手遅れになってからしか気付けない - SIDE ウィリアム -
その手紙を受け取ったのは、王都邸で気の重い納税の準備をしている頃だった。
代官と会計官による横領が発覚してから1年余り。多くの文官たちを失い、未だ現状も把握できていない。こんな状況での納税手続きなど薄氷の上を歩いている気分だ。
手紙の差出人は『アデリア』。なんとも腹立たしい名前だ。前途洋々な息子を誘惑して駆け落ちしただけでなく、貴族にあるまじき商売をさせたという。挙句アーサーは商売の途中で命を落とす羽目になった。
横領が発覚し、急遽ロバートを代官に据えた際、ロバートは私にアーサーを許すよう提案をした。
「父上、アーサーは僕よりも数字に強いし、会計官に迎えてはどうでしょう。おそらく僕よりも早くこの問題を解決してくれるでしょう。あれからもう8年も経つのです。そろそろアーサーを許してはいかがでしょうか?」
確かにもう8年だ。二人の間には娘も生まれている。生活のために商売などせずとも、領のために働く方が娘のためにも良いに違いない。
しかし私はアーサーに戻るよう手紙を出すことを躊躇した。アーサーが戻れば、あの女もグランチェスター領に来ることになるからだ。アーサーと孫には会いたいが、あの女には会いたくない。
確かにアデリアは美しい女だった。平民とは思えぬ美貌を持ち、周囲には崇拝者が列をなすように取り巻いていた。あれだけ美しければ裕福な商家に嫁ぐことも、貴族の囲われ者になることもできるだろう。しかし生意気にもあの女は父親の商売を手伝い続けていた。
実際、妾に望む上位貴族も大勢いたが、あの女はそれらをまとめて袖にしていた。平民の癖に傲慢な女である。
グランチェスター領にあの女と父親が来たのは、コメやダイズと呼ばれる穀物取引のためであった。どちらも他国で生産されるのだが、備蓄品に向いているとのことで、数年前から買い付けている。あの女はコメの旨い食べ方などを我が領の文官たちに指導していたが、文官たちは女の容姿にばかり注目し、あまり真面目に聞いていないのではないかと思われる節があった。
気が付けば、アーサーとあの女は恋仲になっていた。ロバートも興味のある素振りをしていたが、親の目から見れば本気でないことはすぐにわかった。なにせ、あいつは何年も前からオルソン家のレベッカ嬢に叶わぬ恋をしているからだ。
正直なところ、アーサーとあの女の仲をそれほど反対していたわけではない。多くの貴族から望まれている美しい女が、私の息子に靡いたというのは存外気分が良かった。
ところが問題が起きた。二人が『正式に結婚したい』と言い出したのだ。妾にするなら問題ない。結婚前から妾を持つのは外聞の良い話ではないが、それほど珍しいことではないからだ。
しかし正式な結婚となれば話は異なってくる。貴族の結婚は家同士の結びつきであり、教会の承認を経て国の貴族籍に記録が残る。つまりグランチェスターに平民の女を迎え入れるということだ。断じて認めるわけにはいかない。
私は二人の結婚に反対し、父親と一緒にあの女を領外に追放した。これでアーサーも諦めるだろうと高を括っていた私は、数日後にアーサーがあの女を追いかけて家を出て行ったことに激しい衝撃を受けた。
アーサーは騎士爵位を返上し、魔法発現の祝儀であった土地もロバートへと譲り渡し、そのまま平民として生きていくことを選んだ。そして、あの女も父親や家族を巻き込むことのないよう家を捨てた。二人は平民として教会で正式に結婚し、やがて国境近くの町に流れ着き、そこで細々とした商いで生計を立てるようになったという。
私は激怒した。妻が最後に生んだ子であり、息子たちの中でもっとも優秀な頭脳を持つアーサーは、私やグランチェスターよりもあの女を選んだのだ。そして何より息子を誘惑し、貴族の身分を捨てさせたあの女を激しく憎んだ。
