謁見の間 5
王室が正式に特効薬のレシピを公開したことで、特効薬の製造や流通にソフィア商会が直接関わることはなくなった。薬に関連する商売は、薬種問屋を筆頭に『古くからの付き合い』や『信頼関係』が大きくモノを言う世界である。人命に直結する薬を扱う以上、そうあるべきだということはソフィアも理解している。
リヒトたちの背後では、ギルド関係者や王宮の役人たちがバタバタと動き始める音が聞こえ始めた。特効薬の製造に迅速に取り掛かれるよう、ソフィアは商業ギルドを通じて関係各所に『材料』についての情報は公開していた。アヴァロン国内だけでは十分な量を確保できない材料もあるため、早めに手配しなければならないと判断していたためである。また、薬師ギルド内や有力な薬師の工房には特効薬用の製薬室が用意されており、レシピが届くのを待っている状態である。
要するに、根回しは済んでいるのだ。今日のこの場は、直接王の口から許可をもらうための調印式のようなものに過ぎない。
正直なところ、ソフィアは国王がレシピの公開を渋るかもしれないと考えていた。熱病はアヴァロンだけの問題ではないため、王室が情報を秘匿し、他国との交渉材料に利用する可能性を否定できなかったのだ。王がレシピを秘匿する方に舵を切りそうになった場合には、移動ポータルの無償提供をちらつかせて王を説得することも視野にいれていた。だが、幸いにも王は人命を外交交渉のテーブルに置くことはなかったようだ。
「そういえば、特効薬だけでなく飲料を開発したと聞いたが」
「経口補水液のことでしたら、今回開発したものではございません。50年程前にアカデミーの薬学科に資料を提出しておりますし、王都とグランチェスター領の薬師ギルドにもレシピを公開済みです。事実、マチルダ王女殿下の主治医である、レイドロー師は経口補水液をご存じでいらっしゃいました」
「それは、パラケルススのレシピなのか?」
「御意にございます」
リヒトは恭しく頭を下げて答えた。
「だが、あまり知られてはいないようだ」
「畏れながら、経口補水液は薬ではございません。熱病のために身体から急速に失われる水分を補うための飲料に過ぎず、あまり重視していない薬師が多いのではないかと愚考いたします」
「ただ水を飲ませるのとは違うのか?」
「通常の水よりも効果を発揮いたします」
「なるほど。では改めて情報を周知する必要があるな」
王は肘掛に右肘を置いてわずかに身を傾け、そのまま足を組んだ。所作は緩やかでありながら、どこか挑むように横柄である。だが、その瞳は猛禽さながらに冷ややかで鋭く、獲物を捕らえるように相手を見据えていた。
「ところでソフィアよ、特効薬のレシピを広く公開したことで、其方も独占販売によって得られる莫大な利益を手にできなくなった。先程、其方は熱病で死ぬ者が減れば顧客が増えるなどと申していたが、まさかそれだけが理由とは申すまいな。何しろ其方は商人なのだから」
『こういう質問されると、相手が王様だってことを実感するわね。独占による利益を手放したのは、王室も同じだと思うんだけどなぁ』
「独占をまったく考えなかったかと問われれば、否と答えるよりほかございません。しかしながら、私どもは新参の商会でございます。できることには限りがあり、私どもだけで特効薬の需要を満たすことはできません。パラケルスス師のレシピを拝見した際に、必要な薬種を大量に手配するのは無理だと悟りました。他国から輸入しなければならない薬種もあるため、薬種の取引に実績のある商会でなければ、国内で必要とされるだけの特効薬を確保できません。それに、なによりパラケルスス師が特効薬のレシピを広く世間に公開することをお望みでいらっしゃいましたので」
だが、片方の口角だけを持ち上げた王は、意地の悪い質問を投げかけた。
「商人らしからぬ答えだな。利益を追求するのが、商人の生き方ではないのか?」
「畏れながら陛下、商人とは自分だけの利益を追求するものではないと、商人としての師から教えられております。世のため、人のために奉仕した結果が報酬であるべきだと常日頃から申しておりました」
「ほほう。其方にも師がおるのか」
「はい。おりました」
「ふむ……過去形で語るような御仁であるか」
『前世で師匠と呼べるような上司はいたから、あながち嘘とは言えないわね。最後の上司だった部長は、近江商人の心得が大好きだったし』
「だが綺麗ごとだ。どうせ、商会の名を広めたいだけであろう」
「否定はいたしません」
