令嬢は趣味について考察する
寝込んだ直後であることを考慮し、その日は体力を使わない裁縫を習うことになった。
「これは、その、独創的、ね」
まずは刺繍のレッスンということで基本的なステッチを習ったところ、手先はそれほど不器用ではないことが確認できた。そして『いざハンカチに刺繍!』となったのだが、ここで問題が発生した。綺麗なステッチで刺繍された"猫"は辛うじて四足歩行だろうと思われる謎生物で、"花"に至っては"ヒトデ"か"星"のような謎のイガイガだ。
要するにサラには、絵心がまったくなかった。なにせレベッカが下絵を描けば、大変美しい仕上がりになるのだ。
急遽、絵画のレッスンに切り換えてみたところ、結果は惨憺たるものだった。花を描かせてみればロールシャッハテストの図形を思わせる謎のシミになり、マリアを椅子に座らせてデッサンすれば悪霊の呻き声が聞こえてきそうな呪いの絵画となった。
このままでは異端審問にかけられてしまいかねないため、レベッカはサラに絵画を教えることを諦めた。
『チートでなんでも解決するわけじゃないことはよくわかったわ』と、サラはしみじみと実感した。思い返せば、更紗の美術の成績だってかなり酷かった。なまじ他の科目の成績が良いだけに、何故美術を選択したのかと教師から苦言を呈されたこともあった。
「レベッカ先生、貴族女性は趣味を持つべきだというお話でしたが、刺繍を趣味にするのは難しそうです。絵画に至っては、先生の頭痛を増すだけな気がします」
「普通の貴族女性は、たくさん暇があるから趣味に没頭するの。そして、同じ趣味を持った他家の令嬢や奥方と集まって交流を深めていくんだけど……」
「そもそも今はそんな時間なさそうですね。この後も執務が待っていますから」
「確かにその通りね。サラさんは忙しすぎるわ」
「それはレベッカ先生も同じではありませんか。今日も伯父様と一緒に帳簿付けの続きですよね?」
「ええ、その予定よ」
「まずはこの困難を乗り越えなければですね」
「本当にそうね」
サラとレベッカは顔を見合わせて、微苦笑を浮かべた。
「社交のために一通りのことはこなせることは承知していますが、レベッカ先生が本当にお好きな趣味ってなんですか?」
「あまり女性らしくないのだけど、乗馬かしらね。遠乗りするのが好きよ」
「素敵ですね。私ももう少し大きくなったら乗馬を習いたいです」
「その時は一緒に遠乗りに行きましょうね」
「はい。是非!」
前世でも馬に乗るのは好きだったので、おそらく今世でもサラの趣味は乗馬ということになるだろう。さすがに貴族のご令嬢が「酒の飲み歩き」を趣味にするわけにもいかない。
前世で趣味を聞かれたときは"読書"と答えていたが、この世界の本はかなり高価なので、平民育ちのサラが趣味と言うには無理があった。
すでに植物紙や印刷技術は発明されているのだが、技術革新があまり進んでいないのか気軽に買える値段とは言い難い。やたらと凝った装丁の本が多く、貴族家では本も資産として扱われている。
グランチェスター城にも図書館はあるが、学術書や辞典が中心な上に、歴史や兵法書などに偏っていた。羊皮紙にかかれた古い地図などもあるので、歴女的な視点では面白いと感じるが、貴族令嬢の趣味としては些か無骨だろう。
もちろんこの世界にも物語や絵本も存在はしている。しかし、貴族や稼ぎの良い商家でさえ数冊あれば良い方で、大量に所有していればコレクター扱いだ。
『ペーパーバックみたいな安い本は流通してないのかしら。物語作家がいないのかなぁ?』
とつらつら考えているうちに、昼食の時間となり、昼食後は執務の時間となった。
執務室ではロブと文官たちが待ち構えていた。
「サラ、もう大丈夫なのかい?」
皆、心配そうにこちらを見ている。どうやら魔力枯渇で倒れたことを心配されているらしい。
「はい。大丈夫です。ご心配おかけしました」
するとジェームズが小さな花束をサラに手渡した。
「サラお嬢様、魔法の発現おめでとうございます。でもご無理はなさらないでくださいね」
「わぁ。綺麗ですね。ジェームズさん、ありがとうございます。無理しない程度に訓練頑張りますね」
「あ、ジェームズ抜け駆けするなよ」
「まったくだ。伯父の僕でさえまだお祝いを言っていないのに」
すかさずベンが突っ込み、ロバートも同意する。
「サラお嬢様、こちらの花束を活けてまいりますね」
マリアは花束を受け取って部屋を出て行き、しばらくすると背の低い小さな花瓶を机の上に置いた。緑と青がうっすらと混ざりあったガラスの花瓶は、とても美しかった。
「花も綺麗だけど、この花瓶も美しいわね」
「実は、その花瓶もジェームズさんから頂いたんです」
「え、そうなんですか?」
「またジェームズかぁ。ずるいなぁ僕もサラにプレゼント用意しないと」
するとジェームズは少し照れたように、「その花瓶は私の婚約者がサラ様に差し上げてほしいと渡されたものでして…」と答えた。
「まぁ、わざわざ婚約者の方が私のために?」
「結婚式の打合せがあり婚約者の家を訪れたのですが、その際にサラ様の魔法が発現した話をしたところ、これを是非渡してほしいと言われまして。彼女の手作りなのです」
「え、この花瓶を手作りされているのですか?」
「彼女の父がガラス職人でして、彼女も子供の頃から色々作っているそうです。まぁ女性の趣味としては行き過ぎかもしれませんが」
改めて花瓶を見てみると、装飾は控え目だが緩やかな曲線が優美な作品であった。
「これを趣味と呼ぶのは婚約者の方に失礼です。本当に美しい作品ですね」
「はは。そうですか。彼女にも伝えておきます」
「ジェームズさん、お世辞ではありません。本当に素晴らしいです。レベッカ先生は、どう思われますか?」
ロバートの横に座っていたレベッカも、サラの机の上の花瓶を矯めつ眇めつし始める。
「これは確かに趣味の域を超えているわね。芸術作品だと思うわ」
「やっぱりそう思いますよね!」
「や、そこまででは…」
ジェームズが慌てて答えたが、口許が緩んでいる。婚約者が褒められてうれしいらしい。
「婚約者の方に、お礼をお伝えください。本当に気に入りました」
「はい! きっと喜ぶと思います」
『うーーーん。私もこんな高尚な趣味ができるといいなぁ…』
などと内心考えつつも、サラは目の前の書類の山を今日も黙々と片付けていくのであった。




