第17話 頼り方がわからない
朝の光が、工房に差し込んでいた。
作業台の前に、二つの椅子が向かい合わせに置かれている。私とエミールは、そこに座っていた。
昨夜、全てを話した。けれど、まだ言葉にしていないことがあった。
「シルヴィア」
エミールが口を開いた。
「一つ、聞いていいか」
「何でしょうか」
「なぜ、頼れなかった」
その問いに、私は言葉を詰まらせた。
「心配をかけたくなかったと言っていたな。だが、それだけじゃないだろう」
彼の目が、真っ直ぐに私を見ている。
嘘は、つけなかった。
「……頼り方が、わからないんです」
声が、小さくなった。
「頼り方?」
「はい。誰かに助けを求めるということが、どうすればいいのか、わからないんです」
エミールは黙って聞いていた。
「前世でも、そうでした。会社で無理な仕事を押し付けられても、断れなかった。助けを求められなかった。一人で抱え込んで、一人で潰れて——最後は、一人で死にました」
言葉にすると、胸が痛んだ。
「この世界に生まれ変わっても、同じでした。父が亡くなった時も、伯爵家で冷遇された時も、誰にも助けを求められなかった。一人で耐えることしか、知らなかったから」
「シルヴィア」
「工房を始めたのも、そうです。誰にも頼らずに生きていけるように。自分の力だけで立てるように。そう思って、六年間やってきました」
私は、自分の手を見つめた。
魔道具を作り続けてきた手。技術を磨き続けてきた手。
「自分で立てることが、強さだと思っていました。誰にも頼らないことが、正しいと思っていました。でも——」
目の奥が、熱くなった。
「それは、ただの逃げだったのかもしれません。頼り方がわからないから、頼らないことを選んでいただけで」
沈黙が落ちた。
エミールは何も言わなかった。ただ、私を見つめていた。
「エミールに出会って、変われたと思っていました。一人じゃないと、思えるようになったと。でも、いざとなると——また、同じことを繰り返してしまう」
声が震えた。
「ごめんなさい。私は——」
「シルヴィア」
エミールの声が、私の言葉を遮った。
「俺も、同じだ」
「え……?」
「俺も、頼り方がわからなかった」
彼の目が、遠くを見ていた。
「リディアを亡くした時——俺は、誰にも頼れなかった」
リディア。
エミールの、亡き婚約者の名前。
「病で逝った。俺の目の前で、ゆっくりと弱っていって、最後は眠るように。俺は何もできなかった」
彼の声は、静かだった。けれど、その奥に深い痛みがあった。
「あの後、俺は壊れかけていた。剣を振る意味も、生きる意味も、わからなくなった。けれど、誰にも言えなかった。公爵家の当主が、弱音を吐くわけにはいかないと思っていたから」
「エミール……」
「レオンが何度も声をかけてくれた。話を聞くと。けれど、俺は拒んだ。一人で抱え込んで、一人で苦しんで——五年間、そうやって生きてきた」
彼の目が、私に戻った。
「君の作品に出会ったのは、そんな時だった」
「私の、作品……」
「月影の工房の剣を手にした時、わかった。この剣を作った人間は、使い手のことを考えている。寄り添っている。——俺は、その温もりに救われた」
胸が、締め付けられた。
「だから、君に会いたいと思った。君がどんな人間なのか、知りたいと思った。そして——」
エミールの手が、私の手を取った。
「君に出会って、俺は変われた。一人で抱え込まなくていいと、思えるようになった。君がいてくれるから」
「エミール」
「俺たちは、似ているんだ。一人で立とうとしすぎて、頼ることを忘れてしまった者同士」
彼の手が、私の手を強く握った。
「だから、一緒に変わろう。俺も、頼り方を覚える。君も、頼ることを覚える。少しずつでいい。一緒に」
涙が、溢れた。
「……はい」
「泣くな」
「無理です」
「仕方ないな」
エミールの手が、私の頬に触れた。涙を拭ってくれる。
「俺に頼れ、シルヴィア。君が頼ってくれることが、俺の喜びだ。それを、忘れるな」
「……はい。忘れません」
「約束だ」
「約束します」
私たちは、しばらくそのまま手を握り合っていた。
窓から差し込む朝日が、工房を金色に染めていた。
---
昼過ぎ、エミールの部下が公爵邸を訪れた。
書斎で報告を聞く。エミールの隣に、私も同席していた。
「モンフォール子爵領の調査結果です」
部下——王都の情報網を統括する男が、書類を差し出した。
「執事ギルベールについて、いくつか判明したことがあります」
「話せ」
「はい。ギルベールは、先代子爵——シルヴィア様の父君の代から仕えていた執事です。しかし、現当主リュカ様が継いでからは、事実上、家政の全権を握っています」
「それは知っている」
「問題は、その金の流れです。過去五年間で、モンフォール家の資産の約三割が、不明な支出として計上されています」
三割。
予想以上の金額だった。
「その金の行き先は」
「調査中ですが、おそらくギルベールの個人資産に流れています。王都に、彼名義の隠し口座がいくつか見つかりました」
横領の証拠だった。
「さらに、もう一つ」
部下の表情が、険しくなった。
「ギルベールが、シルヴィア様の調査に気づいた形跡があります」
「何だと」
「商会経由で財務資料を請求された件です。商会の者が口を滑らせたようで、その情報がギルベールの耳に入ったと」
私の顔から、血の気が引いた。
「リュカ様への監視が、強化されています。屋敷の出入りは完全に封鎖され、使用人の出入りも制限されているとのこと」
「リュカが……」
「現状、リュカ様と連絡を取る手段は、ほぼありません」
エミールの目が、鋭くなった。
「ギルベールは、逃げる準備を始めているかもしれません。証拠を隠滅し、金を持って逃亡する。その前に、動かなければ」
「わかっている」
エミールが立ち上がった。
「明日、モンフォール領に向かう。準備を整えろ」
「かしこまりました」
部下が退出していく。
私は、椅子に座ったまま動けなかった。
「シルヴィア」
エミールの声がした。
「私のせいです」
声が震えた。
「私が調査したせいで、ギルベールに気づかれた。リュカが、さらに危険な状況に——」
「違う」
エミールの手が、私の肩に置かれた。
「君のせいじゃない。ギルベールが悪事を働いていたことが、全ての原因だ」
「でも、私がもっと慎重に——」
「シルヴィア」
彼の声が、私を遮った。
「自分を責めるな。今やるべきことは、リュカを助けることだ」
「……はい」
「俺たちで、リュカを救い出す。ギルベールの悪事を暴き、モンフォール家を取り戻す。一緒に」
その言葉に、私は頷いた。
「一緒に」
エミールの目が、わずかに和らいだ。
「明日、早朝に出発する。今日は休め」
「はい」
「シルヴィア」
「何でしょうか」
「俺がいる。忘れるな」
その言葉が、胸に染み渡った。
「……忘れません」
---
夜。
寝室の窓から、月明かりが差し込んでいた。
隣で眠るエミールの寝顔を、私は静かに見つめていた。
明日、モンフォール領に向かう。
リュカを助ける。ギルベールを追い詰める。
不安がないわけではない。けれど、一人ではない。
この人が、隣にいてくれる。
「……ありがとう」
声に出さず、唇だけで呟いた。
エミールは眠ったままだった。けれど、その手が私の手を握っているのを感じた。
夢の中でも、離さないでいてくれている。
明日から、戦いが始まる。
けれど、この手がある限り、私は負けない。
そう思いながら、私は目を閉じた。