数年後、そんな私の懊悩を嘲笑うかのように無慈悲な手紙が届いた。
----
アーサー、馬車の事故により死亡
----
神は無情であった。
アーサーの葬儀には参加しなかった。息子たちにも『家を捨てた男の葬儀に参加することは許さん』と命令した。私はアーサーの死を受け入れることができず、渦巻く悲しみはあの女への憎しみへと変化していった。
そして半年後、今回の手紙が届いた。おそらく金の無心だろう。女手一つで娘を育てることは難しいに違いない。どうせなら娘を引き取ってやるか。あの女の容姿であれば、子供がいないほうが再婚相手も探しやすいだろう。貴族の妾が希望なら、裏から手を回して紹介しても構わない。
しかし手紙を開封して飛び込んできた内容に、私は驚愕した。
----
グランチェスター侯爵閣下
このような手紙を突然差し上げる無礼をお許しください。
私は既に死の床へとついており、おそらく数日後には幕を閉じることでしょう。
ですが、私が死ぬ前にどうしてもお伝えしておきたいことがございます。
夫の死は単なる事故ではありません。
アーサーの商売を邪魔に思うチゼンという商人が、野盗に金を渡して襲わせたそうです。
このことは私を妾にと望むラスカ男爵から聞きました。
男爵は『お前と娘を悪徳商人から守ってやる』と私に言い寄ってきましたが、もしかするとこの男も結託しているかもしれません。
重ねて大変厚かましいお願いをさせてください。
どうか、私の死後、サラをラスカ男爵の手から守っていただけないでしょうか。
親馬鹿と思われるかもしれませんが、サラはとても美しい娘として生まれました。
ラスカ男爵はサラを引き取り、成長した後は自分の妾にするつもりのようです。
平民の娘にとって、貴族の妾になることは幸運なことかもしれません。ですが、親の仇かもしれない相手では、あまりにも娘が不憫でなりません。
グランチェスター家で引き取っていただく必要はございません。どうか平凡な家庭の養女として幸せに暮らしていけるよう、取り計らっていただけないでしょうか。
私はアーサーを愛し、娘のサラも生まれて本当に幸せでした。
しかし、そのせいで侯爵閣下をはじめ、グランチェスター家の方に悲しい思いをさせてしまったことについては、お詫びのしようもございません。
死を前にした哀れな女の切なる願いを、どうかお聞き届けいただけますよう、心よりお願い申し上げます。
アデリア
----
なんということだ。アーサーは事故ではなく、殺されたというのか!
詳しい話を聞くには、アデリアに直接聞くしかない。私は取り急ぎ国境近くの町へと馬を飛ばした。
手紙にあった住所を訪ねると、そこは店舗と住居がひとつになったこじんまりした家であった。しかし店舗は閉めてから時間が経っていることが明らかで、庭も荒れたままになっている。
ドアをノックすると、少女が顔を出した。おそらくこの娘がサラだろう。痩せてはいるが、驚くほど整った容姿をしており、数年後にはさぞや美しく成長するだろうことが伺えた。
「ウィリアム・グランチェスターと申す。アデリアさんはご在宅かね?」
「ようこそお越しくださいました。わたしはサラです。母は寝ています」
幼いながらもきちんと躾がされているようだ。
「こんな小さな子に客を迎えさせるとは。アデリアさんは、それほど具合が悪いのかね」
「いいえ、数日前まではとても悪かったのですが、もう大丈夫です。息も全然苦しくないとおもいます。母はもう目を覚まさないので」
そう言ったサラの目が空虚であることに、ようやく私は気づいた。
「もう目を覚まさないとは、どういうことかね」
「そのままです。かあさんは永い眠りにつきました。私もこのあと一緒に眠るつもりです」
どうやら手遅れだったようだ。
幼くてもサラは『死』という概念を理解していたが、死という言葉を知らなかった。父親が亡くなったとき、母親は「父さんは永い眠りに就いたのよ」としか教えなかったためだ。
