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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第18話 二人で動く

馬車が、街道を走っていた。


窓の外には、春の野原が広がっている。王都を出て半日。モンフォール領まで、あと数時間の距離だった。


「緊張しているか」


向かいの席で、エミールが言った。


「……少しだけ」


正直に答えた。


六年ぶりに、実家の地を踏む。気弱な弟に会う。そして、父の代から仕えていた執事と対峙する。


「作戦を、もう一度確認する」


エミールが、膝の上に広げた地図を示した。


「俺の部下が先行して、ギルベールの動きを監視している。奴は今、屋敷にいる。逃亡の準備を進めているが、まだ動いてはいない」


「リュカは」


「屋敷の自室に軟禁状態だ。ギルベールの手の者が、常に見張っている」


「どうやって会いますか」


「裏口から入る。屋敷の古い使用人に、俺の部下が接触した。ギルベールに忠誠を誓っていない者が、まだ何人かいる」


エミールの目が、私を見た。


「危険だ。ギルベールに見つかれば、どうなるかわからない」


「わかっています」


「それでも、行くか」


「はい」


迷いはなかった。


「リュカは、私を頼って手紙を送ってきました。私が行かなければ、誰が助けるんですか」


エミールは、しばらく私を見つめていた。


そして、小さく頷いた。


「俺も一緒に行く」


「え……でも、エミールが行けば目立ちます。公爵が——」


「君一人で行かせるつもりはない」


彼の声には、有無を言わせぬ響きがあった。


「君の家族は、俺の家族だ。リュカを助けるのは、俺にとっても当然のことだ」


胸が、熱くなった。


「……ありがとうございます」


「礼はいらない」


「言います」


「頑固だな」


「あなたに似たんです」


エミールの口元が、わずかに緩んだ。


馬車が揺れる。窓の外で、景色が流れていく。


もうすぐ、モンフォール領だ。


---


領都の街並みは、記憶よりも寂れていた。


かつては活気のあった市場も、今は人影がまばらだ。店の多くは閉じられ、道には雑草が生えている。


「ひどい……」


馬車の窓から外を見て、私は呟いた。


六年前とは、まるで別の場所のようだった。


「領地経営が破綻しかけている」


エミールが言った。


「ギルベールが金を吸い上げ、まともな投資をしていない。このままでは、数年以内に領民が離散するだろう」


怒りが、込み上げてきた。


父が守ってきた領地。領民たちの暮らし。それを、一人の男が食い物にしている。


「必ず、取り戻します」


「ああ」


エミールの手が、私の手に重なった。


「一緒にな」


---


モンフォール邸は、領都の外れにあった。


小さいが、由緒ある屋敷だ。私が生まれ育った場所。


今は、牢獄のようだった。


「あの窓だ」


エミールの部下が、屋敷の裏手を指差した。


「リュカ様の部屋は、二階の東側。見張りは一人。交代は一時間ごと」


「裏口は」


「厨房につながっています。古参の料理人が、協力してくれることになっています」


私は、屋敷を見上げた。


あの窓の向こうに、リュカがいる。六年間、会っていない弟が。


「行こう」


エミールが言った。


私たちは、屋敷の裏手へ回った。


---


厨房は、薄暗かった。


かまどの火が小さく燃えている。その前に、白髪の老女が立っていた。


「お嬢様……」


彼女が、私を見て目を見開いた。


「マルタ」


覚えていた。幼い頃から、私の世話をしてくれた料理人だ。


「お嬢様、お帰りなさいませ。ああ、こんな日が来るなんて……」


彼女の目に、涙が浮かんでいた。


「マルタ、リュカのところへ案内して」


「はい、はい。こちらへ」


マルタに導かれ、私たちは使用人用の階段を上った。エミールが後ろについてくる。


廊下は静かだった。ギルベールの手の者は、表側を見張っているらしい。


「ここです」


マルタが、一つの扉の前で立ち止まった。


「お嬢様、どうかリュカ様を……あの子を、助けてやってください」


「ええ。必ず」


私は扉を開けた。


---


部屋の中は、薄暗かった。


カーテンが閉められ、わずかな光しか入ってこない。その中に、一人の青年が座っていた。


銀髪。線の細い体。私と同じ、モンフォール家の特徴を持つ顔立ち。


「誰だ……」


掠れた声だった。


「リュカ」


私は、名前を呼んだ。


青年が、ゆっくりと顔を上げた。


その目が、私を見て——大きく見開かれた。


「姉、上……?」


