10
頭上でとどろく霹靂。
タガネの掲げた剣先へ、雲中から迸った光が落ちる。高空と地上、その距離感をものともしない速度だった。
タガネの視界が白く染まる。
直後。
至近距離で爆風が発生した。
土砂が飛散し、広間の半面が崩れ落ちる。
中心にいた二人は、弾き飛ばされて転がった。魔神教団の数名が光の中に消滅し、首飾りにいざなわれた人間たちは吹く風に押されて転倒する。
強烈な落雷。
誰も耐えられない衝撃だった。
タガネは跳ね起きて体勢を直す。
傍らのマリアは気を失っていた。
思わず舌を打つ。
「何が起きやがっ――」
状況を確認しようとして。
広間の半面が消し飛ぶ惨状に絶句する。
そして。
消えた地面を埋めるように、空から高台に突き立つ黒く長い塔がそびえていた。
いや、塔などでは無い。
艶を帯びた鱗が見受けられる。
「ミーニャルテ……!」
『キルルルル』
塔の全体がうごめく。
雲の中へ体を引き、顔を持ち上げたミーニャルテと目が合う。まぶたを瞬かせる単眼に、はっきりとタガネの姿が映されていた。
二つの頤を打ち合わせ、かちかちと不気味な音を立てる。
蛇ではあるが、体躯も外観も尋常ではない。
これが雲の魔獣。
それも、先刻は光となって降りてきた。
つまり。
人の視認可能な範疇すら超越した域から、天下へと落下してきたのだ。
タガネも剣には自信がある。
技も、力も、剣速も……。
ただ、それで処理しうる相手ではない。
そう直感で悟った。
「光速の魔獣か」
マリアを背にして。
ミーニャルテに立ちはだかった。
捉えられない領域の速度。
桁外れの敵に、いかにして対抗するか。
『キルルルルッ!』
「くそ、考える時間も――」
ミーニャルテの総身が光る。
これが攻撃の予備動作!
タガネは剣を前に構えて、再び光に包まれた視界に思わず目を瞑る。次は右側で衝撃波が爆裂した。
胴を横殴りに襲って来る。
左へとマリアもろとも弾かれた。
地面にもんどり返る。
直撃していない、それでも余波でこの威力。
下手をすればヴリトラより厄介だった。
タガネは剣にすがって立ち上がる。
「勘頼りってのが不安だな」
やはり見えない。
どうあっても、襲われる瞬間が視認不能。
広間を横断するミーニャルテの胴体が、ずるずると地面をえぐりながら戻る。また発光したとき、食われるかもしれない。
見えなければ斬れない。
ミーニャルテの体が光を放った。
再び剣を構える。
爆風に薙ぎ払われ、またもタガネはマリアとともに広間を跳ね転がった。一条の光と化して突進する攻撃になす術が無い。
立ち上がって、ミーニャルテを睨む。
第三、第四、第五……と続けざまに攻撃。タガネは同じことを何度も繰り返し、そのつど土にまみれて体を地面に激しく強打する。
飽くことない雷光の一撃。
やはり目では、技では、剣では終えない。
このままだと、本当に捕食される。
このまま、だと………。
そう考えて。
タガネはふと違和感を覚えた。
「……なんでだ」
浮上した疑問。
それは二つあった。
タガネは、改めてミーニャルテに正対する。
幾度目かの雷の突進。
タガネは爆風と衝撃に巻かれて宙を舞い、同じく空中に放り出されたマリアを抱えて、地面に落下した。
やはり。
確信が胸の中に根付く。
「こいつ、曲がる」
一つ目の事実。
それは、これだけ突進を仕掛けても直撃が無いこと。相手を微塵の肉片にすらできる威力を有していながら、全く捉えられていない。
そして二つ目。
直撃の寸前のこと。
それは『前回の時間』で見た光景である。頭上から降りてくるミーニャルテの口腔と牙が見える瞬間があった。
フィリアも自身を襲う影として視認した。
光速で動くのに、どうして目視できたか。
『ギルルルルッ!』
