熱さと冷静さ
人間関係の面倒なところは、ひとまず決着がついたようなので、今後のことを前向きに検討すべきだとサラは改めて考えた。
「ジェイドさん、いまはライ麦と周囲の雑草の処分で手一杯かもしれませんが、今後について検討が必要ですよね?」
「そうですね。来年もイネのある植物は植えるべきではないんですよね? もしかしたら再来年もそうでしょうか?」
「状況次第ではありますが、その可能性もありますね」
何年かしたらライ麦に戻すべきなのかどうか、サラはしばし逡巡した。
「ポルックスさん、ライ麦は小麦と比べてどのくらいの価格で取引されますか?」
「そうですね。良くて8割、下手をすれば6割くらいでしょうか」
「随分買いたたかれてしまうのですね」
「やはりパンにすると、かたい食感ですし、やや酸味があるのも人気がない理由です」
「もったいないですね。ライ麦は身体に良いのに」
そうなのだ。ライ麦は食物繊維、ビタミンB群、カリウムなどが豊富で、他の小麦に比べて栄養価が高いのだ。小麦に比べて糖質も低いおかげでダイエット向きでもある。
横にいたジェイドが不思議な顔をした。
「ライ麦って身体に良いんですか?」
「はい。小麦のパンよりも身体に良い成分がたくさん入っています。脳卒中が気になるお年寄りにも良いですし、太ることを気にする女性にとっても良いですよ。それにライ麦パンはどっしりしていて噛み応えがありますし、腹持ちが良いのも良いですよね」
「そうなんですね…」
「あ、脚気にもなりにくくなるんですよ?」
「「は?」」
サラは、ジェイドにもわかる範囲で説明したつもりだったのだが、この発言に素早く反応したのはアレクサンダーとアメリアだった。
「ちょっと待ってください。サラお嬢様。いま、脚気と仰いましたか?」
「はい」
「それはつまり、お嬢様は脚気の原因をご存じということでしょうか?」
『しまった! やらかした! まだこの世界では脚気の原因が解明されてないのか!』
言ってしまったものは仕方がない。今更取り消すことはできないであろうことは、2人の薬師を見れば明らかだ。
「そうですね。お二人が脚気と呼ぶ病気が私の知る病気と同じであれば、食事を改善することで癒すことができるはずです」
アレクサンダーが詰め寄った。
「脚気とは、身体の倦怠感から始まり、そのうち手足の感覚が鈍くなって立ち上がることもできなくなったりする病気です。動悸や息切れが起き、酷い場合には心臓が止まってしまうこともあります」
「そうですね。私が知る脚気もその通りの症状を示します。その原因は、食事の中に含まれる特定の栄養が不足することにあります」
「その栄養がライ麦に含まれているのですか?」
「はい。ライ麦にも含まれていますし、大豆などにも含まれておりますね。小麦のパンでも全粒粉であれば、効果はあると思います。後は特定の肉類でしょうね」
「肉ですか?」
『豚肉って多分この世界にないよね? あれ、でもワイルドボアって猪だよね? だとすれば近いのかな?』
「はい。多分ワイルドボアの肉などにも多く含まれているかと。確実なことが言えなくてごめんなさい」
するとアメリアが思いついたように顔を上げた。
「そういえば、患者さんの多くはお年を召して、肉類をあまり好まれない方が多いかもしれません。そういった方たちは、パンもやわらかいものを好みますし」
「うーん。精製された白い小麦粉で焼いたパンに、少々の野菜といった食事であれば、確かに脚気になってもおかしくないですね」
このやり取りを聞いていたジェイドは、項垂れて大きくため息をついた。
「そういうことが早めにわかっていたら、この集落ももっと豊かになっていたのかもしれないな…」
たしかに、いまさらライ麦の効用をあげたところで、どうにかなる問題ではない。余計なことでジェイドを落ち込ませたことをサラは反省した。
「配慮が足りない発言をしてしまったようですね。ごめんなさい」
「あ、落ち込んでるってわけじゃないんです。いや、落ち込んではいるんですけど、もうちょっと前向きというか。要するに有用な作物を育てれば、買い叩かれないで済むってことなんですよね?」
「その通りです」
ジェイドは心の底から嬉しくて仕方がないという表情で笑った。
「やっと、さっきのサラお嬢様の『錬金術師や薬師が必要とするような作物を植えてはどうか』という言葉が腑に落ちました。いままで私は『ここで育つ作物は何か』ってことばっかり考えていました。人に必要とされるものを作るってことを忘れていたかもしれません。どうか、この地で育つ有用な作物について、私たちに知識を与えてください」
テオフラストスとアレクサンダーは顔を見合わせて頷きあった。