「久しぶりね、リュカ」


弟の顔は、記憶よりもずっと痩せていた。頬はこけ、目の下には深い隈がある。


「本当に……本当に姉上なのですか……?」


「ええ。私よ」


リュカが、椅子から立ち上がろうとした。足がもつれ、よろめく。私は咄嗟に手を伸ばし、彼を支えた。


「姉上……姉上……」


彼の体が、震えていた。


「来てくれた……本当に、来てくれた……」


「当たり前よ。あなたが助けを求めたんだから」


リュカの目から、涙が溢れた。


「すみません……すみません、姉上……」


「何を謝っているの」


「私は……姉上が伯爵家に嫁いだ時、何もできなかった。姉上が苦しんでいると聞いても、助けに行けなかった。私は、弱くて、何もできなくて……」


彼の声が、嗚咽に変わった。


「ずっと、後悔していました。姉上を見捨てた自分が、許せなかった。でも、謝ることさえできなくて……」


私は、弟の肩を握った。


「リュカ」


「はい……」


「私も、あなたを見捨てた」


彼が、顔を上げた。


「伯爵家に嫁いでから、一度も連絡しなかった。あなたのことを、考えなかった。自分のことで精一杯で、実家のことなど——忘れようとしていた」


正直に、言った。


「だから、お互い様よ」


リュカの目が、揺れた。


「姉上……」


「過去のことは、もういい。今は、前を向きましょう。あなたを助けに来たの。ギルベールを追い出して、モンフォール家を取り戻す」


「でも、あの男は……」


「証拠は集まっている。横領の記録も、隠し口座も。もう、逃げられないわ」


リュカの目に、光が戻った。


「本当、ですか……」


「ええ。だから、あなたは私を信じて。一緒に戦いましょう」


弟が、ゆっくりと頷いた。


「はい……はい、姉上」


その時、扉の外に人影が現れた。


「時間だ」


エミールの声だった。


「見張りが戻ってくる。今日は引き上げよう」


私は頷き、リュカに向き直った。


「明後日、王都で全てを決着させる。それまで、ここで待っていて」


「わかりました」


「必ず、迎えに来るから」


リュカが、涙を拭いながら頷いた。


「信じています、姉上」


私は弟の手を一度だけ握り、部屋を出た。


---


宿に戻ったのは、夜も更けた頃だった。


エミールの部下が、報告に訪れていた。


「公爵閣下、シルヴィア様。一つ、お伝えしたいことが」


「何だ」


「セレスティーヌ・ド・ヴェルサイユ嬢について、調査を進めておりましたところ——不正の端緒を発見しました」


私は、思わずエミールと顔を見合わせた。


「セレスティーヌの、不正?」


「はい。彼女が主催している慈善活動についてです。寄付金の一部が、不明な用途に流れています」


「詳しく話せ」


「孤児院への寄付金として集められた金の約二割が、実際には孤児院に届いていません。帳簿上は届いたことになっていますが、孤児院側の受領記録と金額が一致しません」


横領。


セレスティーヌが、慈善活動の名目で集めた寄付金を、私的に流用している。


「証拠は」


「集めています。あと数日あれば、確実なものが揃うかと」


エミールが頷いた。


「急げ。次の夜会までに間に合わせろ」


「かしこまりました」


部下が退出した後、私はエミールを見た。


「セレスティーヌまで……」


「因果だな」


エミールの声は、静かだった。


「他人を貶めようとする者は、自分も貶められる。それが、世の理だ」


「でも、なぜ今になって」


「おそらく、君を攻撃するために動いたことで、ボロが出たんだろう。調べれば調べるほど、埃が出てくる」


エミールの目が、私を見た。


「ギルベールとセレスティーヌ。二つの問題を、同時に片付けられるかもしれない」


「次の夜会で」


「ああ。全てを、決着させる」


私は頷いた。


窓の外では、春の月が輝いていた。


戦いの準備は整った。あとは、実行するだけだ。


「シルヴィア」


エミールが、私の手を取った。


「今日、よくやった」


「……ありがとうございます」


「リュカとの和解、見ていた。君は、強くなった」


「あなたのおかげです」


「違う。君自身の力だ」


彼の手が、私の手を握り締めた。


「俺は、隣にいただけだ」


「それが、一番の力になったんです」


エミールは何も言わなかった。けれど、その耳がわずかに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。


明後日、全てが決まる。


その時まで、この手を離さないでいてほしい。


そう願いながら、私は彼の手を握り返した。

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