若き錬金術師の尖りと司書志願者
「そういえばトマス先生の専門をお伺いしたことがありませんでしたね」
「私は経済学が専門です」
「あら、そうなんですか? 塔の中に興味がありそうだったので、てっきり錬金術に興味をお持ちなのかと」
『う…トマス先生と経済の話めっちゃしたいかもぉぉ』
更紗の記憶が疼きだしたが、サラはグッと堪えた。
「申し訳ありませんサラお嬢様、お帰りに気付いてませんでしっ…きゃぁぁぁ」
そこにアリシアが慌ててパタパタと標本棚のある上階からかけ降りてきた。が、途中で躓いてしまい、階段の途中から転げ落ちそうになった…ところを下にいたトマスが咄嗟にキャッチして事なきを得た。
『おお、ナイスキャッチ。トマス先生、ヒョロいかと思ってたけど意外と力あるな』
「も、申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですか?」
「私は平気ですが、そちら様にお怪我などはありませんか?」
「私も大丈夫です」
トマスがアリシアに手を貸して立たせる。
「私が来たからって慌てることないのに。アリシアさんに何かあったら、テオフラストスさんに申し訳ないわ」
「おや、もしかして錬金術師ギルドのテオフラストスさんのお嬢さんですか?」
「あ、はい。アリシアと申します」
「私はトマス・タイラーと申します。グランチェスター騎士団団長のご子息たちの家庭教師を務めております。まさかアリスト師にお会いできるとは光栄です」
「あ、え、ご存じなのですか?」
「もちろんですよ。私が在学中の事件でしたから。もう5年程前になりますか。私たちの世代であのアカデミーの事件を知らない人などいませんよ」
「お恥ずかしい…どうかお忘れください」
『ん? どういうこと?』
サラが首を傾げるとトマスが説明してくれた。
「通常アカデミーは試験を受けて入学するのですが、特定の専門課程だけを受講したい研究者向けに論文と公開討論だけで入学できる制度があるのです」
『AO入試みたいなものかしら?』
「そこにアリストさんという方からの論文が届きまして、錬金術の研究者たちが大絶賛したんですよ。こぞって自分の研究室に入れたいと取り合いになるほどでした」
「話の流れからすると、アリシアさんが性別を偽って偽名で出した論文だった?」
「はい。その通りです」
「あの頃の私は大変生意気でして…その、女性が入学できないアカデミーとやらに挑戦状を送り付けてやろう的な……」
アリシアはしどろもどろになりながら言い訳をする。
「それでどうなったのですか?」
「男装してアカデミーに行ったのですが、討論会には父のお弟子さんが参加していたせいで、あっさりバレてしまいました」
「あら、それは残念ですね」
サラはアリシアに同情した。女性だからアカデミーに入学できないことがよほど悔しかったのだろう。
「この話が傑作なのはこの後なんですよ」
トマスがニヤニヤ笑いながら話を続ける。
「トマスさん、できればそのあたりで」
「え、凄く聞きたいです!」
サラはワクワク感を抑えられずにトマスに話の続きを促す。
「退席を促す教授陣に対してアリシアさんは、入学できなくても構わないので討論だけはしたいと申し出たんです」
「それでそれで?」
「教授陣は『女性相手に討論など時間の無駄』と言い捨て、『どうせ論文は父親の論文を書き写したのだろう』と決めつけたのです」
「それは酷い!」
『女性蔑視も甚だしいわね!』
「ですがアリシアさんは、『小娘相手に討論もできないほどアカデミーの質は低いのか』と教授陣に喧嘩を吹っ掛けられまして」
「え、アリシアさんが???」
「はい」
明るく活発ではあるが、人当たりの良いアリシアが喧嘩腰になるとは到底信じられない。
「あの頃は恥ずかしいくらい尖っていたのです」
『それは尖ってるわぁ』
「そこまで言うならと、教授陣はアリシアさんを全力で叩き潰す勢いで討論会が始まったのです。しかも女に喧嘩を売られたという話は瞬時にアカデミー中に広がりましたから、錬金術を専攻している研究員や上級生たちも参加しましたし、会場に入りきらない程の生徒たちが観客として集まりました」
「それってアリシアさんは、ほぼ晒し者ではないですか!」
