言い知れない不安 - SIDE コジモ -
ギルドの受付に件の女性商会長の訪れがあったことを聞き、私はいくつかある応接室のうち、小さいが内装の豪華な部屋に通すよう指示した。平民であれば、この部屋の内装を見ただけで委縮する程の煌びやかさである。
私自身も富貴を見せつけるような服に着替え、部下たちにも相応の服に着替えるよう指示した。
入ってきた女性は想像以上に若い女性であった。どこか見覚えのある容姿なのだが、具体的な人物がすぐには思いだせなかった。若い頃は人の顔を覚えるのが得意だったはずなのだが、年のせいか最近は顔や名前を思いだすのも一苦労だ。
「ソフィア商会のソフィアと申します。本日は商業ギルドへの加入申請に参りました」
堂々とした態度であった。部屋の内装にも私たちの衣装にもまったく臆する様子はない。どうやら貴族か貴族に近いところにいる人物である可能性が高い。予想した通りだ。
使用人が目の前でポットから注いだお茶も、私たちが口にするまでは決して手をつけようとしない。こうした何気ない仕草からも、目の前の相手がきちんとマナー教育を受けていることが窺える。
「ところで、どういった商いをされる予定でいらっしゃるのですか?」
部下は事前に私が指示した通り、相手の商売の内容を尋ねた。しかし、目の前の女性は怯む様子すら見せず、柔らかに微笑みながら女性が好みそうな小物などを商品として扱うと話し始めた。
違和感としてはグランチェスター領の地酒として知られるエルマ酒を販売することだが、アレを好む女性が多いことは知られているので不自然とは言えないだろう。出身がグランチェスターではないそうだから、こちらで飲んで気に入ったのかもしれない。
てっきり服飾関連の商売をすると思っていたが、肩透かしを食らった気分である。私の一族は服飾関連を中心とした事業を展開しているため、貴族の支援を受けた商家や商会が出てくることはあまり面白い話ではない。
そういえば彼女は誰の支援を受けているのだろう。ソフィア商会の登録手続きは、ロバート卿に近い筋の男が代行していたが、諜報員からの情報によればロバート卿は長年の片恋を実らせて婚約をしたらしい。
だがロバート卿は女性との噂が絶えないお方でもある。ふむ……この女性はロバート卿から手切れ金の代わりに商会をもらったのだろうか。しかし、それならわざわざグランチェスター領に来る理由がない。特にオルソン令嬢に知られれば、折角の婚約が破談になりかねないではないか。
もしや侯爵か小侯爵の妾と言うことはあるだろうか。年齢的には侯爵の隠し子であってもおかしくはない。
「それにしても、このように麗しい方がわざわざ王都から移り住まれる程に頼られるとは、よほどお知り合いの方とは深いご関係のようですね」
「どうでしょう。私は末永くそうありたいと願っておりますが、先方のお気持ちを計り知ることはできません。ですが困っていた私を助けてくださり、こちらに移り住む手助けをしてもらった御恩のある方でございます」
探りを入れてみたが、なんとも判断に困る発言である。『末永く』と聞けば誰かの妾のようにも聞こえるが、目の前の女性は麗しくはあるがどこか清廉で、多くの妾たちが持つ婀娜っぽさが感じられない。
まぁ貴族か貴族の関係者のご婦人が、遊び半分で商売を始めるといったところか。それにしては用意した本店はかつて大きなドレスメーカーが店を構えていた場所であり、一等地である。この程度の商売にしては大袈裟な建物だが、パトロンがいるならそれも不思議ではないだろう。
これ以上の深い質問は、この女性のというより、この女性の背後に居るであろう貴族の心証を悪くしかねない。この辺りで引くべきだろう。実際、女性の後ろに控えている護衛は、怒りを含んだ眼差しでこちらを睨みつけている。この男の主人に余計な報告をされたくはない。
私は部下に命じてソフィア商会の商業ギルドへの加入申請書を持ってこさせ、目の前でギルド長としてサインした。
しかし、サインした直後に微笑みを浮かべたソフィア嬢を見た瞬間、私は言い知れない不安に襲われた。なぜだか目の前の女性が、猫科の猛獣のような気配を漂わせているような気がして、背筋に冷たいものが走ったのだ。
……このようなうら若い女性に対して馬鹿げた話である。やはり私は年をとったのだろう。