「どうか頭を上げてください。有用な植物を育てていただきたい気持ちは私たちも同じです。一緒に人々の役立つものを作りましょう」
そこに侯爵、ロバート、ポルックスも加わり、「みんなでグランチェスター領、ひいては国のために力を尽くしましょう!」と激励を交わし始めた。
男性陣が感動的な雰囲気で盛り上がって未来を語りだした横で、乙女たちは不思議なほど冷静だった。
『そういうのいいから、実務的な話進めようよ』
などと冷めた目で見てしまうのは何故なのだろう。サラをはじめとする乙女たちは、男性陣から少し離れ、ボソボソと小声で会議を始めていた。
「アメリアさん、秘密の花園にある植物のリストってどのくらいできてます?」
「ほとんど終わってますよ。アリシアさんやテレサさんにも手伝ってもらいましたし、彼女たちの妖精のお友達にも協力してもらいました」
アメリアは植物のリストをサラに手渡す。
「知らない植物の方が多いわ。このあたりの気候で向いてる薬草とかあるのかしら?」
「実は薬草だけじゃなく、本当にいろいろな植物がありましたよ。気候も土壌も無視して繁殖してるから、混沌としてますね。整理しないといけないと思ってるんですけど、それぞれに守ってる妖精たちがいるおかげで、話し合いが必要で」
サラは花園にいる大量の妖精たちを思いだして『かなり面倒だな』と思ったが、声には出さなかった。おそらくアメリアも同じ気持ちだろう。
「薬草って、農家の人からみれば『雑草』って思われる植物が多いんですよね。それに、これだけしっかりした畑ですし、メインは普通に食材の方が良いかなって思いません? なんかもったいない気がして。実際、私は農家の手伝いに行ったついでに、雑草と思われてる薬草を採取して帰ったりしてました」
「わかります。薬草って自生してるイメージありますよね。なんだろう栽培するようなものじゃないというか。私も錬金術につかう植物の素材は、山や土手で採取してましたよ」
「農家の方にしても、なんでわざわざ雑草を? って思う人もいるかもしれないですよね」
秘密の花園にある植物のリストを目で追っていたサラは、意外な植物を発見した。
「バレイショ?」
『これってジャガイモよね? この名前の付け方は転生者かなぁ』
「あぁ、それは観賞用の植物ですね」
「え、食べないの?」
「馬鈴薯は成長すると、根っこにゴロゴロと実のようなものができるんですが、毒があって食べられないんです」
アリシアの説明にアメリアも頷いた。
「毒があるのは芋から発芽した芽の部分だけだから、取り除けば問題ないのに。これ食べると美味しいんですよ? 栄養価も高いですしね」
「そうなんですか?」
「はい」
『そうか芋と豆をメインに考えて、連作障害が起きないようイネ科以外の植物で輪作する手もあるな。でもあんまり農業に詳しくないんだよね』
「あれ? マルベリー?」
『これって、桑の実のことじゃないっけ?』
「甘酸っぱい実が生るんですけど、赤黒いので敬遠しちゃう人も多いんですよね」
「でもシルクを作る農家さんなら必ず植えるでしょう?」
「シルク? あれは隣国からの輸入品です。この国では生産していないです」
「そうなんですか!?」
『あら、この世界では前世以上にシルクが高級品?』
「レベッカ先生は、シルクをどうやって作るかご存じですか?」
「知識としては知っているわ。蛾の繭が原料よね。ただ、その先の詳しい製造方法まではわからないわ。シルクはセルシア王国が技術を独占しているの。関わる農民も織物職人もすべて国が管理しているわ。そもそも糸を吐き出す虫を国外に持ち出すことを禁止しているそうだから」
『ははぁ。なるほど』
「虫の持ち出しを禁止しているならセルシアの独占市場なのは仕方ないですね。製糸技術に関しても、職人がいないと話になりませんし。マルベリーは痩せた土地でも育つので、養蚕ができれば楽かなと思ったんですが、今回は諦めましょう」
『あくまでも今回は! いつか絶対養蚕もできるようになってやる』
その後もサラはいろいろ悩んだが、やはり食用となる作物を輪作し、麦が作れるようになるまで耐えるべきだろうという結論に達した。
おそらく妖精に頼めば大抵の植物は、環境を無視しても育つだろう。しかし、サラは農家の人たちだけで守れないような方法はとるべきではないと考えた。ライ麦の刈り取りにしても、サラが魔法で刈り取ったほうが本当は早いのかもしれない。だが自分たちで困難を乗り越えたという経験や記憶は今後のためにも絶対に必要だ。
『さて、人々の役に立つ薬草を作ると盛り上がってる男性陣に、どう伝えたものかしらね』
サラは少しだけ気が重かった。