「はい。アリシアさんの周囲はすべて敵だったといっても過言ではありません」
『状況を想像しただけでも怖いわ』
「ですがアリシアさんは凄かったですよ。喧嘩腰の相手を次々と論破し、提出した論文の内容については書いた本人でなければ答えられないような質問にもスラスラと答えました。しかも、討論に参加している教授たちの論文や研究内容もアリシアさんは把握していまして、それらの疑問点や矛盾点を指摘しました。実際にご自身で実験をしたデータもお持ちになられ、別の切り口からのアプローチも提案するなど、恐ろしい程の才能の輝きでした」
「アリシアさんかっこいい~」
しかし、当の本人であるアリシアは、顔を真っ赤にしながら身の置き所の無いような仕草をしている。
「その話にはオチがありまして…」
「というと?」
「討論会の終盤になって、烈火のごとく怒り狂った父が乱入しまして…」
「テオフラストスさんがですか?」
「はい…。そして私の論文をちらっと見て、内容の問題点や矛盾点を次々とあげつらった上に『この思い上がった小娘を連れて帰ります』と頭を下げ、本当に私を引きずって家に帰りました」
「え、でも教授陣も指摘しなかったんですよね?」
「父は私の研究をずっと横で見てましたから。私が自分で気づくだろうと敢えて指摘していなかったようです。お陰で私は大勢の前で赤っ恥を晒してしまいました。それ以来、恥ずかしくてアカデミーどころか王都にも足を踏み入れていません」
『そ、それはかなりキツイな』
するとトマスが納得したような表情を浮かべてアリシアに話しかけた。
「それではアリシアさん自身はご存じないのですね」
「どういうことでしょう?」
「討論会の後、教授陣はアリシアさんを特別に入学させるべきか真剣に検討していたんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。見ていた生徒たちの多くはアリシアさんを支持し、嘆願書を書いたり、署名活動をしたりしていました。結局は国王陛下と学長が例外を認めないとお決めになったのですが、アカデミーに一石を投じたことは間違いありません」
「ですから私たち世代のアカデミーの生徒たちは、敬意を込めてアリスト師と呼んで才能を称えています。さすがパラケルススの子孫だと。機会があればどうか堂々とアカデミーをお訪ねください。きっと教授たちも歓迎してくれるはずです」
『ほへー。アリシアさんってそんなに凄い人だったんだ。どうりでテオフラストスさんが自信満々に推薦してくるはずだわ…』
「それでしたらアリシアさんは、ここでの研究資料を直接アカデミーに持って行った方が良さそうですね」
「ここではどのような研究を?」
「パラケルススの実験内容や結果をもとにした検証作業です。細かいメモも多いので、ひとつひとつ確認しています」
「それは代々お家に伝わっている資料なのでしょうか?」
「いいえ。我が家にパラケルススの資料は残っていません。おそらく現存しているのは、この塔に残っているものくらいでしょう」
「は? 何故この塔に?」
「トマスさんはご存じないのですか? ここはパラケルススの実験室ですよ?」
「はぁぁぁぁぁぁ??」
トマスは驚きのあまり口をポカーンと開けたまま固まった。
『イケメンは驚いた顔もイケメンなんだなぁ』
サラはどうでもいい感想を持ったが、敢えて口に出すほどの事でもない。
「どうやら私が説明を忘れていたみたいです。トマス先生、驚かせてしまってすみません。そこまで興味をお持ちになるものではないかと思ってました」
するとブレイズがサラの背中をつんつんとつついた。
「なぁ、そのパラなんとかって誰?」
「昔の錬金術師よ。ここにいるアリシアさんのご先祖なの」
「すげー人なの?」
「うーん。人によって評価がすごく分かれる人かなぁ」
「ふふ。うちの家系は変人が多いんです」
「えー、でもお姉さん、えっとアリシアさん? は凄く可愛いくて変人っぽくないですよ」
「あらありがとう。あなたのお名前は?」
「ブレイズです」
「そっかぁ。ブレイズ君はサラお嬢様のご学友なのかしら。これからもよろしくね」
アリシアはニッコリとブレイズに微笑みかけた。