「その方が商人らしい。アヴァロンにとっても利の方が大きいのだから文句を言う筋合いでもない」
それだけ言うと、王はリヒトの方に視線を移した。
「それにしてもパラケルススよ、貴重なレシピを公開するのなら、もっと多くの条件を付けても良かったのではないか? 其方は先代のパラケルススの弟子であったが、年齢を理由にアカデミーに入学できず、自称錬金術師のままだったと聞いておる。その貢献に鑑み、特別にアカデミーに研究室を持たせることもできるが?」
この場には、リヒトと話をするためにアカデミーの教授陣も大勢詰めかけている。可能であれば、アカデミーに招聘したいと考えていることは間違いない。だが、王に問われたリヒトは、困ったような表情を浮かべて口を開いた。
「陛下、私は先代の陛下の御代において、アカデミーに大変なご迷惑をお掛けし、逃げるように立ち去ったのでございます」
「そうなのか?」
「おそらく、その頃のことを覚えている方は、もういらっしゃらないでしょう。私は先代のパラケルススの弟子などではなく、パラケルススという名前の錬金術師の名を騙った不届き者でございます」
「ほう。それで、其方はアカデミーにどのような迷惑をかけたのだ?」
「本物のパラケルススは、アカデミーに籍はあったものの、自宅に引きこもって賢者の石を作るための研究に明け暮れておりました。私はそんなパラケルススの名前を騙ってアカデミーに入り込み、国費で自分の研究をしておりました」
するとアカデミーの教授陣は呆然とした表情を浮かべた。
「も、もしや、先代のパラケルスス師の著書として残っているものは、貴方様が記述されたということなのでしょうか?」
「8割くらいは私が書いたものですね。本物のパラケルススは、賢者の石を研究するために魔石についても研究を進めていました。さすがに名前を騙るからには、本人の研究テーマと大きくかけ離れるわけにもいかないので、私も魔石を研究するようになったんです。元々は古代ミトラ語を研究して魔法陣の謎を解明し、失われた魔法を復活させることに興味を持っていたんですけどね」
「なんてことだ……」
錬金術師の一人がぽつりと呟いた。リヒトが見遣ると、その錬金術師のローブにはあちらこちらにシミができており、お世辞にも清潔そうには見えない。目の下にはくっきりと隈ができている。
「何か問題でもあるのでしょうか?」
リヒトがその錬金術師に尋ねると、彼は絶望的な表情を浮かべてリヒトを見返した。
「パラケルスス師の魔石研究の本を読み、私は錬金術師を志しました。てっきり先代のパラケルスス師の研究書だと思っていたのです。まさか目の前に執筆したご本人がいらっしゃるとは……」
それだけ言うと、その錬金術師は感極まって泣き出し、隣にいた同僚に肩を叩かれている。しかも、肩を叩いている方の錬金術師も感動したように潤んだ瞳でリヒトを見つめていた。
「私は貴方様の古代ミトラ語の研究を引き継ぎ、新たな魔法陣を開発すべく長い年月を過ごしております。どうかご助言をいただく機会を賜りたい!」
「感動していただいて大変申し訳ないのですが、私が他人の名を騙って国費を使いこんだのは事実です。本来であれば投獄されても文句は言えないような立場でしたが、当時の錬金術科の教授と薬科の教授は、私が研究成果をすべてアカデミーに置いていくことを条件に追放だけで済ませてくれたのです」
「なんと! これだけ多くの功績を残されたのです。少しばかりの不正など気にする必要はございません。そもそも錬金術師とは、研究費のためであれば悪魔にも魂を売る生き物ではございませんか!」
すると、今度は薬科の教授の一人が口を挟んだ。
「錬金術師だけではございません。薬師にとっても、パラケルスス師は偉大な先達でございます。貴方様の解剖学の資料は、ほぼそのままの形で、教科書として使われています。それに、麻酔や外科手術についての論文は、我々にとって聖典に等しい。時代を100年は進めたと言われている研究を、直弟子以外にも広く知らしめてくれたことには驚きを隠せません。そのように偉大な方を追放するなど、当時のアカデミーは実に愚かだ」
「まさしくその通り! 貴方様の功績に比べれば、詐称など大した問題ではございません。むしろ、貴方様に名前を貸し、自らの功績にできた先代のパラケルスス師こそ感謝すべきです。どうか、アカデミーにお戻りください!!」
きらきらと目を輝かせながら、自分に跪かんばかりの態度を示すアカデミー関係者を見つめていたリヒトは、ふっと自分の気持ちが冷めていくことに気付いた。
『なんか面倒なことになってきたなぁ』
