7
荒くれ者の宿。
マリアは憤怒相で部屋にいた。
一室の中にある文机の前に座り、同室で予約していたタガネの帰還を待っている。
それは、つい半時も前だ。
タガネは到着するや。
――悪いが、用事がでたんでね。
その一言だけで再び外へ飛んで行った。
何事かの説明もせず。
まるで待機していたマリアを一顧だにせず、所用の処理へと突っ走る。その態度が気に食わない。
せめて。
長逗留ご苦労さま、待たせて悪かった。
労いや謝意、詫びの言葉も無い。
仏頂面でまた何処かへ去っていく。
「私のこと何だと思ってるのよ」
形容しがたい苛立ちが募った。
所在なさげに机を叩く指が加速する。音の調律が激しくなり、音の間隔が短くなるにつれて、本人の胸裏でふくらむ感情の大きさがありありと表現されていた。
解消しようにも。
この宿は娯楽の要素に乏しい。
宿の一室も、趣向を排したように殺風景な内装である。
まるで捕虜の気分だった。
その屈託に堪えた時間、ようやく会えたタガネの素っ気ない対応。
この数月。
タガネは異様に気配りをしていた。
公爵家が消え失せたのが原因で落ち込んでいたマリアの生活を援助し、孤独にさいなまれないよう旅に同伴させた。
平生は絶対に寄らないような風景の名所を訪ねたり、本来なら要らない出費で郷土料理を食べに行ったり、旅の愉快な話で夜を明かしたり……。
絶望の淵にあるマリアの心。
その心底まで染み渡る想いやりがあった。
だからなのか。
マリアは心のどこかで期待していた。
きっと優しくしてくれると。
しかし、その淡い希望は裏切られた。
これ以上ないほどに。
「帰ったら叩き斬ってやるわ」
剣姫の機嫌は悪かった。
室内なのに、腰に銀剣を帯びている。
決闘がおこなえる万全の態勢だった。
そうして。
タガネが抱える厄介事もつゆ知らず。
怒髪天になって待ち構えた。
そこへ。
どんどん、と扉が叩かれる。
「おい、マリア」
「…………」
あの憎き男の声。
相変わらずぶっきらぼうな口調だった。
マリアは無言で待つ。
「マリア」
「…………」
「いないのか」
「気配で察しなさいよ!」
「返事しろよ」
タガネが呆れながら入室する。
寝台で座って託ち顔のマリアを見た。
「……なに怒ってんだ」
「ふん」
「面倒くせぇ小娘だな」
「アンタも小僧でしょうが!」
食ってかかる勢いで立ち上がる。
タガネはその肩を押さえてたしなめた。
寝台に座らせて、片手ににぎる物をマリアの前に掲げる。手足の垂れ下がったそれに、彼女はその柳眉をつり上げる。
「これ、誰よ」
「必要だったから連行した」
「野蛮ね」
タガネがにぎる物。
それは――白い僧衣の小男だった。
フィリアや町人などに首飾りを配布している人間である。顔に幾つかの痣ができていた。
小男が小さく呻く。
「こいつは魔神教団だ」
「え、この小汚い男が?」
「厳密に言えば、教団の服を着させられた一般人だ」
「それで?」
「奴らがここにいる。だから小綺麗なおまえさんに力を借りたい」
「小綺麗……?」
タガネの物言いに不快感を覚えつつ。
マリアは僧衣の小男をあらためる。
あのデナテノルズの事件でも、魔神教団にはさんざ石として辱められた。その恨みと、またヴリトラの一件に関与していた容疑もある。
因縁は浅くない。
禍根もある。
それに。
「アンタがどうしても、って言うなら」
「やけに素直だな。……気味が悪い」
「戦争したいの?」
「いや」
いちいち一言多い。
直らないタガネの姿勢に呆れる。
その反面で、自分を頼ってくる辺りの信頼が嬉しくもあった。
