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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第17話 頼り方がわからない

朝の光が、工房に差し込んでいた。


作業台の前に、二つの椅子が向かい合わせに置かれている。私とエミールは、そこに座っていた。


昨夜、全てを話した。けれど、まだ言葉にしていないことがあった。


「シルヴィア」


エミールが口を開いた。


「一つ、聞いていいか」


「何でしょうか」


「なぜ、頼れなかった」


その問いに、私は言葉を詰まらせた。


「心配をかけたくなかったと言っていたな。だが、それだけじゃないだろう」


彼の目が、真っ直ぐに私を見ている。


嘘は、つけなかった。


「……頼り方が、わからないんです」


声が、小さくなった。


「頼り方?」


「はい。誰かに助けを求めるということが、どうすればいいのか、わからないんです」


エミールは黙って聞いていた。


「前世でも、そうでした。会社で無理な仕事を押し付けられても、断れなかった。助けを求められなかった。一人で抱え込んで、一人で潰れて——最後は、一人で死にました」


言葉にすると、胸が痛んだ。


「この世界に生まれ変わっても、同じでした。父が亡くなった時も、伯爵家で冷遇された時も、誰にも助けを求められなかった。一人で耐えることしか、知らなかったから」


「シルヴィア」


「工房を始めたのも、そうです。誰にも頼らずに生きていけるように。自分の力だけで立てるように。そう思って、六年間やってきました」


私は、自分の手を見つめた。


魔道具を作り続けてきた手。技術を磨き続けてきた手。


「自分で立てることが、強さだと思っていました。誰にも頼らないことが、正しいと思っていました。でも——」


目の奥が、熱くなった。


「それは、ただの逃げだったのかもしれません。頼り方がわからないから、頼らないことを選んでいただけで」


沈黙が落ちた。


エミールは何も言わなかった。ただ、私を見つめていた。


「エミールに出会って、変われたと思っていました。一人じゃないと、思えるようになったと。でも、いざとなると——また、同じことを繰り返してしまう」


声が震えた。


「ごめんなさい。私は——」


「シルヴィア」


エミールの声が、私の言葉を遮った。


「俺も、同じだ」


「え……?」


「俺も、頼り方がわからなかった」


彼の目が、遠くを見ていた。


「リディアを亡くした時——俺は、誰にも頼れなかった」


リディア。


エミールの、亡き婚約者の名前。


「病で逝った。俺の目の前で、ゆっくりと弱っていって、最後は眠るように。俺は何もできなかった」


彼の声は、静かだった。けれど、その奥に深い痛みがあった。


「あの後、俺は壊れかけていた。剣を振る意味も、生きる意味も、わからなくなった。けれど、誰にも言えなかった。公爵家の当主が、弱音を吐くわけにはいかないと思っていたから」


「エミール……」


「レオンが何度も声をかけてくれた。話を聞くと。けれど、俺は拒んだ。一人で抱え込んで、一人で苦しんで——五年間、そうやって生きてきた」


彼の目が、私に戻った。


「君の作品に出会ったのは、そんな時だった」


「私の、作品……」


「月影の工房の剣を手にした時、わかった。この剣を作った人間は、使い手のことを考えている。寄り添っている。——俺は、その温もりに救われた」


胸が、締め付けられた。


「だから、君に会いたいと思った。君がどんな人間なのか、知りたいと思った。そして——」


エミールの手が、私の手を取った。


「君に出会って、俺は変われた。一人で抱え込まなくていいと、思えるようになった。君がいてくれるから」


「エミール」


「俺たちは、似ているんだ。一人で立とうとしすぎて、頼ることを忘れてしまった者同士」


彼の手が、私の手を強く握った。


「だから、一緒に変わろう。俺も、頼り方を覚える。君も、頼ることを覚える。少しずつでいい。一緒に」


涙が、溢れた。


「……はい」


「泣くな」


「無理です」


「仕方ないな」


エミールの手が、私の頬に触れた。涙を拭ってくれる。


「俺に頼れ、シルヴィア。君が頼ってくれることが、俺の喜びだ。それを、忘れるな」


「……はい。忘れません」


「約束だ」


「約束します」


私たちは、しばらくそのまま手を握り合っていた。


窓から差し込む朝日が、工房を金色に染めていた。


---


昼過ぎ、エミールの部下が公爵邸を訪れた。


書斎で報告を聞く。エミールの隣に、私も同席していた。


「モンフォール子爵領の調査結果です」


部下——王都の情報網を統括する男が、書類を差し出した。


「執事ギルベールについて、いくつか判明したことがあります」


「話せ」


「はい。ギルベールは、先代子爵——シルヴィア様の父君の代から仕えていた執事です。しかし、現当主リュカ様が継いでからは、事実上、家政の全権を握っています」


「それは知っている」


「問題は、その金の流れです。過去五年間で、モンフォール家の資産の約三割が、不明な支出として計上されています」


三割。


予想以上の金額だった。


「その金の行き先は」


「調査中ですが、おそらくギルベールの個人資産に流れています。王都に、彼名義の隠し口座がいくつか見つかりました」


横領の証拠だった。


「さらに、もう一つ」


部下の表情が、険しくなった。


「ギルベールが、シルヴィア様の調査に気づいた形跡があります」


「何だと」


「商会経由で財務資料を請求された件です。商会の者が口を滑らせたようで、その情報がギルベールの耳に入ったと」


私の顔から、血の気が引いた。


「リュカ様への監視が、強化されています。屋敷の出入りは完全に封鎖され、使用人の出入りも制限されているとのこと」


「リュカが……」


「現状、リュカ様と連絡を取る手段は、ほぼありません」


エミールの目が、鋭くなった。


「ギルベールは、逃げる準備を始めているかもしれません。証拠を隠滅し、金を持って逃亡する。その前に、動かなければ」


「わかっている」


エミールが立ち上がった。


「明日、モンフォール領に向かう。準備を整えろ」


「かしこまりました」


部下が退出していく。


私は、椅子に座ったまま動けなかった。


「シルヴィア」


エミールの声がした。


「私のせいです」


声が震えた。


「私が調査したせいで、ギルベールに気づかれた。リュカが、さらに危険な状況に——」


「違う」


エミールの手が、私の肩に置かれた。


「君のせいじゃない。ギルベールが悪事を働いていたことが、全ての原因だ」


「でも、私がもっと慎重に——」


「シルヴィア」


彼の声が、私を遮った。


「自分を責めるな。今やるべきことは、リュカを助けることだ」


「……はい」


「俺たちで、リュカを救い出す。ギルベールの悪事を暴き、モンフォール家を取り戻す。一緒に」


その言葉に、私は頷いた。


「一緒に」


エミールの目が、わずかに和らいだ。


「明日、早朝に出発する。今日は休め」


「はい」


「シルヴィア」


「何でしょうか」


「俺がいる。忘れるな」


その言葉が、胸に染み渡った。


「……忘れません」


---


夜。


寝室の窓から、月明かりが差し込んでいた。


隣で眠るエミールの寝顔を、私は静かに見つめていた。


明日、モンフォール領に向かう。


リュカを助ける。ギルベールを追い詰める。


不安がないわけではない。けれど、一人ではない。


この人が、隣にいてくれる。


「……ありがとう」


声に出さず、唇だけで呟いた。


エミールは眠ったままだった。けれど、その手が私の手を握っているのを感じた。


夢の中でも、離さないでいてくれている。


明日から、戦いが始まる。


けれど、この手がある限り、私は負けない。


そう思いながら、私は目を閉じた。

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