第四十一話 精霊殿
「何でしょうか?」
マルグリッドは歩みを止めず、ヴィルヘルムに聞き返した。ヴィルヘルムは自分の言いたいことを一旦整理しようとしたのか、束の間黙っていたと思ったら話し始めた。
「この孤児院の子どもたちは何不自由なく過ごしているか? この間聞きそびれたのでな」
笑顔でこちら側を振り向いていたマルグリッドの顔が一瞬固まった気がした。
わたしは直感的に感じた。
ヴィルヘルムは敢えてこの質問をマルグリッドにぶつけている。どのように反応をするのか見るために。
初めてヴィルヘルムに会った時もわたしの受け答えを注意深く観察していた。あの時は孤児院長が近くにいたので決定的なことは言えなかったが、わたしの発言に興味を持っていたようだった。
「そう、ですわね……」
マルグリッドはちらりとわたしの前を歩くアリアの表情を伺うような仕草を見せた。そして、すぐに笑顔を取り繕う。
「ここ最近は、子どもたちは不自由せず、美味しい料理を食べつつも身の回りのことは補い合って過ごしておりますわ。これも領主様の支援のおかげです」
「そうか……」
マルグリッドは部分的に適度に強調しながら話すのを聞き、ヴィルヘルムは含みのある声で返した。何かを探っているようにも見える。
「では、ここには孤児たちは何人ほど?」
「そうですね……。二十と少しくらいでしょうか。今年の春に巣立った者が多かったので、今年は少ない、のですよ」
「……そうか」
何かを確信したような呟きをぽつりと漏らし、ヴィルヘルムのにやりと笑った口が見えた。
「どうか今後も子どもたちへの配慮をお願いいたします」
「ああ、もちろんだ」
当たり障りのない挨拶文句にヴィルヘルムは適当に反応する。マルグリッドは作り笑顔を浮かべると、前を向いた。
そして、あっという間に講堂の寂れた扉の前までやって来た。マルグリッドは目配せをすると、アリアが持ち手を握り、グッと前へと押した。
「こちらが講堂ですわ。使われることがないので掃除が行き届いていないかもしれませんが、どうかお許しくださいませ」
そう言ってマルグリッドは優雅な礼をし、講堂の奥を指し示した。
相変わらず、講堂は美しい。ヴィルヘルムに会う前は外はまだ薄暗かったが、マルグリッドの部屋で話しているうちに完全に日が落ちたようだ。月明かりが降り注いでいる。
「構わぬ。そこの平民、明かりを持ちなさい」
「は、はい!」
慌ててアリアから明かりを受け取り、ヴィルヘルムに続こうとする。明かり係に任命されたが、中であれこれ聞くためだろう。無理矢理だなあ。
しかし、マルグリッドが引き止めた。
「リアではお役に立つどころか、ご迷惑をかけてしまいますわ。それならば私が持ちます」
不安そうにわたしを見つめるマルグリッドに、ヴィルヘルムは首を縦には振らなかった。
「必要ない。平民ならば機密事項を見てもわからぬ。其方はあくまでも孤児院の人間なのだ。理解できるな?」
ヴィルヘルムの言葉にマルグリッドは目を大きく張る。そして、力を落としながら「申し訳、ありませんでした」と弱々しく言った。
「では入るぞ。中へ入ったら扉を閉めてくれ。其方らにはすまないが、外で待っていなさい」
ヴィルヘルムはそのまま講堂の中へと入っていく。わたしはそれに続くように後ろをついていった。そしてその後すぐ、扉が閉められ、ここは密室の空間へと変わった。
「暗いな……」
ぽつりと漏らしたヴィルヘルムの言葉を聞き、わたしは手に持っていた明かりを置き、ランタンを取り出す。何度も使っているため使い慣れている。わたしは鐘一つ分ほどの精霊力を注ぎ、中を明るく照らした。LEDライトは火明かりより強力だ。
「変わった形だが、かなり明るいな。それは精霊道具だったな」
「はい」
わたしはよく見えるように少し上に掲げた。ヴィルヘルムは顔を近づけ、観察しているようだ。
『リアと初めて作ったものなのです』
イディが胸を張り自慢するのを聞き流し、わたしはすーっと壁に寄ってそこを照らす。
変わらない美しさだなぁ……。
今回照らしているのは創世記の部分。旧プロヴァンス文字と精霊殿文字を見てもらうにはちょうど良い。
相変わらず均一の大きさに整えられた文字たちには圧巻だ。印字のような精密さはないが、一つひとつ手彫りされているので温かみがある。それ以上に文字一つが眩く、奥ゆかしい。
「こ、この上の部分が精霊殿文字。その下が旧プロヴァンス文字です」
手で指し示しながらわたしが言うと、ヴィルヘルムはそれらを見に近づいていく。
本当はここでねっとりと撫で回したいが、イディがいるいつもの抜け出しではなく、ヴィルヘルムを伴っているのでさすがにできない。多分、今の顔は凄く我慢している顔だと思う。唇にとても力が入っている。
