20. 未来に乾杯
その夜、村長の館では、限られた者のみを集めて高槻のための宴が執り行われていた。なお、連日続いていた魚のための宴は、魚が自らの願いを発したことで、以降は取りやめられている。魚は新妻となるトワと夜を過ごすことを望んでおり、今夜も歩き疲れたトワをその長い体躯で包み甘い闇をたっぷりと堪能していることを館の一部の者は知っていた。たとえばそれは今この宴に集う者たちのことでもある。
「祝言が終わったらお魚様はどのようにされるつもりなのだろう」
ただの人間である高槻の疑問はもっともで、これにお婆が厳かに答えた。
「正確なことはお魚様にしかわからんのですわ。ただ、おそらくトワを連れて海へと還るんでしょうなあ」
「海へ。ということは、あの娘は死ぬということかな」
海へ還るなどときれいな言い方をしようと、大陸の人間である高槻には通用しない。
「まるで生贄だね。この島を守るために娘一人の命を差し出すというわけか」
「高槻様。この島では」
「はいはい。口には気をつけるよ」
「……高槻様はお変わりないですなあ」
「今も昔もこんな感じだね。ああ、そうだ。ヨウガ殿のお子の話をあの娘からも聞いたよ。ずいぶんいい男だったそうじゃないか。亡くすだなんて惜しいことをしたね」
唇をひきしめたヨウガに、高槻が明るい調子で話題を変えた。
「そうだ。父から頼まれているんだけどね」
「なんでしょうか」
「次期村長について何か考えがあるか、ヨウガ殿に直接訊ねるようにとのことでね。ヨウガ殿には他にお子はいないんだろう? そうすると跡目はコウヤ殿になるのだろうか」
「いいえ。新たに妻を娶り子を成すつもりです。私もまだ若いですから」
「あはは。そうか。それはすごいな。それ、そのまま父に伝えていいかな」
「もちろんです」
「そうか。……そうか」
高槻がちらりとコウヤを見た。下座で酒をすするコウヤの表情は変わっておらず、高槻はまた視線をヨウガに戻した。
「高槻様。一ついいでしょうか」
「うん。なんだい?」
「我が弟のコウヤをまた柏原家で預かっていただけないでしょうか」
突然の兄の発言にコウヤの眉がわずかに上がった。だが気づいているのかいないのか、ヨウガは淡々と話を続けていく。
「この島の存続のためにも、いずれ島の誰かを大陸に住まわせねばと思っておりました。その役目をコウヤに任せたいと」
「なぜコウヤ殿を?」
「コウヤは俺の弟ですし、誰よりも商売の才能があると思うのです」
「そうだね。私もそれはこの目で見て知っている。うちの領地に滞在している間、コウヤ殿はよく働いていたよ」
「そう言っていただけて安堵しました」
「でもコウヤ殿の意思はどうなんだろう」
「コウヤとは以前からこの話をしていましたから何も問題ありません。それにこの島にはコウヤが娶れるような女がいないのです」
「ああ、なるほど。それは困ったねえ。そうだ。うちの領地の者をコウヤ殿の伴侶に選んでもらうこともできるよ。島に連れていってもらっても大丈夫だけど、どうかな?」
「できうることなら、その女人とコウヤとで柏原家に置いていただければ一番よいのですが」
「兄者」
とうとうコウヤが口をはさんだ。
「あまり急に話を進められても高槻殿も困るだろう」
「そうだね。ヨウガ殿。そういうわけだからこの話はひとまず保留とさせてもらうよ。また祝言のあとにでも話す場を設けてくれるかな」
「ぜひとも」
ヨウガが身を乗り出してうなずいた。
◇◇◇
高槻がさらさらと紙に筆を走らせる。折り畳み、それをコウヤに手渡す。
宴の後、高槻はコウヤを部屋に招いた。もっと話がしたいと。去りゆく二人の姿をヨウガは柔和な顔つきで見送った。コウヤが無事に島を出るためには、二人が仲を深めることは歓迎すべきことだったからだ。
「ヨウガ殿の突然の申し出には驚いたけど、コウヤとまた我が領地でともに過ごせると思うと嬉しいよ」
そのコウヤは手元にある紙に目を通していた。
『本当に彼を消していいのか』
島の人間では書けないような達筆には冷徹な感情は読み取れない。ただ淡々と確認をしているといった感じだ。これにコウヤはうなずき、その横にこう書いて紙を畳み直し、高槻へ戻した。
『迷いはない』
ただ、口ではまったく異なることを述べた。
「正直、俺も楽しみだ。だが女はいらない。まだ身を固めるつもりはないんでな」
二人は不思議な力を警戒していた。この場にいなくても『視え』たり『聞こえ』たりする存在がいるという前提で会話を進めている。そうした方がいいと魚から助言されているのだ。
「そうなの? でも気が変わったらいつでも言ってね。たとえば菊江なんてどう?」
「いや。さすがに高槻の妹は無理だろう」
「遠慮しなくていいのに」
「島の人間でなくても遠慮する」
商売に関するいくつかの手続きのために、コウヤは島の代表として三年前に大陸にわたったことがある。その際、柏原家がコウヤを城へと招いた。そして、せっかくだからこの地で見分を深めていってはどうかと、半年もの長きにわたり城への仮住まいをゆるしたのであった。
滞在時、コウヤは暇をもてあそんでいた高槻によくしてもらった。高槻は島に興味をもっていて、他の大陸の人間のようにコウヤを軽んじることがなかった。
コウヤが別の紙に何やら書くと高槻に渡した。高槻はそれに目を落としながらつぶやいた。
「……ああ。また二人で白豚の丸焼きを食べたいものだねえ」
『そのためにはこの祝言を無事やり遂げねばならない』
『そして兄者を排除して俺が村長となる』
すべてを読み終えた瞬間、高槻は言葉が書き連ねられた紙をくしゃりと丸めた。そして油にひたされたより糸の先で揺れる炎に紙を近づけた。着火した紙は一瞬にして燃え尽き、散った。
「ああ。絵文字遊びは面白いなあ。コウヤが書いた豚の絵は滑稽だった。こんなものを他の誰かに見られたら村長の弟としての面子はまるつぶれだね」
「すまん。絵心がないんだ」
恥ずかしがりもせず言い返すコウヤに、高槻は酒壺を掲げてみせた。
「さあ。呑もうか。この島と君の未来に乾杯しよう」
◇◇◇




