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白い結婚三年目、離縁届を置いておきますね  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第14話 届いた手紙

春の陽光が、工房の窓から差し込んでいた。


作業台の上には、王妃陛下から依頼された品の設計図が広げられている。護身用の腕輪。防御と警報の複合付与を施し、さらに位置特定の機能も加える。王族が身につけるにふさわしい、最高級の品を求められていた。


「……ここの回路を、もう少し細くすれば」


呟きながら、私は設計図に線を書き加えていく。


大夜会から数日が経った。


あの夜、王妃陛下に助けられたことは、社交界で大きな話題になっているらしい。月影の工房の評判はさらに高まり、新規の依頼が増えている。


セレスティーヌ・ド・ヴェルサイユは、あれ以来姿を見せていない。「これで終わりだと思わないで」という言葉が気にかかるが、今のところ動きはなかった。


嵐の前の静けさ、だろうか。


「奥様」


扉を叩く音がした。


「どうぞ」


執事のセバスチャンが入ってきた。銀の盆の上に、一通の手紙が載っている。


「お手紙でございます」


「ありがとう。どなたから?」


「モンフォール子爵家より、とのことでございます」


心臓が、跳ねた。


モンフォール。


私の、旧姓。


「……置いておいて」


「かしこまりました」


セバスチャンが手紙を作業台の端に置き、静かに退出した。


私は、しばらくその手紙を見つめていた。


モンフォール子爵家。私が生まれ育った家。父が亡くなり、弟が継いだ家。そして——私が見捨てた家。


手を伸ばし、封筒を取る。


封蝋には、見覚えのある紋章が刻まれていた。翼を広げた鷹。モンフォール家の紋章。


封を切り、中の便箋を取り出す。


『姉上


突然のお手紙をお許しください。

このようなお願いをする資格が私にないことは、重々承知しております。


姉上が伯爵家に嫁がれた時、私は何もできませんでした。

義母様から冷遇されていると聞いても、助けに行くことができませんでした。

それを、今も悔やんでおります。


ですが、どうかお願いです。

助けてください。


モンフォール家は、もう限界です。

借金が膨らみ、領地は荒廃し、私には何もできません。

執事のギルベールが全てを取り仕切っていますが、状況は悪くなる一方です。


姉上だけが、頼りです。

どうか、一度だけでも、お会いいただけないでしょうか。


弟 リュカ・モンフォール』


手紙を読み終えた時、私の手は微かに震えていた。


---


リュカ。


五つ年下の弟。気弱で、優柔不断で、いつも私の後ろに隠れていた少年。


父が亡くなったのは、六年前のことだった。


私は十九歳。リュカは十四歳。子爵家の当主には幼すぎる年齢だった。けれど、他に継ぐ者がいなかった。


あの頃、私は既に月影の工房を始めていた。実家の財政を支えるために、匿名で魔道具を売っていた。けれど、父の残した借金は私一人の稼ぎでは到底返せない額だった。


そして、ヴァルトシュタイン伯爵家からの縁談が来た。


持参金と引き換えに、借金の一部を肩代わりしてもらえる。その条件で、私は嫁ぐことを決めた。


リュカは、何も言わなかった。


姉が政略結婚に使われることに、反対もしなかった。かといって、感謝を述べることもなかった。ただ、俯いて黙っていた。


父の葬儀の時も、私の結婚式の時も、彼はずっとそうだった。


私が伯爵家で冷遇されていた三年間、一度も連絡をくれなかった。助けを求めることもできなかった。彼には、そんな力がなかったから。


恨んでいるわけではない。


けれど、許しているわけでもない。


複雑な感情が、胸の中で渦を巻いていた。


---


『助けてください』


その一文が、頭から離れなかった。


私は椅子から立ち上がり、窓際に歩み寄った。


庭園では、春の花が咲き誇っている。桜に似た白い花。去年、エミールが植えてくれたものだ。


あの時、私は思った。自分の人生を、自分で選べるようになったと。


けれど、家族は選べない。


血の繋がりは、消えない。


「……リュカ」


弟の名前を、呟いてみた。


気弱な少年の顔が、記憶の中に浮かぶ。今は二十一歳になっているはずだ。どんな青年になっているのだろう。


手紙には、執事のギルベールという名前があった。聞き覚えがある。父の代から仕えていた使用人だ。真面目で有能だと、父が言っていた記憶がある。


けれど、『執事が全てを取り仕切っている』という一文が、引っかかった。


当主はリュカのはずだ。なぜ、執事が全てを取り仕切るのか。


「……何かがおかしい」


直感が、警鐘を鳴らしていた。


モンフォール家で、何かが起きている。リュカは助けを求めている。けれど、詳細は書かれていない。書けなかったのかもしれない。


私は、作業台に戻った。


手紙をもう一度読み返す。


『執事のギルベールが全てを取り仕切っていますが、状況は悪くなる一方です』


この一文。


普通なら、「執事のおかげで何とか持ちこたえている」と書くだろう。けれど、リュカは「状況は悪くなる一方」と書いている。


執事が取り仕切っているのに、状況が悪化している。


矛盾だった。


あるいは——執事こそが、問題の原因なのかもしれない。


---


夕刻になっても、私は工房から動けなかった。


手紙を何度も読み返し、考えを巡らせていた。


エミールに相談すべきだろうか。


彼なら、力を貸してくれるだろう。公爵家の人脈を使えば、モンフォール家の現状を調べることも、問題を解決することも、難しくはないはずだ。


けれど。


『これは、私の家族の問題だ』


その思いが、胸の中で膨らんでいた。


エミールには、既に多くのものを貰っている。結婚してくれた。工房を続けさせてくれた。社交界でも守ってくれた。これ以上、彼に頼っていいのだろうか。


それに——


リュカが何もしてくれなかったように、私もリュカを見捨てた。あの時、実家のことなど考えずに、自分の人生だけを選んだ。


その報いが、今になって返ってきているのかもしれない。


だから、これは私が解決すべき問題だ。


エミールを巻き込むべきではない。


「……まずは、状況を調べよう」


私は、便箋と羽ペンを取り出した。


知り合いの商会に手紙を書く。モンフォール家の財務状況を、それとなく調べてもらうために。


エミールには、まだ言わない。


状況がわかってから、考えればいい。


そう自分に言い聞かせながら、私はペンを走らせた。


窓の外では、日が沈みかけていた。春の夕暮れが、工房を橙色に染めていく。


扉が開く音がした。


「シルヴィア」


エミールの声だった。


「今日は遅かったな。夕食の時間だ」


「……はい。今行きます」


私は手紙を引き出しにしまい、立ち上がった。


振り返ると、エミールが扉の前に立っていた。いつもの黒い軍服。深い青の瞳が、私を見ている。


「顔色が悪い」


「そうですか? 少し疲れただけです」


「無理をするな」


「していません」


エミールの目が、わずかに細くなった。


何か気づかれただろうか。けれど、彼は何も言わなかった。ただ、手を差し出して、私を待っていた。


「行こう」


「はい」


その手を取る。


温かい手だった。大きくて、頼りになる手。


けれど、今はその手に頼ることができなかった。


『まずは、自分で調べてから』


そう心の中で繰り返しながら、私はエミールと共に工房を出た。


リュカの手紙は、引き出しの中で静かに眠っていた。

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