第五十三話 叶う時は叶う
「じゃあ、また明日の朝にな」
田中に何処か分からない今は使われていないらしき工場に捕まってから信介にとって三度目の夜を迎えていた。
相も変わらず縄でがちがちに体の自由を奪われて拘束されて、最初の夜にあった地面の冷たい感覚はなくなりずっと同じ場所にいるからか温かいとまで感じるようになっていた。
食事は朝に学校に行く田中から渡されるコンビニのパンでその日の食事は終わり。水分らしきものは満足に口に入れてもらえない。トイレに行くと逃げると考えてわざと与えていないようだ。
「....なあ、いつまでこの状態なんだ?」
信介は自分の元から去ろうとする田中の背後に向かって問いかけた。
「言っただろ。”僕の苦しみを味わえ”と」
自分に顔を向けないで言う田中に信介は呆れる。
味わったところで何になる。
信介には好きな人が他人に取られるなんて気持ちはちっとも理解できない。だから田中がどれだけ自分と葵の交際で苦しんでいるのかも、それがどれだけの大きさなのかも分からない。それは果たして、このような行いで発散できるものなのか。
刑事ドラマなんかでよく見る追い込まれた犯人を刑事が説得するなんて展開がある。
しかし、それが利く相手はまだ常識が残っている前提で成り立つ。
「そうだね。キミのその顔を金属バットで何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴るなんてどうだろうか。それか、その腕。新城さんに触れたその手。今後一生使えないようにするのも悪くはない」
最早、最初のクールで嫌いな存在という認識を通りこしていた。
狂気。
言葉に出る単語も、それを語るときの顔や声も猟奇的殺人鬼を連想させるそれだった。
「.....だけど」
「?」
「それをするのはまだだ」
人格が分かれているように顔は学校で見せる顔に戻った。
「新城さん。彼女を僕のものにしてからだ」
「.......何をするつもり?」
「簡単だ。キミのその無様な姿を写真で見せて脅せばいい。そしてそのあとにキミとの思い出をなくすぐらいの幸福を僕が彼女に植え付ければ、彼女はキミの事を忘れられる。キミの対処はそのあとかな。勿論、苦しんでもらう」
それを聞いて信介は何も言葉が出ない。体験したこともない事に脳が追い付いてこない。
ハッキリしているのは、葵の隣にいる田中を想像すると怒りが込みあがってくる事だけ。
「.....出来んのか?」
「は?」
「お前に......アオを笑顔に出来んのかよ」
少し馬鹿にしたように言ってやった。
「確かに俺はアオの隣にいるには容姿的に不釣り合いだし、実際そういう声があるのは知ってる。自覚してる。その分お前は容姿だけ見るとアオとつり合いは取れてる」
「....なんだ、分かってーー
「でもそれだけだろ。性格壊滅的なクソ野郎」
自分でも驚いている。こんなに他人に悪口を言う事に。
「お前の話が出る時があるけど、その時のアオは毎度の如く困ってるような顔だったぞ。自分の事ばかり高評価し過ぎで周りは低評価をつけるお前のやり方がどうも気に食わないらし」
「.......」
田中が無言で近づいてくる。
「まあ、その性格で周囲から距離持たれてんだ。自分はアオの隣に立てると思ってるらしいけど、周囲から浮かれてるお前と周囲から絶大な期待と信頼を置かれているアオ。本当にふさわしいと思ってんなら、お前はただの自分甘ちゃんなだけ」
「黙れ!」
ガン!
「っ」
また額から血が流れる。殴られた。血が固まって止まっていたのに、そこからまた血が流れる。
「はあ.....はあ.....」
田中は息を上げて信介をとてつもない形相で見ている。
「.....少し生意気が過ぎる。自分の立場が分かっていないのかい?それとも分からない程馬鹿なのかい?」
衝撃と痛みで頭がぐらぐらする。
「今日はこのぐらいで勘弁してあげよう。でも、次僕にそういう態度を取れば分かっているね?」
「.........」
田中は信介に最後忠告をして信介の元から遠ざかる。そして工場の外に出たのか、工場内に反響していた靴音は聞こえなくなった。
◇
「.......ああ」
痛い。頭が痛い。普通に傷の上から更に同じ場所を殴るものだろうか。人として同情心というものが無いわけじゃないだろうに。
(監禁やってるぐらいだし、持ってないか)
制服の下にあるシャツがまた赤く血がにじむ。元々から染みていたが今のでまた血が出て同じ所に垂れてどんどん面積が広がっている。
洗って落ちるのだろうか、とこの状況で考える事ではないシャツの心配をする.
「.......アオに会いてえ」
空を見て呟く。
既に二日はアオに会えてない。会えていなかった時もあってがその分スマホを通じて連絡を取っていた。ここまで長期間アオの声を聞かないのは交際を始めてからは初めての事だ。
人を好きになるなんて事、経験の無かった。
だからこそ憧れもあったし、どんな気持ちを持つのか好奇心があった。
それがアオと付き合い始めて全て分かった。
アオの笑った顔。インスタントのラーメンを初めて食べた時のワクワクした顔。勉強が得意ではない自分に真面目に分かりやすく解説してくれている時の真剣な顔。付き合う前のまだ自分が好意に気づいていない時に帰り道が同じになって緊張していたと恥ずかしがりながら話していくれていた顔、告白をして泣いている時の顔。
全てが愛おしく見える。
カツ.....カツ!!
足音が聞こえる。それも複数なのかやけに多く聞こえる。
田中が戻ってきたか。
先ほどの発言は流石に言い過ぎたか。仲間を連れてきたのかもしれない。あの田中にそこまでの人脈があるようには見えないが、それでも金でも払って頼んだと思えば田中ならやりかねない。
また痛めつけられる。
そう思い顔を下に向けた。
だけど
来たのは俺の予想していない人達だった。




