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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第20話「あなたの隣で、もう一度」

王立査問会の結審は、夜会から三日後のことだった。


白い大理石の広間に、厳かな声が響く。


「被告人ギルベール・モンフォールを、横領罪および背任罪により有罪とする。爵位剥奪、財産没収、王都より永久追放を命ずる」


法務卿の宣告が、広間に響き渡った。


傍聴席の端で、私はその言葉を聞いていた。


ギルベールは、証人席で蒼白な顔をしていた。かつての狡猾さは消え、ただ震えている老人がそこにいた。


「横領総額は、過去五年間で約一万五千リーブル。この金額は、モンフォール子爵家への返済に充てるものとする」


全ての証拠が揃っていた。隠し口座の記録、改竄された帳簿、領民たちの証言。エミールの部下が集めた情報は、完璧だった。


「被告人を連行せよ」


衛兵がギルベールを連れ去っていく。その背中を、私は静かに見送った。


父の代から仕えていた男。信頼されていた執事。それが、主家を裏切り、財産を奪い、当主を傀儡にしていた。


恨みはない。憎しみも、もうない。


ただ、終わったのだと思った。


---


査問会の後、私は庭園でリュカと会った。


初夏の陽光が、薔薇の花を照らしている。白いベンチに並んで座り、私たちは静かに言葉を交わした。


「姉上」


「何?」


「改めて、お礼を言わせてください」


リュカが、真っ直ぐに私を見た。


数日前より、顔色が良くなっている。目の下の隈も薄れ、頬に少しだけ血色が戻っていた。


「あなたがいなければ、私は今も暗闇の中でした。ギルベールに操られ、何も知らないまま、家を失っていたでしょう」


「リュカ……」


「そして、もう一つ」


彼が、深く頭を下げた。


「六年前のことを、お詫びさせてください」


「それは、もう——」


「言わせてください」


リュカの声が、震えていた。


「姉上が伯爵家に嫁いだ時、私は何もできませんでした。借金の肩代わり、政略結婚。姉上が犠牲になっているとわかっていたのに、私は——何も」


「リュカ」


私は、弟の肩に手を置いた。


「あの時、あなたは十四歳だった。当主になったばかりで、何もわからなくて当然よ」


「でも——」


「私も、あなたを責める資格はない。嫁いでから、一度も連絡しなかった。実家のことを、忘れようとしていた」


リュカが顔を上げた。その目に、涙が光っている。


「だから、お互い様よ。過去のことは、もういい」


「姉上……」


「これからのことを、考えましょう。モンフォール家を、一緒に立て直していくの」


私は、弟の頭を軽く撫でた。幼い頃、よくそうしていたように。


「あなたは、もう一人じゃない。私がついている。エミールも、力を貸してくれる」


「はい……はい、姉上」


リュカが、涙を拭いた。


「必ず、立派な当主になります。姉上に、恥じない家を作ります」


「期待しているわ」


弟が、ようやく笑った。


六年ぶりに見る、リュカの笑顔だった。


---


夕刻、書斎でエミールと話をした。


「セレスティーヌは、地方の別荘で療養中だ。当分、王都には戻れないだろう」


エミールが、書類を置きながら言った。


「アデライード侯爵夫人は、サロンの主催権を返上した。社交界での影響力は、ほぼなくなった」


「そう……」


「恨むか」


「いいえ」


私は、首を振った。


「彼女たちは、自分の行いの報いを受けただけです。私が恨む必要はありません」


「そうか」


エミールの目が、私を見た。


「君は、優しいな」


「優しい?」


「恨まないと言える。それは、強さであり、優しさだ」


「……そうでしょうか」


「俺は、そう思う」


彼の手が、私の手に重なった。


「君に出会えて、良かった」


不意打ちだった。


「エミール……」


「五年前、君の作品に出会った時から、俺の人生は変わり始めていた。そして、君自身に出会って、完全に変わった」


彼の目が、真っ直ぐに私を見つめている。


「俺は、もう一人で抱え込まない。君がいるから。君に頼れるから」


「私も、です」


声が震えた。


「私も、エミールに出会って変わりました。一人で立つことが強さだと思っていた。でも、違った。誰かと一緒に立つことが、本当の強さなんだと」


「ああ」


「あなたがいてくれて、本当に良かった」


エミールの手が、私の頬に触れた。


「これからも、一緒にいてくれ」


「はい。ずっと」


「君がいる場所が、俺の居場所だ」


「私も、同じです」


彼の唇が、私の額に触れた。


柔らかく、温かく。


窓の外では、夕日が沈みかけていた。橙色の光が、書斎を染めている。


長い戦いが終わり、穏やかな日々が戻ってきた。


これからも、この人と一緒に歩いていく。


その確信が、胸の中で静かに輝いていた。


---


## エピローグ ―― 初秋の工房


風が涼しくなった頃、私は工房で作業をしていた。


窓から見える庭園では、秋の花が咲き始めている。紅葉した葉が、ゆっくりと舞い落ちていく。


あれから数ヶ月が経った。


モンフォール家は、少しずつ立ち直りつつある。リュカは領地経営を一から学び、領民たちとの信頼を取り戻そうと奔走している。時々、手紙が届く。近況報告と、姉への感謝の言葉が綴られた手紙が。


