商品企画会議 3
「サラ!養蜂って蜂を飼うんだよな?」
突然、ブレイズが声を上げてサラに質問した。
「ええそうよ」
「だったらオレ、蜂蜜食べたい! 蜂蜜って話にはきいたことあるけど、まだ食べたことないんだ。凄く甘いんだろ?」
「えっ」
周囲が一斉に驚いてブレイズを見た。確かに蜂蜜などの甘味は贅沢品ではあるが、庶民でもたまに食べられる程度の価格である。傭兵団にいる間、ブレイズがどれだけ大変だったのかサラはしみじみと感じ取った。
「マリア、今すぐ蜂蜜とパンをもってきて。パンはスライスして表面を軽く焼いて頂戴」
「承知しました」
パタパタとマリアが厨房へと出て行った。
「え、オレ今すぐって意味で言ったつもりじゃなかったんだけど」
「駄目よ。商品の企画中ですもの。思いついたらすぐに試してもらわないとね。そういえばスコットとブレイズはあまりハーブティ飲んでいないけど、飲みにくかった?」
「ん…僕にはちょっと酸っぱいかも?」
「うん。飲めない程じゃないんだけど…」
「ローズヒップは確かにちょっと酸味があるかもね。私は嫌いじゃないけど」
「確かに男性は酸味が苦手って仰る方も多いですね」
アメリアは立ち上がって、いくつかの瓶からさまざまな乾燥ハーブを取り出してポットの中に入れていく。ゆっくりとお湯を注いで、香りを確かめていく。
「これだとどうですか?」
新たにいれたお茶をスコットとブレイズに差し出した。
「これは美味しいですね」
「うんオレもこっちの方が好き」
二人の反応が変わったので、サラもそのハーブティを味見してみる。
「普通の紅茶っぽい味ですね。仄かにペパーミントやレモングラスっぽい匂いもするかな」
「どちらも入っています。苦手であれば砂糖を入れても美味しいですよ」
そこにマリアが薄くスライスして表面をトーストしたパンと蜂蜜。そして素焼きしたナッツの入った皿をもって戻ってきた。
「どうぞブレイズ様。ハーブティとの相性を試してみてくださいませ。ナッツに蜂蜜をかけて食べるのもおすすめです」
ブレイズは恐る恐るといった雰囲気で、トーストに蜂蜜をそっとかけて一口食べる。途端に凄い勢いで食べ始め、良い笑顔になった。
「美味しいですか? 一緒にそのハーブティも飲んでみてください。甘いものにも合うようなブレンドにしたつもりなのですが」
アメリアに勧められ、ブレイズはコクリとハーブティを一口飲んだ。
「すっげー美味い!」
「良かったです」
その様子を見ていたポチは、サラにそっと耳打ちをした。
「アクラ山脈にはサトウカエデも自生してるよ」
「なんですって! 初耳」
「ちょっと人には行きにくいところだから知られてないのかも」
「ポチ、申し訳ないのだけど、アクラ山脈まで行って、サトウカエデの樹液を持ってきてくれないかしら?」
「わかったわ。容器を借りていくわね」
そういうとポチは人の姿に変化し、近くにいたメイドから空のピッチャーを借りて妖精の道へと入っていった。
しばらくすると、ポチはサトウカエデの樹液がたっぷり入ったピッチャーを持って戻ってきた。サラは受け取った樹液を持って実験室に向かい、ビーカーに入れて火属性の魔法で一気に煮詰めて水分を飛ばし、濾過して不純物を取り除いた。
「急いで作ったから本来の風味じゃないかもしれないけど、これがサトウカエデの樹液から作ったメープルシロップよ。ブレイズ、こちらも試してみてもらえる?」
先程のトーストは既にブレイズのお腹に消費されてしまっていたため、最初にお茶請けとして並べられていた少し硬めのシンプルなビスケットの上に軽くメープルシロップを垂らし、ブレイズに渡す。
「これも美味いよ。サラ」
「だよね。私もメープルシロップは大好きよ」
一緒になって自分もビスケットの上にメープルシロップをかけてパクリと口に入れた瞬間、独特の懐かしい風味が広がった。
「んんっ、美味しい!」
