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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
五話「夕発ちの雷」前問
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 街の南は港湾部(こうわんぶ)

 潮の香りが強くなり、そこかしこに高く積荷が積まれている。往来する人々も、荷揚(にあ)げをする船乗りが多い。

 港に近づくだけで、また一風変わって見える。

 フィリアは胸の高揚を抑えつつ。

 その港湾部にある教会へと足先を運んだ。

 地図では港湾部の片隅(かたすみ)

 荒れ狂うような人波をかわし。

 潮で錆びついた家々の間を巡って目的の教会に辿り着く。

 聖バリノー教の印が門に彫られている。

 しかし。

「これが、教会……」

 その風体がひどかった。

 ところどころに目立つ(さび)はともかく。

 観音開きの扉は、片側の蝶番(ちょうつがい)が壊れて、なかば垂れ下がった状態だった。少しでも押せば崩れるだろう。

 壁面に這うツタからも。

 これは人の管理から離れて久しいような外見だった。

 聖バリノー教徒としては絶句。

 この惨憺(さんたん)たるさまに、祈りを捧げること自体が不安になった。 

 カバンから教本を手に取り。

 恐るおそる前に足を踏み出した。

 まだ蝶番の機能している方の扉を押す。

 ぎぃい。

 ひどい軋音にしぜんと顔がこわばる。

 ゆっくりと開けて。

「うわぁ……」

 次は落胆の感嘆詞(かんたんし)が口から漏れる。

 教会の中までツタがはびこり、腐食した椅子たちからも相当の年月が経つことが窺い知れる。

 信仰心はおろか。

 人の気配すらしない。

 辛うじて、教会の象徴たるヘルベナ(ぞう)が健在なこと。

 埃を被っているが、欠損はない。

 崩れた壁の隙間から指す陽光で、像の前の床の一点が照らされていた。

 あの場所が良い。

 像の前でひざまずく。

「ヘルベナの慈愛の下に――」

 祈りの言葉を紡いだ。

 西方島嶼連合国では国教である。

 物心のつく頃から幾千と唱えた。

 一語一句も(たが)えず、滔々とヘルベナ像に向かって祈りをささげる。

 やがて。

 数分間に(わた)祈祷(きとう)

 その終わりが見えてきた。

「――導きたまえ(リーダント)

 最後の一節を唱えきる。

 集中力が解けて、ふっと顔を上げた。

 ひたいに汗が滲んでいる。

 それを手の甲でぬぐった。

 教本をカバンにしまい、膝の土埃を払い落とす。

 巡礼者として最後の祈りは終わった。

 あとは、無人の教会を去るだけ。

「それが聖バリノー教の祈り?」

「えっ?」

 フィリアは踵を返そうとして。

 とつぜん耳に届いた声に硬直する。

 無人だと思っていた教会内に誰かがいる。

 こんな人気の無い場所では、不穏な予想が頭をよぎった。

 こういう空間は、与太者の集会や密会に好都合な場所だ。教会のあり様を見れば、ここがいかに人の心に無いかはわかる。

 フィリアはとっさに身構えた。

 教会のたたえていた静謐(せいひつ)が、険難な修羅場の不気味さへと一変する。

 緊張で足が萎縮(いしゅく)した。

「そんなに身構えないで下さい」

 後ろから石を蹴る足音。

 フィリアはそちらに身を翻す。

 陽光の差す壁の隙間。

 そこから小柄な人影が中へと滑り込んだ。

 存外(ぞんがい)小さい。

 港で働く屈強な男たちを見た後なので、想像していた脅威よりも迫力に劣るそれに、いささか和む。

 それでも警戒は解かず。

「なぜ、ここに?」

「私は、ここを少し寝床にさせて(もら)っています」

「寝床?」

「恥ずかしながら、経済が逼迫(ひっぱく)していまして」

 透き通るような声。

 フィリアは陽光を背にした影に目を凝らす。

 (すそ)がすり切れて襤褸(らんる)じみた紫のローブで足首まで隠している。下から覗くのは硬いブーツの爪先。

 フードの下では、長い鳶色(とびいろ)の前髪の奥で、青い瞳が光っていた。

 そして。

 片手に、その背丈を超える杖。

「り、立派な杖ですね」

「ありがとうございます」

 丁寧な受け答えだった。

 その身なりや、慇懃(いんぎん)な口調から、危険人物と見定めたのが杞憂(きゆう)だったと悟る。

 胸を撫でおろし。

 フィリアはフードの人物を見据える。

「その、お名前を訊いても……?」

「そう、ですね」

 少し戸惑いつつも。

「ミスト、と申します」

 彼女はそう名乗った。

 そして、また違和感――もとい既視感がする。

 フィリアはうん、と小首を傾げる。

「つかぬことをお訊きしますが」

 今日は何度目か。

 あの言葉で問いただすことにした。

「どこかでお会いしませんでした?」

「いいえ」

 やはり、初対面。

 フィリアは自分に呆れてため息をつく。

 タガネといい、小男といい。

 この感覚にはうんざりだった。

 そしてフードの人物ミストへと歩み寄る。

「私はフィリアです」

「ええ、フィリア」

「あの、これから宿に泊まるのですが」

「はい」

 フィリアは一度だけ教会の扉を見て。

「良ければ一緒に泊まりませんか?」

「……良いのですか?」

「はい。実は、道すがらで善き人から路銀にと物を恵んでくださったので、換金すれば今は幾分か余裕があります」

 フィリアはカバンから。

 あのタガネのくれた鉱物を差し出す。

 それを見たミストが、一瞬だけ目を見開く。

「……誰に貰いましたか?」

「傭兵の方です」

「……銀髪の?」

「はい。……知り合い、ですか?」

 そう訊くと。

 フードの下のミストの顔が赤くなる。

「そ、そうですね」

「そうなんですか。何だかミストさんとの縁を感じますね」

「は、はい」

 フィリアは教会の扉を指し示す。

「では、宿に向かいましょう」

「本当に良いのですか?」

「はい。タガネさんのお話、聞かせて下さい」

 ミストは小さくうなずいた。

 陽光に照らされた場所を退いて、二人で教会の扉を開けて外に出る。

 二人の足音が遠ざかるのを見計らったように、ついに片方の扉が落ちた。





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― 新着の感想 ―
[気になる点] タガネの剣の形が気になります。 [一言] 次の話を楽しみにしてます。
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