第六章 邂逅の獣 2
レントはあてのないまま遥か先の突端まで歩き始めた。
夏であろう季節に強い日差しに晒されているにも関わらず、なぜか耐えられないほどの喉の渇きや不快なまでの暑さを感じなかった。自分がここに存在する自覚はあるが、どこか夢の中の出来事のように実感が薄い。
ゆっくりと歩いていたレントがハッとなった。
(覚えている、覚えているぞこの場面!)
既視感以上の感覚に戸惑いながらも記憶の断片が繋がり合い、この後何が起こるかを察知した。
考える前に体が動いた。地面を蹴り、防波堤の上を疾走した。
《地走り》でさらに加速する。遠くに何者かの影が見えた。
地面を滑るように飛びながらレントはかつての記憶が蘇るのを感じた。
近づくにつれてその姿がはっきりとしてきた。猫科の大型獣の頭を持ち、一見無毛に見える白く大きな体には海豹のような艶やかな短毛がみっしりと生えている。4つ足ではなく2本足で歩く人型の獣。
(エリクシア。そうだ、これはかつてオレだった獣だ)
目の前までたどり着いたレントには気が付きもしないようで、エリクシアはじっと海を見つめて佇んでいた。
「やめろ!動くな!!」
叫ぶと同時にレントは強いめまいを感じてしゃがみこんだ。
渦に飲み込まれたように目と頭がグルグルと回る。吐き気と揺れが収まって深く息を吐き出しながら目を開けると洞穴から外を見ているような感覚に捕らわれた。目の前には広大な海と自分自身の白く巨大な体が見えた。
(エリクシアの中に飲み込まれた?)
その時、波間から金髪の青年がポッカリと顔を出した。
髪ばかりではない。その顔もまた金色に光り輝いている。
エリクシアがその青年に飛びかかろうとする足をレントが手で咄嗟に抑えた。
「おやおや?白い獅子よ、今日はボクを食おうと思わないのかな?」
返事をする代わりにエリクシアが咆哮した。
レントが覚えている記憶では、この時青年の顔を切り裂いて2度と現れなくなってしまっていた。
行動や思考の主導を取る事は出来ないが衝動的な動きや反射を緩和させる事は出来るようだ。
だがそれと同時に自分の思考が愚鈍になっているのも感じた。
「ほう?白い獅子よ。お前の中に何か別の何者かが居るな」
「・・・ぬが・・さ・・など・・らが・・・」
「お前?口が利けるようになったのか?よし、ちょっと待ってろ」
青年が目の周りを手で強くこする。手には濁った粘液のような物がべっとりと付着していた。
「お前に食われてやる訳にはいかないが代わりにこれを舐めさせてやる。大丈夫、汚い物じゃない」
エリクシアは明らかに拒絶的な反応を示したが、心の奥底で舐めろと命令する声が聞こえていた。
レントも記憶の細い糸をたぐっていたのだった。あの時、顔を引き裂かれた青年が口汚く罵って海へと消えた後、無意識に爪と手を舐めたエリクシアが知性に目覚めたのだった。
差し出された手を引っ込められないように両手の長い鉤爪でがっしりと押さえつけた。粘液を舐め取るエリクシアにレントは絶対に食うなよと叫んでいた。
「どうだ?白い獅子よ。全知の海神トリトンの賜り物は気に入ったか?」




