第六章 邂逅の獣 4
困った事があればまたいつでも来るようにと言うトリトンを後にしてエリクシアが防波堤を全力で駆け出した。それと同時に背中から分厚く大きく不格好な翼を広げた。
飛び立つ翼ではなく風に乗り滑空上昇する為の翼だった。
トリトンの頭上をしばらく旋回した後、名残惜しそうにエリクシアは東へと進路を向けた。
《・・・えるか?・・聞こえるか?》
《聞こえる!驚いたな・・・会話ができるのか》
《レント、と言ったな。お前は何者だ?いつから我の中に居た?》
《僕は今からはるか先の時代に生きる君だ。1部だけだがな》
《1部?》
《ああ、僕の魂の1部が元君だったらしい》
《まるごと我そのものではなくほんの少しだけ我の魂が混じっているのか》
《ああ、そういう事らしい。それと君の中にこうやって入り込んだのはついさっき、ちょうど君がトリトンを引き裂こうとした直前だ》
《あれは本当に良かった。お前が止めてくれなかったら我はトリトンを引き裂いていたやも知れぬ》
《断片的な記憶の中でも君は彼の顔を引き裂いていた。結果としては今回のような友好的な関係にはならずにトリトンは海に姿を消したあと2度と現れなかったハズだ》
《するとなにか?お前が我の中に入り込んだ事によって運命の道筋が変わったのか?》
《多分・・・な。本当にささやかな変化かも知れないが確実に何かが変わった》
《そのささやかな変化とやらで我が主であるアスタクリス王女の病が治れば良いのだが》
《そうだな・・・そうかも知れない》
曖昧に答えたレントの視界に陸地と玉ねぎのような形の無数の建物が映った。
《あれが我の住む国、ミクラだ。見覚えはあるか?》
《懐かしい気持ちにはなるが・・・何となく見覚えがあるって感じだ》
《ふむ、まぁそんな物かも知れんな》
王宮と思われる建物の上空を数度旋回するとゆっくりと離れの小城へと降り立った。
分厚い翼を背中に収めながら正門へと進む。周囲の使用人と思われる者たちが畏怖の表情でエリクシアに頭を下げた。恐らくここに病に臥せったアスタクリス王女が居るのだろう。
レントがぼんやりとそんな事を考えていると正門の前で年増のメイドが太い腕を組んでエリクシアの行く手を阻んだ。忌々しそうにエリクシアを睨みつけると吐き捨てるようにまくし立てた。
「ちょっと!何度言ったらわかるんだい!ここはお前のような薄汚い畜生が気安く入る所じゃないよ!」
その言葉を無視して扉を開けようとしたその時、メイドが傍らに置いてあるバケツの水をエリクシアにかけた。
エリクシアがため息とも唸り声ともつかない声を出してメイドに向き直った。
「おやなんだい?反抗的な目をして!私に噛み付く気かい?殺処分されたくなかったらさっさと失せな!」
じっとメイドを見つめていたエリクシアが口を開いた。
「状況が変わったのだ、もう黙れ!お前がこの警告を無視するならば即座にその喉を引きちぎるぞ」
「ひっ、こ、・・・この畜生が口を利いた?」
「解ったのならそこをどけ」
言うが早いかエリクシアがメイドの服を掴んで横に放り投げた。
無様に転がって庭池に落ちたメイドを無視してエリクシアが小城の扉を開ける。
池から這い上がれずにもがきながらメイドが金切り声を上げた。
「衛兵!何をしているのです!早くあのけだものを打ち殺しなさい」
だが扉の近くに居る兵士も使用人たちも全く動こうとはしなかった。
「あのけだものの狼藉を見過ごすのですか?早く捕まえなさい!」
1人の屈強な兵士がメイドのそばに来て軽蔑の眼差しを向けた。池から這い上がる手助けさえしなかった。
「そこのお前!早く、早くあいつを殺しなさい」
「あいつとはエリクシア様の事ですか?あなたこそ口を利いて意思疎通した以上は人格を尊重すべきでしょう」
「な、なんですって?あのけだものの人格?ふざけないでちょうだい!」
「あなたこそふざけないでいただきたい。咬み殺されなかった事を神に感謝するんですな」




