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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第16話 一人で抱え込む癖

茶会の空気は、棘を含んでいた。


伯爵夫人主催の小さな集まり。十人ほどの貴婦人が、庭園のテーブルを囲んでいる。私はその末席に座り、紅茶を口に運んでいた。


エミールが不在の間も、社交界への顔出しは続けなければならない。公爵夫人としての務めだ。


「ねえ、公爵夫人」


声がした。


顔を上げると、セレスティーヌ・ド・ヴェルサイユが微笑んでいた。


大夜会以来、初めて顔を合わせる。あの時、王妃陛下に恥をかかされた彼女は、しばらく社交界から姿を消していた。


けれど、今日は違った。


いつもの完璧な笑顔。金髪碧眼の華やかな美貌。まるで何事もなかったかのように、優雅に茶会に参加している。


「お元気そうで何よりですわ」


「ええ、おかげさまで」


私は平静を装った。


セレスティーヌの目が、すっと細くなった。


「ところで、最近は工房のお仕事が忙しいとか。大変ですわね、公爵夫人ともあろう方が、職人仕事に追われるなんて」


周囲の空気が、わずかに変わった。


「職人仕事、ですか」


「ええ。私には理解できませんの。貴族たるもの、手を汚すような仕事は使用人に任せるものでしょう? それを自らなさるなんて」


彼女の声は甘かった。けれど、その中に毒が混じっている。


「公爵夫人の品位が問われますわ。クレシー公爵閣下も、お困りではないかしら」


刃が、静かに突き刺さってくる。


私の仕事を貶め、エミールの名誉にまで傷をつけようとしている。


「ヴェルサイユ嬢」


私は、紅茶のカップを置いた。


「私の仕事は、私の誇りです。それを恥じるつもりはありません」


「まあ、そうおっしゃいますけれど——」


「私も、そう思いますわ」


別の声が割り込んだ。


振り返ると、若い令嬢が立っていた。見覚えがある。先日の大夜会で挨拶を交わした、男爵家の令嬢だ。


「月影の工房のお品、私も愛用しておりますの。母も、祖母も。三代にわたって」


「私もですわ」


別の令嬢も声を上げた。


「公爵夫人のお作りになった護符のおかげで、父が旅先で命拾いしたことがありますの。感謝してもしきれませんわ」


セレスティーヌの顔が、わずかに強張った。


「皆様、そんな……」


「ヴェルサイユ嬢」


最初に声を上げた令嬢が、にっこりと微笑んだ。


「職人仕事を恥だと仰いますけれど、私はそうは思いませんわ。人の役に立つお仕事をなさる方は、素敵だと思いますの」


周囲の貴婦人たちが、小さく頷いた。


セレスティーヌは何も言えなかった。唇を引き結び、扇子を強く握り締めている。


「……そうですの。皆様がそうお考えなら、私の誤解でしたわね」


彼女は立ち上がった。


「失礼いたします。少々、気分が優れませんので」


その背中が、庭園から消えていく。


私は、声を上げてくれた令嬢たちに目礼した。彼女たちも、小さく微笑み返してくれた。


味方が、いる。


そう思えたことが、少しだけ救いだった。


---


公爵邸に戻ると、執事のセバスチャンが待っていた。


「奥様、お手紙が届いております」


「どなたから?」


「モンフォール子爵家より」


心臓が、跳ねた。


リュカからだ。


「ありがとう。工房に届けて」


「かしこまりました」


工房に入り、扉を閉める。手紙を開いた。


『姉上


先日のお手紙、届いておりません。

執事のギルベールが、私宛の手紙を全て検閲しているようです。

この手紙も、信頼できる使用人に頼んで、密かに出してもらいました。


姉上、お願いです。

助けに来てください。

私は屋敷から出ることもできません。

ギルベールが、全てを監視しています。


モンフォール家は、もう私のものではありません。

あの男に、乗っ取られています。


リュカ・モンフォール』


手紙を持つ手が、震えた。


監視。検閲。軟禁。


予想以上に、事態は深刻だった。


リュカは、執事に囚われている。当主でありながら、自由を奪われている。


「……行かなければ」


気づけば、声に出していた。


今すぐ、モンフォール領に行かなければ。リュカを助けなければ。


私は手紙を引き出しにしまい、立ち上がった。


荷物をまとめる。護身用の魔道具を身につける。馬車の手配を——


「奥様」


セバスチャンの声がした。


「何でしょう」


「旦那様がお戻りになられました」


心臓が、凍りついた。


「……何ですって?」


