サラの祈り
明けましておめでとうございます。これからまた更新していきます!
話すべきことは一段落したものの、やるべきことが山積みになったサラは、レベッカに助けを求めた。
「お母様、やるべきことが多過ぎます。今後のスケジュールを検討しなおす時間をくださいませんか? もちろんトマス先生とも相談が必要だとは思いますが」
「そうでしょうね。私もいろいろやらないといけないこともあるしね」
当たり前である。なにせ開催まで一月程に迫った狩猟大会で婚約を発表するのだから。婚約式は身内だけで済ませるそうだが、さすがに貴族家同士の結婚式を簡素にするわけにはいかない。手配しなればならないことが山積みになっているはずだ。
「明日は馬でジェフの家に行って体力づくりの走り込みと剣術の稽古の予定なのだけど、走り込みの後は少し時間を取ってもらいましょう。トマス先生にもジェフの邸にいてもらうことにするわ。じゃないと乙女の塔に行っちゃいそうですしね」
「それでも走り込みは不可避なのですね」
「もちろんよ。サラさんのウィークポイントは体力の無さですもの。何をするにも大切なのは体力よ」
実際のところ、貴族令嬢にそこまで体力は求められない。そもそも令嬢が剣術を嗜むというのはかなりのレアケースだ。理由は単純明快で、美しい手が失われてしまうためである。剣術の稽古をしていると、どうしても手に肉刺やタコができてしまうのだ。
なお、レベッカは自分で治癒できてしまうので、剣術の稽古をしていても手は美しいままだった。訓練で怪我をしたこともあったが、これまで両親にバレたことはない。どう考えてもレベッカは、サラのことを言えないくらいチートなのだが、自覚があって隠すのも巧妙なので質が悪い。そんなレベッカが言うのだから、体力は本当に重要なのだろう。
「その話し合いの後なのですが、シンディさんの工房近くにあるという女性が多く住む地域をソフィアに訪ねてもらいたいのです」
「ソフィアと一緒にですか?」
レベッカが考え込む様子を見て、サラは頷きつつ説明を続けた。
「シンディさんのお話から推測するなら、おそらくその時間は外に働きに出られない女性しか在宅されていないのではないでしょうか。護衛騎士のような身体も大きく力の強そうな男性を伴うのはあまり得策だとは思えないのです。信頼していただけるまでは、女性だけで訪問すべきではありませんか?」
「そうかもしれないわね」
「それに…お忙しいのは承知しておりますが、できればソフィアと一緒にお母様も訪問していただけないでしょうか? シンディさんとジェームズさんの恩師の方にお会いしていただきたいのです」
「理由を教えてもらえるかしら?」
「そうですね理由はいくつかあります。一つは生徒となる方を紹介して頂きたいこと、二つ目はどのような形で授業を進めていらっしゃるかの説明と可能であれば見学、そして最後が一番重要なのですが初等教育の先生を引き受けていただけないかと」
「なるほど。それは面白いわ」
「それと…、その地域を離れても良いという方がいらっしゃるのであれば、乙女の塔で働いてもらうのも良いのではないかと思うのです。使用人部屋は空いてますし、アリシアさんやアメリアさんは今後も忙しくなるのが目に見えています」
「でも、あそこはグランチェスター城の使用人たちが働いているのではない?」
そうなのだ。もともと乙女の塔はグランチェスター城の一部であったため、掃除や修繕などはロバートが手配してくれたグランチェスター城の使用人たちがやっていた。しかも、最初に塔や秘密の花園を探検したのは、侯爵が執務室からメイドを追い出したタイミングだったため、執務室のメイドが担当していることも少なくない。
「これまで祖父様やお父様の好意で城のメイドたちの手を借りていましたが、既に私が譲り受けているのですから、そろそろ専属の使用人を雇わないとダメだと思うのです。塔で働いているのは貴族ではありませんから、城のメイドほど狭き門ではないはずです」
「いや、サラ気にしなくてもいいんだよ?」
ロバートは気づかわしげに発言したが、城の使用人を個人が占有し続けるのは問題であることは間違いない。
「今気づいたんですけど、執務室のメイドってグランチェスター城の使用人ですよね?」
「うん、そうだね」
「執務室のメイドはグランチェスター家が雇用していて、文官はグランチェスター領が雇用しています。そもそも所属が違うんですけど、これってどこかで線引きしたほうが良いんじゃないですか? 先程メイドたちの待遇改善の話をされていましたが、そもそも領の文官がグランチェスター家の使用人の待遇には口出しできません」
文官たちは顔を見合わせ、次の瞬間に青ざめた。執務室のメイドがグランチェスター家に雇用されているということは、彼女たちの労働力は対価を支払っているグランチェスター家の物である。つまり、文官が勝手に執務室のメイドに仕事のサポートを命じる行為は、領主一族が所有する財産を勝手に使うのと同義なのだ。
「そうだった!」
「どうしよう…もう彼女たち無しでまともに仕事ができると思えない」
少し前までは執務室のメイドが居なくても仕事はできていたはずなのだが、そんなことを綺麗さっぱり忘れてしまったかのように文官たちは慌て始めた。人間は一度楽を覚えると、それに慣れてしまう生き物らしい。
「領の法律を改正して、執務室のメイドを領の下級文官扱いにすればいいんじゃないでしょうか?」
「でも、城のメイドを辞めたくないって言われたら…」
「それは彼女たちに選ばせてあげてください。城のメイドは人気職ですからね。とはいえ文官の皆様も困るでしょうから、とっておきの秘策を教えます」
ジェームズとベンジャミンは身を乗り出して、サラの次の言葉を待った。
「祖父様にお願いして、彼女たちを出向扱いにしてもらえばいいのです。もちろんグランチェスター領は、グランチェスター家に対して給与負担金を支払う必要があります」
「なるほど!」
「それだ!」
余談であるが、この『給与負担金』が下級文官レベルの金額に設定されたため、これに引っ張られるように他の使用人の給与も高くせざるを得ない事態へと発展し、侯爵の頭を少しばかり悩ませることになる。
「ですが、いつかは領の執務室で働きたいと希望する人を増やすべきです。担当する仕事が違っていても、彼女たちが領のために働く文官なのだということを、いつか皆様にも正しく認識していただきたいです」
サラはきっちりと文官たちに申し渡した。酒の入った文官たちに、今のサラの台詞がどれほど影響を与えられるのかはわからないが、それでも女性が文官になれる道が拓かれることをサラは祈った。
そんなサラの気持ちに気付いたのは、シンディとレベッカであった。
「サラお嬢様、大丈夫ですよ。いつかきっとそうなります」
「そのためにも私たちは素敵な学校を作りましょうね」
「はい。ありがとうございます。一緒に頑張りましょう。シンディさんも協力してください」
「もちろんです。サラお嬢様。いっぱいワクワクするご提案ありがとうございます!」
城に呼び出しを受けてから感情が激しく乱高下したシンディだったが、ここで彼女は今日一番の笑顔を浮かべた。貴族が浮かべる優雅な微笑みではなく、歯が見えるくらいニカッと笑っているシンディは健康的な魅力に溢れていた。
サブタイトルに主人公の名前が入ったのはこれが最初だった




