表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/436

はじめてのお勉強会 1

サラが朝食を終えると、客人の到着が告げられた。今日はスコットとブレイズ、そして彼らの家庭教師と一緒に勉強する予定となっている。


レベッカと共に玄関ホールまで迎えに行くと、ジェフリー卿も一緒なので驚いた。


「おはようございます。ジェフリー卿もご一緒なのですね」

「私は別件で登城いたしました。午前中には侯爵閣下が帰城される予定ですので、報告業務がございます」

「そうなのですね、承知いたしました」


サラは家令のジョセフを呼び、ジェフリーを案内するよう申し付けた。


スコットとブレイズの傍らには、背は高いが痩せっぽちの男が立っていた。服装からいって彼が家庭教師だろう。髪は艶のない金髪で前髪が長く、顔が良く見えないせいで年齢も推測しにくい。


「こちらがお二人の家庭教師の方なのですね? 初めまして、サラ・グランチェスターと申します」

「初めまして、トマス・タイラーと申します」

「タイラー卿とお呼びすべきでしょうか?」

「いえ、祖父はタイラー子爵ですが私は騎士爵の息子です。どうぞトマスとお呼びください」


『なんだろう…独特な雰囲気の人だな』


トマスは慇懃に頭を下げた。要するに彼は貴族の血は引いているが、平民だと言いたいのだろう。だが、彼の教え子もサラも身分的には平民であり、彼が遜る必要はまったくないはずである。


とはいえ、わざわざ指摘するほどのことでもないので、サラは身分についての言及を受け流すことにした。


「ではトマス先生、よろしくお願いいたします」

「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」

「トマス先生、私がサラさんのガヴァネスで、レベッカ・オルソンと申します」

「オルソン子爵のご令嬢でいらっしゃると聞き及んでおります」

「ええ。ですがここではお互いに先生と呼び合うことにいたしませんか?」

「承知しました。ではレベッカ先生と呼ばせていただきます」


レベッカが先導する形で、5人はサラとレベッカがいつも使用している学習室へとたどり着いた。この部屋はダンスホールや音楽室も近い。


「まずは3人の勉強の進み具合を確認しましょう」


提案したレベッカは、サラの現在の学習状況やテキストとして使用した書籍などをまとめた資料を差し出した。どうやら昨夜娯楽室に来なかったのは、この資料をまとめるためだったようだ。


トマスはレベッカから資料を受け取って固まった。


「レベッカ先生、これは本当にサラさんの学習内容でしょうか?」

「はい。間違いございません。読み書きと数学の基礎教育は既に終えておりますので、今は歴史と文学に力を入れております。基本的な会話術は問題なくこなせると思いますが、上位貴族としての教養となると少し厳しいかもしれません。ただ年齢を考えれば十分すぎるレベルかとも思いますので、後は実践で磨くべきでしょう」


レベッカは淡々と報告する。


「これは驚きました。大変才能豊かでいらっしゃるのですね。実はスコット君は数学は得意なのですが、文学は少々苦手のようです。ブレイズ君は今回が初めての座学です。これまでは最低限の挨拶、食事に必要となる基本的な所作と言ったことを執事から学んでおります。ですのでブレイズ君は基礎的な読み書きと、基礎数学から始めることになるでしょう。テキストはスコット君のお下がりがあります」

「こちらの邸にもテキストに使えそうな書籍類は豊富ですので、スコットさんの文学教育用の書籍は、こちらの図書館で見繕っても良いかもしれませんわ。ロバート卿から許可は得ております」

「それは大変助かります。やはり様々な書物に触れた方が幅は広がりますので」


子供たち3人は、二人の先生が意外なくらい熱心な教育者であることに気付いた。サラはお勉強が好きな子なのでわくわくしていたが、男子2名はビクビクしている。


そうしたやり取りの後、実際の勉強タイムが始まった。ブレイズは基礎的な読み書きをトマスから教わり、サラとスコットはレベッカから古典文学を習うこととなった。


「スコットそこ違ってるわ。現代文とは綴りが違うのよ」

「あ、本当だ。サラはこんなに小さいのに僕より古典文学に明るいようだ」


『確かにスコットは文学がダメそうだ』


1時間程度文学の学習をした後、一旦休憩となった。


「レベッカ先生、ブレイズ君は大変優秀でした。この1時間で文字をすべて覚え、簡単な文章を作文できるようになっています。後は単語をひたすら覚えることになるでしょうが、驚くほど覚えが良いです」

「では絵本から始めて、少しずつ文章に接していくのが良いかもしれませんね。帰りに図書館に行くと良いかもしれません」


レベッカはスコットを見つめ、にこっと微笑んだ。


「スコットさんは、もう少し古語を頑張らなければなりませんね。宿題を出しておきますので、次までにやってきてくださいね」


サラは知っている。レベッカの宿題のボリュームは半端ない。そして、手抜きで提出しようものなら、レベッカが満足できるまで同じ宿題を出し続けるのだ。その間、レベッカは絶対零度の微笑みを浮かべ続けるのだ。


