第五十九話 仕事は早いうちに
「くそ.....っ!」
冬の寒い夜の中、使われなくなった廃工場にてそんな悔しがる声が工場内に反響する。悔し気な声をもらした男ー田中は昨日までそこに縛ってあった忌々しい存在がいなくなっている事にいら立ちを隠せなかった。
自分にとって最も愛おしい存在である新城葵を奪った忌まわしき男槙本信介を二日にかけて使われていない廃工場に監禁、自分が味わった地獄の時間を凝縮して味合わせてやろうと思っていた。にも関わらず、その男は自分がこの工場にいない時に脱走していた。
「なんでだ」
静かな工場の中、何故信介がいなくなったのか整理する。
信介を拘束していたのはこの工場に置いてあり放置されていた太い縄だ。それを鉄の柱にくっつけた信介毎ぐるぐる巻きに巻き付け身動きの取れない状態にしていたはず。念には念をと思い、信介の手も柱の後ろの方に回し手首を更に縄で固定させた。まず簡単には抜け出せない。
それに肝心の信介は運動部にも所属していない。学校の授業で行われる体育は二クラス合同。それで観察した限り、田中から見て信介は運動が得意でもなければ不得意という訳でもない極めて平均的なぐらいかその少し下の辺りだ。それに身体の線だって細く、見た感じ力も男子の平均よりは無いように見える。
工場に連れてくる時、信介の帰宅途中の後ろからバットで殴り意識を取った。身体能力は信介よりも田中の方が勝っている。
「だとしたら......考えられるのは一つ」
第三者の介入。その考えが田中の脳裏によぎる。決して自分では解けない拘束を解いたのが自分と信介以外の人間だとしたら容易に想像出来る。
「だが、それなら何故この場所がバレたんだ」
この工場は親が社長を務める会社の子会社がかつて使っていた工場だ。今はここよりも設備の整った工場に従業員諸共移動し、この工場は数か月後には取り壊される予定だ。それを知っているのは会社の人間と、それを家で話した父。話を聞いていた母と自分の三人だけ。
「いや、今はそんな事どうでもいい。今すぐ槙本の口をふさがなければ」
今回の信介監禁は田中が一人で行った事。それが出版社やメディアにでも伝われば自分の立場だけでなく無関係な両親や会社にまで被害がいく。
田中の親が社長をしている会社は日本でも有数の会社で、建物の建設だったり食品の流通、あらゆる職業に通じている。それを知っているからこそ、世間が注目を集める事は分かり切っている。
田中は急いで工場を後にする。
自分ならこの事態をうまく収拾できる。自分は出来る人間だ。決して自分の愛する存在を奪った信介とは違い、自分には全てが備わっている。
自信に満ち溢れた状態で家に戻った田中。
しかしそこには予想だにしない光景が広がっていた。
「なんだこれは.......!?」
◇
「ったく、大先輩を顎で使いやがって」
「まあまあ、そんな事言わないで.....ね?」
車内でそう話す信介の母翔子。その隣ではハンドルを握り運転をする六助。現在二人はとある場所へ向けて六助の運転する車に乗り移動中。
「でも、流石六さん。まさか一日で記事にしちゃうなんて。流石情報調べが社内で一番早いだけありますね」
「おだてたってこれ以上何もやらねえぞ」
「分かってますって。それにしても、よくここまで調べましたね」
隣で運転する六助を横目に翔子は自身の膝に置かれた分厚い資料を見る。それは全て六助に翔子が頼んで調べてくれた情報をまとめたものだ。まるで長編小説の原稿のような分厚さのあるそれはかなりの重さで翔子の膝に乗っている。
「元々あの会社には目をつけてたんだ。今回の記事はお前さんの頼みもあってその資料からは少ししか情報を載せてないけどな」
「どうしてですか?」
「大きな企業には一通り目を通しておくのさ。なんせ記事になれば誰でも興味は沸くからな」
「うわあ、仕事人間ですね」
「その仕事人間を利用した奴にそんな風に呼ばれるは癪だな」
六助は昨夜行われた翔子との会話を思い出す。
”お願い?”
”はい。私の大事な息子を痛めつけたクソガキの身辺調査を。それで今回の事を記事として掲載してほしいんです”
”今回起こった事を記事にするのはいいが....なんで身辺調査をする必要があるんだ?”
”私の勘です。なんかその方が面白そうだなって”
”勘かよ”
”でも六さん”
”あ?”
