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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第19話 夜会での逆転

初夏の夜会は、薔薇の香りに包まれていた。


王宮の大広間には、色とりどりのドレスを纏った貴婦人たちが集っている。シャンデリアの光が、宝石のように煌めいていた。


私は、エミールの隣に立っていた。


深紅のドレス。胸元には、エミールから贈られたルビーのブローチ。髪は高く結い上げ、銀の髪飾りが光を受けて輝いている。


「緊張しているか」


エミールの声が、低く響いた。


「いいえ」


今日は、嘘ではなかった。


「全ての準備は整っています。あとは、実行するだけ」


「ああ」


エミールの目が、広間を見渡した。


「ギルベールは、今朝拘束した。モンフォール領から逃げ出そうとしたところを、俺の部下が押さえた」


「そうですか」


「リュカは、無事だ。今頃、王都に向かっている。夜会の途中で到着するだろう」


胸の奥で、安堵が広がった。


「ありがとうございます、エミール」


「礼はいい。今夜は、君の戦いだ」


彼の手が、私の腰にそっと触れた。


「俺は、隣にいる」


「ええ。わかっています」


その時、広間の空気が変わった。


「公爵夫人」


聞き覚えのある声がした。


振り返ると、セレスティーヌ・ド・ヴェルサイユが立っていた。


純白のドレス。首元にはサファイアのネックレス。いつもの完璧な笑顔を浮かべている。


けれど、その目の奥には、隠しきれない炎があった。


「ごきげんよう、ヴェルサイユ嬢」


「ええ、ごきげんよう。今夜は素敵なドレスですわね」


「ありがとうございます。あなたもお綺麗ですわ」


社交辞令を交わす。周囲の貴族たちが、二人のやり取りを見守っている。


セレスティーヌの唇が、わずかに歪んだ。


「ところで、公爵夫人。お噂を聞きましたわ」


「何のことでしょう」


「ご実家のモンフォール家のこと。大変なことになっているとか」


空気が、凍りついた。


「執事が横領をしていたそうですわね。当主のご令弟は軟禁状態。まさか公爵夫人のご実家が、そんな有様だったなんて」


彼女の声は、わざと周囲に聞こえるように大きかった。


「お気の毒に。ご実家の恥を、こんな場で晒されるなんて」


周囲の貴族たちが、ざわめき始めた。


セレスティーヌの狙いは明らかだった。私の実家の醜聞を公開し、恥をかかせようとしている。


「ヴェルサイユ嬢」


私は、静かに言った。


「確かに、モンフォール家では問題が起きていました。執事が横領を働き、当主である弟を傀儡にしていた」


セレスティーヌの目が、勝ち誇ったように輝いた。


「ですが」


私は、一歩前に出た。


「その問題は、既に解決しました」


「……何ですって?」


「執事ギルベールは、今朝、拘束されました。横領の証拠は全て押さえてあります。弟は解放され、今夜この夜会に向かっています」


セレスティーヌの顔から、笑みが消えた。


「モンフォール家の問題は、私たち家族の手で解決しました。ご心配には及びません」


沈黙が落ちた。


周囲の貴族たちが、セレスティーヌと私を交互に見ている。


「……そう。それは良かったですわね」


セレスティーヌが、無理やり笑顔を作った。


「でも、ご実家に問題があったことには変わりませんわ。公爵夫人としての品位が——」


「ヴェルサイユ嬢」


エミールの声が、冷たく響いた。


「一つ、聞いてもいいか」


セレスティーヌの顔が、強張った。


「な、何でしょうか、公爵閣下」


「君の慈善活動について、少々気になることがある」


「慈善活動……?」


「孤児院への寄付金だ。過去三年間で、君が集めた寄付金の総額と、実際に孤児院に届いた金額に、大きな差異がある」


広間が、静まり返った。


「何を……何を仰っているのですか」


「具体的に言おうか」


エミールが、懐から書類を取り出した。


「過去三年間で、君が集めた寄付金は約三万リーブル。しかし、孤児院が受け取った金額は約二万四千リーブル。差額の六千リーブルは、どこへ消えた?」


セレスティーヌの顔から、血の気が引いていく。


「それは……それは、経費です。運営費や、事務費が——」


「経費の明細も調べた。君の申告した経費は、約千リーブル。残りの五千リーブルは、説明がつかない」


「そんな……そんなはずは……」


「さらに言えば」


エミールの声が、容赦なく続いた。


「この五千リーブルと同額の金が、君名義の隠し口座に入金されている記録がある」


広間が、ざわめいた。


「横領だ、ヴェルサイユ嬢。君は、孤児たちのための寄付金を、私的に流用していた」


セレスティーヌの膝が、がくりと崩れた。


「違う……違います……私は……」


「母上!」


彼女が叫んだ。


広間の端に、アデライード侯爵夫人が立っていた。娘を見る目は、凍りついていた。


「母上、助けて……これは誤解です……」


