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魔法の障壁の中で。
フィリアは周囲を見回してうろたえる。
宿屋の壁が破壊された。
剥き出しになった一室から。
外で数体のミーニャルテが角度を改めようと身をくねらせる姿が見える。
また第二、第三の雷が襲う。
衝撃がミストに伝わり、苦しげな息を吐く。
支えるフィリアにも、微弱ながらそれが伝わってきた。
凄まじ負荷である。
これ以上連続したなら……。
「フィリア」
「えっと」
「私に力を貸して欲しい」
フィリアは差し出された手を見た。
たちまち顔色が青くなる。
力を貸す。
それは是非もない。
しかし。
「わ、私の力で……本当に?」
「はい」
フィリアの目に緊張が走る。
現状の打破に必要だと言われた。ミストやタガネが言うように、そんな自覚もなく、他人に断言されても自信が湧かない。
ミストにとって勇気の象徴。
そんな誇らしい存在として認識された。
ただ、窮地に立たされて祈りすら出てこない。
常に祈りの力の強さを信じてきた巡礼者なのに。
聖ヘルベナ教徒としても。
ミストの勇気の象徴だとしても。
自分の力が助けになる。
その自信だけが湧かない。
むしろ、事態を悪化させる場合だってあるかもしれない、そんな予感すらする。
守られているだけなのに。
フィリアが挫けていた。
「フィリア?」
「私の力なんかで、本当に何とかなるんでしょうか」
「ええ」
「どうして」
ミストの体にまた衝撃が伝達された。
激痛を覚えて、自身の体を抱く。
もう人体が悲鳴を上げていた。これ以上、この魔法での耐久は難しい。
ミストがフィリアを見つめた。
「フィリア、怖いですか?」
「……はい」
「それは、仕方ありませんね」
ミストは苦笑して。
フィリアの手に杖を握らせる。
その上に、自分の手を重ねた。
「ミストさんは、やっぱり強いです」
「ん?」
「私はきっと、守る物があっても戦えない」
「どうして」
「だって、この状況で弟じゃなくて、自分の命のことで必死なんです。ミストさんの無事よりも、自分のことばかりで……」
「…………」
「自分のせいで事態が悪くなる責任感ばかりを先に恐れて……」
フィリアの声が小さくなる。
ミストは首を横に振った。
「それは人間として当然の心理です」
「え?」
「守るべき物は、私に勇気を与えて戦場に立たせる。戦場で戦い続ける理由になります」
「はい」
「ただ、奥底では自らの身を案じています」
ミストが自身の胸に手を当てた。
「それを失うことで、その絶望を感じた自分の未来が、怖いんですよ」
「未来の自分……」
「結局、人は自分のことばかりです」
防壁にミーニャルテが激突した。
ついに魔法障壁が破壊される。
ミーニャルテの巨体は他方向に逸れ、二人は床の上を転がった。爆風になぶられて、風圧にたえて立ち上がる。
もう宿は原形も留めていない。
その残骸の上に二人だけが健在だった。
膝の折れたフィリアの肩に。
ミストが手を乗せる。
「けれど」
「……?」
「もし、その守るべき物が隣で一緒にいてくれたら、何よりも勇気が出ると思うんです」
「……あ」
「自分だけのために戦っているのではない、と本当に思わせてくれる」
ミストが改めて。
フィリアの手を固く握りしめた。
「大丈夫、あなたの祈りには力がある」
「私の、祈り」
「そばにいてくれるだけで」
繋いだ手から淡い光があふれる。
二人を中心に、また五色の魔力が周囲に散る。
今度は方形の障壁となった。
フィリアも、口元を引き締めて。
ぐっと瞼を閉じて、その手を額に寄せる。
「さあ、祈って下さい」
「はい」
「あとは私が導きます」
光が二人の手のみならず。
全身にまで波紋のように波及した。
フィリアの体から白い魔素が溢れる。
魔法障壁の壁面に、幾何学模様が浮かび上がった。五色に変遷する壁の色が白くなり始める。
それを見て。
二人に集っていたミーニャルテが身構える。
突撃の姿勢に入った。
『ギルルルルルァアア!!』
「フィリア!」
「はい!」
二人の声に呼応して。
障壁の周囲に、五色の魔素で生成された槍が出現した。屋敷の大黒柱に匹敵するほどの巨大さにまで成長し、一体ずつへと差向けられる。
ミストは小さく笑みをこぼす。
これまで防戦一方だった。
ただ。
二人なら、攻防の二役をこなせる。
フィリアの強力な魔力を防御に転換すれば、自分の障壁に遜色ない、いやより強い防御力を発揮する。
彼女にはそれだけの資質があった。
ミストが彼女から溢れる魔力を、わずかな自分の魔力で調整し、防壁の形へと整えた。
本来なら、これでも高度な技巧である。
これぞ宮廷魔導師と言われる所以の技量がなせる所業だった。
ただし。
「さて」
ミストの魔法の練度は高い。
それでも、最も得意とするのは戦略的に相手を鎮圧する力――攻撃の方向だった。
魔法障壁はフィリア。
槍はミストの手によって。
恐らく大陸でも比類なき高度な魔法が発動された。
「終わらせます」
『ギルルルルル!!』
「夕立ちは過ぎ去っていくもの」
『ギ……!?』
「いつまでも同じ時間に固執するな。立ち去りなさい!」
ミストが手をふるった。
その挙止に合わせて、槍が放たれる。
光の緒を引いた彗星のような姿で、突進を繰り出そうとしたミーニャルテを先んじて爆撃する。
炸裂する暴力的な魔力。
衝撃波で一帯の建物も消し飛んだ。
ミーニャルテが閃光の中に儚く溶けた。
そのうち。
一体は胴を抉られながらも魔法障壁に突っ込み。
触れた部分から白い粒子となって崩壊した。
宿に密集していたミーニャルテ。
それが消滅したのを合図に、積乱雲が消える。
頭上に星空が広がった。
天井が崩落しているので、二人にはよく見えていた。
ミーニャルテの脅威が去ったと知って。
二人は魔法を解除する。
「やりましたね」
「はい……」
そして。
次々に下の路地では人が光の中から現れ、地面に倒れ込んだ。
フィリアが身を乗り出してそれを見る。
「あ、あれは?」
「ミーニャルテに捕食された人々です」
「え」
「消化される前だったんでしょう」
フィリアは胸を撫で下ろすとともに。
まだ状況が飲み込めていなかった。
ミーニャルテによる最後の突撃。
一度だけだが、自分の魔法障壁が自分たちを守った。
「フィリア」
「え、あ、はい!」
呼ばれて振り返ると。
ミストが微笑んで手を差し出していた。
「助けてくれて、ありがとう」
「…………!」
たった一言の感謝。
フィリアはそれを聞いて、その場に泣き崩れた。