「借りるぞ」
タガネは魔剣を構えながら。
足下に倒れるマリアの銀剣を手に執る。
ミーニャルテが光を放出した。
狙いをすまし、その機に合わせ。
「これでもやるよ」
銀剣を前へとなげうった。
ミーニャルテが雷となって奔る。
広間を撹拌するような轟音が風となって突き抜け、翻弄されるタガネたちは、何度も地面を激しく輾転する。
やがて。
空気を切り裂いた大蛇の胴体。
その鱗が毛のように逆立つ。
『ギルルルルルァアア!!』
「はい、大当たり」
はるか後方で。
ミーニャルテが血反吐を撒いていた。
喉から込み上げる血潮が滝となってあふれる。
激痛で悶えていた。
直線軌道で迫ってくるのなら、物を前に投げれば必中である。何せ、相手は自ら飛び込んで来るのだから。
簡単な作業である。
その最中で凶刃が体内に投げられたなら。
それは致命傷となり。
「そして、動きは止まる」
タガネはその間に立ち上がり。
胴体めがけて剣撃を叩き込んだ。
隙間から刃を入れ鱗を切り飛ばし、生まれた傷口から繊細かつ猛烈な勢いで斬り刻む。
ミーニャルテが悲鳴を上げた。
それも意に留めず。
ひたすら鋼の洗礼を浴びせる。
「どうした、もう終いか?」
剣鬼に獰猛な笑みが浮かぶ。
顔を血に濡らし、凄然とした気迫で胴体を深く刻んでいく。
そこからも滂沱と流血がほとばしる。
「それと、ミーニャルテ」
『ギルルルル!!』
「おまえさん、老眼か」
『ギッ………!』
タガネは胴体に飛び乗る。
そのまま、剣を下に突き立てながら疾駆した。
血がタガネを追うように傷口から噴き出す。
そして。
わずかな時間で頭の上に乗った。
「ま、単眼にはある話だよな」
『ギルルルル!』
タガネの確信。
それは、ミーニャルテが遠視であること。
これは、この魔獣の特性だった。
本来は高空から獲物を捕捉し、一気に下降して捕食する習性がある。なので、そも眼球が遠い物の輪郭を捉えることに長ける半面、至近にまで寄ると逆に明瞭に認められない。
だからなのか。
よく近くのタガネを狙って突進すると。
必ず別方向へと逸れていく。
むしろ、最初にきた天空からの一撃の方が、まだ命中精度が優れていた。
タガネにとって、近くに招いてしまえば。
なんら造作も無い魔獣だった。
「さあ、時間だ」
タガネが剣先を足下にかざす。
ミーニャルテの動きが止まった。
「この厄介事の仔細は――」
『ギルルルル』
「おまえさんの中にいる人に訊こう」
ためらい無く振り下ろす。
単眼を貫いて、凶暴に鋼が肉を食い破る。
そして、突き刺した状態で剣を自身へと引き、傷を大きく広げた。
視界をおおうほどの血しぶきが舞う。
満身に浴びて、タガネは赤く染まる。
しかし、口元は笑っていた。
「やはり、いやがったな」
「ひっ」
掻き斬った眼球のさらに奥。
そこに、少年がいた。
体には魔神教団の白い僧衣を着用している。もっとも、今は血染めで変わっているが。
タガネは、その襟首をつかんで。
一気に引き抜く。
ミーニャルテの総身が脱力した。
明らかな絶命反応。
タガネはそれを確かめてから。
「さて」
「う、嘘だ……うそだ!」
「今回は女では無いみたいだな」
ミーニャルテの上に引きずり出し。
足で右手を、剣で左手、最後に片手で顔面をつかんで押さえる。
「お、鬼だ……!」
「癪だが正解だ」
顔面を捕える握力を強くして。
タガネは港町の北側を見た。
街中は静かだが、宿屋の方角だけに落雷が集中している。いや、ミーニャルテが群で迫っている。
もしや。
あれらもすべて……。
「大丈夫か、あのお二人さん」
二人の身を案じつつ。
タガネは足下の少年を踏みしめて笑う。
「さあ、尋問の時間だ」
声は、憎悪で染めていた。