”私の勘って結構当たるじゃないですか”
六助と翔子の付き合いは翔子が今いる出版社に勤め始めた時から始まった。最初は新人として入社し今とは違う部署にいた時に六助と出会った。六助から見て真面目で、面白い奴と認識し厳しく指導しながらも可愛がっている後輩だ。それが今では違う部署の編集長にまでこの若さで登り務めたのだ。教育係のような役割をしていた六助からしたら出来た教え子なのだ。
結婚に子供、離婚にプライベートまで六助は翔子に聞かされていた。今年高校二年になる一人息子と過ごす時間が取れなくて社内でグダグダ愚痴を聞いて来た六助は、翔子がどれだけ息子である信介を大事に想っているのかも分かっている。
だからこそ今回、翔子のお願いを聞いたのだ。
「お、ついたぞ」
運転する車は町を抜け、住宅街に入る。そこにある他の家よりも大きい立派な家の入り口が見える位置に車を止め遠くから観察する。
「すごいですね」
翔子は車内からその家の前の光景を目にし言う。
なんせ家の前には夜にも関わらず多くのメディアと記者らしき人間が数十人押しかけているのだ。テレビ放送でもされているのだろう、アナウンサーらしき男の人がマイクを片手にカメラマンの持つカメラに向けて何やら話しているのも確認出来る。
しかし肝心のその家の人間は何もコメントをだしていないのかその人だかりから去ろうとする人間はいなさそうだ。
「情報ってのは嘘でも本当でも人を潰せるからな。要は、情報の発信者がどれだけ信用されているか」
昔と違い今の時代、SNSなどで若い人からお年寄りまで。幅広い人間がインターネット上で情報の交換とやり取りをしている。人気アイドルの写真やら、有名芸能人の浮気現場を押さえた写真。そんなものが一度多くの人間が閲覧できるインターネットに掲載すれば、ほぼ消すことは出来ないとされている。それだけインターネットの世界は広い。
今回翔子のお願いで六助は信介を痛めつけた田中という少年とその身辺調査をした。すると、少し前からチェックしていた大企業の一人息子である事が発覚。これは使えると思い、六助はたったの一日でそれを記事に世間に発信した。
”大企業陥落か!!数年間に渡る脱税!!指示をしていたのは社長か!!!”
それに加え
”更なる闇。○○社社長の息子!同じ高校に通う同級生男子を数日監禁!!暴力を繰り返し重傷を負う同級生男子M君!!!”に続き”理由は好きだった人を取られたことによる色恋沙汰か”
を同時に記事にして出版したのだ。
「ホント、印刷会社にギリギリに出したんだぞ」
「お疲れ様です」
「......これで良かったのか?」
問題の社長と刑事事件を起こした息子の家の前にいるマスコミ関係者を見詰めたまま六助は助手席に座る翔子に尋ねる。本当なら自分の手で息子を傷つけた男に仕返しをしたかっただろうに。それにあれだけ怒りを見せていたのに、やり返しが意外にも小さいもので済んでいるのが六助は不思議に思った。
「ええ」
ただそれだけ。翔子は納得しているように落ち着いた声で言った。
「なんです?六さんは、私がもっと酷い仕返しをすると思ってたんですか?」
「悪いか」
「酷いな~。考えはしましたけど、いいですよ。これで。元々復讐をしたかったのは社長の息子の方だったので会社そのものはハッキリ言ってどうでも良いんです。会社の問題を更に増やせば更に損害が出てそこに勤める多くの人が路頭に迷う事になる。無関係の人間まで巻き込むほど私は冷静さを欠いてませんよ」
止めている車のそばを通る二つの車。パトカーだ。
「警察が来たな。息子の件だろうな」
「大人しく牢屋に入ってくれることを願うばかりです」
「......ちなみに保釈されたときは」
「無論裁判で戦いますよ。示談にもさせません」
「....これはおっかねえ」
パトカーから警察官は複数人出てくる。どうやらこれから息子の身柄を確保する動きのようだ。
「さて、帰りますか」
警察官が家のチャイムを鳴らすのを見ている六助の横で、翔子は満足そうなやり切った顔で言った。
「最後まで観なくていいのか?大事な息子を傷つけた社長の息子が連行される所を」
「どうせ逮捕されるときの映像はテレビでも見れますよ。それよりも私は家に帰りたいんです~」
「いい年こいて息子の事好きすぎだぞ。そんなに息子に会いたいか」
「それはもう。それに、今は息子だけじゃないんです。娘もいるんです」
「あ?もしかして、例の彼女さんか?」
「そうなんですよ。もう、凄い可愛いんですよ。今、私の代わりに家で息子の看病してくれているんです」
「二人だけの空間を邪魔したくないって気持ちはないのか」
「いいじゃないですか!」
「はあ....」