「待て。お前のような幼い子は、永い眠りに就くことなどできぬ」
「いいえ。このまま何も食べずに寝ていれば、父母と同じように眠れるはずです」
私は幼い子供の言葉に戦慄し、慌ててサラを引き留めた。そうでも言わなければ、本当に両親と一緒に逝ってしまいそうなほど、痩せこけて今にも消えてしまいそうに見えたからだ。
「とにかくアデリアさんに会わせてくれないか?」
「母は知らない男の人には寝てるところを見られたくないと思います」
「いや、知らない男ではない。私はお前の祖父だ。アデリアさんにとっては義理の父になる」
これまでであれば、あの女の義父と名乗るなど業腹だと思ったかもしれない。しかし亡くなった婦女子をいつまでも貶めるべきではないと、私の理性が囁いた。
「そふ?」
「お前の父の父ということだ。アーサーは私の息子だ」
「えっと、父の父だから親戚ってことですね?」
「そうだ」
「わかりました。では母に会ってください」
そしてアデリアの寝室に入り、痩せ細ってかつての美しさを失った息子の嫁の亡骸と対面した。豪奢だったプラチナの髪に艶はなく、宝石を思わせた美しい瞳も閉じたまま二度と開くことはない。
その時になって、私は二人を許してやらなかったことを激しく後悔した。アーサーが亡くなる前に迎えに来ていれば、そもそも最初から二人を許していれば良かった。生きてさえいてくれれば、それで良かったではないか。くだらぬ貴族の矜持のせいで、結局は二人を無為に死なせてしまったのだ。
こうして私はサラを邸に引き取って育てることとし、グランチェスター領においてアーサーとアデリアの葬式を執り行った。遠方の地で亡くなったアーサーは、火葬されて遺髪と遺骨だけがアデリアの手元に戻ってきていた。私はアーサーの遺骨と共にアデリアの亡骸を墓地に埋葬した。遺髪は手元に残したが、これはいつの日かサラに渡すべきだろう。
その後、改めてアーサーを騎士爵として貴族籍に戻し、アデリアをその妻として届け出た。これには長男のエドワードとその妻のエリザベスが反対したが、私は構わずに手続きを進めた。長男夫妻が反対する姿は、かつて二人の仲を反対した自分の愚かな姿を見るようで不愉快だった。
そして私は密かにアーサーの死の原因を調べるべく手を回し始めた。絶対に息子夫婦を死に追いやった輩を許しはしない。
しかし、そうした私の思いとは裏腹に、やはり私の行動は空回りしていた。
アーサーを貴族籍に戻したところで、既に亡くなった騎士爵の娘は平民に過ぎないことを失念していたのだ。私の孫であるため、私が侯爵位にいる間は貴族として振舞うことを咎められることはないだろうが、いずれエドワードに家督を譲ればサラは平民として生きていくしかない。
また、そうした中途半端な立場のままでは、長男夫婦やその子供たちからどんな扱いを受けるかを深く考えることはなかった。
そしてサラは王都のグランチェスター邸で、繰り返し傷つけられることになった。結果として前世の記憶が覚醒したが、それを単純に「良かった」などと喜ぶことはできそうにない。
傷つけられたサラは、既にグランチェスターを出る決意を固めてしまっている。
どうして私はいつも、手遅れになってからしか大切なことに気付けないのだろう…。
そしてこんな時には決まって、15年も前に亡くなった妻を思い出す。妻が存命であれば、サラを傷つけたりしなかったかもしれない。もしかしたら、アーサーたちの駆け落ちも止められたかもしれない。そんなことばかりを考えてしまうのだ。
なんと男とは弱い生き物なのだろう。
「ノーラ…君が恋しいよ」
机の上に飾られた妻の細密画に向かって話しかけた。小さな枠の中に納められた妻の微笑みは、いつものように「ウィルったら困った人ねぇ」と言っているように見えた。