何事も自分の剣でなせると言わんばかりの武功を立ててきたタガネが依頼してくる。すなわち、自身は貴重な戦力として換算されているのだ。
ただの荷物ではない。
「それと、ミストを発見した」
「……は?」
「おまえさん、案外人探しもできないのかもな」
「………………」
「おい、蹴るなよ」
無言でタガネの足を蹴る。
やはり気に食わない。
「あと半時以内に決着をつける」
「そんな急用なの?」
「ああ」
タガネが踵を返して廊下に出る。
マリアもその後ろに従いて行った。
すでに玄関先で繰り広げた出来事で、宿の荒くれ者たちには剣姫の実力が周知されている。誰もが脇にそれて行く手をあけた。
その対応に。
態度を改めたのだと、マリアは満足げだった。
若干タガネも引いている。
「ミストは元気だった?」
「まあ、そうさな」
「じゃあ、王子も一緒なのね」
「……あ」
タガネは足を止めた。
そうだ、勇者パーティーはマリアとミストの両名だけではない。第一王子もまた行方知れずの扱いだった。
魔獣の襲撃があるまで。
王都の防衛戦にミストと加わっていたはず。
「……いなかった」
「え、王子が?」
「ああ」
「まあ、良いけど」
「いいのかよ」
言及されると思っていたが。
マリアは呆気なく引き下がった。
「王子だぞ?」
「だって、私嫌いだもの」
「……おまえさん、仮にも公爵令嬢だろ」
「ええ、婚約者だったわ」
「え」
「あら、面白い顔ね」
愕然としてマリアを見る。
その顔が琴線に触れたか、マリアはおかしそうに笑った。
マリアと王子が婚約者。
なるほど、公爵家ならば王家との婚約もたしかに許される。何より騎士団副団長で剣姫と名高い女剣士、名実ともにふさわしい存在だろう。
まだ両家の秘中の約束だったのかもしれない。
それをマリアは事もなげに暴露した。
「正気か」
「どういう意味よ」
「おまえさんらから生まれるガキなんざ、意地悪な親に似た悪童だろ」
「私に似て剣が凄いわ」
「へー」
タガネは一笑に付した。
生まれる子供の未来図が鮮明にすぎる。
剣姫と王子の遺伝で、剣と魔法に卓越した存在なのは疑う余地もない。ただ人格面に一つも二つも難があるだけ。
タガネとしては一生関わりたくない人物だ。
しかし、前提として。
「おまえさん結婚するのかい?」
「したくないわ」
「何で」
「力は認めるわ。でも、いつもミストに迷惑かけてるし、私に勝ったわけでもないのに威張るのは違うでしょ」
「……ほー」
「また適当な返事ね」
宿屋を出て、二人で東へ向かう。
港沿いに進めば海が見え、そして積乱雲の位置が確認できる。
もうすぐそばまで来ていた。
雲の影で街は薄暗くなっている。
「まあ、おまえさんに結婚は無理だ」
「何でよ!」
「手に余る」
「ま、そもそも私より強い人間じゃないと嫌よ」
「そんなの、そうそういないだろ」
「そうね。いな…………」
そう言って。
マリアが立ち止まった。
不審に思って、タガネも振り返る。
「どうした」
「……別に」
「いまから怖くなったか?」
「うるさい、早く行くわよ!」
マリアが肩で風を切って歩く。
途中、意図的にタガネに体をぶつけて。
体当たりを受けたところをさすりながら、タガネはその後ろ姿を追った。
そして。
ふと耳が赤いのを見咎める。
「昂ぶってるのか」
「違うわよ!」
「じゃあ、体調不良」
「絶好調よ!」
「じゃあ、何だ?夕日のせいじゃあるまいし……」
「黙って歩きなさいよ」
マリアが肩越しににらむ。
顔まで真っ赤だった。
その理由はわからないが、追及すれば高台の前で敵が増えかねないので、タガネは口を閉じる。
沈黙が続く道のり。
しかし、一瞬だけ。
「ふふ」
マリアが笑みをこぼした。