『うわぁブレイズったら天然のタラシだわ』
自分のことを棚に上げたサラは、ブレイズの人懐っこさと人当たりの良さに舌を巻く。しかし、これまでブレイズが置かれていた境遇を考えると、これも彼が生きて行くための処世術だったのかもしれないと思わざるを得ない。
「ブレイズ…お前は年上の女性が好みなんだな」
「そういうスコットは小さい女の子が好きだよね」
「人を変態みたいに言うなよ。僕は小さい女の子が好きなんじゃなくて、サラを嫁にしたいだけだって!」
「あらあらサラお嬢様に崇拝者ができたのですね」
「はい。サラは僕が守ります!」
「ありがとうスコット。じゃあ剣術だけじゃなく、お勉強も魔法も頑張ってね」
「う、うん…」
そんなスコットの発言をサラはあっさりと受け流した。このやり取りで、アリシアもサラとスコットの関係を正しく認識した。
『まぁ今後もサラお嬢様には、こんな男性がいっぱいあらわれるのでしょうね』
「ところでアメリアさんはどちらに?」
「彼女は花園でスケッチしていたはずなので、そろそろこちらに戻ると思いますよ。マリアさんが呼びに行くと仰っていましたから。あ、ほら」
アリシアの発言に振り向くと、2階の扉から入室してくるアメリアとマリアが見えた。
「サラお嬢様、おかえりなさい。お呼びだとお伺いしたのですが」
「お仕事中断させてしまってごめんなさいね」
「いえ、そろそろ日も傾いてきたので丁度良かったです。最近は寒くなってきましたしね」
「そういえばそうね。風邪ひかないように注意しないと」
「ふふっ。そしたら薬師の不養生ですね」
『あら、この世界にもそんな言い回しがあるんだ』
「ところで御用の向きはなんでしょうか?」
「実はアリシアさんとアメリアさんに、こちらにいるトマス先生が図書館に出入りしても構わないかを確認したかったの」
「サラお嬢様が許可されるなら私は構いません」
「私も問題ありません。ただ、夜はさすがにご遠慮願いたいのですが…」
『ふむ…この二人はトマス先生の素顔を見ても、まったく意に介さないわね。これなら大丈夫かな?』
「もちろん夜の出入りは私も許可するつもりはないわ」
「それと、サラお嬢様、こちらの方々はどなたなのでしょうか?」
アメリアがもっともな疑問を口にしたので、サラはトマスと再従兄弟たちを紹介した。
「それで、このトマスさんだけがこちらにいらっしゃるのですか?」
「そのつもりなのですが…」
「それでしたら座学もこちらの図書館でやりませんか? 講義室として使えそうな空き部屋もありますし、なにより花園がありますから植物学でしたら私もお力になれますよ?」
「錬金術の基礎でしたら、私もできますね」
「サラさん、これは素晴らしい提案ですよ!」
俄然トマスが乗り気になる。
「レベッカ先生がどうおっしゃるか…」
「それは私からご説明して説得いたします」
『ふむ…レベッカが結婚すれば妊娠ってこともあるか。そう思えば悪くない提案かも』
「ところでスコットとブレイズは、この塔で座学でも問題ない?」
一応再従兄妹たちにも確認を取る。
「座学なんてどこでやっても一緒じゃないかな」
「美味しい昼飯があればオレはどこでもいいかな」
『あー、全然気にしてないな』
「先程サラさんは司書として私を雇わないと仰いましたが、出入りさせていただくのであれば、空き時間に本を整理したり目録を作ったりといったお手伝いはさせていただきます。もちろん本業を疎かにすることはありませんのでご心配なく」
「…やっぱりそうなりましたか。おそらくトマス先生ならそう仰ると思いました」
「本は重いですし、体力が必要なことも多いのです。トマスさんがお手伝いしてくれるのであれば助かります」
アリシアもトマスをフォローする。おそらく資料整理のアシスタントが欲しいのだろう。
「トマス先生がそこまで仰るなら仕方ありませんね。ただし、短時間でも正式に司書のお仕事をされるのであれば報酬は支払います。そうでなければ次に司書になる方にも影響が出てしまいますので。まぁ後ほど、ジェフリー卿を交えてお話をしましょう」
「はい。承知いたしました」
どうやらトマスの願い通りになったようである。
アリシア△ の回ですね。




