに緩んだ。
変わらない日常。穏やかな朝。
けれど、一つだけ変わったことがあった。
「シルヴィア」
「はい」
「最近、顔色が良いな」
「そうですか?」
「ああ。前より、柔らかくなった」
私は、思わず頬に手を当てた。
「……そうでしょうか」
「俺には、わかる」
エミールの目が、私を見つめていた。
その視線に、私は少しだけ目を逸らした。
「エミール」
「何だ」
「今夜、話したいことがあります」
「話したいこと?」
「はい。大事なことです」
エミールの眉が、かすかに動いた。
「……わかった。待っている」
「ありがとうございます」
彼が工房を出ていく。その背中を見送りながら、私はそっとお腹に手を当てた。
まだ、確信はない。
けれど、予感はあった。
新しい命の、予感が。
「……まだ、早いかしら」
独り言を呟いて、私は苦笑した。
でも、もし本当なら。
この子は、どんな顔をするだろう。エミールに似るだろうか。それとも、私に。
「考えすぎね」
首を振って、作業に戻る。
窓の外では、秋の風が木々を揺らしていた。
穏やかな日々。愛する人との暮らし。そして、もしかしたら——新しい家族。
一年前、離縁届を置いて工房へ向かった日のことを思い出す。
あの時の私は、一人で立つことしか考えていなかった。誰にも頼らず、誰にも頼られず、ただ自分の力だけで生きていこうとしていた。
今は、違う。
隣に、この人がいる。共に歩いてくれる人がいる。
だから、私は幸せだ。
「……ありがとう」
声に出さず、唇だけで呟いた。
エミールに。リュカに。支えてくれた全ての人に。
そして、この世界に生まれ変わらせてくれた、何かに。
私は、幸せです。
そう伝えたかった。
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夜。
寝室で、私はエミールに向き合った。
「話があると言っていたな」
「はい」
「何だ」
私は、深呼吸をした。
そして、彼の手を取り、自分のお腹に当てた。
「エミール」
「……シルヴィア?」
「まだ、確かではありません。でも——」
彼の目が、大きく見開かれた。
「もしかしたら、私たちの子供が、ここにいるかもしれません」
沈黙が落ちた。
エミールは、何も言わなかった。ただ、私のお腹に当てた手を、そっと撫でていた。
「……本当か」
「まだ、わかりません。でも、そんな気がして」
「そうか」
彼の声が、震えていた。
「そう、か」
「エミール?」
顔を上げると、彼の目が潤んでいた。
いつも無表情な、この人の目が。
「エミール、泣いて——」
「泣いていない」
「泣いています」
「……うるさい」
私は、思わず笑った。
「嬉しいの?」
「当たり前だ」
彼の手が、私の頬に触れた。
「君との子供だ。嬉しくないはずがない」
「……エミール」
「ありがとう、シルヴィア」
「何を——」
「俺の隣にいてくれて。俺を選んでくれて。そして——俺たちの子供を、宿してくれて」
涙が、溢れた。
「私こそ……私こそ、ありがとうございます」
「泣くな」
「あなたが泣かせるんです」
「俺のせいか」
「はい」
エミールが、私を抱きしめた。
強く、優しく。
「愛している、シルヴィア」
「私も、愛しています」
「これからも、ずっと一緒にいてくれ」
「はい。ずっと」
「約束だ」
「約束します」
窓の外では、秋の月が輝いていた。
新しい命。新しい家族。新しい未来。
全てが、これから始まる。
この人の隣で。