セレスティーヌは、地方で静かに暮らしているらしい。社交界に戻る気配はない。アデライード侯爵夫人も、表舞台から姿を消した。


王妃陛下からは、新しい依頼が届いている。秋の大夜会で身につける首飾り。複合付与で、美しさと護身を兼ね備えた品を、とのことだった。


「シルヴィア」


扉が開く音がした。


振り返ると、エミールが立っていた。いつもの黒い軍服。深い青の瞳。


「おはようございます、エミール」


「ああ」


彼が近づいてきて、私の隣に立った。作業台の上を覗き込む。


「今日は何を作っている」


「王妃陛下の首飾りです。設計が難しくて」


「そうか」


「もう少しで、区切りがつきます」


「いつもそう言う」


「本当にもう少しです」


エミールの口元が、わずかに緩んだ。


変わらない日常。穏やかな朝。


けれど、一つだけ変わったことがあった。


「シルヴィア」


「はい」


「最近、顔色が良いな」


「そうですか?」


「ああ。前より、柔らかくなった」


私は、思わず頬に手を当てた。


「……そうでしょうか」


「俺には、わかる」


エミールの目が、私を見つめていた。


その視線に、私は少しだけ目を逸らした。


「エミール」


「何だ」


「今夜、話したいことがあります」


「話したいこと?」


「はい。大事なことです」


エミールの眉が、かすかに動いた。


「……わかった。待っている」


「ありがとうございます」


彼が工房を出ていく。その背中を見送りながら、私はそっとお腹に手を当てた。


まだ、確信はない。


けれど、予感はあった。


新しい命の、予感が。


「……まだ、早いかしら」


独り言を呟いて、私は苦笑した。


でも、もし本当なら。


この子は、どんな顔をするだろう。エミールに似るだろうか。それとも、私に。


「考えすぎね」


首を振って、作業に戻る。


窓の外では、秋の風が木々を揺らしていた。


穏やかな日々。愛する人との暮らし。そして、もしかしたら——新しい家族。


一年前、離縁届を置いて工房へ向かった日のことを思い出す。


あの時の私は、一人で立つことしか考えていなかった。誰にも頼らず、誰にも頼られず、ただ自分の力だけで生きていこうとしていた。


今は、違う。


隣に、この人がいる。共に歩いてくれる人がいる。


だから、私は幸せだ。


「……ありがとう」


声に出さず、唇だけで呟いた。


エミールに。リュカに。支えてくれた全ての人に。


そして、この世界に生まれ変わらせてくれた、何かに。


私は、幸せです。


そう伝えたかった。


---


夜。


寝室で、私はエミールに向き合った。


「話があると言っていたな」


「はい」


「何だ」


私は、深呼吸をした。


そして、彼の手を取り、自分のお腹に当てた。


「エミール」


「……シルヴィア?」


「まだ、確かではありません。でも——」


彼の目が、大きく見開かれた。


「もしかしたら、私たちの子供が、ここにいるかもしれません」


沈黙が落ちた。


エミールは、何も言わなかった。ただ、私のお腹に当てた手を、そっと撫でていた。


「……本当か」


「まだ、わかりません。でも、そんな気がして」


「そうか」


彼の声が、震えていた。


「そう、か」


「エミール?」


顔を上げると、彼の目が潤んでいた。


いつも無表情な、この人の目が。


「エミール、泣いて——」


「泣いていない」


「泣いています」


「……うるさい」


私は、思わず笑った。


「嬉しいの?」


「当たり前だ」


彼の手が、私の頬に触れた。


「君との子供だ。嬉しくないはずがない」


「……エミール」


「ありがとう、シルヴィア」


「何を——」


「俺の隣にいてくれて。俺を選んでくれて。そして——俺たちの子供を、宿してくれて」


涙が、溢れた。


「私こそ……私こそ、ありがとうございます」


「泣くな」


「あなたが泣かせるんです」


「俺のせいか」


「はい」


エミールが、私を抱きしめた。


強く、優しく。


「愛している、シルヴィア」


「私も、愛しています」


「これからも、ずっと一緒にいてくれ」


「はい。ずっと」


「約束だ」


「約束します」


窓の外では、秋の月が輝いていた。


新しい命。新しい家族。新しい未来。


全てが、これから始まる。


この人の隣で。

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