「だよな」
ブレイズとサラの様子を見て、他の人たちもメープルシロップの味見をした。
「ほう、これはなかなか。これが樹液からできるとは信じられん」
侯爵がしみじみと感想を漏らした。
「もしかしてこの辺りではメープルシロップをお召し上がりにならないのですか?」
「私は初めてだが、他の者はどうだろうか」
すると誰一人、これまでメープルシロップを食べた人はいなかった。
「ポチ、もしかしてアヴァロンではメープルシロップを加工しているところはないの?」
「私が知る限り、アヴァロンだけじゃなくて周辺の国にもないはずよ。だって、この大陸でサトウカエデがあるのはアクラ山脈の中だけだもの。もっと北の大陸だったらメープルシロップやメープルシュガーに加工してる国もあるのだけど」
「あらら、貴重な甘味だったのね。季節外れに樹液を採取してくれてありがとうポチ」
「どういたしまして」
サラはポチの頭を撫でて魔力をたっぷり渡した。
「まぁこのメープルシロップを商品にするには、アクラ山脈まで樹液を取りに行かねばなりませんので、今すぐにはムリでしょう。でも蜂蜜の方は、他の商品で蜜蝋を使いたいことを考えると販売したい商品ではありますね」
「ふむ。エルマを栽培している農家には、養蜂を一緒に行っているものも多いぞ。この蜂蜜もおそらくそうだ」
「そういえば、以前に文官の方々から伺ったことがありました。でもそちらは既に用途が決まっているのではないですか?」
「どちらも買い取る商家は決まっているようだな。蜂蜜を納品する商家はいつも同じところだからな」
「無理に他の商家と競り合うより、新たな養蜂家を探すなり育てるなりすべきでしょうね」
「そういうものか」
「大量に欲しいので大勢の養蜂家が欲しいです。できれば花も選びたいですね。エルマに不満があるわけではないのですが、他の花も試したいです。そう考えると商品化はもう少し先かなぁ…」
商品化を先延ばしにする発言をすると、その場にいた女性陣の視線が一斉にサラに向けられた。
「限定個数でもいいので、商品化して欲しいです」
「なんならここでミツバチ育てます!」
「私の実家を養蜂家にしますので、育て方のノウハウを知りたいです」
など、普段は大人しく控えているメイドたちが一斉に声を上げた。
「うーん、さすがに養蜂は魔法で何とかできるレベルではないので、こちらで蜂蜜や蜜蝋が採れるようになるまでは、限定的に既存の養蜂家から買い取るか、買い取っている商家から買い取るしかありませんね。ちょっと高くなりそう」
これを見ていた侯爵は、女性陣の熱量に少々面食らっていた。
「いやはや、なんとも凄い人気だな」
「そうなる予感はしていました。祖父様、やはり最初のうちは女性のお客様の方が多くなりそうです。そうなると男性のお客様が店に入りにくいかもしれませんから、注文だけ伺ってブレンドしたお茶を届けるといった販売方法を検討すべきですよね」
侯爵は顎に手を当ててしばし考えこむ。
「男女より身分の問題の方が大きいだろう。貴族であれば自ら買いに行くということはあまりない。貴族家からの購入は商家にとっては名誉であることが多く、店側が配達するのが一般的だ。大きな商家であれば、取り扱っているさまざまな商品を持って外商にくる。そうでない場合、使用人が買いに行くか、その家に出入りしている他の商家を経由することになる。当然他の商家を経由すれば手数料を支払わねばならん」
「わざわざ使用人に買いに行かせるほど気に入ってもらえるのが一番でしょうが、知名度が低いうちは難しいでしょうね。それにハーブティの単価を考えると、手数料を取られるのも少々厳しいです」
これまで黙ってサラたちのやり取りを見ていたトマスが、ここで意見を述べた。
「サラさんは書籍も販売予定と伺っていますが、商品カタログは作成されないのですか?カタログがあれば注文を取りやすいと思うのですが」