「トマス先生。アカデミー入学には古典文学も必要なのですか?」


スコットが質問する。


「一応、文学の試験範囲には古典文学も含まれていますが、それほど問題数は多くはありません。入学試験のレベルはそれほど高くないんですよ」

「そうなんですか? じゃぁ今のままでも入学には問題なさそうですね!」

「はい。入学はできると思います」

「やった!」

「ただ、入学試験は易しいですが、卒業の資格を取るのが大変なんです。アカデミーは単位制ですが、学年ごとに必須科目が設定されています。年末の進級試験で必須科目をすべて合格しなければ進級できず、問答無用で留年になります。古典文学は第一学年から試験範囲ですので、合格できなければ第二学年に進級できません。ちなみに、同じ学年を履修できるのは2年までなので、翌年も合格できなければ退学です」

「そ、それは厳しいですね」

「そうかもしれません。ですが能力の無い者がアカデミー卒業の肩書だけで就職してしまうことの方が問題だと私は考えます」


トマスの淡々とした説明に、スコットが顔を引きつらせる。


「スコットは騎士科を目指すの?」

「そのつもり」

「だったら2年間の基礎課程は優秀な成績じゃないと進級できないんじゃない?」

「むぅ。騎士になるのに、なんで勉強しなきゃ駄目なんだよ。剣術ができればいいじゃんか」

「教養のない騎士になるくらいならアカデミーを退学したほうが良いと思う」

「なんでそう思うんだ? 確かに剣術でもサラとはいい勝負だったと思うけど、僕だってソコソコ強いし、成長したらもっと強くなると思う」

「あのね、頭の悪い騎士なんて、その下にいる兵士たちにとっては悲劇でしかないわ。腕っぷしだけでやっていくつもりなら傭兵になったほうがマシ。もちろん剣の腕前も大事だとは思うけど、それ以上に大切なのは全体の戦略や戦術を理解したり、組み立てたりする能力よ。ただ闇雲に蛮勇に駆られて突撃させられる兵士たちが気の毒じゃない」

「用兵術ってことだろ? それはわかるよ。だけど、数学、歴史、文学、経済がどれだけ必要になるんだよ。ましてや古典文学なんて無意味じゃないか」


スコットは完全にご機嫌ナナメである。


『まぁ13歳じゃこんなもんか』


「スコットよく聞いて。ある国ではね、何百年も前に書かれた古語の兵法書を今でも価値があるものとして研究しているんですって。もちろん現代語訳されたものもあるけど、思想をきちんと理解するには古語で読むべきだって思う人はたくさんいるわ」


更紗時代、2000年以上前に書かれた孫子の兵法は、現代のビジネスマンにとっても一度は読んでおくべきと言わる名著として扱われていた。


「その兵法書によれば、すべての戦いに勝つ将軍よりも、戦わずに勝利を得る将軍の方が価値が高いそうよ。そのためには、相手と自分の力量を客観的に分析しなければならないし、分析するためには情報収集が重要だと説いている」


スコットはキョトンとしているが、ブレイズが横から答えた。


「要するに毎回喧嘩してボロボロになって勝つより、相手に喧嘩しても勝てないって思わせた方が得ってことだろ? んで、相手にそう思わせるためには、相手と自分の差を理解してなきゃ駄目で、負けそうなら喧嘩するなってことだろ」

「そうね。ブレイズの方が本質を理解してるわね」

「オレは傭兵団に居たからな。団長がバカな依頼を受けたって思ったときは、相手に見つからないように隠れてたし」

「だけど、騎士は国の名誉のために戦うべきだ!」

「一兵卒の兵士であれば、そんな風に考えるのは理想的かもしれないわね。上官の命令に服従しない兵士は怖いもの。だけど騎士になるってことは、指揮官になるってことよ。だから本質を知っておくべきでしょう? もちろん理解しても名誉のために戦うことはあるかもしれないけどね」


首を傾げながらスコットはサラに尋ねた。


「古語の学習が重要なのはわかったよ。歴史が重要なのも、過去から学べって意味では理解できる。じゃぁ数学や経済学はどうなんだ?」

「それはね、戦にとてもお金がかかるからよ」

「お金がかかる…?」

「当然でしょう? 兵士たちへの給与、糧食の確保、武器の確保、野営のためのテントや薪、怪我人を治療するためには医療部隊や薬品も必要になるでしょう? 騎士たちの馬も必要だし、そうなれば飼料も必要ね。勝手に湧いてくるわけでもないから、国は税金を使って購入するしかない。戦費を確保せずに戦争を始めるのは、ただの愚か者よ」

