労働力の確保と人権の尊重
暴力に関する不快な記述が含まれます。苦手な方はスキップしてください。
エルマブランデーをはじめとするさまざまな商品開発が進んだことで、いよいよ商会を本格的に始動させるべき時期がきたことをサラは実感した。
『最初にオープンする店舗はそれほど大きい必要はないけど、上級の貴族が出入りしても問題がない場所と相応しい内装は必須よね。祖父様が用意してくださった本店を見に行こう。店舗として不向きな物件であれば、事務所兼倉庫にすればいいわ。アメリアさんの商品は、専門店として別店舗を構えるべきだとは思うけど、顧客の反応を見てからでも遅くないはず。とはいえ、倉庫だけは確保しておくべきでしょうね。少なくとも小麦は備蓄として在庫を抱えておく必要がある』
「祖父様、近いうちに商会の本店を見に行きたいのですが」
「そうだな。そろそろ動き出すべきだろう」
『そういえば商業ギルドにもいかないと…』
「ソフィアには商業ギルドに向かうよう申し伝えます。さすがに商業ギルドに加盟しなければ、従業員を雇用するのも難しそうですので」
「確かにギルドには加盟せねばならんだろうなぁ。求人については、アカデミーに募集を出すという方法もあるぞ」
「なるほど。それも良いですね」
『とはいえ…即戦力欲しいなぁ。執務室のメイドさん引き抜いたら怒られるよねぇ。そもそもグランチェスター城のメイドって、この辺りの女性には憧れの職業だっていうし、誘っても無理だろうしなぁ。だけど貴族相手に接客できる人材って、どうしたらいいかしらね』
サラが黙りこくって思考の海に沈む様子は、グランチェスター城で働く人々にとっては慣れた情景なのだが、初めてサラを見たシンディは8歳の少女が落ち込んでいるようにも見えて心配になった。
「サラお嬢様、どうかされましたか?」
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしてしまいました」
「考え事ですか? 何かお困りのことがあるのでしょうか?」
親切なシンディを心配させないよう、サラはニコッと微笑みを返した。
「シンディさんをはじめ、多くの方に作っていただく商品の売り方を考えていたのです。高級品が多いので、貴族など富裕層の方を相手とした商売が多くなるはずですが、接客できる人材をどう確保したものかと思いまして」
「だから商業ギルドに登録するんだろう? 商家で働きたい人は商業ギルドを通じて応募してくるはずだし、商業ギルドは仕事の内容に応じて能力がある人を斡旋してくれると聞くが」
何故そんなことで悩むのかがわからないといった風情で、ロバートがサラに尋ねる。
「確かにそうなのですが、別の商家や商会と繋がりがありそうなのが怖い気もします」
「あぁ。そういうことを心配しているのか。ある程度は仕方ないだろう。それに、重要な役職の場合、魔法による機密保持契約もできる」
「魔法の機密保持契約って、他言しようとするとどうなるんですか?」
「まず口に出せないし、他人に告げようとしただけで酷く苦しむ。それでも強行しようとすれば死ぬ」
「ええぇっ! 機密は守りたいですが、そこまでの強制力は求めていません! 出来れば信頼関係で守っていただきたいんですが」
「いやこれは機密を知ってしまった側を守るための魔法でもあるんだ。無理に話そうとすれば死んでしまうってことがわかっているから、聞き出す側も家族を使った脅しなどの強硬手段がとれなくなるんだよ」
「はぁ…なるほど」
『この世界はそういうところが怖いよっ!』
「正直、執務室のメイドさんを数名派遣してもらいたいと思っちゃいますね」
「それはサラの希望でも叶えてあげられないなぁ。本当に彼女たちは貴重なんだよ」
「ですよね」
深くため息を吐いたサラの様子に、シンディが質問を重ねた。
「その執務室のメイドになるにはどうしたらいいんでしょう? もちろん誰にでもなれるものではないことはわかっていますが、私の周囲には仕事を欲しがっている女性が大勢居るんです」
「大勢の女性?」
そのシンディの発言は、サラの琴線に触れた。
「はい。うちの工房は領都の外れにあるのですが、近くには貧しい一人暮らしの女性や、夫を亡くして子供を育てる母親などが多いのです」
「それは何か理由があるのでしょうか?」
「川が近くにあるので、ガラスだけでなくさまざまな技を持った職人たちが工房を構えているのです。必然的に飯炊きや洗濯など下働きの女性たちも集まっています」
「あぁ、なるほど」