「セレスティーヌ」


侯爵夫人の声は、冷たかった。


「……帰りましょう」


「母上……?」


「これ以上、恥をさらすのはやめなさい」


侯爵夫人が歩み寄り、娘の腕を取った。


「侯爵家の名誉を、これ以上傷つけることは許しません」


セレスティーヌの目に、絶望が浮かんだ。


母親にさえ、見捨てられた。


私は、彼女を見下ろした。


「ヴェルサイユ嬢」


「……何よ」


「お気の毒に」


その言葉に、セレスティーヌの顔が歪んだ。


自分が私に向けた言葉を、そのまま返された。それが、どれほど屈辱的か。


「覚えていなさい……必ず……」


「セレスティーヌ」


侯爵夫人が、娘を引きずるように連れ去った。


その背中が、広間から消えていく。


周囲の貴族たちが、ひそひそと囁き合っている。しかし、その視線に軽蔑の色はなかった。むしろ、私を見る目には、敬意があった。


「シルヴィア」


エミールの声がした。


「終わったな」


「ええ。終わりました」


私は、深く息を吐いた。


終わった。セレスティーヌとの戦いが、ようやく。


---


夜会が再び動き始めた頃、広間の入り口がざわめいた。


「あれは……」


「モンフォール子爵?」


振り返ると、リュカが立っていた。


数日前より、顔色が良くなっている。まだ痩せてはいるが、目には光が戻っていた。


彼は、真っ直ぐに私の元へ歩いてきた。


「姉上」


「リュカ。よく来たわね」


「姉上のおかげです」


リュカが、深く頭を下げた。


周囲の貴族たちが、注目している。


「皆様の前で、申し上げたいことがあります」


彼の声は、震えていたが、はっきりとしていた。


「私は、モンフォール子爵家当主リュカ・モンフォールです。本日は、姉シルヴィアに、公の場で感謝を述べたく参りました」


広間が、静まり返った。


「私は五年間、執事に実権を奪われ、傀儡となっていました。家の財産は横領され、領地は荒廃し、私には何もできませんでした」


リュカの声が、広間に響く。


「そんな私を、姉は見捨てませんでした。助けを求めた私のために、危険を冒して領地に来てくれました。そして、クレシー公爵閣下と共に、私を救い出してくれました」


彼が顔を上げた。その目に、涙が光っていた。


「姉上。本当に、ありがとうございます。あなたがいなければ、私は今も暗闘の中にいました」


「リュカ……」


「これからは、私も変わります。モンフォール家を再建し、領民たちの暮らしを取り戻します。姉上に恥じない当主になります」


私は、弟の肩に手を置いた。


「あなたなら、できるわ」


「はい。必ず」


周囲から、拍手が起こった。


最初は小さく、やがて大きく。貴族たちが、リュカの決意を祝福していた。


私は、弟の隣に立ちながら、エミールを見た。


彼は少し離れた場所で、腕を組んで立っていた。その目が、私を見て、わずかに和らいだ。


口の形だけで、言葉が伝わってきた。


『よくやった』


私は、小さく頷いた。


---


夜会の後半、ダンスの時間が訪れた。


楽団が優雅な旋律を奏で始める。貴族たちが、次々と踊りの輪に加わっていく。


「シルヴィア」


エミールが、私の前に立った。


「踊るか」


「はい」


差し出された手を取る。


広間の中央へ。周囲の視線が集まる中、私たちは踊り始めた。


「今夜は、君の完全な勝利だった」


エミールの声が、低く響いた。


「あなたのおかげです」


「違う。君が、自分で勝ち取った」


彼の手が、私の腰を支えている。大きな手。温かい手。


「セレスティーヌは終わった。ギルベールも拘束した。リュカとも和解した。全て、君の力だ」


「一人では、できませんでした」


「俺は、隣にいただけだ」


「それが、一番大きな力でした」


エミールの目が、わずかに揺れた。


「シルヴィア」


「はい」


「君は、俺の誇りだ」


心臓が、大きく跳ねた。


「自分の足で立ち、自分の手で戦い、自分の力で勝った。そんな君を、俺は誇りに思う」


「エミール……」


「これからも、君の隣にいさせてくれ」


彼の目が、真っ直ぐに私を見つめていた。


深い青の瞳。いつもは読み取れないその目に、今は確かな愛情があった。


「……ずっと、いてください」


「ああ」


「離れないでください」


「離れない」


「約束ですよ」


「約束だ」


曲が終わる。


私たちは、踊りの輪の中央で立ち止まった。周囲の拍手が、遠くに聞こえる。


エミールの手が、私の手を握ったまま離れない。


「シルヴィア」


「はい」


「愛している」


その言葉が、静かに胸に染み渡った。


「私も、愛しています」


エミールの口元が、わずかに緩んだ。


周囲の貴族たちが見ている。けれど、構わなかった。


この人の隣にいられることが、何よりも幸せだった。


窓の外では、初夏の星が輝いていた。


長い戦いが、ようやく終わった。

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