「これは文字なのか? 模様にしか見えないのだが」
「まごうことなき文字です。模様ではありません」
ヴィルヘルムがそう言いながら指差すので、わたしは全力で否定する。
特に精霊殿文字はそう見えても仕方がないが、旧プロヴァンス文字はそうは思えない。今使われている文字を複雑にしたくらいだと思うのだが。
「ここの旧プロヴァンス文字の『ない』なんて、プロヴァンス文字のものとそっくりですよ?」
「……言われるとそう、なのか?」
いまいち考えても思い浮かばないのか、首を捻りながらヴィルヘルムはわたしが指し示した部分を見つめている。そんなにかけ離れているかと思ってしまう。しかし、初めてマルグリッドが見た時も「文字なんてありません」とぴしゃりと言い切るくらいだったので、いろいろな文字を見慣れていない人からしたらそうなのかもしれない。
「……それで、この部分には何が書かれているのだ?」
共通点を結局見つけられなかったのか、ヴィルヘルムは諦めた様子で聞いてきた。
「この正面のものは、この国の成り立ち……創世記ですね。初代王が聖霊と心通わせてこのプロヴァンス王国をつくるまでが書かれています」
「そうか。こちらもそうなのか?」
創世記はマルグリッドも知っていたので有名な話なのだろう。ヴィルヘルムは正面から見て左側に彫られた文字たちを指差す。
「違います。正面のところだけ創世記があって、そこはシヴァルディのことが書かれています」
『あら? 私のこと?』
上部分にしかその記述はないが、下部分におそらくシヴァルディと思われる女性が描かれているので、わたしはそこを指差した。
「この絵に対応してシヴァルディのことが書かれています。でも、ここは精霊殿文字だけなのでまだ序盤しか読み解けていないのです」
「これがシヴァルディか。……似てないな」
ヴィルヘルムは絵のところまで行き、さらりと撫でた。シヴァルディと見比べるが、確かに髪が長いことくらいしか似てない。やはり壁に彫っているからだろうか。シヴァルディは苦笑いしている。
「何と書かれているのだ?」
「少々お待ちください……」
内容が知りたいと尋ねてきたので、わたしは自分の中にあるメモ帳を引き出す。そして体全体から精霊力を放出するイメージをすると、金色に光る文字たちが大量に現れた。
そして、森の精霊について記した部分を探す。量が多くなってきているので、どこにメモしたか忘れてしまいそうだ。
『リア、ここだよ』
「あ、ありがとう。イディ」
イディがさっさと見つけて指し示してくれたので、わたしはそこに指を当てた。
「まだきちんとしたものではないので、文章として成り立っていませんが……。森の、精霊、統一、せん地。五穀豊穣を、司る、精霊……が、ここまで」
そう言って壁文字で該当する部分を指した。
「プローヴァとはじまりの王、精霊殿にて、かの精霊、翠色をもって祀る。精霊殿、はじまりの王像に眠る。力込めん、深き眠り、目覚める……がここまでです。ここから先はまだ……」
わたしが解読できているのはここまでだ。まだ文字の羅列と絵は続けて描かれているので、他にもシヴァルディのことで書かれていることがあるのだろう。
「なるほどな。……気になるのだが、この精霊殿という言葉。この書きぶりなら、ここが精霊殿と読めるのだが……」
これはわたしも気になっていたことだ。あの時はなりふり構ってられなかったので、強行突破という形を取った。そのおかげでシヴァルディを呼び出すことができたが、そうなるとここは精霊殿ということになるのだ。
ヴィルヘルムはシヴァルディに目をやり、答えるように促すとシヴァルディは目をぱちくりとさせた。
『ここは精霊殿のはずです。……ですが、何かが違っているようですね』
「ここは孤児たちが暮らす孤児院になっている。其方が眠りにつく前は孤児院はなかったのか?」
『孤児院は確かに一部として運営していましたが、主な部分は精霊殿です。部屋数も多く、貴族が使う階層が多いはずですよ』
「それは確かに……」
シヴァルディの言葉にヴィルヘルムもわたしも納得する。孤児院として使っている面積よりも、孤児院長たちが使う面積の方が圧倒的に大きい。一部屋一部屋が大きいということもあるのだが、どちらがメインかと言われると疑問に思うほどの違いだ。
シヴァルディが言うのならば、ここが精霊殿であることは確定なのだろう。
そして反対にシヴァルディがヴィルヘルムに尋ねる。
『私の方も気になっていたのですが、なぜヴィルヘルムは別の場所で居を構えているのですか?』




