第18話 二人で動く
馬車が、街道を走っていた。
窓の外には、春の野原が広がっている。王都を出て半日。モンフォール領まで、あと数時間の距離だった。
「緊張しているか」
向かいの席で、エミールが言った。
「……少しだけ」
正直に答えた。
六年ぶりに、実家の地を踏む。気弱な弟に会う。そして、父の代から仕えていた執事と対峙する。
「作戦を、もう一度確認する」
エミールが、膝の上に広げた地図を示した。
「俺の部下が先行して、ギルベールの動きを監視している。奴は今、屋敷にいる。逃亡の準備を進めているが、まだ動いてはいない」
「リュカは」
「屋敷の自室に軟禁状態だ。ギルベールの手の者が、常に見張っている」
「どうやって会いますか」
「裏口から入る。屋敷の古い使用人に、俺の部下が接触した。ギルベールに忠誠を誓っていない者が、まだ何人かいる」
エミールの目が、私を見た。
「危険だ。ギルベールに見つかれば、どうなるかわからない」
「わかっています」
「それでも、行くか」
「はい」
迷いはなかった。
「リュカは、私を頼って手紙を送ってきました。私が行かなければ、誰が助けるんですか」
エミールは、しばらく私を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「俺も一緒に行く」
「え……でも、エミールが行けば目立ちます。公爵が——」
「君一人で行かせるつもりはない」
彼の声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「君の家族は、俺の家族だ。リュカを助けるのは、俺にとっても当然のことだ」
胸が、熱くなった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
「言います」
「頑固だな」
「あなたに似たんです」
エミールの口元が、わずかに緩んだ。
馬車が揺れる。窓の外で、景色が流れていく。
もうすぐ、モンフォール領だ。
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領都の街並みは、記憶よりも寂れていた。
かつては活気のあった市場も、今は人影がまばらだ。店の多くは閉じられ、道には雑草が生えている。
「ひどい……」
馬車の窓から外を見て、私は呟いた。
六年前とは、まるで別の場所のようだった。
「領地経営が破綻しかけている」
エミールが言った。
「ギルベールが金を吸い上げ、まともな投資をしていない。このままでは、数年以内に領民が離散するだろう」
怒りが、込み上げてきた。
父が守ってきた領地。領民たちの暮らし。それを、一人の男が食い物にしている。
「必ず、取り戻します」
「ああ」
エミールの手が、私の手に重なった。
「一緒にな」
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モンフォール邸は、領都の外れにあった。
小さいが、由緒ある屋敷だ。私が生まれ育った場所。
今は、牢獄のようだった。
「あの窓だ」
エミールの部下が、屋敷の裏手を指差した。
「リュカ様の部屋は、二階の東側。見張りは一人。交代は一時間ごと」
「裏口は」
「厨房につながっています。古参の料理人が、協力してくれることになっています」
私は、屋敷を見上げた。
あの窓の向こうに、リュカがいる。六年間、会っていない弟が。
「行こう」
エミールが言った。
私たちは、屋敷の裏手へ回った。
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厨房は、薄暗かった。
かまどの火が小さく燃えている。その前に、白髪の老女が立っていた。
「お嬢様……」
彼女が、私を見て目を見開いた。
「マルタ」
覚えていた。幼い頃から、私の世話をしてくれた料理人だ。
「お嬢様、お帰りなさいませ。ああ、こんな日が来るなんて……」
彼女の目に、涙が浮かんでいた。
「マルタ、リュカのところへ案内して」
「はい、はい。こちらへ」
マルタに導かれ、私たちは使用人用の階段を上った。エミールが後ろについてくる。
廊下は静かだった。ギルベールの手の者は、表側を見張っているらしい。
「ここです」
マルタが、一つの扉の前で立ち止まった。
「お嬢様、どうかリュカ様を……あの子を、助けてやってください」
「ええ。必ず」
私は扉を開けた。
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部屋の中は、薄暗かった。
カーテンが閉められ、わずかな光しか入ってこない。その中に、一人の青年が座っていた。
銀髪。線の細い体。私と同じ、モンフォール家の特徴を持つ顔立ち。
「誰だ……」
掠れた声だった。