「戦時には食料を徴発することもある。馬や飼料だって」

「じゃぁ、普段はそれらを売って生計を立てている民はどうしたらいいの?」

「戦争なら我慢するのも仕方ないだろう」

「あなたはグランチェスターの領民に対してその台詞を言える? それに戦争になったら農民が徴兵されることもあるわ。だけど働き手を失った畑から、女や子供だけで十分な収穫が得られるわけがない。当然、放棄される畑が増えるわ。どうしたって国は荒れるわよね」


スコットは理解したようにがばっと顔を上げた。


「だから戦わずに勝つほうが価値が高いんだね?」

「ええそう。だけど、どうしても避けられない争いは起こり得るわ。そういえば、さっきの兵法書によれば、戦いは長引かせたらダメなんですって。意表をついて勝負を一瞬で決めるのが良いそうよ。だから事前の情報収集や、十分な用意が必要なの」


この会話にブレイズも参加する。


「一瞬で決着させるために、情報収集して相手の弱いトコを探すんだね?」

「そういうことね」

「で、攻めるために十分な兵力と物資を用意するにはお金が必要になる。そのお金がどれくらい必要なのかとか、どうやって確保したらいいのかを考えるのが数学や経済だってことだね?」

「その通り」


サラはブレイズの頭を思わず撫でてしまった。


「サラぁ、オレの方が年上なのに撫でるとか…」


ブレイズは顔を真っ赤にして照れていた。


「ごめんなさい。つい可愛くて」

「オレ男なのに可愛いとか言うなよぉぉ」


ますますブレイズは真っ赤になっていく。


可愛いけど可哀そうにもなってきたので、サラは話題を変えることにした。


「今回の暴動に連動して、敵がグランチェスターの小麦畑を焼こうとしたってことは聞いてる?」

「うん。父上から聞いた」

「これも戦略ね。経済的なダメージを与えて国を混乱させると共に、反撃のための糧食確保を困難にする目的もあると思うわ」

「そうか! そういうことなのか理解できたよサラ」


サラはスコットの頭にも手を伸ばしかけたが思いとどまった。さすがに思春期の少年の頭を8歳が撫でたらまずいだろう。


「そういえば数学とか物理学は、戦争にも役立つのよ?」

「どういうこと?」

「たとえば、そうだなぁ…、スコットって矢は得意?」

「そこそこ。狩りは得意だし」

「遠くにいる獲物に矢を射るときって、獲物に対して真っ直ぐは狙わないよね?」

「そうだね。矢は少し落ちていくから、ちょっとだけ上を狙うかも」

「戦で遠くの敵を射る場合、相手との距離を見定めて、どの角度に打ち出すのが一番効率が良いかを、物理学的に割り出すことができるって知ってた?」

「ええっ!」

「もちろん考慮しなきゃいけないいろいろな要因はあるけどね。

どう? 騎士にも勉強が必要な理由が理解できた?」

「わかったよ。目的のためなら苦手なこともやらないとね」


こうした子供たちの交流を横で聞いていたトマスは、口を挟まずに聞いていて本当に良かったと感じた。


「レベッカ先生、サラさんにどんな教育をされてきたのでしょう。もう少し詳しく教えていただけませんか」

「トマス先生…残念なのですが私は短い期間に本当に基礎的なことを教えたに過ぎないのです。こちらに来てから2か月も経っていないのです。サラさんは…こんな言い方をするのはあまり好きではないのですが天才です。おそらく、もうすぐアカデミーにもセンセーショナルな内容の論文がグランチェスターから発表されると思いますが、それもサラさんが指導した内容をまとめたに過ぎません」

「どうして彼女は8歳なんでしょう。せめてあと10年年上であって欲しかった」

「何故ですの?」

「妻に欲しいからです」


レベッカはぎょっとしてトマスを振り返った。興奮気味に前髪をかき上げたトマスは、キラキラとした目でサラを見つめていた。トマスはレベッカが予想していたよりもずっと若く、二十歳前後に見える。しかも、驚くほどに端正な顔をしていた。


『えぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~』


レベッカは心の中で絶叫していた。

淡々とサラの勉強の進み具合を報告してるけど、たぶんレベッカの心の中はドヤってなってるはず。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 戦争下手の馬鹿な指揮官でも上から圧力かけて突撃しろと言って兵の動きを揃えられるだけ烏合の衆よりは生存率が高いという悲しい事実
[一言] ロリコンではない。ないが言いたい。 トマス先生アウト。能力高い君が好き。 落ちる女は少数だと理解しよう。 ブレイズが優秀だわ。記憶戻ってないだけで 実は転生者って言われても納得しちゃうくらい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