やり取りを見守っていた王は、改めてリヒトに声を掛けた。
「パラケルスス、この者たちも強く望んでいるようだ。其方はアカデミーに戻り、錬金術師としても薬師としても"自称"の文字を削ってしかるべきではないか?」
『あぁ、なるほど。王はアカデミーの権威を振りかざせば、オレが手に入ると思っているのか』
リヒトは王の意図を理解した。為政者としての行動は理解できるが、その程度で自分の心が簡単に動くと思われているのかと考えると、正直あまりいい気分ではない。
「畏れながら陛下、いまさらアカデミーの肩書をいただくことに執着はしておりません。アカデミーを放逐されてから、長い歳月が過ぎ去りました。自称とはいえ、私はそれなりに優秀な錬金術師であり薬師であると自負しております。私は気の向くままに好きなことを研究し、時には乙女たち……えっと、ここにいるアメリアや子孫であるアリシアの研究を手助けすることに喜びを感じてもおります。なかなかに幸せな余生と言えるでしょう」
リヒトの答えにアカデミー関係者は一斉に頽れ、中には涙を流す者までいた。そして、予想外の答えを耳にした王も表情を失っている。
「そ、そのように簡単に決めて良いのか?」
「御意にございます。今は何よりも乙女たちと過ごす日々に満足しております」
「しかし、乙女と呼ぶからには、その者たちは女子であろう?」
「もちろん女性です」
「その者たちは正式な錬金術師にも薬師にもなり得ぬではないか」
「性別や肩書などは些末な問題に過ぎません。アカデミーの権威を否定するつもりは毛頭ございませんが、在野にあっても私どもは真理を追い求める業を背負う生き物なのです。だからこそ、自由な発想ができるのかもしれません」
『相変わらずだなぁ。性別だの年齢だのは能力に関係ないだろうに』
「しかし、アカデミーであれば国費で研究も可能だぞ?」
「乙女の塔にも潤沢な研究費がありますので、そこはあまり問題ではございません」
リヒトが苦笑しつつソフィアを見遣ると、ソフィアもニッコリと笑って頷いた。王は、深いため息を吐いてソフィアに愚痴をこぼす。
「おい、ソフィア。其方はどれだけ人材を独り占めするつもりなのだ」
「そのように仰られましても……。そもそも乙女たちは、塔にくるまではギルドにも加入できず、他の錬金術師や薬師の手伝いのようなことをしておりました。彼女たちに研究できる環境を与えたのはグランチェスター家のサラお嬢様ですし、契約によって研究資金を提供しているのがソフィア商会というだけでございます」
「だとしても、パラケルススまで抱える必要はなかろう」
王は顎を撫でつつ、惜しむようにリヒトを見つめている。アカデミー関係者も同じ気持ちらしく、ソフィアに憎々しげな視線を送っている。
「正直申し上げますと、私はパラケルスス師と話をしてみたいとは思っておりましたが、一緒に仕事をすることになるとは、まったく予定しておりませんでした。そもそも、サラお嬢様も乙女の塔の名前の示す通り、女性しか受け入れるつもりはなかったそうでございます。しかしながら、パラケルスス師が乙女の塔にお越しになった直後にサラお嬢様が病で倒れてしまい、パラケルスス師が治療にあたったのです。そして、そのままなし崩し的に乙女の塔に住み着いてしまわれまして……」
「その言い方だと私が女性寮に不法侵入してるみたいなんだけど」
「違いましたか?」
「ちゃんと許可は取ったよ!」
リヒトはソフィアに対して猛烈に抗議したが、ソフィアは涼しい表情で王への言葉を続けた。
「このような感じで、意図せずそうなってしまったのでございます。もはや乙女たちにとっては師匠か祖父かといった雰囲気で、いまさら引き離すのも心苦しく……」
「な、なるほど。ところで、ソフィア商会はそれほどに潤沢な資金を提供しているのか?」
王の問い掛けに、リヒトが間髪容れずに答えた。
「魔石は使い放題です。もちろん、魔力が補充可能な魔石も含めて。そして、乙女の塔に隣接する植物園には、薬草をはじめとしてさまざまな植物が栽培されております」
リヒトは実にイイ笑顔である。この瞬間、王はアカデミーに勝ち目がないことを悟った。そして同時に、多くの錬金術師や薬師が『自分も乙女の塔に行きたい』と考えたのも致し方のないことであっただろう。
2日目です。
2025年11月10日に小説の6巻出ます! BOOK☆WALKERさんだと限定のSSがついちゃいます。
https://www.tobooks.jp/contents/20351