「クレシー公爵閣下が、先ほどお戻りになられました。視察を早めに切り上げられたとのことです」


予定より四日も早い。


なぜ。


「旦那様が、奥様をお呼びです」


「……わかりました」


私は、荷物を置いた。


嫌な予感がした。


---


書斎の扉を開けると、エミールが立っていた。


黒い軍服。旅の埃をまとったまま、窓際に佇んでいる。振り返った深い青の瞳は、冷たかった。


いつもの無表情ではない。


怒っている。


「おかえりなさいませ、エミール」


「ああ」


短い返事。


沈黙が落ちた。


私は扉の前に立ったまま、動けなかった。


「座れ」


エミールが、ソファを示した。


私は従った。向かいのソファに、エミールが腰を下ろす。


「一つ、聞きたいことがある」


「……何でしょうか」


「モンフォール家のことを、調べているな」


心臓が、止まりそうになった。


「なぜ、俺に言わなかった」


彼の声は、静かだった。けれど、その奥に押し殺した感情があるのがわかった。


「エミール、私は——」


「商会に財務資料を請求したことは、知っている。弟から手紙が来ていることも。そして今、単身でモンフォール領に向かおうとしていたことも」


全て、知られていた。


「なぜだ、シルヴィア」


彼の目が、私を射抜いた。


「なぜ、俺に相談しなかった」


言葉が、出てこなかった。


「……心配を、かけたくなかったんです」


「心配」


「はい。エミールは忙しくて、政務で大変で。私の実家の問題まで、背負わせるわけには——」


「それは、俺が決めることだ」


エミールの声が、低くなった。


「君が勝手に決めることじゃない」


「でも——」


「シルヴィア」


彼が立ち上がった。


「また、壁を作るのか」


その言葉が、胸を貫いた。


「俺たちは夫婦だ。君の家族の問題は、俺の問題でもある。それを、なぜわからない」


「わかっています。でも、私は——」


「一人で抱え込む癖が、抜けていない」


彼の声には、怒りだけではなく、悲しみが混じっていた。


「去年、同じことを言ったはずだ。一人で抱え込むなと。俺に頼れと。それなのに、君はまた——」


「……すみません」


声が、震えた。


エミールの言うとおりだった。


私は、また同じ過ちを繰り返していた。一人で解決しようとして、彼を遠ざけていた。


「心配をかけたくなかったんです。エミールには、もう十分すぎるほど助けてもらっているから。これ以上、頼るのは——」


「シルヴィア」


エミールが、私の前に膝をついた。


目線が同じ高さになる。深い青の瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。


「俺は、君に頼られたいんだ」


「え……」


「君が困っている時、俺を頼ってくれることが、俺の喜びなんだ。それを奪わないでくれ」


胸が、締め付けられた。


「君を守ることが、俺の存在意義だとは言わない。君は一人で立てる女だ。それは知っている。でも——」


彼の手が、私の手を取った。


「一人で立てることと、一人で抱え込むことは、違う」


涙が、溢れた。


「俺は、君と共に歩きたいんだ。君の荷物を、一緒に背負いたいんだ。それが、夫婦だろう」


「……エミール」


「話してくれ。全部。モンフォール家のこと。弟のこと。何があったのか」


私は、頷いた。


そして、全てを話した。


リュカからの手紙。横領の疑惑。ギルベールのこと。リュカが監視下に置かれていること。


エミールは、黙って聞いていた。


話し終えた時、彼は静かに言った。


「わかった」


「エミール……」


「明日、一緒にモンフォール領に行こう」


「いいんですか? 視察の途中で——」


「視察より、君の方が大事だ」


短い言葉だった。


けれど、その言葉が、どれほど私の心を救ったかわからない。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな」


「言います」


「頑固だな」


「あなたほどではありません」


エミールの口元が、わずかに緩んだ。


「次からは、最初から話せ」


「……はい」


「約束だ」


「約束します」


彼の手が、私の頬に触れた。涙を拭ってくれる。


「泣くな」


「泣いていません」


「嘘つきだな」


「あなたに似たんです」


エミールが、小さく笑った。


その笑顔を見て、私はようやく息をつくことができた。


一人じゃない。


この人が、隣にいてくれる。


それを、改めて思い出した。

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