「とはいえ職人には気が荒い人や、横暴な人も少なくありません。中には女性の一人暮らしを狙って乱暴なことをしようとする不心得者もおりますので、こうした女性たちはお互いを助けるため、同じ区域で寄り集まって暮らしているのです」
「それは心強いですね。でも、お話を伺う限り、彼女たちは仕事があるからそこに住んでいらっしゃるのではないですか?」
シンディはそっと首を横に振った。
「もちろん仕事がある女性は多いですが、中には仕事ができなくなって困窮している女性もいるんです」
「それは働けない年齢になるということでしょうか?」
「はい。工房の下働きは楽な仕事ではありません。年をとったり身体を壊して動けなくなったりしてしまえば、解雇されてしまいます」
当然と言えば当然である。更紗の前世のように雇用保険や年金はない。もちろん労災や生活保護だってあるはずがないのだ。
「それと…」
「どうされました?」
「あ、いえ、幼い方の耳に入れて良いのかどうか迷うのですが、職場で暴力を振るわれてしまう人も少なからずいるのです。怪我をして動けなくなってしまったり、心を病んでしまったりすると職場に復帰できなくなります」
「なっ!」
サラは驚いて言葉を失った。このような言い方をするからには、人の尊厳を奪うような暴力であるに違いない。サラはそのままぐりっと侯爵とロバートに鋭い視線を投げかける。
「祖父様、お父様! グランチェスターは、そのような無体が許されるような領なのですか? 法整備はどうなっているのです!」
「サラ落ち着け。当然だが女性からの訴えがあれば、領の巡回兵が調査に向かい、しかるべき措置を取る。有罪が認められれば、暴力を振るった側に損害賠償が命じられる。加害者が財を持たない場合には、領が代わりに被害者に賠償金を支払い、加害者には賠償金を完済できるまで苦役が課せられる」
この発言にはシンディが反応した。
「侯爵閣下、無礼な発言をお許しください。ですが、あの程度の賠償金では意味が無いも同然です。暴力を振るわれた女性が新たな生活を始めるには少なすぎるのです」
「いったい賠償金はいくらなのですか?」
「被害者世帯の年収と同額だ」
「それは……厳しいでしょうね。せめて下限の金額を設定してください。その法律をいつ誰が作ったのかは存じませんが、貴族や富裕層が被害者になることしか想定していなかったのでしょうか。一人暮らしの貧しい女性や母子家庭ですよ? 世帯年収なんてたかが知れているはずです。しかもそんな被害にあったら、同じ職場で働き続けるのは難しいのはわかるじゃないですか」
「そのせいで長期に渡って暴力をうけていても訴え出ない女性も多いのです。特に子供を抱えていると、いきなり職を失うわけにはいかないですから」
「酷すぎる…」
女性たちが置かれている状況があまりにも過酷で、サラはポロポロと涙を流した。そして同時に想像もした。もし前世の記憶が戻らず、あのまま王都のグランチェスター邸にいれば、自分は無事でいただろうかと。
「す、すみません。やはりこのような話を幼い方のお耳にいれるべきではありませんでした」
シンディはサラが泣き出したのを見て狼狽した。
「シンディ嬢、気に病まずとも良い。サラは見た目ほど幼くはない。領内にそうした弱者がいることを哀しんでいるだけだ。いや、私を責めているのやもしれんな。民を守るべき領主でありながら、そのようなことを見過ごしておったとは…」
「私は祖父様を責めたりはいたしません。神ではないのですから、全ての人を救うことができないこともわかっています。ただ、知ったのであれば善処はできるかと」
「そうだな」
侯爵の発言にサラは鼻をぐずぐず言わせつつも微笑んだ。
なお、この年の領法改正により、暴力に対する損害賠償金には下限が設けられ、特に性的暴力に対する罰則が強化された。サラが強く主張したことで、性的暴力は男性から女性だけでなく同性あるいは女性から男性に対するものも含まれることとなった。
性的な暴力を振るった加害者の氏名や職業は公表され、額または首筋に性的暴力の加害者であることを示す焼き印が押されるようになった。この焼き印は火属性の魔法で押されるため、治癒魔法で消すと、即座に焼き印を押した領に通知が届く仕組みになっているのだという。ちなみにサラは焼き印の話を聞いて『異世界やっぱり怖い』と思ったが、口には出さなかった。
本当はこの話で年内最後にしようと思っていたのですが、後味悪い感じの内容なので、年内にもう一本掲載する予定です。