「作りたいとは思いますが、最初のうちは店に置く商品は流動的だと思うのです。書籍を何度も改訂したくないですし」
「アメリアさんの説明を伺うと、ハーブティで薬効を得るには状況に応じて使い分けが必要なように思うのです。であれば、ハーブティの特徴や何に効くのかといった資料が必要になるのではないでしょうか。そうした詳しい資料を作っておけば、店員教育の教科書としても使えるのでは?」
「そうなると、商品カタログというよりハーブティの辞典のようになってしまいそうですね」
「おそらくですが、アメリアさん、既にそういった資料をお作りになっていますよね?」
これには問われたアメリアが驚いた。
「あ、はい。書籍にできるほどまとまっているとは言い難いのですが、確かに私のレシピには味の特徴、色、効能、注意などを一緒に記載してあります」
「やはりそうですか。最適なブレンドを確立するために沢山試されたでしょうから、それを書き記していないはずがないと思っていました」
トマスはサラの方を振り向いて美麗な表情でニコリと笑った。
「サラさん、今回の狩猟大会での宣伝も重要ですが、長期に渡って商品をアピールするのであればカタログにすべきだと思いますよ。狩猟大会には貴族しか参加できませんが、本の形にしておけば領外からも注文が来るはずです」
「それほど上手くいくでしょうか?」
「私はサラさんが今後展開する予定と伺った、装飾を廃した廉価な書籍に商品カタログは向いていると思うのです。貴族の方々は自領や王都にお戻りになれば、身近な方々にハーブティを振舞うかもしれませんが、自分たちが持ち帰らなかった商品の宣伝には役に立ちません。あるいは虚栄心の強い女性であれば、自分の美の秘訣を他に明かさない可能性もあります。ですが比較的安価な書籍に貴族女性の美の秘訣が記述されているとなったら、富裕層の女性たちはどのような行動にでるかは、こちらのメイドの方々を見ればお分かりになるのではありませんか?」
「な、なるほど」
そこにメイドの一人が声を上げた。
「あ、あの…さきほど精油を精製されると伺ったと思うのですが」
「はい」
「それってお肌に付けても問題は無いのでしょうか?」
「精油を直接肌に付けるのは刺激が強すぎるのでおすすめできません、他の植物性のオイルで希釈して使うべきでしょう」
「私の母は産婆をしているのですが、身重の女性の家を訪ねて浮腫んだ足などをマッサージすることがあるのです。マッサージする際にはオリーブオイルを使うのですが、良い匂いがするオイルでリラックスできたりするのではないでしょうか?」
『おっと、核心的な質問きちゃったな』
「実はお母様やお姉さま方の視線が怖くて言い出せなかったのですが…」
「ですが?」
女性陣のイーグルアイが発動し始めたことで、サラの背筋にゾクりとした緊張が走った。
「精油と他のオイルなどを配合することで、肌に潤いやハリを与えたり、髪の艶やかさを増したりといった基礎化粧品を作ることも可能です。もちろんマッサージオイルも作れますし、蜜蝋などと混ぜて練香水なども作れます」
『だから、目が怖いっっ』
四方からギラギラとした眼差しが注がれ、サラは非常に居心地が悪かった。
「ですが」
「ですが?」
「お肌に付ける物ですから慎重な開発が必要ですし、一朝一夕にはできません。今後の課題といえるでしょう。アメリアさんとアリシアさんに頑張ってもらいたいですね」
周囲から一斉にガッカリした雰囲気が漂った。それを察したアメリアはニコッと笑いながら
「なるべく早めに商品化できるように頑張りますね!」と答えた。
これ以降、アメリアはグランチェスター城の侍女やメイドたちから絶大な人気を得るのだが、頻繁に届けられるお菓子や果物などの贈り物を見るたびに、イーグルアイのプレッシャーを感じて胃が痛くなるようになる。




