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トワの祝言  作者: アンリ
本編
17/37

17. 高槻の来訪

「トワ……」


 しんみりとしてしまったヤドカリに、トワは気分を変えるように明るい声で言った。


「ね。ヤドカリ様。あっちを見てください。あの大きな船、こっちに向かってきていますよ?」


 トワの指した東の海面には先ほどから大きな帆船がいる。かきつばたの家紋が描かれた真っ白な帆は風を受けて大きく膨らみ、その威風堂々とした様には船に詳しくないトワにも惹きつけられるものがあった。そしてそれはヤドカリも同じだった。


「へえ。あの家紋は柏原家だね」


「そうなんですね」


 柏原家といえば、この島を領地として治める代官の家のことだ。


「ふうん。あの家ってあんなに大きな船を持ってるんだあ。へええ。すごいなあ」


 アキトのために怒っていたヤドカリだったが、今は子供のように帆船に喜んでいる。その素直さにトワは少し救われた思いを抱き、あらためて帆船を見やった。


 いつの頃か忘れたが、この島が隣国に攻め込まれそうになったときに助けてくれたのが柏原家なのだとトワは聞いていた。それ以来、柏原家はこの島を自分の領地に取り込んだのだそうだ。


 とはいってもそれは名目上のことで、実際は柏原家と島との間には友好的な関係が続いている。過大な税を徴収されることはなく、別に納めた魚にも妥当な対価が支払われている。柏原家とこのような関係を築いている島はこのあたりには他にもいくつかあるらしい。


 いつだったか、過去に例を見ないほど大きな台風によって島の大多数の家屋が半壊したときも、柏原家が大陸から木材を工面してくれたそうだ。他にも似たような逸話はいくつもある。


 こういった経緯もあり、島の人間は柏原家に尊敬の念を抱いていた。大陸の恐ろしい噂にはおびえつつも、同じ大陸人である柏原家だけは別格の存在だと信じていた。それはトワも同じだった。


 ただ、そんなトワであっても、見たこともないような大きな船でこちらに向かってくる様には、好奇心だけではなく、少しの恐れを感じずにはいられなかった。今なぜ柏原家がここに来ようとしているのか。それを知る必要があるとも思った。


「近くまで見に行ってきます」


 即決断したトワが立ち上がった。これに浮かれていたヤドカリがあわあわとトワの襟にしがみついた。


「もう! 危ないじゃないか!」


「一緒に来るならちゃんとつかまっていてくださいね」


 言うや、トワが駆け出した。向かう先はもちろんこの島唯一の船着き場だ。


 多くの船が漁に出ている時間なため、たどり着いた船着き場には漁船の類は見当たらなかった。もう使い物にならないような古い小舟が数隻置かれているだけだ。だがそこには普段ではありえないほどの男衆が集まっており、ヨウガとコウヤの姿もあった。


「トワ。来たのか」


 コウヤがにこやかな表情で手に持つ銛をあげてみせた。だがその動作でヨウガもトワの存在に気がついてしまった。だからトワはしぶしぶヨウガに頭を下げた。本当ならばこんな奴に対して下げる頭はないのに、と思いながら。ヨウガとはあの夜、トヨに迫っているところに割り込んで以来の再会だった。


「元気だったか?」


「母は元気ですか?」


 ヨウガの質問にトワは質問で返した。これにヨウガは表情を変えることなくうなずいた。


「何の問題もない。先日は済まなかったな」


 周囲からもの言いたげな視線が向けられたがトワはうなずくにとどめた。公衆の面前でさっそく詫びてくるところがヨウガの誠実さとずる賢さだなと思いながら。謝罪を受ける気はないと態度で暗に告げるトワに、ヨウガもそれ以上言葉を重ねてはこなかった。ヨウガの方も、非を認め、身を引くつもりはないようだ。


 会話が打ち切られたところで、トワは大人ばかりの男の集団から静かに離れた。コウヤとヨウガ以外はトワの存在に居心地が悪そうだったのもあるし、魚に嫁がねばならない自分の境遇を彼らに同情されたくも悲しまれたくもなかったのだ。


 トワは木陰の下で帆船の到来を忍耐強く待った。たまにトワのことを気にかけてコウヤが視線を向けてきたが、そのたびにトワは視線だけで大丈夫だと返した。ヤドカリはかなりの船好きのようで、落ち着かないのだろう、トワの首の周りをぐるぐると歩いていた。


 やがて帆船が到着すると、船内から島の人間とは明らかに違う、長袖に長袴を身にまとった男衆がぞろぞろと降りてきた。結わえてはいるが腰まで届きそうな長髪も含めて、見るからに堅苦しそうで暑苦しそうな集団だ。


「久しいな。ヨウガ殿」


 ことさら華美な着物を着た先頭の若者が、近寄ってきたヨウガに親しみをもって言葉を交わし始めた。腰に大小二本を帯刀する姿もこの島では新鮮である。大陸の男は銛ではなく包丁を長くしたようなものを身に着けていることを、トワは世間話の一つとして聞いて知っていた。


「毎年城の方で顔は見ているがこの島で会うのは初めてだね」


「このたびは急なことですがお越しくださりありがとうございます」


 想像よりもずっと若い男の応じる様に、トワは何とも言えない不思議な思いを抱いた。あれが代官様なのだろうか、と。代官様といえば村長よりも偉いお方なのだ。なのにコウヤよりも若いし、どことなく女々しい……というか、弱々しく感じる。


「構わないよ」


 若者が鷹揚にうなずいた。


「ヨンドの祝言とあれば柏原は参らないわけにはいかないからね」


 ヨンドという言葉が聞こえて、大陸らしい面々に圧倒されていたトワの意識が一気に現実に引き戻された。そのとき、ちょうどヨウガがトワに振り向いた。


「トワ。こちらへ」


 断る雰囲気でもなく近づくと、トワはヨウガに紹介された。


高槻たかつき様。こちらがお魚様に嫁ぐトワです。後ほど館にてあらためて挨拶に伺わせますので」


「ふむ。この娘か」


 高槻と呼ばれた若者の目が輝いた。柏原家の代表であるこの男、年の頃は二十代半ばか。やはりコウヤよりも若そうである。だがアキトよりも明らかに年上だ。ただ、無邪気に瞳を輝かせる様には少年めいた快活さが見えた。


「さて。君はどのようにして魚の心をつかんだのかな」


 からかうような高槻の問いかけにトワは無言を貫いた。そんなことわたしが知るわけがない、と。トワの本心は口をつぐんでいても明らかで、これに高槻は愉快げになった。


「そうか。わからないか。それもそうだな。ヨンドと人間は違うのだから」


「高槻様。この島ではお魚様とおっしゃってくださらないと」


「おお。そうだったな。済まなかった。では館に案内してもらおうか。コウヤも久しいな。三年ぶりか。ところで、君」


 用済みになったと安心していたらまた話しかけられ、トワが顔をあげたところで。


「君はヤドカリを飼っているの?」


 不思議そうに訊ねられ、トワはとっさに襟に両手を当てた。ヨンドのヤドカリのことを大勢の前で見世物にするつもりはなかったからだ。手のひらの中でかたかたとヤドカリが震えだした。ヤドカリ自身も動揺しているようだ。手のひらの中がくすぐったくて、でも笑えなくて、トワは泣き笑いのような変な表情になった。


 挙動不審になったトワにコウヤが首をかしげ、ヨウガが物思わし気な顔になった。ただ、高槻はすでに興味を失ったようで、トワに背を向けると身内にあれこれと指示を出し始めた。



 ◇◇◇


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