「リュカ」
私は、名前を呼んだ。
青年が、ゆっくりと顔を上げた。
その目が、私を見て——大きく見開かれた。
「姉、上……?」
「久しぶりね、リュカ」
弟の顔は、記憶よりもずっと痩せていた。頬はこけ、目の下には深い隈がある。
「本当に……本当に姉上なのですか……?」
「ええ。私よ」
リュカが、椅子から立ち上がろうとした。足がもつれ、よろめく。私は咄嗟に手を伸ばし、彼を支えた。
「姉上……姉上……」
彼の体が、震えていた。
「来てくれた……本当に、来てくれた……」
「当たり前よ。あなたが助けを求めたんだから」
リュカの目から、涙が溢れた。
「すみません……すみません、姉上……」
「何を謝っているの」
「私は……姉上が伯爵家に嫁いだ時、何もできなかった。姉上が苦しんでいると聞いても、助けに行けなかった。私は、弱くて、何もできなくて……」
彼の声が、嗚咽に変わった。
「ずっと、後悔していました。姉上を見捨てた自分が、許せなかった。でも、謝ることさえできなくて……」
私は、弟の肩を握った。
「リュカ」
「はい……」
「私も、あなたを見捨てた」
彼が、顔を上げた。
「伯爵家に嫁いでから、一度も連絡しなかった。あなたのことを、考えなかった。自分のことで精一杯で、実家のことなど——忘れようとしていた」
正直に、言った。
「だから、お互い様よ」
リュカの目が、揺れた。
「姉上……」
「過去のことは、もういい。今は、前を向きましょう。あなたを助けに来たの。ギルベールを追い出して、モンフォール家を取り戻す」
「でも、あの男は……」
「証拠は集まっている。横領の記録も、隠し口座も。もう、逃げられないわ」
リュカの目に、光が戻った。
「本当、ですか……」
「ええ。だから、あなたは私を信じて。一緒に戦いましょう」
弟が、ゆっくりと頷いた。
「はい……はい、姉上」
その時、扉の外に人影が現れた。
「時間だ」
エミールの声だった。
「見張りが戻ってくる。今日は引き上げよう」
私は頷き、リュカに向き直った。
「明後日、王都で全てを決着させる。それまで、ここで待っていて」
「わかりました」
「必ず、迎えに来るから」
リュカが、涙を拭いながら頷いた。
「信じています、姉上」
私は弟の手を一度だけ握り、部屋を出た。
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宿に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
エミールの部下が、報告に訪れていた。
「公爵閣下、シルヴィア様。一つ、お伝えしたいことが」
「何だ」
「セレスティーヌ・ド・ヴェルサイユ嬢について、調査を進めておりましたところ——不正の端緒を発見しました」
私は、思わずエミールと顔を見合わせた。
「セレスティーヌの、不正?」
「はい。彼女が主催している慈善活動についてです。寄付金の一部が、不明な用途に流れています」
「詳しく話せ」
「孤児院への寄付金として集められた金の約二割が、実際には孤児院に届いていません。帳簿上は届いたことになっていますが、孤児院側の受領記録と金額が一致しません」
横領。
セレスティーヌが、慈善活動の名目で集めた寄付金を、私的に流用している。
「証拠は」
「集めています。あと数日あれば、確実なものが揃うかと」
エミールが頷いた。
「急げ。次の夜会までに間に合わせろ」
「かしこまりました」
部下が退出した後、私はエミールを見た。
「セレスティーヌまで……」
「因果だな」
エミールの声は、静かだった。
「他人を貶めようとする者は、自分も貶められる。それが、世の理だ」
「でも、なぜ今になって」
「おそらく、君を攻撃するために動いたことで、ボロが出たんだろう。調べれば調べるほど、埃が出てくる」
エミールの目が、私を見た。
「ギルベールとセレスティーヌ。二つの問題を、同時に片付けられるかもしれない」
「次の夜会で」
「ああ。全てを、決着させる」
私は頷いた。
窓の外では、春の月が輝いていた。
戦いの準備は整った。あとは、実行するだけだ。
「シルヴィア」
エミールが、私の手を取った。
「今日、よくやった」
「……ありがとうございます」
「リュカとの和解、見ていた。君は、強くなった」
「あなたのおかげです」
「違う。君自身の力だ」
彼の手が、私の手を握り締めた。
「俺は、隣にいただけだ」
「それが、一番の力になったんです」
エミールは何も言わなかった。けれど、その耳がわずかに赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
明後日、全てが決まる。
その時まで、この手を離さないでいてほしい。
そう願いながら、私は彼の手を握り返した。




